Q,我田引水って何だ?A,私が好きな男の人
私が想う理想の男性像というのは、
人とだいぶ違っている。
自分本位で欲望に忠実的、
良心の呵責というものをおそらく
一度も感じたことがないだろう、という
まさしくクズな人にしか興味が持てない。
齢十歳の時にはそれを自覚していた。
それのどこが良いのか、と大半の存在から
聞かれることは分かっているが、
生憎と低級と言っても私は悪魔だ。
悪逆非道とまでは言わないが、
体に染みついた種族としての本能が
ある程度の悪さに惹かれてしまうことを悟った。
それに見方を変えれば外道と言われるほどは悪くないと思う。
最も近い存在である『自分』を大切にし、
思ったことをすぐに実行するほどの行動力がある。
良心の呵責がないのも自分の行いに後悔をしない
という風にも見ることが出来る。
俗に言う肉食系男子として分類訳が出来のではないだろうか。
逆に言えば世間一般で思われているカッコいい男のイメージに
私は共感できなかった。
わが身を犠牲に他人を救うのは単に『自分』という存在に価値を見出せない、
要するに胸を張って誇れるほどの自分ではないというだけだろう。
欲に流されず理性的にふるまう事も質実と言えば聞こえはいいが、
結局、他の何かが無ければ決めることのできない腰抜けだ。
そういう人間は必ず一番にはなれない。
『誰かの代わりになれる存在』、言い換えれば『誰かに代えても問題のない存在』、
分かりやすい例を挙げるならば将棋、いやオセロの駒のような人間だ。
所詮他人事だからその生き方でも構わないけれど、
そんな人間と関係を持つとなると話は別だ。
自信も度胸も無い根暗な男と付き合ってしまったばかりに
自分まで平凡以下の人生を歩かされていくのは真っ平ごめんである。
実はそんな男に引っかかりたくないからというのが
私が中等部からこの学園に転入した理由の一つでもあった。
とは言え、そのせいもあって男自体と接する機会も失ったわけで。
まぁ、失敗するよりはマシとは思うけれど
一応、乙女としては青臭い恋に憧れているもので。
なんだかもやもやした中学時代を送っていたわけでした。
そこへ私が高等部に進学した矢先、男子生徒がやってきた。
これがもう正に私のタイプで、もし神がいるなら一度くらい
十字を切って礼の一つも言ってやってもいいとすら思うのだった。
私は神野ユーシャという男性に本気で恋していた。
運命めいたこの巡り合わせを無駄にしないように私は、
あの人の思考回路を研究し、さりげなさを演出した計画を立てて
彼を私だけの彼氏にしようと頑張った。
(なのに、どこで間違えたんだろう?)
今、私の目の前には大好きな彼氏がいた。
きれいに掃除しなおされた補習室に呼び出されて二人きり。
けれど、ロマンチックな気分になんてなれなかった。
彼氏が私に向ける視線は愛しい彼女への甘いものじゃない、
氷のような冷たい眼だった。
「よう。元気か?」




