[Sexto episode] 双葉の竜――メリス&ドリス――
†0†
しとしとと雨が降る。
それでも無には火の手が広がり、辺りを舐めまわしている。藁で作られた家が立ち並ぶ村だったので、火は瞬く間に村を包み込んだ。
人間たちが悲鳴を上げて村から逃げている。何でこうなったんだ! と叫んでいたが、自業自得だと思った。人間は元々争いを好む生き物だから。
だから、敵国の兵士はこの小さな村を焼き払うことすら罪とも思わないだろう。
争いばかりでうんざりした。そう思うのは争いが終わった後で、一度戦争を起こすと、誰かを信頼することができなくなる。信頼すると、再び裏切られてしまうから。信頼すると、背後から銃で撃たれることさえあるから。
村に住む人間たちは愚かに、弱い者を苛め蔑んで生きてきた。だから当然の報いだ。しかし、その自分勝手な人間たちの行動に、巻き込まれる動物たちは堪ったものではない。
故に、竜である彼女たちも逃げる。
小さな背中の、小さな羽を一生懸命はばたかせて人間の間を縫うように進んでいた。二匹の竜は姉妹……双子だった。唯一信頼しあえる、肉親同士だった。
「くっ……何で人間は……いつもいつも……っ!」
「お姉様……それでも私たちは逃げないと……今度こそ殺されちゃうかも……」
「絶対にそうはさせませんわ、妹。きっと助けますから……絶対に、二人で生き残りますわよ!!」
姉の竜は叫んで、家屋の脇を通り抜けた。まだこの近くまでは火の手は上がっていない。急いでこの街から離れれば、彼女たちは生き残ることが出来る。
その時、パキパキという、何かが弾けた音がした。嫌な予感がする……。
姉が横の家屋を見上げると、同時――
「っ!! お姉さまッッ!! 危ないっっ!!」
「きゃあぁぁぁぁああ――ぁああぁぁぁ――――ぁぁぁ――――――ッッ――――――――!!?」
――家屋が崩れ落ちた。
†1†
「ウァレーっ! おやつまだーっ!!」
「子どもか」
「ええけん、早ぅ」
不機嫌そうに、車イスの少女が言った。ウァレと呼ばれた青年は、彼女の頭を撫でた。少女は嫌そうな顔をしたが、本心ではうれしいと思っていることを知っているウァレは、彼女に見えないように微笑んだ。
いや、彼の表情はそもそも見えなかった。だからといって、無表情というわけではない。
彼の格好が珍妙だったからだ。顔には右目以外を覆った狐面を被り、唯一見える右目は赤黒い。背は高いほうだが、ローブをひこずってしまって端々がボロボロに綻んでいた。彼は言うなれば不審者だった。
そして、それは車イスの少女にも言えた。
少女は東方の神事服である巫女服を着ていた。スカートは短く、後ろが少しめくれてそこから猫の尻尾が動いている。絹繊維のように繊細な金髪の頭には狐の耳が生え、ピコピコ動いている。乏しい胸元はへそが見えるほど大きく開かれ、胸元には十字架が白銀に輝いていた。
否。それはもう十字架とは呼べないほどに劣化していた。
片側が欠けてしまい、それはト字架と化していた。
少女は頬を少し紅潮させながらムッと頬を膨らませた。それでもウァレは頭を撫でつづけた。
「……もう、ええじゃろ……?」
困ったように言う。そう言うと、ウァレは手を退かしてくれるはずだった……のだが。
「あはは。嫌なら自分で退かせばいいでしょ? 照れて……本当に可愛いよ」
「か、くぁあいぃっ?! な、何を言っとるんじゃ!?」
鼓動が激しくて、少女は自分の胸をおさえて叫んだ。ウァレはそんな彼女の様子を面白そうに見つめて、少女の頭を撫でるのをやめた。あ、と悲しげに喘いだ少女の尻尾はゆっくり垂れ下がった。ウァレは笑う。
そして、ウァレは少女の正面に立った。少女は何をされるのだろうか、とドキドキした風に目を瞬かせた。
ウァレは少女の肩を掴むと、彼女の耳元に顔を近づけた。
「ほら……可愛い……」
「にゃぅぃいあぁ……!?」
ウァレは彼女の頬にキスをして、その小驅を抱きしめた。少女は抵抗できず、いや。抵抗せず、大人しく抱きしめられた。そうされるのがとても心地よかった。
「ねぇ……」
「な……何……?」
今度は何を言われるのだろう、と少女は身を強張らせた。ウァレは彼女の身体を優しく抱きしめながら、言った。
「――ほんっと、エミルカって面白いねっ!」
「……はあ?」
「うふふ~」
ウァレ(?)は少女を放すと、くるくる回りながら後ろに下がった。手を後ろに組む姿は、とても男らしくもない。いや、事実男ではないのだ。エミルカと呼ばれた少女は、額に手を当てて彼女の名前を呼んだ。
「ぐっ……いつの間にいたのよ、カドゥラス……」
「うふふ~」
そして少女――カドゥラスは、その身体を変えていった。身長が縮み、髪が伸びる。その緑色の髪は、教会から差し込む光を反射して綺麗に輝いていた。数秒後には、さっきまでのボロボロのローブ姿ではなく、黒いフリルのついたドレスの姿になっていた。
緑髪の少女は、万円の笑みでエミルカを指さした。
「うふふ~、うれしかった? ね、ね、うれしかったんでしょ!? 憧れの彼に抱きしめられて、心臓バクバクのドッキドキだったんでしょ!? ほっぺたにチューっされて恥ずかしかった? うれしかった? うふふ~」
「う、五月蠅い!! べべべ別に、ううぅぅううれしくなんかないんじゃぁああぁぁッ!!」
「そう言うミカも可愛いよ(ウァレ声)」
「やめて……やめてぇぇぇぇえええっっ!!」
「うふふ~」
カドゥラスは笑いながらエミルカの周りをくるくる回った。彼女は、『擬態』の【呪い】を持つ竜だった。【呪い】を自分にかけることで、先ほどの青年の格好になっていた。
その時、教会の奥から青年が出てきたので、エミルカは小さくとび跳ねた。
エミルカの様子を見て、ウァレは首をかしげた。彼女の周りを走り回る少女は見なかったことにした。そう、何も見えない、そこには何もない、と自己暗示をかけるのだった。
「どうした? ミカ。顔赤いぞ?」
「べべべ別にあ、ああぁあ赤くなんかぁぁあぁああぁっっ!?」
「落ちつけ、何言ってるのか分からねえぞ!?」
「うふふ~、エミルカは大好きなんだよ。そして、ボクのこの美貌に嫉妬してるんだよ~! この緑色の髪の美しさを見れば、人間なんてイチコロだからね~っ! でも、エミルカもなかなかの――」
「カドゥラス!! ええ加減にせぇ!!」
「うふふ~、逃げろ~!」
殺伐とした鬼ごっこが始まり、ウァレはため息を吐いて額に手を当てていた。その格好は、さっきまでカドゥラスがしていた通り、右目以外を覆った狐面にボロボロのローブだった。ただ一つ、彼はエミルカのおやつのためにホットケーキを焼いていたので、フライパンを持っていた。無論、鉄の部分はアツアツだ。
エミルカはウァレの持っていたフライパンを奪いとり、カドゥラスを追いかけ始めた。しかし、彼女は車イスに乗っているせいであまり速くない。ウァレはそんなエミルカの肩を、後ろから捕まえた。エミルカはビクッと身体を跳ねさせた。みるみる内に赤くなっていく彼女の額に手を当てて、熱を測る。
「ひゃぁぅ!?」
「……熱はないみたいだな」
「えぇえ!? 確かに今のでも端から見れば抱きしめてるようにも見えなくはないけどさ、それじゃあボク、物足りないよっ! そこは額と額をくっつけて熱を測るべきでしょ~!? 間近でお互いの瞳を見つめてあって……恥ずかしながら顔を真っ赤にして、熱くて優しい抱擁を……」
「いや、そんなことしないから」
えぇ~、とカドゥラスは不満げに口を尖らせた。ウァレとエミルカは疲れたように肩を落とした。彼女がこの教会へ来るといつも疲れるのだ。それを彼女自身、分かってやっているからタチが悪い。
「ま、いいけどさいいけどさ~。エミルカもしっかりしないと、誰かに先越されちゃうよ!」
「カ、カドゥラスゥウウゥゥッッ!!」
エミルカがカドゥラス目がけてフライパンを振りまわした。しかし、カドゥラスはそれを避けた。エミルカがもう一度カドゥラス目がけてフライパンを振ると、今度はウァレの足に当たってしまう。
「あつっ!?」
「我慢せぇ!! 今すぐあのハエを……緑のハエを潰しちゃるけん!!」
「ハエ!? ハエは酷いよ!? ボクがこんなに美貌だからって、嫉妬しないでよね!!」
「くっ……やっぱりハエはすばしっこい!!」
カドゥラスがすいすい避けていくのに、エミルカは唇をかんだ。早くあのハエを仕留めなければ、新たなる被害が……。
エミルカはおもむろにフライパンを振り上げた。エミルカが何をしようとしているのかを悟ったウァレは、それを止めようと彼女の腕をつかもうとした……が、手遅れだった。
「天上天下唯我独尊御身滅亡御身悪霊清流消化罪償天中!!」
何やら呪いの言葉を吐きつつ、エミルカはフライパンを投げた。見事にカドゥラスに向かって飛んで行ったそれは、しかし避けられてしまう。そのまま扉に当たりそうになり、
「はうっ!?」
「ああぁぁ熱い! 熱いですわっ!!」
教会に入ってきた二匹の竜に当たった。片方の竜にフライパンがぶつかると、中で必死にしがみついてきたホットケーキが、もう片方の竜に向かって飛んで行った。竜たちはもがいた後、静かに床に落下した。
「……カドゥラス」
「うふふ~、自分でやったことの責任は、自分で取ってほしいなぁ~」
倒れた竜たちを見て、エミルカはこめかみをおさえた。
教会の中にホットケーキの甘い香りが漂う。
エミルカはブルーベリージャムをたっぷり塗ったホットケーキを頬張って、幸せな顔をした。それを見て、ウァレはふっと笑いそうになる。
教会の礼拝堂。長椅子が五列置かれたそこには、二匹の竜と人間の格好をした謎生物二人が座っていた。ウァレはエミルカの横に立っている。
二匹の竜は前のイスの背もたれに座ってホットケーキを食べていた。二匹はとても似ていて、どちらとも区別がつかない。
体色はともに青黒く、岩のようにごつごつした肌も同じだ。尻尾も身体ほどの長さがあり、背中からは小さな翼と二つの穴があった。穴の中は太陽の光を一切通さず、真っ暗だ。
ただ違うのは、爪の数と瞳の色だった。片方の竜の爪は四つに対し、もう片方は五つある。瞳は、四つの爪のほうがエメラルド、五つの爪の竜は紅色だ。
「……で、カドゥラス。どういうつもりじゃ?」
エミルカがホットケーキを咀嚼しながら訊く。
「あんたがここに来たこと自体おかしいと思っとったけど、まさか……」
「うん。そうだよ、依頼依頼~!!」
エミルカはやっぱり、と額に手を当てて呻いた。
「今日だけは……今日だけは嫌だったのに……」
「今日だけ?」
ウァレが訊くと、エミルカは彼の足を殴った。訊くな、ということだろう。
ウァレはため息をついて、その話題から離れることにした。二匹の竜を見ると、四つの爪のほうの竜が少し怯えたように身を縮込ませた。
「……彼女たちは双子なんだ。ちなみに、人間嫌い。ウァレは気をつけたほうがいいかもね」
カドゥラスの忠告を聞いて、ウァレはとりあえず一歩下がることにした。しかし、少し動いただけでも彼女は怯えた。それきりウァレは動けなくなってしまう。
ふいに、カドゥラスが人間の姿から緑の竜へ変化した。擬態の【呪い】を使ったのだ。
竜はそれぞれ、自分を守るための【呪い】を持っている。人間が呪われ、その力を授かることもあるが、それは異例なことだった。
カドゥラスが変化したのは、彼女たちを安心させるためだろう。カドゥラスは竜だが、この姿が本当の姿というわけではない。彼女の本当の姿を知るのは、エミルカとウァレ、そして一匹の桜色の竜だけだった。
「ん~、さてさて。この姿なら安心してくれるかな~? メリス」
「……」
メリスと呼ばれた竜は四つの爪……ウァレに怯えていたほうだった。メリスは小さく頷くと、エメラルドの瞳をカドゥラスへと向けた。
「……大丈夫」
感情の剥がれたような口調だった。
ウァレは不審に思いつつも、五つの爪の竜を見た。彼女は落ちついた物腰でウァレを見上げた。彼女はメリスよりは人間慣れしているらしい。
彼女は笑顔で言った。
「こっち見ないでくださいます? 霊長類」
「うわぁ、ウァレいきなり嫌われてる~!」
ウァレはとりあえず何も言わないことにした。彼女たちの問題はエミルカに任せたほうがいいだろう。少なくとも、彼女の姿は人間ではない。しかし、エミルカは顔を赤くして俯くだけで、ウァレにすら目を合わせようとしなかった。
「こ、こっち見んな、ウァレ……」
「うふふ~、みんなに嫌われちゃったウァレさ~ん!! 大丈夫? 精神的にぃ!!」
「……俺、もう奥に行ってていいか?」
その時、踵を返したウァレの服に、エミルカが必死にしがみついた。涙を眦に浮かべながら、彼女は首を横に振った。
「ダメじゃ! それだけは……それだけはああぁぁっっ!!」
「何でそんなに必死なんだよ!? お前、今日おかしいぞ?」
「お、おかしくなんかない! おかしくなんか……で、依頼って何!?」
ウァレの服にしがみついたまま、エミルカは二匹の竜に視線を向けた。彼女の行動を不審に思いつつ、ウァレはその隣に腰かけた。
二匹の竜はウァレの一動作ごとに身体をびくびくさせていた。エミルカは不機嫌に顔をしかめさせたが、二匹の竜がそれに気付くことはなかった。
メリスではない、五つの爪の竜が笑みを湛えて口を開いた。
「私はドリスと申しますわ。こっちのは妹のメリス。私たちは双子ですわ。以後お見知り置きを」
ドリスは微笑んで見せた。彼女はメリスとは違って、表情が明るい。だが、彼女たちは同じように人間を嫌っている。
メリスはドリスの一言一言を、苛立ったような表情で聞いていたが、何も言わなかった。
「……で、あんたたちの目的は?」
エミルカが訊くと、ドリスは一つ頷いた。
「はい。私たちはぬいぐるみを探していますの」
「ぬ、ぬいぐるみ……」
ドリスは、なぜか呆けたエミルカに頷いて見せた。
「しかし、どこで失くしたのか、いつ失くしたのか、何も分からないのです。だからそれを探すのを手伝って欲しいのですわ」
「それと、それを失くした犯人も。まあ、お姉様のせいでしょうけど」
「何を言っているの、妹。あなたも十分怪しいのですわよ? ぬいぐるみを欲しがったのは、あなたではありませんの!」
「絶対、お姉様のせいです!! 私はあんな大きなものを動かした覚えはありませんし、欲しがったこともありません!!」
「いえ、妹のせいです! 私こそ、あれを動かした覚えはございませんし、欲しくもなかったですわ!!」
二人はケンカを始めた。双子の姉妹であっても意思疎通が出来ず、仲が悪いのが一目瞭然だった。彼女たちの間に立って、お互いの意見を聞くのがカドゥラスなのだろう。少なくとも今は。
「まあまあ、ケンカしないで。ボクの顔に免じて~! で、エミルカ。やってくれる?」
「嫌じゃ」
エミルカはきっぱり言って、カドゥラスを睨みつけた。カドゥラスは知らぬふりでそっぽを向いた。
「カドゥラス。あんた、私たちをただの便利屋だとか思ってないんか?」
「え? うふふ。そんなことないよ、エミルカ。ボクはただ、困った竜を助けるべきだと思っただけだよ~!!」
「つまり、私たちは竜を助ける便利屋って思うとるわけじゃな」
カドゥラスはうふふ、と笑ってごまかした。エミルカは彼女の態度に苛立ちを覚えつつ、メリスとドリスを見た。
「……私たちは便利屋じゃない。そんぐらい自分たちで探せ! って、正直言いたいんじゃけど……」
エミルカは歯噛みして、ウァレを見上げた。
「……しょうがないよ、ミカ。カドゥラスがそう言うなら」
「……ま、ええわ。探しちゃる。じゃけん、今日は一旦帰ってくれんか?」
メリスとドリスは帰ったが、カドゥラスだけは残った。
寂れた教会で、カドゥラスは長椅子に座り、エミルカはその正面で車イスに座っていた。
カドゥラスは少女の姿になって紅茶を飲んでいた。彼女は竜の姿よりも人間の姿のほうが落ち着くらしい。ウァレはカドゥラスに渡したものと同じ紅茶を、エミルカに手渡すと彼女の隣に立った。
エミルカはその紅茶を一口含み、不機嫌そうに顔をゆがめた。メリスとドリスの態度が気に入らなかったらしい。
「……なんじゃ、あいつら……」
「うふふ。依頼者だよ。ま、ボクが連れてきたから不信感を持つのも当たり前かな?」
「分かっているなら、今後こういったことはしないでほしいんだけどね、カドゥラス。ミカが不機嫌になるのは、俺も嫌だし」
カドゥラスはけたけた笑い、愛されてる~と茶化した風に言った。ウァレは特に気にした風もなく、エミルカの肩を叩いた。エミルカは紅茶を膝に置くと、鋭い目でカドゥラスを睨みつけた。
「――で。本当の依頼はなんじゃ?」
メリスとドリスの依頼――本来、エミルカたちはそういった便利屋扱いの依頼は受けないようにしていた。が、今回は違ったのだ。
今回に限っては、カドゥラスが関わっていた。彼女が関わるだけで、例外なく依頼を受けないといけないのだ。
カドゥラスはうふふ、と笑って。
「さすがエミルカ。分かってくれたんだ。メリスとドリスの依頼、受けてくれてありがとう」
「どういたしまして。それを今から後悔することになるんじゃろうな」
エミルカはこめかみを揉んで言った。事実、カドゥラスの依頼で後悔していない例はない。カドゥラス自身、それを分かっているからタチが悪い。
エミルカは紅茶を飲み干して、カップをウァレに渡した。胸元で光る十字架を握ると、瞑目する。
「――あんたの願いを叶えるのが私、私は竜と人間を繋ぐ者――【猫ノ狐】。カドゥラス、あんたは何を望む? 何を願って、私の下へ来たんじゃ?」
エミルカが言うと、カドゥラスはにこにこ笑っていった。
「ボクが望むのは、彼女たちの平穏と安寧、そして……信頼を」
「……どういうこと?」
ウァレが訊くとカドゥラスは立ち上がり、自分の胸元にある十字架のあざに触れた。
「彼女たちの平穏が、ある日乱された。それによってお互いを信頼できず、やがて来る破綻を前に、今日の依頼が来た。ボクは彼女たちの信頼を取り戻したい。それによって、彼女たちの問題は解決する。ボクは彼女たちの友だちだし、ね。まあ、彼女たちが探しているものを探すのだってもちろんだけど。それ以上に、今回のこと……ぬいぐるみが無くなったことで、お互い疑心暗鬼になってる。このままじゃ、いつまでも関係は変わらない」
「……つまり、どうにかしてあいつらの信頼を取り戻すのが依頼じゃな?」
カドゥラスはにこっと笑って笑顔になった。声に出さずとも、それが肯定していることだけは分かる。
「彼女たちに何があったんだ? 双子が……もっとも近いはずの二人が、お互いを信じられなくなるほどのことって……何なんだ?」
「ウァレ」
エミルカが視線をカドゥラスに向けたまま、ウァレの横腹を殴った。どういうことか分からず、ウァレはエミルカを見下ろすが、何も答えてくれなかった。カドゥラスは、はぁとため息をついた。
「まったく、ウァレはデリカシーってものがないんですか? 全部聞いても仕方のないことでしょ? ……それに、彼女たちの問題を解決するのは彼女たちの仕事。彼女たちの問題を、ボクたちは知らなくていい。ただ、ボクはエミルカとウァレに、彼女たちに干渉してほしいだけです」
「干渉……」
「はい。そのために、今回の依頼はすっごく都合がよかったですよ~!!」
それは、まるでカドゥラスが今回の事件を起こしたかのような物言いだった。もしくは、カドゥラスが問題が起きるのを待っていたかだ。
……どちらにせよ、今回の依頼を完遂しなければならないらしい。
「……ま、ウァレが聞きたいことも分からなくはないですけどね。確かに、ボクたちは彼女たちの事情は知らなくていいと思う。でも、もっとも信頼できるはずの家族が……それも、年の近い双子が、お互いを信頼できなくなるなんて……よっぽどのことがなければないでしょうね」
「……ま、私は何があったかなんか訊かんけど、カドゥラス。そこまであの二匹は酷いんか?」
エミルカの問いに、カドゥラスは頷いた。
「うん。言うには簡単だけど、それ以上と考えてもいいくらいには」
それは、メリスの瞳を見れば分かることだった。彼女の瞳から光が見えなかった。まるで、感情を剥がされたかのようだった。
二人はケンカを幾度かしていたし、おそらく、住みかに帰ってもケンカを続けるだろう。もしくは、会話すらもないかもしれない。もっとも近しい人間と話さない辛さ……それを想像するのはあまりにも難しかった。
「……とにかく、彼女たちの依頼は必ず成功させよう」
「当たり前じゃ。私は願われたんじゃけんな。それがたとえカドゥラスでも、私は依頼を裏切らん」
「ええ~、エミルカの言い方はいつも酷いなぁ~!! ……でもありがとう!!」
と、その時。
ぎいぃと、教会の扉が開かれた。
そこから小さな竜が現れる
「……あの……ちょっといいですか?」
「――いいけど、どうしたの? メリス」
メリスは、ウァレを避けるようにエミルカの下まで飛んできた。ウァレは彼女を怖がらせないように、できるだけ動かないようにした。カドゥラスも竜の姿へと変わった。
彼女は一人で来たらしく、ドリスの姿はない。ドリスがいない間に話をしたい、ということだろうか。
「どうかしたんか? メリス」
エミルカが訊くと、メリスは顔を俯かせた。
「……お姉様がいないときに、あなたたちに聞いてほしい話があります。お姉様にも、内緒の話が……」
「内緒の話?」
「お姉様には絶対に聞かれたくないのです。でも、あなたたちには聞いてほしい話です……聞いてくれますか?」
メリスが何を言いたいのかは分からなかったが、ウァレたちはお互いの目を見合わせて、頷いた。
「ええよ。聞いちゃる」
エミルカが言うと、メリスは目を湿らせて「ありがとうございます……」と言った。
「……私、早くあのぬいぐるみを見つけたいんです。お姉様よりも、早く」
「それは何で? ドリスと一緒に探して、見つければええじゃろ?」
「いいえ。違うんです……お姉様が見つけるのと、私が見つけるのには意味が違うんです。私がアレを見つけることに意味があるんです。正直、あのぬいぐるみを失くしたのがお姉様だとは思っていませんし、それもどうでもいいんです。ただ……ぬいぐるみを早く見つけたいんです。なにより、お姉様よりも早く」
「言い方がいちいち遠まわしじゃな。もっと分かりやすぅ言えんのんか?」
エミルカが言うとメリスはしばらくの間、口をまごまごさせていた。それを言うか言わまいか、悩んでいるようだった。
やがて決心をしたメリスは、エミルカを見上げて言った。
「私、あのぬいぐるみの中に、お姉様と仲直りするためのものを隠しているんです」
「っ!」
「だから、お姉様よりも先に、あのぬいぐるみを探さなければいけないんです。もし、お姉様が先に見つけてしまったら……」
「ちょ、ちょっと待って!! メリス、あんたはドリスと仲直りしたいの?」
「当たり前じゃないですか。だって、私たちは姉妹……それも双子ですよ? ……でも、仲直りすることはもう無理なのかもしれません……」
「無理って……何で?」
「……信頼できないんです。私はお姉様を、お姉様は私を。だって、姉妹って、家族って、一番信頼できるはずじゃないですか。私たちはそれが出来ないんです。私は確かに、今の関係が嫌です。けれど信頼できない……お姉様の言うことすべてが疑わしくてたまらない! お姉様の何を信じればいいのか……私には分からないんです」
「……」
いつの間にか、メリスの目には涙があふれていた。
そこから、彼女の耐えてきた辛さが流れ出しているようだった。
「私……うぅ……おねえ、さまと……仲直りがしだい……お姉様のこと、大好きなのに……うっぐ……なのに……なのに……うえええぇぇええぇぇん!!」
「メリス……」
メリスは、今までいろいろな感情を抱え込んできたのだろう。姉と仲直りしたい、けれど、姉がそれを望んでるか分からない。仲直りしても、いつか裏切られるかもしれない……だから信頼できない。
「うぇ……どうして、こんなことに……うぐっ……お姉様と仲良く暮らしていたかっただけなのに……なのに……全部、壊さ、れた……うえええぇぇえええぇえんっっ!!」
「メリス、私が助けちゃる」
「――え……?」
振り返ると、エミルカは首から提げた十字架を握っていた。その瞳は、うっすら光っているようだった。
「私は願われた。あんたを助けることは私の使命であり、運命。私は主の言葉を信じ、メリスを助ける。絶対に、あんたたちを仲直りさせちゃる!!」
「……あ、ありがとう……ございますぅ……」
涙を流しながら首を垂れたメリス。彼女は、エミルカに救われるのだろう。でも、それは少し違う。自分を救うのは自分だ。エミルカもウァレも、それを手伝うだけだ。
エミルカは彼女に微笑みかけながら、
「じゃけん……もう、やめてくれんか?」
「何を……ぐすっ……ですか?」
「ウァレを怖がらんで」
「っ!」
「お願い。私の大切な人を、怖がらんで」
エミルカは微笑んでいた。メリスを安心させるかのように。そして、自分たちは信頼してもいいと思ってもらうために。
メリスは、視線をウァレへ移し、やがて頷いた。
「……が、がんばります」
「うん。ありがと」
「ありゃぁ、なんだか……出鼻を挫かれた気分」
カドゥラスはそう呟きながらも、微笑んでいた。もしかすると、エミルカならメリスとドリスを助けられると信じていたのかもしれない。彼女たちの信頼を取る戻すことが出来るのは、エミルカだけだ、と。
ウァレは狐面の下で笑った。
エミルカのために、彼は動く。
エミルカが言ったことに、ウァレは動く。
そんな彼女が、ウァレのことを大切だ、と言ってくれたことがうれしかった。もちろん、それを声に出すことはしなかったけれど。
「……俺も、大切な人が傷つくなんて嫌だから、頑張るしかないかな」
ウァレの呟きは、誰にも聞こえなかった。
†2†
翌日の空は曇っていた。
教会から外へ出ると、太陽で暖まらない空気が冷たく、肌に刺して痛い。雨も今すぐにでも降りそうだった。小驅のエミルカにとっては寒さは仇敵だったが、今日のところは我慢するしかなかった。
エミルカが乗る車イスを押して外に出ると、すでにメリスとドリスがいた。カドゥラスはウァレの後に続いて出てきた。
「さってさーて。ぬいぐるみ探そ~っ!!」
カドゥラスの掛け声に応える者はいなかったが、ぬいぐるみを探すために彼らは森へ入った。
メリスとドリスが探しているのは、クマのぬいぐるみだ。茶色の毛をしているとだけ教えてもらったものの、それ以外に特徴はないらしい。まあ、こんな山奥にぬいぐるみがあれば例外なく彼女たちのものになるだろう。
とは言ったものの、闇雲に探していても見つからないだろう。何かヒントが必要だ。
ウァレは自分の後についてきた二匹に振り返り、尋ねることにした。
「どこで落としたとか、失くしたとか……そういう心当たりはない?」
二匹はうーんと唸り、やがてドリスが言った。
「……昨日も言いました通り、心当たりはありませんわ。そもそも、私たちが眠っている間に無くなりましたわ」
「お姉様が寝ぼけてどこかに持って行ったとか……そう言う可能性はないのですか、お姉様」
「あら。それを言うなら妹、あなたにも同じことが言えますわ。それに、あなたは最近夜になってからどこかに行っているようではありませんの」
「そ、それを言うならお姉様だって!!」
「まーまー、ケンカしないで。ボクはケンカ嫌いだよぅ。うえーん!」
カドゥラスが止めに入ると、お互いを睨みながらもケンカは収まった。カドゥラスはくどい芝居を止めると、顎に手を当てて何やら考え始めた。
「うーん。心当たりなしでどうやって探すかなぁ?」
心当たりがないのであれば、彼女たちの動線を追うしかないが、おそらくそれも無理だろう。ドリスは、眠っている間に無くなったと言ったのだから。
もし、それが本当のことならば、誰かに盗まれたと考えるのが手っ取り早いだろう。しかし、誰に盗まれたのかが分からない。その上、それを盗むことでなにかメリットがあるのか。そう考えると、盗む理由が全く分からない。
「……取り合えず、きみたちの住みかまで行ってみようか」
消極案として、メリスとドリスの住みかまで向かうことになった。住みかを人間に知られることは嫌がるだろうと思っていたが、依頼したのは自分たちだから、と了承してくれた。
メリスとドリスの住みかは、教会から少し離れた岩の壁に囲まれたところにあった。人間が入れなさそうなほどの小さな穴があり、そこが彼女たちのすみかだった。二匹の竜にとっては十分な広さがあり、雨風もしのげる。
ウァレはそこを覗きこんだが、何もなかった。住みかといっても、住んでいる形跡すらない。
「……じゃあ、この辺りから探そうか」
ウァレが提案すると、みんなが頷きあった。
一つに固まっていても効率が悪い。また、一人で探すと見落とすことがあるかもしれない。そこで、ウァレたちは二つに分かれて行動することにした。
カドゥラスが擬態の【呪い】で作ったくじを引き、別れて行動することになった……のだが。
「……明らかに細工したじゃろ、カドゥラス」
「うん。絶対に細工したな」
「えぇ~、酷いですよ~。ボクがそんなこと……まあ、しますけど~!」
へらへら笑うカドゥラス。ウァレは別れた二人を遠目に見ながらため息をついた。
ウァレたちは、ウァレとエミルカ、カドゥラスの二人と一匹と、メリスとドリスの二匹に分かれた。明らかに細工されたイカサマくじ引きだった。
「……で、分かれたはいいけど、探さなくていいのか?」
ウァレたちはくじ引きを引いた後、分かれてぬいぐるみを探すことにした。が、カドゥラスの指示で、彼らはメリスとドリスを遠くから見ている状態だ。ぬいぐるみを探すつもりは一切ないらしい。
エミルカもカドゥラスの言うことを聞いている。カドゥラスを毛嫌いする彼女にしては珍しいことだが、エミルカ自身も、同じことを考えているのだろう。
「いいんですよ~。探さなくて。ボクたちが探すのはチャンスです。二人が仲直りするチャンス……それをボクたちは見極めなければ、ね」
目を爛々と輝かせながら、カドゥラスは言った。
「うふふ~。さてさて、二人はどう仲直りするのかな~!」
楽しそうに笑うカドゥラスの視線の先、メリスとドリスは早速ケンカをしていた。
「……なんで私がお姉様と一緒に……」
「それはこっちの台詞ですわ。何で私がこんな愚妹と一緒なの……?」
「その愚妹って意味、絶対に本来の意味じゃないよね!?」
叫ぶように言ったメリスの言葉を、ドリスは無視した。無視されたメリスは苛立ちを募らせ、ふんっと顔を背けた。
ドリスとメリスは同じものを探しているにも関わらず、気持ちはバラバラだった。ウァレたちと二つに分かれたこと自体、間違いだったのではないかと思わせた。
メリスはカドゥラスを恨んだ。あの時のくじ引き、明らかに細工されているような気がしてならなかった。こんな分け方をできるのは、彼女以外にあり得ない。何より、彼女は擬態の【呪い】を持つ竜なのだ。
この感情も何かに変えることができれば……と、メリスはできもしないことを望んでみたりしてみた。そして、ドリスが自分を置いて先へ進もうとしているのを見て、追いかけるのだった。
空は曇天で、すぐにでも雨が降りそうだった。その前には見つけておきたい。なにより、ドリスよりも先に探さなければならない。
そんなメリスの考えを知らず、ドリスは早く探そうと必死に辺りを飛び回っている。彼女も雨が降る前に見つけたいと思っているのだろうか。
「って、立ち止まってる場合じゃない」
メリスは自分に言い聞かせると、木の裏から頂点まで探してみた。竜が飛ぶことが出来る限り、どこにあってもおかしくはない。
しかし、一体だれがぬいぐるみを持ち去ったのだろうか?
もし人間なら、取り返すのは無理だった。メリスには人間に近づく方法は思い浮かばなかったし、人間に近づきたいとも思わなかった。
(もう、あんなことは嫌なんだ……。人間なんか信用できない! そして……)
顔を上げると、メリスはドリスにおいて行かれたことに気がついた。ボーっとしている間にドリスは先へ先へ進んで行ったらしい。
「マズい……」
早く追いつかなければ、二つに分かれた意味がない。それに、もしドリスが先にぬいぐるみを見つけてしまったら――。
「お姉様……おいて行かないでよ……お姉様……」
見つかるわけにはいかない。
仲直りをするチャンスを、逃すわけにはいかない。
大好きだったあの時に戻るために、お姉様よりもさきに探さなければっ!!
そう、思った時だった。
――カサカサッ……
「な、なに……?」
背後の草むらから、葉がすれたような音が鳴った。メリスはそこから少し離れる。が、その音は伝播するように、メリスを囲んだ。
何がいる。それが今、メリスを囲んで息をひそめているのだ。
「何……なんなの……た、助けて……お姉様……」
しかし、辺りを見回してもその姿はない。それを理解した途端、何かが崩れた音がした。
「っぅぁ……ぁあ……」
何かに狙われているという恐怖が、足を、翼を、すくませて動かなくさせた。よろよろと地面に着地したメリスは、視界が埋まるほど広がった草むらを見回して、さらに恐怖した。
どこかからか音がする。草擦れの音と、何かの生物の吐息……目がぐるぐる回って、気持ちが悪い……。
その時、それは現れた。
「ひいっ!?」
犬だ。
メリスよりも大きな犬が、彼女の前に立ちはだかる。それも一匹ではない。五匹だ。草むらから出てきた犬たちは皆、獰猛で飢えた目つきでメリスを見下ろしていた。
喰われる――メリスは直感でそう思い、地面を這いつくばりながら逃げようとした。しかし、その身体は簡単に止められてしまう。
「ああぁぅ……た、たひゅ……けぇ……ぃや……やあぁぁぁあぁああっっ!!?」
犬の足が、彼女の身体を地面に押さえつけたのだ。
助けを請おうとしても、声すら上げられない。恐怖が、それを赦してくれなかった。
犬の大きな口が、メリスに近づく。そこから滴るよだれが生温かくて気持ち悪い。それを避けることすらできないことが、生き殺しだと思った。
メリスの鱗が、ついに犬の犬歯に触れた。が、竜の鱗をそう簡単に貫くことはできない。メリスもそれを分かっていたが、
「ぃやだ……た……うぁああっ!! 痛い……いたいいたいっ!!」
メリスは必死にもがいていた。犬は彼女を必死に押さえつけていたが、なかなか噛み切れずしどろもどろしているうちに力が緩んでしまった。その隙を逃さず、メリスは必死に逃げた。
犬たちが何やらバウバウと鳴きながら追ってきた。それが恐ろしくて、メリスは後ろを振り返ることが出来なかった。犬たちは連携し、メリスをあっという間に捕まえてしまった。そのうちの一匹が、細い頭を噛み砕こうと、牙を首に当てた。
――喰われるっ!!
「やだ……助けてっ!! だ、だれか……だれかあああぁぁぁああぁぁぁぁあぁああッッッ!!」
「私のメリスに何してるのっ!?」
その声と同時、ふっと、犬たちの力が緩んだ。メリスは必死で逃げると、翼を広げて宙に浮かんだ。
息を整えると、自分と同じように飛んでいるドリスを見た。彼女は体中に黒い刻印を這わせていた。竜が【呪い】を使った時の現象だ。
ドリスは自分の【呪い】を解除させると、ふうと息を吐いた。すると、犬たちも動き出した。自分たちの身に奇妙なことが分かった犬たちは、そのままキャンキャン悲鳴を上げて森の中へと消えて行った。
「お……お姉様……」
メリスはうれしかった。ケンカをしていた姉が、自分を助けてくれたのだ、と。今なら、あの時のように仲良くできるかもしれない。
しかし、ドリスは違った。
「早く探しますわよ、妹。あなたがいるせいで、先に進みませんわ」
「え――」
「正直言って、あなたは役立たず。本当に探す気がありまして? これ以上、私の邪魔をしないでくださいませ」
「……うそ……」
「……何が?」
メリスは、ドリスの態度が気に入らなかった。
「嘘つきっ!! いつも助けてくれるって……言ってくれたのにっ!! 何でそんなこと言うのっ!? 私だって……お姉様のために頑張ってるのに……何でそんなに突き放すのっ!?」
「私は事実を行ったまでよ。あなたは役立た――」
「うるさいうるさい!! 私だってお姉様のためにやってるのに……私、殺されかけたのに……何でそんなこと言われなくちゃいけないの……? お姉様なんか……おねえ、さま……なんか……」
メリスは、痛哭する――。
「大っきらいだッッ!!」
†3†
メリスが去っていくのを、
「……ありゃぁ、やっちゃったね」
カドゥラスたちは見ていた。犬たちのおかげで仲直りができると思ったのだが、そんなに甘くはないらしい。
ウァレにしてみれば、メリスよりもドリスのほうが傷ついているように見えた。どこか、その痛みを取り繕っているような、そんな気がしてならなかった。
「って、どうするんだよ。仲直りとか、もはやそういう問題ですらないぞ?」
「ん~、ま。とりあえず事情聴取かな~」
そして、カドゥラスは隠れていた草むらから出て行った。ウァレたちも続いて出ていくと、ドリスが驚いたように体中を黒く染め上げた。
「落ちついて。大丈夫だから」
ウァレが言うと、ドリスは【呪い】を収めさせた。ウァレは彼女から距離をとる。
「なんですの? 見てらしたの?」
「ん~。いや、ちょっと通りかかっただけだよ。ボクたちが見ていたら、犬たちを追い払うに決まっているじゃない~!」
「見ていたのね……」
「カドゥラスのバカ……」
エミルカが唸るように言うと、カドゥラスは自分の失態に気付いて笑った。わざとやったのかもしれないが、今はそれを気にしないことにする。
「そう。見ていたんだ……なら、何でメリスを助けてくれなかったの? もしかして、あの犬たちもあなたたちが用意したものじゃなくて?」
「それはさすがにないよ。少なくとも、俺とエミルカには」
「ボクもないよ。だって、そうするメリットがないじゃん」
「メリスを見殺しにしようとしていたくせに? そんな言葉を信じられるほど、私は寛容な竜ではありませんわ。それに、カドゥラスはくじ引きに細工しましたわよね? どういうつもりか、説明してくださいます?」
「……へぇ。きみはそんなにメリスのことが大切なんだね」
「話を逸らさないで。何で、細工しましたの?」
カドゥラスは肩をすくませ「分かってるくせに」と言った。ドリスはカドゥラスを睨みつけた。
「……まさか、私とメリスを一緒にして、嫌がらせでも? それも三人そろって……みんなして、私たちを……一体、どういうつもりなのですか!? そんなことして楽しいのですか!?」
ドリスは慟哭し、全身に黒い刻印を這わせた。ドリスの【呪い】……しかし、それの効果が分からない。さっきの犬たちは、まるで力を失くしたように止まっていたが……。
ドリスが【呪い】を使う準備をすると、カドゥラスは半歩引いた。カドゥラスはドリスの【呪い】を前にして、まだ笑ったままだった。
「いやいや~、楽しいから仲間外れなんかしないよ。さすがのボクでも、そんなことは楽しくない。誰かが傷つくなんて嫌だよ。だから、ドリスがこれ以上傷つくのも――」
「戯言はいいですわ。私が傷ついてる? そんなことがあり得まして? 私が何に傷つくというのですか!」
ドリスの周囲に、黒い霧のようなものが立ち込める。あと少しで、ドリスが【呪い】を使役する。
「いつも人間はそう! 人間の仲間もそう! 私たちをあざ笑って楽しんでいるのですわ!! 私たちを傷つけて……それに罪悪感を持とうとしない!! それもそうですわよね! 私たちが傷ついても、誰の損にはなりませんもの! だから一緒に支えあっていたのに……何でこんなことにぃぃっっ!!」
「……さっきから何じゃ……うだうだと……」
「はいぃ!?」
エミルカが不機嫌そうに、ドリスを睨みつけた。
「自己犠牲も大概にせえ。あんたたちが傷ついても誰の損にならないように、私たちもあんたたちが傷ついても何も得なんかねえんじゃ。何で私が、誰かを傷つけんといけんのんじゃ? 何で私が、あんたたちをイジメんといけんのんじゃ? 楽しいから? 誰かが傷ついて、それがどうして赦されるっていうんじゃ!! ここには誰もあんたたちを傷つける者はおらん! そもそも、あんたたちに興味がある者もおらんわっ!!」
「な、なんですって……」
「あー、あー。ほんまにどうでもええわ! あんたたちが傷ついてもどうでもええんじゃ! でも……私たちが人間の仲間っていうなら、そういうことじゃろ……」
エミルカが瞳を炯々と光らせ、ドリスを睨みつける。それが酷く化け物じみていて……ドリスは半歩引いた。
「――ウァレを、悪者扱いするなっっ!!」
「え……」
ぎりっと、奥歯を噛みしめたエミルカは、ウァレの袖を引っ張り「帰る」と言った。ウァレは肩をすくませ、車イスを教会の方向へと向けた。
後ろで、カドゥラスが少女となって追いかけてきた。が、三人は教会へ帰る間、話を交わさなかった。
その時、空から雨が降り落ちた。早く帰るため、ウァレは小走り気味に車イスを押して行った。
「もぉ……エミルカ、どういうつもり~?」
「もう嫌じゃ、もう助けん!!」
教会の礼拝堂に、エミルカの声が響いた。少女姿のカドゥラスはやれやれと肩をすくませ、彼女の前でくるりと一回転してから長椅子に座るウァレに視線を向けた。
「いいんですか~、ウァレ。依頼放棄でお得意様が無くなっちゃうよ~!!」
「……さあ? それがミカが選んだことなら、俺はそれに従うよ。俺だって、ミカに救われたんだ……だから、俺は――」
「あー、そういう従順な犬みたいな台詞はどうでもいいわ。ボクは彼女たちを助けてほしかっただけなんだよ~……なのに……ふざけんなエミルカッッ!!」
カドゥラスが、エミルカの車イスを蹴り飛ばした。「ぐっ」と呻いて倒れ込んだエミルカに、カドゥラスは掴みかかった。
「ふざけるな、ふざけるなっ!! ボクはこんなこと望んでない! 彼女たちは救われるべきなんだ!! なのに、エミルカのつまんない理由で全部おじゃんだよ……救われるべきなんだ……エミルカのせいで……エミルカのせいで……あの二匹が幸せになれなかったらどうするつもりっ!? 全部エミルカのせいだっ!! ふっざけんなっ!!」
「……」
「何か言ってよ! これじゃあ、ボクが悪者みたいじゃんか!! 違うでしょ、悪いのはエミルカだ!! 助けてよ!! 幸せにならなくちゃいけないのに、そうなれないあの子たちを……助けて、エミルカ……」
「……」
「助けて……もう、あの子たちがケンカする姿を見たくない……ボクにはなにもできないんだ……救いたくても救いたくても……どうすればいいのか分からないんだ……助けてエミルカ……ボクの友だち……唯一の親友……」
カドゥラスは膝をつき、泣きはじめた。
エミルカは黙って十字架握りしめた。
「……カドゥラス、そこまできみがするのって、何で?」
ウァレが訊くと、カドゥラスは力なく笑って見せた。さっきまでの威勢のよさはそこにはない。
「うふふ……人間には分からないことだよ。あぁ、でもウァレはもう人間辞めたんだっけ? それなら分かるかもしれないね……」
本当は知るべきじゃないけど、とカドゥラスは前置きをして話し始めた。
「メリスとドリスは、元々仲が良かったんだ。人間たちに虐げられても、苛められても、なんとか生きてこられた。それは、二人がお互いに支えあっていたから……。だから本当は、今も支えあっていくべきなんだ」
カドゥラスはエミルカから手を放すと、すっくと立ち上がった。
「でもね、人間のせいで全部ダメになったんだ。彼女たちは、人間の争いに巻き込まれちゃって……そのとき、メリスは家屋の下敷きになって、ドリスはそれを置いて逃げちゃった……まあ、本当は人間に助けを請おうとしたんだけどね。それがメリスには逃げたように見えたんだ」
カドゥラスはウァレの隣に座ると、手を組んだ。
「ボクは……彼女たちのことを、そのあとに知ったから、あまり詳しくはないんだけどね。でも、ボクも同じようなことがあったから。人間嫌いで、誰をも信じないことがあったから……だから、ボクを救ってくれたエミルカに救って欲しいの……お願い、エミルカ」
「……私には関係ない」
エミルカは呟くように言うと、腕で身体を支えて上半身を起こした。車イスを倒したカドゥラスに、恨むような視線を向けた。
「私にも、ウァレにも関係ない。なのに、何で私たちが悪く言われんといけんのんじゃ! ウァレは、私が巻き込んだだけなのに……私が、ウァレをこっちの世界に引き込んだだけなのに……なんでウァレまで悪う言われんといけんのんじゃ!」
「それは、メリスとドリスにも関係ないことだよ。ウァレのことも、エミルカのことも……でも、彼女たちは救われてない。ボクはエミルカに救って欲しいだけだよ!」
「違う……違う違う!! 人間を恨む延長線上で、ウァレが恨まれとるんじゃ! あいつらは、関係のないウァレも恨んどる……そんな奴を助けたくなんかない!!」
「どうしてさ! エミルカの言ってること、ボクには全く分からない! ウァレが大切なのは分かるけど……それだけじゃ説明つかないよ!! なんで二人を助けてくれないの!? エミルカの分からず屋!!」
「何じゃ、このポンコツナルシスト!! あんたの勝手な都合に巻き込まれとる私たちの都合も考えれんのんか!!」
「勝手って何!? ボクは助けてほしいから頼むだけなんだよ!? ボクたち竜は、エミルカにしか頼れないからこうやって助けを求めてるんだよ!? なのに助けてくれなかったら……ボクたちは誰にも救われないじゃないかっ!! そんなの嫌だよ!!」
「だからといって、全部私のせいにするな! 全部全部、私が救えると思うなっ!! 私だって嫌な時だってあるんじゃ! 大切な親友を罵倒されて、何も感じんわけがないじゃろ!? 私はウァレが大切なんじゃっ!」
「あぁ……もう二人とも黙れ」
ウァレは立ち上がると、二人の頭をはたいた。「あう……」と呻いて冷静になったエミルカと目を合わせると、彼女の髪を撫でた。
「……俺もミカが大切だ。何より大切で、傷つくのだって見たくない。でも、今のミカはミカらしくない。それに……今のミカの思いに、俺の気持ちが含まれてない。それがスゴく腹が立つ」
「え……」
エミルカは目を見開くと、ウァレの肩をつかんだ。
「……ち、違う……私は、ウァレが嫌だったって思って……」
「俺は、ミカがいるだけでいいんだよ。お前が俺を代弁して怒ることなんてない。分かった気でいたつもり? でもそれは気のせいだ。お前は何もわかっちゃいない。ミカは俺がどれだけ蔑まされていたとしても、竜を助けないといけない。……でも、ありがとう。ミカ」
そう言って、ウァレはエミルカを抱きかかえた。お姫様だっこのまま、エミルカはウァレの服を握りしめた。
「ウァレ……ごめん。ウァレがそう言うても、あの二匹は許せん……何より、私の気持ちが収まらん……」
「むぅぅ……だったら、直接言えばいいじゃんか。エミルカって、妙に意地っ張りだから……」
「それもそうじゃな……じゃけど……」
エミルカの視線の先、教会の外では、大雨が降っていた。
「……この雨だと、外に出ることも憚られるな……」
ウァレの言葉に、二人は頷きあった。
雨に打たれながら、ドリスは妹を探していた。
犬に襲われて恐怖していた彼女に、酷いことを言ってしまった自覚があった。罪悪感で、押しつぶされそうになった。昔の自分なら、あんなこと言わなかったのに……。
すべてが変わったのは、数年前に起こった人間たちの戦争だ。それに、ドリスたちは巻き込まれ、それまで築き上げてきた信頼を崩してしまった。それ以降、メリスは誰も信じなくなった。
当初、ドリスは自分を信じないメリスを恨んだ。家屋の下敷きになったメリスを助けるために、これまでずっと苛められてきた人間に、恥を惜しまず頭を下げて回ったのに……メリスは全く分かってくれなかった。結局メリスは自分から脱出し、ドリスは自分の力のなさに落胆した。
メリスがドリスの苦労を分かってくれなかったのも当然だった。なぜなら、家屋に押しつぶされそうになったドリスをかばって、彼女は自分から家屋の下敷きになったのだから。それをすぐに助けようとすればよかったのに……ドリスは自分で助けることを即座に諦めたのだ。明らかに力不足だった。
だから、もう間違わない。
メリスを助けたい、もう一度、あのころに戻りたい。人間に侮蔑されても、蔑まれても、二人だけでも生きてこられたあのころに戻りたい。もう一度……そして、その関係をずっと続けていきたい。
「メリス……どこに行ったの……今、お姉様が行きますからね……絶対に、独りになんてしませんわ」
その時だった。
――ドオォォォオッオォンッッ!!
「きゃっ……」
雷が目の前に落ちてきた。
激しい閃光で目をくらませながらも飛び続けると、少し開けた場所へ出た。辺りを見回すと、小さなトカゲが岩壁のそばを飛んでいるのが見えた。力なく飛ぶ姿を見て、ドリスは歯を食いしばった。そうしないと、涙がこぼれてしまいそうだった。
メリスが泣いているのに……否。泣かせたのは自分だ。なのに自分がなぜ泣いている!?
ドリスは必死に翼を動かし、メリスに追いつこうとした。その時、空が激しい閃光に包まれた。
「きゃっ!?」
雷が落ちてきた。それも、メリスの近くに――。
「メリスっ!! 止まって!!」
その声が届いたのか、メリスは振り返ってドリスを見た。その瞬間、喜びとも悲しみとも言えぬ、複雑な表情をした。
――自分に巨岩が迫っているとも知らず。
「メリス! 上っ!! 避けてェェェッッ!!」
必死に叫ぶも遅く、メリスは岩の下敷きになってしまう。ドリスが追いついた時、メリスに追い打ちをかけるように、さらに岩がなだれ込んできた。
「させませんわ!」
ドリスは叫びながら、【呪い】を発動させた。全身に這う刻印が、なだれ込んできた岩に絡まって、その動きを封じた。ドリスの【呪い】……『抑制』の【呪い】だ。
ドリスはなだれ込んできた岩の動きを抑制し、動かなくさせた。が、メリスに圧し掛かっている岩を退けるには、ドリスの【呪い】は意味がなかった。もう終わってしまったことに対して、抑制は効果を持たない。
どうするか……そう考えている時だった。
――ぐるるぅ……
獣の唸る声が聞こえた。とっさに振り返ると、さっき追い払った犬たちに囲まれていた。それも、数が倍の10匹になっている。
ドリスは犬たちにも【呪い】をかけようとして……どうするか迷った。
犬たちに【呪い】をかけてしまうと、岩にかけた【呪い】の効果を維持できない。幸い、犬が狙っているのはドリスだった。犬たちに【呪い】をかけず、犬たちの攻撃を全て避ければいいだけのことだ。
でも、そうなるとメリスを助ける暇がなくなる。カドゥラスたちはもう信用できなかった。信用できるのは自分だけ。そして、メリスを助けられるのも自分だけだった。
その時、一匹の犬がこちらに向かって走ってきた。だが、その行く手を岩に阻まれてしまう。犬たちは吠えながら連携をとり、岩を登ってしまった。
ドリスはどうメリスを救うか考えながら、ひとまず、犬たちに【呪い】をかけるのをやめた。犬たちを止めたところで、自分の力ではメリスを救えないからだ。
そうしてまた、マチガイヲオカスキカ……。
「嫌……そうではありません……間違いなんて、もう……もう……」
――なら、カドゥラスたちに助けを請うか?
――否。彼女たちは信頼できない。
どうすれば……どうすれば……っ!?
その時、一匹の犬がドリスに向かって飛びかかってきた。ドリスが飛んで避けると、さらに別の犬が飛びかかってきた。……そして、ドリスは岩に叩きつけられてしまう。
「がふっ……」
ドリスはそのまま、犬に押さえつけられた。犬たちが雄たけびを上げ、よだれを滴らせながら口を大きく開いた――とっさに、【呪い】を使ってしまった。
「ぁ……」
気づくも遅く、犬たちが止まると同時に岩がなだれ込んできた。雷に打たれて、崩れ落ちた岩が、犬越しに見えた。
そして、視界が白に覆われる。耐えられず、目を堅く閉じた。
同時に、轟音。鼓膜を破ってしまいそうなほどに大きな破砕音。
目を開けると、岩が無くなっていた。その代わり、砂が落ちてきた。雷に打たれ、粉々に散ったのかだろう。犬たちの動きを止めたはいいが、ドリスは圧し掛かられているため、犬が動くまで動けなかった。自分の失態に、歯噛みした。
「メリス……私が、助けますわ……絶対に……絶対にぃぃっっ!!」
ドリスは慟哭すると、犬を力いっぱい押し上げた。だが、焦る気持ちが身体をうまく動かさせなくさせた。
早く助けなければ、メリスが圧死してしまう。竜の鱗が硬いといっても、たかが知れている。岩の下敷きに何十分もなっていれば、さすがの竜でも……。
歯を食いしばって犬の足を押していると、俄然、軽く持ち上げられた。とっさに翼を広げたが、遅かった。
「うああぁぁぁぁああっっ!!」
ドリスは、自分に迫る人影に向かって必死に【呪い】を飛ばした。抑制の【呪い】が、その人影を倒していく。雨でよく見えなかったが、ドリスは襲われたのだと思った。
息を落ち着かせ、その顔を覗き込んでみたが、表情が分からなかった。
その顔が、右目以外を覆った狐面が覆われていたから。
「ド、ドリス……誤射は勘弁だよ~……」
「カ……ドゥラス……?」
よく見ると、ウァレの隣では、少女の格好をしたカドゥラスも伸びていた。弱々しく笑みを浮かべた彼女は、大の字になったまま、「助けに来たよ」と言った。だが、それは信じられなかった。
「嘘……だって、私なんて助けるわけがない!! だって、あなたたちはそこの人間の仲間で……それで……」
「その言い方、やめてくれないかな? 俺たちの姫様が怒るもので」
「姫様……?」
辺りを見回すと、いた。岩の下で、車イスに乗ってこちらを見上げているキツネ耳の少女が。赤い目を妖艶に光らせると、彼女は首から提げた十字架を握りしめた。
「……ドリス、あんたの過去なんて、私は興味ない。じゃけど、私の大切な人を、そうやって悪者扱いにだけはすんな。私の大切なウァレと、あんたを苛めとったどこぞの誰かとは、同じ人間でも関係ないじゃろうが!」
「で……でも、人間は許せませんわ。人間のせいで、私とメリスは今のような関係に……」
「知らん。それでもウァレには関係ない。それを認めん限り、私はあんたたちを助けたりなんかせん!!」
ドリスは呻いた。メリスを助けるには、彼らの力が必要だった。だが、その力を借りるには……屈辱ながら、人間に救いを請わなければならない。あの時、助けてくれなかった人間に――そして、また裏切られるかもしれない。
嫌だった。
人間は、そうやって竜の心を騙してあざ笑うのだ。でも、救われるなら……メリスが、何よりの――
――大好きな妹が、救われるなら!!
「分かりました……ウァレ、さんは味方です。人間は恨んでも、ウァレさんだけは信じます!! だから、妹を……メリスを助けてっっ!! もう、私たちを見捨てないでええぇぇええっっ!!」
「当たり前じゃ。私は願われた。じゃけん、ウァレ! なんとかせい!!」
「その前に、この【呪い】を解いてほしいかな。この……動きを止める【呪い】?」
「違いますわ。『抑制』の【呪い】ですわ……ですが、実は私自身にも解くことができないのです」
ドリスが、とんでもないことを言ったような気がして、ウァレはもう一度問い直した。
「……え? ごめん。聞き間違いかな? もう一度言ってくれない?」
「ですから、この【呪い】は、完全には操れないのですわ」
「ドリス……ボクもそのこと知っていたらこんな恰好してなかったのにぃぃ……」
ウァレと同じように動けないカドゥラスは、そう愚痴って涙を流した。動きを抑制されていても、涙は流れるらしい。
「どうにかしてこの状態を治さないと……それに、この岩は大きいし……」
岩は人間一人で運べるような大きさではなかった。百人の大人が持ち上げることが出来るかどうか、それくらいに大きい。そんな力のある者は、この中でたった一人しかいなかった。
「カドゥラスが、擬態すれば何とかできるかも……」
「うふふ~、無茶言わさんな~。ボクだってこの状態だよ。だから早くな~お~し~て~!!」
「……ウァレ、なら簡単じゃろうが。あんたがやればええ。願え、私に!」
下から聞こえてきたエミルカの台詞を吟味し、やがてウァレはあっと思いついたようだ。ウァレはこの場で動くことのできるドリスに、自分の仮面を外させるように言った。
「えと……本当によろしいのですか?」
「うん。あと、できるなら額に俺の手を置いてほしいかな」
ドリスは頷くと、ウァレの仮面を外した。そして、驚愕に一歩下がる。
ウァレの顔は酷かった。右目以外の部分が焼けただれ、唇からは常に出血している。左目は落ちくぼみ、額には十字架のような模様さえある。
否。そういう風に焼けただれているのだ。
ドリスは気味悪がりながらも、ウァレの手を額の十字架の部分に置いた。
そしてウァレは呪いの言葉を紡ぐ。
同時にエミルカが祝福の言葉を紡ぐ。
「――至誠(Verbum )なる(Dei )主の(factum )言葉(est:perii)
我は(Nunc )≪魔(sumus )≫な(in )りて(magia )――」
「――純(In )心なる(corde )は(puro )言の(verbo )葉(Dei )
ただ、(Beaedictio)≪(,)童≫へ(datum )と(est )還(ei )り(ut )し者(filii)――」
「「――――【魔童】(Curse)――――」」
次の瞬間、彼らは人間ではなくなった。
ウァレは額の十字架を中心にして黒い刻印を這わせた。耳と牙が鋭くなり、全身から黒い霧のようなものをまとわせていた。唯一ある右目が赤黒く光り、ウァレの怪しさが一層増したように感じる。
それは竜の【呪い】だった。
同じように、エミルカの姿も変化していた。狐のような耳が大きくなり、猫の尻尾が二つに分かれた。頬からは針金のようなヒゲを二本生やし、瞳を赤く光らせていた。
ドリスは驚愕に目を見開き、ウァレから距離を取った。ウァレは困ったように笑って、全員の刻印をドリスに向かって走らせた。
とっさに逃げようとしたドリスを、カドゥラスが制した。
「逃げないで。大丈夫。彼はドリスを助けようとしてるから」
「ひっ……ん……」
ドリスは泣きそうになりながらも、ウァレの【呪い】を受け取った。突如、身体が軽くなったような気がして、ドリスは自分の両手を見た。そこに変化はないものの、明らかに自分の中の何かが変わったという自覚がある。
「ドリス! カドゥラスを呪え!!」
「え……でも……」
「いいよ、ボクには二人の考えが分かってるから! ドリス! 遠慮なくカモーンッ!!」
「うぅぅ……どうなっても知らないっ!!」
ドリスが全身に黒い刻印を這わせた。刻印の向きをカドゥラスに向けると、一瞬ためらってから、思いっきりぶつけた。カドゥラスは呪われ、抑制される――はずだった。
が、カドゥラスはドリスに呪われた瞬間、立ち上がった。ドリスはどういうことか分からず、ウァレを見た。弱々しく笑うと、ウァレは「俺にもかけて」と言った。ドリスは頷いて、彼にも【呪い】をかけた。カドゥラスと同じように動き始めたのを見て、ドリスは目を見開いた。
「どうして……」
「むぅ。話は後にしてくれるかな? これからボクの一世一代の大作業の幕開けだよっ!! うふふ~、結局ボクが鍵ってことだったんだね!!」
カドゥラスが腕を上げて指を鳴らすと、体中が呪われていった。黒い刻印が全身を包み込み、やがて白い光と化した。
ウァレが岩から飛び降りた時、カドゥラスは自身を巨人へと擬態させた。巨人はメリスを押しつぶしている岩を軽々持ち上げ、そのまま人のいない方向へと投げ飛ばした。少し間を取って、ドォオオォォンという音が聞こえた。
岩の下では、メリスが気を失っていた。が、外傷は特にない。竜の鱗が硬い証拠だった。
「メリスっ!! 起きて!! メリス!!」
「ぅ……ぅぁ……
メリスに駆け寄ったドリスは、必死に彼女を揺さぶって起こそうとした。雨が彼女から体力を奪っていくようだった。
「メリスッッ! お願い……私が悪かったから、起きて……目を覚まして……」
「ぅ……ぉ……お姉様……く、苦しい……」
「起きて!! メリス!! 出なければ、絞め殺しますわよ!?」
「お、お姉様!? くる……ぐぅぅ……」
「メリス!!」
「落ちついて、ドリス!? もう起きてるから!!」
カドゥラスが少女に戻ってドリスを止めると、はっと息を呑んで止まった。ドリスが掴んでいた喉から手を放すと、メリスはげほげほっと咳をした。
「お、お姉様のバカぁ……バカバカッッ!! ついに私を殺そうとしたの!? お姉様の……」
メリスが何か叫んでいたが、ドリスには聞こえない。そして、何より大切な妹の、小さな身体を抱きしめた。
「メリス……よかった。よかったですわ……ぐすん……」
「え……お姉様……なん、で……うっぐ……お姉様……うあああぁぁあぁああん!! お姉様ぁぁ……お姉様ああぁああ……うわああぁぁあん!!」
二人は抱き合って泣いていた。
お互いの感情が、堰を切ったように溢れかえっていた。
「お姉様ぁぁ……私、寂しかったっ!! お姉様と……ぐすっ……仲良くしたかったのに……正直になれなかったぁぁ……ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ……」
「メリス……大好きだったのに、なんであんなこと言ってしまったんでしょう。私も……あなたと仲良くしたかったのよ。ぐすん……ずっとずっと……ごめんなさい。ダメな姉で……あなたをしっかり守れなくて、ごめんなさいぃぃっっ!!」
二人の痛哭は、そのあとも続いた。
これをきっかけに、二人は仲良くなれるのだろう。
信頼できなかった二人が再び信頼できるようになったのだから。
†4†
教会の礼拝堂で、カドゥラスは当然のように座っていた。
忘れられた神の銅像の前では、車イスの少女が手を組んで祈りをささげていたが、カドゥラスにはどうでもいいことだった。彼女のことよりも、隣に座っているウァレに関心があった。
「ウァレ~。エミルカのこと大切なんだ~うふふ」
「なんだよ、その怪しい笑いかた」
「いや、お姉さんはうれしくてね。エミルカにそんな……彼氏だなんて!!」
「彼氏?」
「もぉ~、とぼけないでくださいよ~。実は二人は付き合っていたり……」
「「それはない」」
「え……二人して否定!?」
そんなバカなぁ!? と嘆くカドゥラスの頭を小突くと、ウァレははあと息を吐いた。
「大体、何でこんなやつと付き合うんだよ。正直、俺には恋愛だとかそういうのよく分からねぇし」
「そうじゃな。私たちは信頼する親友じゃ。ただそれだけじゃ。なんでこんな薄汚れとる怪しい仮面ヤローと付き合うんじゃ? 意味が分からん」
「悪かったな、薄汚れてて。あと、この仮面はお前が選んだものだ」
ウァレは言って、額に手を当てた。カドゥラスは不満げに口を尖らせ、「じゃあ、二人はお互いのことをどう思ってるの?」と訊いた。二人は顔をみあわせ、
「一番大切な奴、かな」
「命の次に大切なものじゃな」
と言った。
それって……お互いに相思相愛なんじゃ……と思ったカドゥラスだったが、この二人に言っても仕方ないと思ったのか、息を吐いただけにとどめた。
この二人の信頼関係を崩せるものはないだろう。それが、あの二人の竜にもあったならば、とカドゥラスは思った。しかし、それにしては妙なこともあった。
「……エミルカ、ウァレに抱きつかれても何とも思わないの?」
「ん? 当たり前じゃがん」
「……じゃあ、昨日の朝、なんであんなに驚いていたの?」
それは、カドゥラスがウァレに化けた時のことだった。カドゥラスが悪戯でエミルカを抱きしめた時、彼女は顔を真っ赤にしてしどろもどろしていた。
エミルカはそれを思い出したのか、かっと顔を赤くさせて、ウァレに聞こえないように耳打ちした。カドゥラスはああ、と納得して、怪しい笑みを浮かべた。
「エミルカ……へぇ、そういうことだったんだぁ」
「うん。だからウァレには……今日だから。今日渡すんじゃけんな……邪魔せんで……」
「うふふ~、それはどうかなぁ?」
「んぐ……やっぱり話すんじゃなかった」
「でも、昨日買ってきたの? そんな暇があったかな……」
「じゃけん、昨日は嫌だったんじゃ。それでも今日間にあったから……」
「? なんの話だよ?」
「いやぁ、ウァレ。今日誕生日なんだなぁって……うぎゃっ!?」
「余計なこと言わんでええ」
エミルカはカドゥラスの頭を叩くと、ウァレを睨みつけた。ウァレは何でカドゥラスがそんなことを知っているかとか、その話がなんで今されるのかだとか、何も訊かなかった。エミルカは安心したように、ふうと息を吐いた。
「まあ、エミルカ。頑張って~」
「う、うん……」
「……ミカ、ホットケーキでも焼くか?」
「え!? 食べる!!」
「うふふ~。チャンスだよ、エミルカ」
エミルカは一つ頷くと、ウァレと一緒に奥の部屋へと歩いて行った。少しして、エミルカの震えた声が聞こえ、カドゥラスは思わず笑ってしまった。
結局、この二人は信頼関係でしか測れないものがあるのだろう。そこに恋愛感情なんてものはなかったとしても、その信頼は崩れない。この強い信頼こそ、何かを実現するに足るものだろう。
カドゥラスはふいに、エミルカの持っていたノートを見た。そこには付箋がびっしりと貼ってあって、自分のところには赤の付箋が貼ってあるのを知っていた。
そして、双子の姉妹のページには、黄色の付箋。
――それは、危険を呼び掛けるような色だった。
カドゥラスが微笑みながら立ち上がると、突如、教会の外から怒声が聞こえた。
「ちょっとぉ! カドゥラス!!」
「どういうことか、説明してくださいますっ!?」
二つの声を聞いて、カドゥラスはびくっと身体を硬直させた。
俄然、教会の扉が壊れそうな勢いで開かれ、二匹の竜が顔を出した。二匹は、一つのくまのぬいぐるみを持って、青筋を立てて怒っている。
「う、うふふ。な、なんのようかな~?」
「とぼけないでっ! このぬいぐるみ、あなたが隠したんでしょ!? もしかして……全部謀ってたの!?」
メリスがカドゥラスに迫って怒鳴った。
「や、やだなぁ。ボクがそんなことするわけが……」
「ありますわよね? よく考えてみれば、全部おかしかったですもの。妙に手慣れた感じでここを紹介してくださいましたし、探すと言いつつ、全然探してくださいませんでしたわ。その上、なんであなたは、このぬいぐるみの場所を知っていましたの!?」
そう慟哭しながら、ドリスは一枚の紙をつきつけて見せた。それは、カドゥラスが書いた宝の地図だった。メリスとドリスがそこへ行ってみると、探していたぬいぐるみが実際にあったのだ。
カドゥラスは冷たい汗をかきつつ「あ、あれぇ? ボクにはよく見えないなぁ?」ととぼけた。メリスとドリスはその態度に腹が立ち、全身に黒い刻印を這わせた。竜の【呪い】だった。
「ちょ……ちょっと落ち着いて!? ボクは……ボクは無実だよっ!?」
「「問答無用!!」」
「うわああぁぁぁあああぁぁっっ!?」
二人がお互いの手を握り、【呪い】を発動させた。
刹那、カドゥラスの動きが止まった。叫びも上げず、逃げようとして転びそうになった状態のまま、固まってしまっていた。なので、非常に恥ずかしい格好になっている。
「カドゥラス。あんたも……って、え!? あはは! どういう状況?!」
奥の部屋から顔を出したエミルカは、カドゥラスの痴態を見て笑った。彼女の頭に着地したメリスとドリスは、彼女の髪の毛を一本一本抜き取っている。そのたび、止まったカドゥラスの目じりから涙が落ちていった。
「……いや、どういう状況?」
エミルカの後から顔を出したウァレは、その様子を見て呟いた。すると、メリスとドリスはにっこりとほほ笑んで、カドゥラスの髪をむしり取った。
「いえ。ただ呪っただけですわ」
「私たち二人の【呪い】……私の『退化』とお姉様の『抑制』で、動きを止めています。ただ、動きを退化させて、さらに抑制されているだけなので、意識だけはあります。なのでこうやって髪の毛をむしると、とても痛いです!」
「なんて拷問だ……」
カドゥラスは無抵抗で、髪をむしられ続けた。いつまでそれをやり続けるのかは分からないが、この間までケンカばかりだった二匹は、今は笑っていた。
二人の笑顔を見て、ウァレたちは笑った。
ドリスの指にはツタでできた指輪があった。メリスが言っていた、仲直りするためのもの――プレゼントだ。
その後も、カドゥラスの脱毛拷問は続き、二匹の竜は満足そうに帰って行った。
ウァレは誰もいなくなった礼拝堂で、エミルカにもらったネックレスを撫でた。
――魔除けのネックレス……効果は期待できないけどそれでもミカと一緒にいられるならそれでいいや。
ウァレはネックレスに彼女とともに生きることを誓い、キスをした。