頼みって何だ?
ユーシャは土足のまま部屋に上がり込んだ。
きちんと整理された廊下には彼の進行を阻害するものは何もない。
あらゆる面で快調な走りができる状況だが、それでも
(間に合わねえっ)
ユーシャが剣を握るシャルロットの手に触れることはできない。
それが出来たときには彼女の剣は頸動脈を切り終えた後になるだろう。
「畜生ッ」
ユーシャはかなり惜しい距離まで詰めたが、一歩足りなかった。
彼の目の前で鉄臭い液体が噴き出すのであった。
宴会にも使われる群青色のシートに
尋常でない量の血がまき散らされた。
「あ……ぁ……」
シャルロットは声にならない音を出し、
血とともに切り落とされた肉を見て、
震えを起こしていた。
「私が……やったの?……」
焦点の定まらない目をしたシャルロットは刀を取り落とした。
わずかに届かない距離にいたユーシャは彼女の右手に
刃が首から離れないように強く押し付けた際の傷が一本付いているのを見た。
シャルロットは考えていた。
自殺の仕方は知らないけれど、今の方法で確実に首を掻っ切ることができたはずである。
しかし、まだ死んでおらずこの工程で絶対に落ちるはずのない『指』が
目の前にあった。
「間一髪だった」
ユーシャはソーセージ大の肉を見つめたまま硬直するシャルロットから
声がした方、何の前触れもなく現れて彼女の自害を止めた人物の方へ向いた。
「ラヴ……何でお前がここにいる?」
その人物は今もどくどくと血を流す右手を左手で押さえながら、
空元気で作った笑顔を返した。
「神野くん。怪我しちゃったから治してくれないかな?」
「あ。いや、俺、怪我の治し方とか知らねえし。
ってかお前ならそれくらいの怪我、自分で治せるだろ」
「バレたか。じゃあ、シャルロットの手の傷を治してくれるかい?」
「だから、俺にはそんな―ー」
とそこまで言って気づいた。
(そうか。【スキップ】を使えば出来るのか。
そうやってさっきもあいつの怪我を治してやったんだっけ)
少し冷静になったユーシャはエクスマにしたことと同じことをすると、
シャルロットの傷はその存在が分からなくなるほどきれいに完治した。
後悔と罪悪感に沈んだシャルロットはそれに気づかず
放心しているばかりだった。
そんな彼女の前にラヴは慎重に歩み寄って話しかけた。
「死にたかったところを申し訳ないと思うよ。
でも色々と大人の事情がこっちにはあってね。
今、君に死なれるわけにはいかないんだ。
だから、今後も君が死のうとするたびに
僕らは必ず妨害に入るよ」
自称・愛を司る大天使のくせにやたら冷たく言い放つラヴに
ユーシャは疑問を持ち、声を掛けようとしたが、
その前に向こうからかけられた。
「二年H組の神野ユーシャくん。同じ生徒として
彼女の相談に乗ってあげるように」
「はぁっ!? 何で俺がこんな奴の面倒を見なきゃなんねえんだ。
お前がやれよ」
いつものようにユーシャは自分のハーレム化に関係がなさそうなことに対して
積極的に取り組まない姿勢を取り、相変わらず駄々をこねた。
それをラヴは「仕方ないな」とか「そっか」とか、
ユーシャのわがままを聞いていたが、今回は違った。
ラヴはユーシャの肩をものすごく強く掴んだ。
骨を折られるくらいの痛みに食って掛かろうとしたユーシャだが、
誰もいない正面をきつく睨む形相に気おされたのだった。
「頼むよ。僕らにはできないんだ」
「なんだそりゃ。どういう意味だ」
ユーシャは言葉の意味について尋ねるが、
ラヴはそれを言うことも頼みに対する返事も聞かずに部屋を出ていってしまった。




