8
◆ ◆ ◆ ◆
アイアンズ達と別れた後。
キールは孤児院の裏手に回り、その孤児院とは道路を挟んで対面にある路地に来ていた。両側をアパートメントに挟まれた小さな路地は、茜の陽光の下では薄暗く感じる。
その路地を覗き込むように顔を前に出したキールは、一度周囲を見回してから、人通りのある道路から離れ静まり返った空間に向けて声を上げる。
「お~い。いるのは分かってる~。あ~っと……お嬢さ~ん? 覗き魔さ~ん? ストーカーさ~ん?」
キールの声に反応してか、ダストビンの陰から人影が動き出る。
「おおぉ、フードお化けだ……。君、ちょっと話いいかな?」
屈託ない実に“らしい”笑顔で、キールは少し腰を落とし、相手と目線の高さを同じにして訊ねた。
相手は、亜麻色のミディアムヘアを目深に被ったフードで隠し、サイズの合わない大きめのサングラスを掛けた子ども。アトリと同じか少し下ぐらいの歳の女児だ。
少女はキールを不審げに見つめ、視線を逸らしてフードを更に引き下げる。
「……お化けじゃないです。悪者でもないです」
「いや、ごめんな~。なんて呼んだらいいのか分からなかったから。俺はキールって言うんだけど、君の名前訊いてもいいかな?」
「…………」
「あー、まぁ答えたくないなら無理に訊かないけどね。いきなり話し掛けられて、警戒するのも当然だし。俺が本当に訊きたいのはそれじゃなくてさ」
キールは完全にしゃがみ込むと、少女を見上げるような形で膝に肘をつけて頬杖をつく。
「君、さっきこの辺りから、セント・ティルナ孤児院をずっと見てたじゃん? ジャックとクリスと庭で遊んでた時、君の視線をバチバチ感じまくってさ。もしかして俺に恋しちゃった~?」
「違います」
「はっきり即答! ま、まぁ今のは冗談にしても、なんでか気になってね。孤児院の子ではないのかな? それとも孤児院の中に友達がいるとか?」
どちらの問いにも、少女は首を横に振った。困った顔で頬を掻くキールに、逆に少女が問い掛ける。
「お兄さんこそ……セント・ティルナの敵ではない、ですか?」
「敵? 敵って――」
サングラス越しにも分かる少女の真剣な眼差しに、キールは一笑を引っ込める。子どもの遊びや冗談で言っているのではないと、その幼いながらも気迫に満ちた表情が訴えている。
笑い飛ばす替わりに、包み込むような柔らかい微笑を浮かべ、少女の頭をフードごとポンポンと撫でる。少女の体がビクッと震えるが、それ以上特に抵抗する事なくされるがままになる。
「――俺はただ『知りたい』だけなんだ。何が起こってるのか、何をすべきなのかをね。だから少なくとも今のところは、セント・ティルナ孤児院の害になるような事をする気はないってわけだ。誰の敵かは、俺にもさっぱりなんだ」
キールの優しい声音で苦笑するその様を、少女はじっと見つめていた。
――と、二人のすぐ側で、グワンと突然音が鳴った。
「っ!!」
驚き、息を飲む声にならない声と共に、少女の体がキールの懐に倒れてくる。その拍子に少女の鞄が地面に落ち、中に入っていた菓子の袋や箱が散乱する。
更に頭の上にも何かが乗る音がし、キールの頭を中継点にして、それは間を置かず地面に降り立つ。
「……あ。なんだよもー。犯人は君か~」
キールの気の抜けた声に、少女が顔を上げる。二人の足元には、尻尾をクネクネ動かし白々と毛繕いしている野良猫が一匹。今の音の正体は、猫がブリキ製のダストビンの上に乗ったものだとすぐに理解出来た。
少女は猫を見て嘆息すると、そっとキールの体から身を離す。
「その……ごめんなさ――」
「いや、そっちこそ大丈……夫……――」
言い掛けて、少女は顔の違和感にハッとし、キールもまた目を見開き言葉が続かない。
さっきの衝撃で、少女の掛けていたサングラスが落ちていた。カラーレンズの下に紛れていた双眸が露わになっている。
少女の瞳は、まるで血のようだった。
深く鮮やかな色彩は、人の心を見透かす魔力でも秘めていそうな、妖しくもどこか惹きつけるものがある。
キールと少女の目が合ったのも束の間、すぐにサングラスを拾い掛け直した少女は、背を向けてフードの縁を強く握る。
「自分もただ――セント・ティルナを守りたいだけ、です」
幼い少女のか細くも力強い言葉は、その姿と共に秋風の中に駆け抜けていった。
キールは、少女の落とした鞄をおもむろに拾う。
路地の奥に小さくなっていく後ろ姿に掛ける言葉が見つからず、ただその顔にはこの不思議な出会いに何か期待しているような、そんな笑みが滲み出ていた。