2
――と、その腕を掴む者がいた。
「っ!?」
ジェーンは驚いて俯きかけた顔を上げる。四叉路の横の道から現れたのは、僅かな光源の闇の中でも輝く金の髪と、細身ながらも大きな背中。
「何やってんだ! 走れ!」
腕を引っ張るその手が、足を止める事を許さなかった。
目の前で揺れる金色の束を見て、ジェーンは張りついた喉からどうにか声を出す。
「――キール……なんで?」
「なんでって、なんでここにいるかって事かな? ジェーンを護衛していたアトリを迎えに来たんだ。夕飯を外で食べるから合流しようと思ったら、こんな場面に居合わせる事になったってわけだ」
「アトリちゃんは?」
「ちゃんとついて来てるし、ずっとジェーンを見守ってたから心配ない。流石に視界が悪いし万全の装備じゃないから手を出せないようだけど、ジェーンの居場所を知らせたのもアトリだしね」
「手……? 知らせたって……?」
「ほれ、あそこ」
キールが目線で示す方に、ジェーンも目を向ける。
前方左斜め上空。並ぶ建物の内、少し離れた場所の屋上に、キールの物よりも淡い色の、雲間の月光に透けた長い金髪の少女の姿がある。
今日着ている上下の服もダークカラーで、金髪と白い肌がなければ闇に溶け込んでしまいそうだ。これはジェーンが出来るだけ普段通りの生活を送れるよう、昨日の美大キャンパスでの出来事を反省し配慮してのものだった。距離を取っていても陰ながら見守ってくれる人がいる事は、ジェーンにとって心強かった。
その守護者たるアトリの左手には今、鈍い銀色の小型拳銃が握られていた。
「ジェーンの家の側まで来てたんだけど、さっきここらで銃声がしてさ。号砲っての? アトラントでそんな事するのアトリぐらいだから」
「あ! あの破裂音みたいなの……!」
「俺はよく知らないけど、ライフルじゃないから狙撃は無理そうだけど、ジェーンに何かあれば牽制の為に発砲はしてただろうね」
「ちょっと! 状況は分かったけど、なんでアトリちゃん銃なんて持ってるのよ! 銃なんてテクノロジーコントロールに丸っきり引っ掛かるでしょ! そうじゃなくても、小さな女の子に銃使わせるなんて何考えてるわけ!?」
「――って、そんな事言う元気が出てきたなら、走る走る!」
キールはジェーンの腕を引きながら走っているので、当然トップスピードではない。
後方を走る何者かも特別足が速いようでもないが、徐々に距離が縮まっているのが気配で分かる。後ろを確かめる余裕が殆どないが、一度ちらりと振り返ってみても、ただでさえ暗い中に離れているせいもあって姿が判然としない。
ジェーンが感じていた視線の正体はこの何者かで間違いないだろうが、怪しげな行動も含めジェーンをどうしたいのか分からない以上、優先すべきは正体を突き止めるよりも捕まらない事だ。
「次、そこ! 曲がって!」
キールの声に反応してジェーンもついて行く。角を曲がってすぐ、更に建物の陰に引き込まれ口を塞がれて、「んぅんっ」と驚きの声もキールの手でくぐもる。
キールは仕草だけで黙るように言い、二人は息を殺して状況を待つ。
後ろから近づいていた足音が、曲がり角の辺りで止まる。建物が邪魔をして相手の姿は視認出来ないが、建物の明かりもない路地に入った事もあり、相手の方もこの暗闇ではこちらの姿を見失っただろう。困惑して、体をあらゆる方向に向けて探しているのが、靴底が地面に擦れる音で分かる。
見当違いの方へ足音が遠ざかったのを見計らって、ジェーンが小声で訊ねる。
「このまま撒けないようなら、キールが撃退する事は出来ないの?」
「ん~、そうしたいのは山々だけど。俺、格闘はからっきし駄目で……。逃げ足だけは自信あるんだけど、基本的に運動は苦手なんだよな~」
「なんなのよ、もう。それじゃあ役立たずじゃない。助けに来てくれたんじゃないの?」
「いや、だから俺は一応頭脳労働担当ね。肉体労働担当は――」
キールが言い切る前に、足音がすぐ傍まで近づいてきた。二人の声に気づいたようで、真っ直ぐ向かって来ているようだった。
ジェーンは縋るようにキールの服をぎゅっと握る。不安で顔を歪めるジェーンに対して、キールは何物にも絶望していない、力強い笑顔で言う。
「うちの肉体労働担当は、見かけによらず頼りになるんでね」
足音が建物の角すぐそこまで来た――
――そう思った刹那、上空から“流れ星”が落下した。