泉の精霊リュカーラ
崖からの飛び込みを盛大に失敗した女を助けるため、
ユーシャはラヴに連れられて崖のふもとの砂浜まで来た。
「確かこのあたりだったはずだが?」
「あっ、いたいた。あそこだよ」
命に関わる事故に対する捜索はあっという間に終わった。
それほど体が大きいわけではないのだが、
長い髪が扇状に広がっていて、
余計なもののない砂浜で広く場所を取っていた。
(なんかイカみてえ)
ワンピースの白地が砂でまばらに汚され、
生気を失ったようにピクリとも動かない。
軟体生物の生々しい最期の姿で打ち上げられていた。
「海の中じゃないだけ探す手間が省けてよかったな」
「そういう問題かい?」
とりあえず、その女をパラソルの下まで運び、
救助活動の手順を踏んだ。
STEP1. 意識の確認。
(おお。上玉)
クラゲのようにみずみずしく透き通った顔と
この女が精霊であるというラヴからの情報を合わせて考えると、
さしずめ水の精霊。ウンディーネとかいう種族なのだろう。
美女の顔に見とれているとラヴが急かせてきたので、
改めて救助活動を再開した。
肩や顔を軽く叩き、耳もとで声をかける。
「おーい、意識あるかー?」
しかし、それに返ってきたものは、
すぅっと目を覚まさせるようなさわやかな髪の匂いであって
返事は帰ってこなかった。
返事がなければSTEP2。気道を確保。
鼻の穴をふさいで人工呼吸をば……
「う、う~ん。は、はい。大丈夫です」
「(ちっ)」
「え? 今何か――」
「何か聞こえたか? 俺には聞こえなかったが。
それより大丈夫なら、もう一回海に飛び込んでみねえか?」
「諦めなさい」
人工呼吸に執念を乗せるユーシャに
ラヴは肩に手を乗せて抑えた。
(邪魔すんじゃねえよ)
(意識があるのに人工呼吸を口実にキスなんて、
させないからね? 教育上、よくないからね?)
二人が視察戦を繰り広げている間に
女はむせながら上体を起こした。
「ごめんなさい。迷惑をかけるつもりは無かったんですけど」
「(全くだ。これじゃ助け損だ)」
「(くどいよ?)
危ないからもうしないでね? たまたま下に誰もいなかったから良かったけど、
10メートル上から人が一人落ちて来たら
だいたいの種族は死んじゃうからね?」
「すみません」
ラヴはずぶ濡れの身体のまま説教をし、
女は何度も頭を下げて謝った。
それを見て思った。
「なんていうか。あまりこいつのことは気にしてねえな。
普通、一番危ねえのは落ちたこいつだろ?
だから俺たちが探しに来たわけで。
しかもいくら夏だからって、
服を着た状態で海に入った奴を放置したら
風邪ひくぞ?」
いや、ユーシャは全く心配しない。他人事だから。
しかし、ラヴはこういうことを気にするタイプだから
タオルを掛けたり、さりげない気遣いをすると思っていた。
「人間ならね? でも、彼女は精霊だから。
骨折したり、風邪ひいたりはないから、
特に心配する必要はないんだ」
「はい。それに私、水の精霊なので
こういうことが出来ますから」
と言うと、女が青白く発光しだした。
光は頭の先から消えていき、
それをなぞるように海水が体に染みいるように
消えていった。
全身の水分が消え去ると、
垂れた長髪を後ろにまわし、隠れていた顔をさらした。
(ほぉ)
顔だちも体も二重丸をつけていい奇麗さだが、
それをおまけに思えるほどの彼女の瞳に息を漏らした。
明るいが深い、波一つ立たないほど静かだがそこに寂しさを感じる。
そんな誰からの干渉を受けていない神秘的な目にユーシャは釘付けとなった。
「改めてすみませんでした。私はリュカーラ、泉の精霊です」
「え、あー。うん、そうか。
俺は神野ユーシャ。で、こっちのひょろデカいのがラヴだ。
俺たちは修学旅行でここに来てんだよ」
「学生さんなんですか。二人とも高校生?」
「いや、僕は学生じゃないよ? 事務員。
神野くんは高校二年生だけど」
「へー。そっかー、高校生なんですか。
楽しそうですね」
リュカーラは物珍しそうにユーシャを一周して眺めた。
(なんか恥ずいな)
「あんたは一体どんな理由で海に来たんだ?
家が近いのか?」
見世物のように扱われ顔を赤くしたユーシャは話題を切り替えた。
「私はただの旅行ですよ。
海に入りたいなぁって思って」
リュカーラは空色の瞳で水平線の先を見つめた。
「今でこそいろんな種族がいますけど、
元を辿ればみんな微生物から生まれて、
その微生物を生んだのは魂を持たない海なんです。
なんかその事を考えたら海ってすごいなぁって思いまして」
「ふぅん」
羨望の眼差しを向ける彼女の横顔から
一月前に見たシャルロットと同じものは感じられなかった。
彼女が海に入ろうと思う気持ちは悲壮ではなく、
ただの羨望なのだろうと感じた。
(海にロマンを感じたメルヘン女か。
暗い女よりはましか)
と、ユーシャは安心した。
神秘的な目と落ち着いた佇まいの
《精霊》属性の女。
ユーシャは心のなかでうん、と言った。
「リュカーラ。長いな。
ルカ、は精霊なんだってな。
生まれて何年くらいなんだ?」
「年ですか? まだ1年ですけど
それがどうかしましたか?」
「いや何も。ちょっと良いになっただけだ。
そうか、一年か(じゃあだいぶ持つな)」
「あの私たち精霊はそういうこと気にしませんけど、
あまり年齢の事を聞くのはやめておいた方が」
「いやー、ハハ。悪ぃ。今度から気を付けるわ」
と、適当な事を言って返すと、
「学園生の皆さーん。
昼食の準備が出来ました。早く戻ってきてくださーい」
と、ソフィアの声が聞こえた。
「では、ここまでですね」
「だな。この一週間はここにいるから、
また海に入りたくなったら会えるかもな」
「ちょっとコラ。まだこれからの予定も分かってないくせに
適当な事を言わない」
と、ユーシャがラヴに咎められるのを見て
ルカはクスリと笑った。
「それではまたいつか」
「おう。またな」
そう言ってルカは去っていき、
ユーシャたちも宿泊先の寺に帰った。
その道すがらにラヴは聞いた。
「ねえ。まさかとは思うけど」
「ああ。今回はあいつにしようと思う」
「やっぱり」
ラヴはこの頃の習慣になった頭痛で頭を押さえた。
「あの娘は学外の娘だよ? 惚れさせてもあまり関わる機会はないよ?」
「だからこそだ。普段、学園の中にいちゃ外の女に手を出せねえからな。
滅多に出会えねえ外の女だ。
このイベントを逃す理由はねえだろ?」
「あらら。そこに気づいちゃったのか。
まぁ、完全な自由行動がとれるわけでも無いし
また会うかなんて分からないんだけどね」
「そこんところは抜かりねえよ」
と、ユーシャはずぶ濡れの財布を見せた.
「それは?」
「あいつの財布だ。中にはカードも入ってる」
「おいいいっ!」
「心配すんなって。手は付けねえし、ちゃんと最後には返す」
ユーシャはおそらく人工呼吸をしようとする前に
盗み取った財布を物色し、クレジットカードなどを見つけて
喜んでいた。
「あいつはこれを探しに必ず戻って来る。➡
それを俺が偶然を装って一緒に探してやる。➡
共同作業をしてるうちに一体感が高まって、
あいつは俺の事が気になってしまう。➡
俺に惚れて合体! ってな寸法だ」
「最後の矢印がとんでもない飛躍をしてるんだけど」
ラヴはあきれながら突っ込みをいれたが、
ユーシャの耳には届いておらず、新しい恋に燃えていた。
「今度こそ。今度こそまともな恋愛をしてやる。
絶対にお前をものにしてやるからな、ルカ!」
(考え方とやり方が完全に犯罪者だなぁ)
この清廉な海で清らかな少女が意地汚い欲情の
的にされるのをラヴは黙って見るしか出来ないことに
やりきれなさと無力感を感じるのであった。