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[Tres episodes] 緑空の竜――カドゥラス――

              †0†


 少年は、息をのむ光景を目に焼き付けていた。


少年がいたのは山の頂上だった。彼はそこから山のスケッチをしていたのだが、目の前にクジラが現れ、手を止めてしまっていた。


 手にしたキャンパスには山の風景が半分ほど描かれていたが、彼はそれを破ってしまった。それほどに目の前で起きたことは異常で、そして幻想的だった。


 その時、目の前のクジラのようなものがクゥゥ……と啼いた。


 少年は、その哀しそうな声に思わず立ち上がった。そして、もっと近くで見たいと思った。


 しかし、クジラは浮いていた。山の上を……はるか頭上を、まるで竜のように猛々しく浮かんでいる。


 少年は手を伸ばした。彼はまだ10才にも満たない子どもで、体も大きいわけではない。当然、クジラには届かない。それでも彼は、ねこじゃらしを追う猫のように、手を伸ばして跳ねてみたりもしている。


 クジラは彼を見ていなかった。


 クジラは、一方向へと視線を向けてクゥゥ……と啼いた。


 そしてクジラは彼の前から姿を消した。


 否。空中に擬態して、クジラは一直線に飛んでいた。


 彼は見えなくなったクジラを、その軌跡を見つめて、


「今のは……何?」


 と、感激に眦を濡らした。


              †1†


 車イスの少女が、寂れた教会の中で手を組んで祈っていた。


 少女の姿は妙だった。


 12~13歳に見える小驅で、体を包んでいるのは赤と白の巫女服だ。スカートは短く、その後ろの部分が少しめくれ、猫のような白い尻尾が伸びていた。視線を上へ上げると、絹繊維のように細い金髪の頭の上に、キツネのような耳が生えていた。巫女服の胸元は大きく開かれ、そこに白銀の十字架が輝いている。


 否。それはもう十字架と呼べないほどに劣化し、左側が欠けていた。


 いうなれば、ト字架といったところだろうか……。


 彼女は巫女服を着ていたが、教会の礼拝堂の忘れられた神の銅像の前にいた。礼拝堂には擦れた宗教画や割れたステンドグラスが飾られ、少女を見下ろしているようだった。


 しかし、彼女を見守るのは無機物のそれらだけではなかった。


 礼拝堂に設えられた五列の長椅子の一つに、仮面をつけた青年が座っていたのだ。


 彼の格好も妙だった。右上以外を覆う狐面をし、唯一見える右目は赤黒い。車イスの少女よりも背は高いにも関わらず、その身を包むローブはひこずられ、端々がボロボロになっていた。彼は一言で言うなら『不審者』だった。


 彼は小さな巫女服のシスターを微笑み交じりに眺めていた。しかし、その表情は仮面で隠れてしまって見えない。それでも彼は仮面を取ろうとはしなかった。


 やがて少女の祈りは終わり、青年へと近づいてきた。彼らはこの教会に住んでいた。


 少女は青年の横まで来ると手を伸ばした。青年は、車イスに座った少女の脇を抱えて自分の隣に座らせた。彼らの前には朝食のハムエッグが置かれていた。


「……にしても、ずいぶんと熱心だな。飽きないの?」


 青年は狐面の口の部分にハムエッグを入れた。仮面をつけたままでは食べにくいだろうが、彼はそれを外そうとはしなかった。少女は彼の手の甲をつねると、不機嫌そうに眉を顰めた。


「神様に対する信仰心を、飽きるとかありえんじゃろうが。日課じゃ日課」


「とか言いつつ、お前は神様に捨てられ……あ、いや……やっぱり何でもない」


 途中で言葉を濁した彼の隣では、少女が無表情にハムエッグをフォークでつついていた。


「ふん。そんな過去のことなんかどうでもええんじゃ。それよりも、これからのことを考える」


「……ま、俺には関係ないけど」


「ふふん。残念じゃな。どうしても今日の奴だけは避けられんのんじゃ」


 いたずらをしたように笑った少女は、懐から一通の手紙を取り出した。青年はそれを受け取って中身を読むと、はぁと息を吐いた。


「……なるほど、分かった。にしても、またあいつが来るのか……」


「今回は、人間に追われとるとか、意味不明な研究者に追われとるとか……まあ、変なことばっかりおきとる。しかも、七人に追われとるらしい。本当に、あいつは何やっとんじゃ。他人に迷惑ばっかかけて……これで懲りてくれんと困るわ。私はあいつが嫌いじゃし」


 捨てるように言って、彼女はハムエッグを口に入れた。彼女の幸せそうな顔を眺めていた青年は、背後からした異音に振り返った。教会の扉がぎぃと音を立てて開かれたのだ。


 教会の扉には、一人の青年が立っていた。ウァレたちをもの珍しそうに見つめると、


「……えっと、どちらさま?」


 来訪者はそう訊いてきた。






「俺はウァレ・フォール・エルタニル。こっちのキツネ耳がエミルカ・トゥバン」


 青年――ウァレはそう名乗ると、隣にいたエミルカを指さした。エミルカは頬を膨らませると、お前がなのるな、と彼のわき腹を殴った。


「……んで、あんたこそ誰なん? 強盗? 押し売り?」


「ち、違います!! 僕はニール・ウェクバ。旅をしながら絵を描いているんです」


 ニールは背負っていたカバンからスケッチブックを取り出して中を見せた。森の風景や滝の風景が繊細に描かれていた。


 ウァレはそれを受け取ると、ほかのページも見てみた。しかし、そのほとんどが山の中の風景だった。ニールは風景画を専門に描いているらしい。


 スケッチブックを返すと同時に、エミルカが話し始めた。


「……で、その画家が、こんな寂れた教会になんか用?」


 ぶっきら棒に言ったエミルカの視線の先で、ニールは目を輝かせた。


「何!? きみ、その耳と尻尾は本物なの!? なにそれ、なにそれ!? ぜ、ぜひ触らせ――」


「い、嫌に決まっとるがな!!」


「そんなこと言わずに……」


「うん。ダメ」


 止めに入ったのはウァレだった。エミルカにつきだしていた腕をつかんでいるのだが、その目は般若のごとく、恐ろしかった。その時、ニールの腕からミシミシと音を立ててしなった。


「うわああぁぁぁぁああぁ! ぼ、僕の黄金の腕があぁぁぁぁぁぁああぁ!!」


「あはは。大丈夫ですよ。腕が黄金なら、この程度で折れるわけないじゃないですか~」


「や、やめ……うわああぁぁぁぁぁああ!! しなる……僕の腕がカジキマグロを釣る竿のようにしなるうぅぅぅううっっ!!」


「何で折れんのんじゃ!?」


 思わず叫んだエミルカの前で、ニールの腕がバキバキ音を立てていた。が、音が鳴るだけで彼の腕は折れなかった。


 その状態がしばらく続き、やっとのことでウァレが腕を放すと、


「はぁ……はぁ……いきなり酷い仕打ちです。これはもう、虐待というかいじめというか……」


「何を言っているんです? 報復ですよ。金輪際、ミカに視線を向けないでくださいね」


 ウァレは笑うように言ったが、目は笑っていなかった。車イスの少女に何かがあれば、彼は火中にさえ飛び込みかねない。ニールは頷いて、彼らから少し距離をとった。


「……で、話は戻しますけど、一体何の用です? 変態行為を働きに来たっていうなら……手足をぐにゃぐにゃに変態させますよ?」


「何でそんな恐ろしい話になるんですかっ!? って、違いますよ?! 僕は森に迷って……たまたまこの協会を見つけたから休憩しようと思って……」


 その時、エミルカが眉を顰めた。が、特に何かを言おうとはしなかった。


「それで、住居侵入ですか。分かりました。あとは警察に任せましょう」


「違いますって!! こんな廃教会に誰かが住んでいるとは思っていなかっただけです!!」


「ふうん。それで住居侵入、か」


「だから……」


「住んでいるとは思えないからといって勝手に入ってきて、それが住居侵入じゃないっていうなら何と言うんです?」


「えっと……」


「仮に誰も住んでいなかったとしても、不法侵入になることを知らないんですか? それに、ここは寂れていても立派な教会です。神様がいるんですよ」


「……」


「神様の前で堂々と不正を働くとは、あなたはずいぶんな度胸がある人物と思いますが……」


「……すみません。僕は不正を働きました。そして、そんな度胸もありません」


「へぇ。それくらいで赦してもらえると? ミカに手を出そうとしたのは重罪です。死んで償ってください」


「そこまでせんでええわ」


 エミルカが呆れたように息を吐いた。こめかみを揉むと、エミルカはニールのほうを向いた。


「……で、何のためにここに来たん?」


「えっと……さっきから言っている通り、森に迷ったから――」


「違う。そんなことでここに来れるわけがないんじゃ」


 ニールは首をかしげた。ただの廃教会だと思って入ったのに、それを見つからないはずと言われても、彼には何も言えなかった。彼は本当に森に迷ってたどり着いただけだったから。


 エミルカは訝しげに眉をひそめながら言った。


「ここは縁のない者が来れるような所じゃない。とある問題を抱える者が、救いと祈りを求めてここに来るんじゃ。あんたみたいな無意味に生きとるような者が、迷ったからでここに来れるわけないじゃろうが」


 不機嫌なエミルカの声が、教会内に響いた。


 ニールはどう反応していいか分からず、視線をさまよわせた。


「えっと……本当に迷っただけなんだけど……」


「じゃあ、言い方を変えますよ」


 ウァレは宥めるようにエミルカの頭を撫でながら言った。


「……あなたは、過去に竜に関わったことがありますか? あるいは、現在進行形で――」


「竜……?」


 それは、この世にいないはずの伝説上の生き物だ。ある地方では悪の根源とされ、ある地方では神として崇められる存在……そんなものが実際に存在し、人間と関わっていれば……常識を覆すだろう。


 故に、彼には心当たりがなかった。


 しかし、彼らの訝しげな視線を受けると、自信が無くなった。


「……ない、と思います」


「では、過去に妙なことが起きたとか、ありませんか?」


「妙なこと……あっ!」


 ニールには心当たりがあった。子どもの頃、一度だけ妙な現象に立ちあったことがあった。しかし、それを誰に話そうとも信じてもらえなかった。


「……あるなら話してください。過去に誰も信じなかったことでも、俺たちは信じます」


 ニールの心を読んだように、ウァレは言った。ニールはウァレを信じて、話を始める前に唾を飲み込んだ。


「……はい。僕、小さいころに妙なものを見たんです」


「妙なもの?」


「はい。ある日、山のスケッチをしようと、家の近くの山に登ったんです。朝から夕方までいました。で、帰り際になり、ふと空を見上げると……」


 思い出すように顔を仰ぎ、


「――クジラがいたんです。それも、緑でこの世のものとは思えないほどに美しい、クジラが!!」


「……」


 ウァレとエミルカは互いを見て、呆れたように息を吐いた。


「――あいつ……何やっとるんじゃ」


 額に手をやりながら、エミルカは呟いた。


 しかし、その声はニールには届かなかったらしい。ニールは手元のスケッチブックを見つめながら話し始めた。


「僕は、いつかそのクジラにもう一度会ってこのスケッチブックに描くのが夢なんです。そのために、旅に出たんですが……」


「その途中で道に迷った、と」


 ニールは恥ずかしそうに頷いた。


「はい。しかし、見つからないものですね。あ、そのクジラはすぐに消えたんですよ。まるで、空に擬態したように」


「……それが、竜じゃ」


 エミルカは額に手を当てながら言った。


 ニールは驚いたが、いや、と思い直した。


「いえ……だって、あれはクジラでしたよ? 確かに宙に浮いていましたけど……でも、形はクジラでした。それに、竜なんてこの世にいるわけないじゃないですか」


「なら、空中に浮かぶ緑のクジラはおるんか?」


「それは……」


 ニールは言い淀み、顎に手をやった。


「……でも、あれはクジラにしか――」


「……」


 と、その時――。


 ぎぃっと、教会の扉が開かれた。


 そこに現れたのは三人の男。


 脂肪を蓄えた丸い体の男。

 女のように体をくねくねさせている、長身の男。

 忍者のように体中を黒いタイツで覆った男。


 彼らは厳めしい顔で、ウァレたちを見ていた。ウァレが立ちあがると、彼らは慇懃に礼をした。


「突然、押し入ってすまない。俺はグリュート・オルカスってんだ」


「そうですか。こんな廃教会に、あなたたちみたいな賞金稼ぎが、何の用です?」


 グリュートは驚いたように目を開いた。


「ほう。なんで俺たちが賞金稼ぎだと?」


「単に見た目でなんとなくそう思っただけですよ」


 ウァレは仮面の下で笑いながら言った。グリュートは珍妙な恰好をしたウァレたちを見ると、お前も変な恰好だけどな、と顎の髭をもんだ。


 品定めするように、グリュートたちは教会内を見まわした。しかし、金目のものがないと見るとウァレを見た。


「さっきの話、少し聞かせてくれねぇか?」


「あはは。盗み聞きとは趣味が悪いですね。でもまあ、いいですよ。どうせ、不幸になるのはあなたたちですからね」


 最後ほうは、まるで彼らに聞かれまいとするかのように小さく言った。


「奥の部屋で話しましょう。あ、ニールはそのままここにいて結構です。というか、ここにいろ」


「あれ? 僕だけ仕打ち酷くないですか!?」


 ニールの悲痛な叫びを、しかし誰も気にしなかった。


 ウァレはエミルカを車イスに乗せると、教会の奥にある給湯室まで車イスを押して行った。その後ろに、グリュートら三人が続いた。ニールはどうしようか迷っていたが、結局ついて行くことにした。


 給湯室は、六人が入ると狭い。しかし、横長のイスしかない礼拝堂よりも話はしやすかった。


 給湯室の奥には面談するようなソファーがあった。三人掛けのソファーが一つ、一人掛けのソファーが二つの、合計五人が座れるようになっている。しかし、エミルカは車イスに座ったままでいいので全員が座れた。


 一人掛けのソファーに座ったウァレの前には三人の賞金稼ぎの男たちが座っていた。


 その中に一人だけ女装をしたような男が混じっていたので、エミルカは気味の悪いものを見たように眉をしかめた。


「……では、話し始めましょうか。えっと……グリュートさんと……」


「ああ。この二人は俺の仲間だ。三人で賞金稼ぎをしている。こいつは……」


 グリュートは女装男を指さした。女装男はイスに座ったまま礼をした。


「初めまして。わたしはヨラータ・ネ・ニル。心は女です」


 その時、エミルカの背筋に悪寒が走った。ヨラータは男なのに妙に声が高く、それが耳障りに響いた。エミルカは視線をウァレに向けて彼を見ないようにした。


「で、こっちがウーマ・オー・ルー。人と話すことが苦手だから、あまり話しかけないでやってくれ」


「……」


 ウーマを見ると、ウァレはその手に握っているものが気になった。彼の手には五寸釘と、藁で作られた人型の人形があったのである。ウァレは仮面の下で笑いながらエミルカを横目に見た。彼女は困ったようにウァレを見ていた。


「……で、さっきの話だがそのクジラ……もしかしてカドゥラスっていうやつじゃねえのか?」


「っ!」


 ウァレは目を見開いてグリュートを見た。


「……よくその名前をご存知でしたね。誰かから聞いたのですか?」


「賞金稼ぎの中では有名な話よ」


 ヨラータが手の甲を顎にやりながら言った。


「そのカドゥラスっていう生物の向く方向には、宝があるっては・な・し。だから、そいつを見つければ、大金が手に入るかもしれないの」


「……そんなの迷信じゃ」


 エミルカが捨てるように言った。


「カドゥラスにはそんな能力はない。あいつは、ただ擬態するだけじゃ。人目につかんように、擬態化して空を飛んどるんじゃ。じゃけん、あいつにそんな能力は――」


「迷信? っは! それでも金の臭いがすればそこへ行くのが俺たちの仕事ってもんだ!! もしそこに金があるなら、俺たちは一気に金持ちになれるんだよ!!」


「……ま、信じるも信じんも勝手じゃけどな」


 呆れたように、エミルカは息を吐いた。


 そんな彼女を見て、グリュートは苛立たしげに言った。


「お嬢ちゃん、これは大人の話なんだ。ちょっと黙っていてくれないか?」


「子ども扱いすんな、イノブタ。加工されて不味いハムにでもされたいんか?」


「あ!?」


「まあ、落ち着いてください。それに、彼女はあなたたちより竜の……カドゥラスについて詳しいんですよ。彼女がいたほうがあなたたちのためになる」


 不機嫌な顔をしたまま、グリュートはウァレを睨みつけた。


 ウァレは特に気にした風もなく、話を再開させる。


「まあ、そんなに会いたければ一度会ってみればいいんですよ。そうすれば、カドゥラスは何とかしてくれるでしょう。宝箱があるならそれを教えてくれるだろうし、絵を描きたいなら狭い世界に収められることでしょう」


「あの……さっきからウァレさん、僕に対して当たり酷くないですか?」


 しかし、ウァレは彼の言葉を無視して立ちあがった。


「とりあえずミカ、カドゥラスのところへ行こう。まあ、自分のことぐらい自分でするだろう」


「……そうじゃな。あとはこいつらが呪われようが殺されようが、私には関係ないことじゃし」


 そう言って、エミルカは出口へと車イスを向けた。


 ウァレは彼女の車イスの背中に回ると、賞金稼ぎと絵描きに言った。


「――では、カドゥラスのもとへ案内しましょう」


 そのとき、賞金稼ぎとニールの目が見開かれていることに、ウァレは初めて気がついた。


              †2†


 教会を出ると、そこは森だ。


 数日前の雨で地面は乾かず、ぐっしょりとしている。柔らかな地面には落ち葉が朽ちて、森特有の香りを発生させていた。


 森の中では車イスは使えない。舗装された道路があるならまだしも、森の中は一切人の手が加えられていなかった。なので、ウァレの背中にはエミルカが背負われていた。


 ざくざくと、落ち葉を踏みしめる音が不規則に連なっていた。彼らの足音に、野生の動物たちは首をかしげて、己の縄張りに入ってきた不埒者を見届けている。


「カドゥラスはどこにいるんですか?」


 ニールが尋ねると、先頭を歩いていたウァレは振り向かないまま答えた。


「正直、それは分からない。カドゥラスはいつも何かに擬態しているからね」


「それでは意味がないじゃないか! 無駄足だった時は、どうしてくれるつもりだ!?」


「それはありえませんよ。こっちにミカがいる限り、カドゥラスは姿を現さなければならない。そういう、一種の呪いみたいなものを持っているんです、あいつは」


 まるでカドゥラスと知り合いなのだというように、ウァレは説明した。訝しげに見ていたのはニールだけではないことを、後ろを歩く賞金稼ぎを見ずとも彼は感じていた。


 彼らの視線が恐ろしくて、ニールは思わず訊いた。


「……ウァレさんは、その……カドゥラスとどういった関係なんですか?」


 ウァレは仮面の下で笑いながら、ただの顔見知りだよ、と言った。エミルカは後ろで歩く四人に見えないよう、ひっそりとウァレの肩をつねった。彼女は無闇にカドゥラスのことを言いふらされたくなかったのだ。ウァレはごめんと小さく謝ると、木の根を踏み越えた。


 森の中を歩いて行くと、やがて少し開けた場所にたどり着いた。ぽっかりと空いた穴のようなそこには木が少なく、太陽の光が暖かく降り注いでいた。小動物が日向ぼっこを中断して、ウァレたちに道を譲った。


 その先に、何かが蠢いているのが見えた。白衣のようにも見える白い布だ。

 いや、見えるのではなく、それそのものだった。


 森の開けた場所の中央で、彼らは白衣を汚しながらしゃがんでいた。研究員のように見える影は二つ。片方は黄色の髪をした中年。もう片方は肩で切りそろえた橙色の髪の少女。


 二人は地面にしゃがみこんで何かをしていたが、ウァレたちが近づいて行くのに気付くと、立ちあがった。ウァレたちの前に立ちふさがった中年の男はウァレを睨むように見た。


「なんだ? お前たちは……」


「俺はウァレ・フォール・エルタニル。この近くに住んでいる者ですが……あなたは何をしているのですか?」


「ふん。この近くに誰かが住んでいるわけないだろ。この近くにあるのは、寂れた教会だけだ」


 ウァレは、そこに住んでいるとは言わなかった。彼らは自分の住んでいる教会のことを知られることが嫌だった。


 だからウァレはそうですよね、とごまかして中年の男を睨んだ。冷静そうな表情に、気だるげな雰囲気を感じた。


「まあ、俺たちのことはいいでしょう? それよりもあなたたちは?」


「俺はウェルシ・リル・メント。研究員だ。で、あいつがメルディ・ケルソン。俺の助手だ」


 ウェルシは少し離れていた少女を指さした。すると彼女は立ちあがり、


「ちょっとー! 助手って言わないでくださいよ~。あたしだって立派な研究員です!!」


 ウェルシは手を腰に当てて近づいてきたメルディを邪魔者のように見下ろし、彼女の前に手をかざした。彼女は一旦立ち止まり、彼から少し離れたところで頬をふくらませて立った。


 ウェルシはウァレを睨みつけた。ウァレは仮面の下で笑ったままその視線を受け止めている。


「俺たちは研究のためにここに入ったのだが……お前たちはちゃんと入る許可を取っているのか? ここらの野生動物は貴重で、入るには許可がいるんだぞ?」


「そうなんですか。でも、そんな許可なんてどうでもいいでしょう。知っていようが知らまいが、ここへ入ったことはもう変えられないんですから。それより、あなたたちは何を目的に来たんです?」


 ウェルシは眉をひそめて口を引き結んだ。答える気はないと、その態度で分かった。しかし、彼の代わりにメルディが話し始めた。


「あー、それはー、ここの近くにカドゥラスっていう生物がいるとですよ。それで――」


「メルディ! 一般人にそれを話すなっ!!」


 慌てたように口を抑えたウェルシであったが、もう遅かった。


「へえ。あんたたちもカドゥラスを探しているのか? 俺たちもなんだけど、あんたたちはどんな情報を持っているんだ?」


「ぜひ、教えてくれませんか? 素敵なお・じ・さ・ま」


「……(五寸釘と藁人形を掲げて見せる)」


 背筋に怖気が走ったウェルシは一歩下がって賞金稼ぎたちから距離をとった。しかし、追い詰めるように賞金稼ぎたちも一歩詰め寄った。


「はぁ。あんたたちは何やっとるんじゃ」


 ふいに、呆れたように息を吐いたエミルカに視線が集まった。特に、研究員の……メルディからの視線が貫いてしまいそうだった。彼女はエミルカを視界に入れた瞬間、頬を上気させて呼吸を荒くした。


「な、ななななな!? その耳と尻尾は本物かな!? 本物とですか!?」


「な、なんじゃ!? ち、近づくなッ!! ウァレ、そいつをどうにかしろ!!」


 手をわきわきさせて近づいて来るメルディに、エミルカは危険を感じて身を縮こませた。尻尾を立てて威勢よく威嚇するにも、彼女の自由はウァレのものだった。ウァレはエミルカの悲痛の叫びを無視した。


 カドゥラスを探すために緊張して来たのに、その雰囲気は一気に壊されてしまった。ニールは頭をおさえて唸りたい気分になったが、そうしても事態が変わらないことを理解してため息をついた。






「カドゥラスの居場所を知っている? そんなバカな」


 ウェルシが蔑む目でウァレを見た。しかし、ウァレは気にせず笑ったまま、


「いえいえ。知っているというわけではないんですよ。ただ、あいつには会えるようにできている、と言ったほうがいいでしょうか」


「でも、それっておかしいですよね! それじゃあ、ウァレさんはカドゥラスと友だちか何かとですか?」


 ウァレは首を振った。


「まさか。友だちなんてありえないですよあんな奴。それよりも、あなたたちの目的を聞いていないのですが?」


 そう言うと、研究者の二人はお互いを見合わせた。自分たちの情報を言っていいかどうかを検討しているらしいが、目的としていたカドゥラスのためだ、と重い口を開いた。


「俺たちは、軍の武器研究者だ」


「武器……戦争でも始めるつもりですか?」


「いや。そう言うつもりじゃないんだが……まあ、いざとなった時に用意しておいたほうがいいだろう。ほら、ここらに住んでいるなら数百年前の戦争を覚えているだろう? この国は何も準備していなかったせいで、勝てなかったんだ。その教訓を生かして、秘密裏に武器を用意することにしたんだ」


「それとカドゥラス、関係がないように思えるんだが、どういうつもりだ? 俺たちは金さえ手に入ればいいが、危ないことには手を貸したくなねぇぞ」


 グリュートが顎ひげを揉みながらそう言うと、ウェルシは彼を睨みつけた。もともと目つきが悪いせいでそう見えるだけなのかもしれないが。


「戦わなければ、金すら手に入らなくなることだってあるんだ。俺たちはそのために武器の研究を続けている。そして、少しでも有利になるためにはカドゥラスの力が必要なんだ」


「グリュートさんの言うとおり、カドゥラスとはあまり関係がないような気がするのですが……?」


 ニールが小さく言うと、ウェルシはウァレのほうを向いて言った。


「カドゥラスのことを知っているなら、分かるだろう? あいつは擬態するんだ」


「……つまり、カドゥラスから擬態する武器(ミミック)を作りだそうとしているわけですか」


 ウェルシは頷き、


「そうだ。カドゥラスは人に見られたことがほとんどない。そんな武器が出来れば、絶対的に有利になる! それに、人間のために尽くされればそいつも本望だろう」


「ふん。人間ごときが、カドゥラスを屈服できるわけないじゃろうが」


 小さく言ったエミルカの言葉は、ウァレ以外には聞こえなかった。ウァレは彼女を宥めるように、背負ったまま背中を叩いた。エミルカは無表情に人間を睥睨すると、ウァレの背中に顔をうずめた。


「自分勝手な人間なんか嫌いじゃ。何で人間のためにつくさせられた者が喜ばんといけんのんじゃ。自由に生きとる竜を、人間が犯す権利なんかないのに……そんなことにも気付かんのんか」


「……まあ、いろんな人間がいるから」


 ウァレは言って、研究者たちに視線を向けた。


「では、あなたたちもカドゥラスの下へ案内しましょうか?」


 ウェルシは腕を組んでしばし悩み、


「……分かった。頼む」


 と言った。


「じゃあ、行きましょう」


 踵を返したウァレを止めるように、エミルカが彼の襟首を引っ張った。


「いや、ウァレ。その必要はない。上を見てみぃ」


 彼女は耳をピンとたててウァレの耳元で囁いた。彼女の言うとおりウァレが顔を見上げると、そこには光を屈折させる大きな何かが揺らめいていた。


 それは透明だった。しかし、何もないわけではない。そういう色に擬態しているのだ。光は完全に通さないので、それの下には影が出来ている。誰よりも早く気付いていたエミルカは、肌でそれが近づいていたのを感じていたが。


「……なんだ、あれは……」


「あれがカドゥラス――擬態する【呪い】を持った竜ですよ」


「竜? 現実には存在しないだろうが!!」


 ウェルシが叫んだ瞬間、クゥゥと、頭上の竜が啼いた。その声は、はぐれた子クジラが鳴いているように哀しそうだった。


 その声を、ニールは聞いたことがあった。


 子どものころ、山のスケッチをしていったときに聞いた声である。彼が旅をする理由になった、巨大なクジラが彼らの頭上に浮かんでいた。


 賞金稼ぎたちは頭上を見上げて、驚きに目を見開いていた。彼らは自分の目的を忘れたように呆けていた。自分たちが見つけようとしていたものの大きさに驚き、そして、見つかったことを喜んで高笑い始めた。


 研究者たちは怯えた表情でにそれを見上げて、白衣のポケットから拳銃を取り出した。しかし、相手の大きさに恐れをなし、手が震え、トリガーを引けずにいた。


 各々が驚喜に震え、恐れをなしている間に、カドゥラスは再び啼いた。


「ウァレ、耳をふさげ!!」


 突然、背中に乗ったエミルカが耳をふさいだ。ウァレも彼女を落とさないように自分の耳をふさいだ……その時――


――グヲォォォォォ……ォォッォ……ォォ……ッ……


 さっきまでの哀しそうな声ではなく、鈍重な()が聞こえた。


 音が山に反響して聞こえていたが、それも止んだ時、彼らの頭上にカドゥラスの姿はなかった。


 そして、耳をふさいだウァレの前で彼らは姿を変えていた。


 人間の体を輝かせ、徐々に背丈を縮こませ、翼を生やし、首を伸ばし、顔をトカゲの形に……そして。


――彼らは竜となった。


「……はい?」


 カドゥラスの鈍重な音――それは【呪い】の声だった。


             †3†


 外は暗くなってしまった。


 夜の森は危険だ。この近くの森には貴重な動物がいるのだが、それだけではなく蛇や熊だっている。しかも、彼らを狩ることは禁止されているため、襲われても自己責任となる。襲われた時には、死を覚悟するほかないのだという。


 明るいうちに教会へとたどり着くと、まずは忘れられた神に祈りをささげる。エミルカはウァレの背中から名残惜しそうに下ろしてもらうと、車イスに乗った。車イスのハンドリムに手をかけると、祭壇の前まで移動した。


 手を組んで祈っている間に、ウァレは奥の給湯室で紅茶を淹れることにした。彼女の仕事が終わるまでは何もできないからである。


 ウァレが二人分の紅茶を淹れるまでには礼拝は終わっていた。二人分の紅茶を持ったまま、ウァレはエミルカの後ろへ立った。


 礼拝の終わったエミルカは、祭壇の前で彼らを睥睨していた。しかし、教会にいる彼らの姿は人間ではない。


「……あぁ、もう。カドゥラスってば……本当に面倒なことして~~~ッ!!」


 頭をおさえて苛立ちを露わにした彼女の前、五匹の竜が横長のイスの背もたれに座っていた。


「まさか、みんなに【呪い】をかけるなんてな。……カドゥラス、いくら会いたくなかったとはいえ、やりすぎだ」


 この場にいない何者かに説教するように、ウァレは言った。五匹の竜は顔を見合わせて彼を見上げた。


「【呪い】ってなんなんですか? まさか、僕たち、ずっとこのままなんじゃ……」


「いや、それはなかろう。竜はもともと【呪い】をもっとる。じゃけん人間とは共存できんのんじゃけど……とにかく、カドゥラスの【呪い】は解く方法があるんじゃ」


 そう言って彼女が車イスの横の物入れから取り出したのは一枚の手紙だった。それは、今朝方ウァレに見せたものだった。


 竜たちは首をかしげた。


「えっと……それは?」


「……これは、カドゥラスからの手紙じゃ」


 エミルカが言うと、竜たちは驚きの声を上げた。彼らが今まで探し続けていたものを、自分たちよりもはるかに年下の少女が知っていたのである。その上、手紙まであるのだという。


 しかし、彼らがカドゥラスはクジラの形をしていた。クジラのカドゥラスにそんな字を書くような知能や手があるわけがない。そう言いたかったのを悟ったのか、ウァレは言った。


「カドゥラスは『擬態』の【呪い】を持った竜です。人になることもできればクジラになることもできる。もちろん、竜になることでもできますよ。あいつの本当の姿を知っているのは、俺たちぐらいのものでしょうね」


 その言葉からは、彼は前々からカドゥラスと交流を持っていたようにも聞こえた。いや、実際そうなのだろう。竜たちが見たクジラの姿……あの姿以外でカドゥラスを知る者は竜たちの中にはいないのだから。


「カドゥラスはあんたたちに擬態の【呪い】をかけた。じゃけん、今は竜になっとるんじゃ」


「それで、俺たちがこれを解くには、どうすればいい!?」


 少し体格のいい竜が言った。人間の姿でも恰幅だったに違いない彼は、グリュートだ。


「俺はこのままなんていやだぜ。さっさと戻って、金を手に入れたいんだ。俺たちは賞金稼ぎなんだぜ? あのカドゥラスを探してきたんだ。俺たちがこうしている間にあいつがどこかに行くなんて無駄なこと、したかねぇんだよ」


「そうよ。わたし、人間じゃないと綺麗になれないじゃない」


「……(こくり)」


 グリュートに続いて、ほかの賞金稼ぎのヨラータとウーマも言った。しかし、彼らをエミルカは睥睨し、


「あっそ。だから何? 私には関係のないことじゃけん、本当にどうでもええんじゃけど」


 悔しそうに歯を食いしばったグリュートは、エミルカを睨みつけた。彼の両隣りにいる竜も同じように彼女を睨んでいた。しかし、無感情な表情をしたエミルカは無視を続けた。


「あんたたちが原因なのに、私に当たらないでよ。あんたたちがカドゥラスを追いまわすからこうなったんじゃろうが」


「そうなると、俺たちも悪いってことか。そっちの賞金稼ぎ如きなんぞどうでもいいが、俺たちはこれでも国のためにやったっていうのによ」


 そう叫んだ竜は、冷静な目つきをしていた。人間の姿では白衣の似合うだろう竜――彼はウェルシだ。


「じゃけん、そう()うるじゃろうが。たとえ国のためなんかでも、竜には関係のないことじゃ。むしろ、つまらん争いに巻き込まれて迷惑なんじゃ」


「でも、そうも言っていられないとですよ」


 声の高いその竜は、この中で唯一の女性だったメルディだ。


「争いは必ず起きるもの。起きてしまえば時間が解決してくれるのを待たないといけない。それに、早く終わらせるには相手の降伏を掻きたてればいいとですよ。だからあたしたちは研究をするとですよ、エーたん」


「誰がエーたんじゃ! 私はエミルカじゃ!!」


 叫びを上げたエミルカはウァレから受けとった紅茶を一口飲んだ。薄く目を開けたエミルカは独りごちるように言った。


「争いが起きたなら収めればいい――でも、それが理想でしかないことなんて分かっとる。争いをなくすこともできん。でも、人間のエゴで傷つくのは人間じゃないんじゃ。人間は本当の意味では傷つかん。他の生物……竜を巻き込んでするもんじゃない」


「ははっ。それこそどうでもいい。俺たちには竜のことなんて関係ないんだからな。それよりも今は元に戻ることだ。どうすればいいんだ?」


 エミルカはそう言ったグリュートを憐れむように見下ろした。しかし、何かを言うわけでもなく、一口紅茶を飲んだ。


「……あんたたちは擬態の【呪い】がかかってる。それを直せるのはカドゥラス以外にはおらん。カドゥラスに会うのが手っ取り早いんじゃけど、あいつも擬態しとるけん、まあ無理じゃろうな」


「だったらどうすればいい? 何かでおびき寄せればいいのか?」


「あはは」


 エミルカは嘲るように笑い、


「欲深い人間の発想じゃな。じゃけど、そんなことでおびき寄せられるのは人間ぐらいのもんじゃろう」


 キツネ耳をした少女は、人間を卑下したように言う。彼女の隣の仮面の青年は、その姿を見ているだけで反論をしようとしなかった。竜たちは……元人間の竜たちは、彼女を恨めしそうに見ていたのにもかかわらず。


 エミルカは紅茶の持つ手を膝に置いた。


「カドゥラスは条件を出した。それがこの手紙に書いとった。曰く、本物の自分を探せ――と」


「本物の自分……?」


 ニールはそう呟いて見せたが、いまいち思い当たることはなかった。


「僕たちは今、擬態の【呪い】で竜にされているんですよね? だったら、本物も何も……」


「そうじゃないですよ」


 エミルカの代わりにウァレが答えた。


「あなたたちはある意味で試されています。本物の自分を……願いを持った自分の姿を探すのです」


 元人間の竜たちは首をかしげた。


「どういうことだ? つまり……俺たちは何をすればいいんだ……?」


「そんぐらい、自分で考えるんじゃな。私はこれ以上、あんたたちに看過しとうない。どうしても分からないなら――それこそカドゥラスを探せばええじゃろう」


 あんたたちならそうしたほうが早そうじゃしな、とエミルカは紅茶を飲みほした。


 竜たちはお互いの仲間を見て、頷いた。


「――とりあえず、俺たちはカドゥラスを探すことにするか」


 そう言って賞金稼ぎの三人は、教会から出て行った。それに続くように、研究者二人も出ていく。


 後に残されたのはニール一人だけだった。彼には仲間がいなかった。そして、彼だけはカドゥラスの言う意味を考えていた。


「僕の願い……それってやっぱり――」


「あんたは私に何を願う?」


「え……?」


 エミルカの突然の言葉に、ニールは驚きの声を上げた。


 エミルカは首から提げた白銀の十字架を握っていた。瞑目する姿は、神に遣える天使のように思えた。


「私は願いを叶えし者。そして、竜と人間を繋ぐ者――【猫ノ狐】。ニール・ウェクバ、あんたは何を願う?」


 真剣な声に、ニールは思案を巡らせた。彼は自分が願うものは、たった一つだということを再認識した。


「僕は……やっぱり、カドゥラスを描きたいです。子どものころから、ずっと追ってきた、あこがれだから。正直、戦争だとか、お金だとか……そういうのはどうでもいいです。僕は僕自身の夢さえ叶えばいいと思うんです」


 ニールがそう言うとエミルカは無関心に、あっそと呟いた。彼女はニールに目を向けると、血色の目を光らせた。


「――あんたの願いは分かった。私たちはあんたに手を借す――でも、その願いを叶えるのはあんたの仕事じゃ」


 エミルカがそう言うと、ウァレが彼女を抱きあげた。お姫様抱っこの状態で教会の扉まで歩いて行くと、呆然とするニールに振り返った。


「――早くして。じゃないとカドゥラスが逃げるかもしれん……」


「は、はあ……」


 ニールは教会の出入り口へ行くと、その扉を開いた。そして、真っ暗な森へ足を踏み込んだ。






 カドゥラスが現れた場所はそこまで離れていないように感じた。


 しかし、夜の森は実に怪しげで、なかなか前へ進むことをできずにいた。何より、道が悪いのである。それだけではなく、ニールは竜の姿になったからといって飛べるようになったわけではない。翼は動くが、それで飛ぶことはできない。小さくなった体では、歩くことすら困難だった。


 人間の姿だと踏み越えていけるような木の根でさえ、彼にとっては壁も同然だった。ニールははぁとため息をついて木の根を迂回した。 


「他の人たちはどこへ行ったんでしょう?」


 ふと、ニールは言った。


「本当にカドゥラスを探すつもりなんでしょうか。勢いがあったし、あの調子だと、見つかるのもそう時間はかからないんじゃ……」


「あんな奴らがカドゥラスを見つけれるわけないじゃろ。無闇に探しとっても、あいつは見つかりゃせん」


 エミルカは冷たく言った。


「それに、カドゥラスはこの【呪い】の解き方を教えたじゃろ。つまり、それ以外で会う気がないって言うことじゃ」


「それでも、カドゥラスを探す方法はありますよ。例えば、煙を使うとか。ほら、カドゥラスは擬態するだけで本当に透明になったわけじゃなかったでしょう? 昼間に見たときには、太陽の光を浴びて影を作ってましたし……」


「それはできるな。火を焚いて煙を当てればカドゥラスのいるところだけが煙を避けるはず……でも、この夜の中じゃそれもできないはずでしょう」


 ウァレは仮面の下で笑った。


「この夜でもできるのは、明かりを当てて光の屈折のおかしい場所を探すことぐらいのもの。でも、そこまで強い明りを作れるとは思えない」


「それに、カドゥラスはいつもあのクジラの姿をしとるわけじゃない。じゃけん、探すのは不可能じゃな」


 エミルカがそう言うと、ニールは黙ってしまった。


 彼よりも前に出て行ったあの五人は、カドゥラスがクジラ以外になれることを知っているはずだ。しかし、もしカドゥラスがクジラ以外のものになっていれば探すのは不可能に近い。


 ニールは唾を飲み込んだ。自分もカドゥラスを探しても、絶対に見つからないだろう。たとえ二人が……【猫ノ狐】と言ったこの二人がいてくれたとしても、見つけられる自信はなかった。


 思い悩むニールにトドメを刺すように、


「――今夜中じゃ」


「……え?」


「今夜中にカドゥラスを見つけんと、あんたたちは人間に戻れなくなる。そのまま竜として、一生戻らないまま人間の記憶すら失くしてしまう。いまこうして話せるのも、今夜だけじゃ」


「っ!? ……い、急がないとっ!!」


 ニールは額に汗が滲むのを感じた。このまま戻れなくなってしまえば、彼は一生カドゥラスを描くことが出来なくなってしまう。そうなることだけは嫌だった。


 歩調を早めたニールだったが、その歩みは人間の一歩すら及ばない。ウァレはニールに歩調を合わせながら後ろを歩いて行った。


「だから、カドゥラスは本物の自分を探せって言ったんだよ。カドゥラス本人も、自分を探されないようにしているはずだ」


 ふと、ニールの歩みが止まった。ウァレは小さくなった彼に言い聞かせるように、


「じたばたしても意味はないよ。カドゥラスは絶対に見つからない。それよりも、本物の自分を探したほうが合理的だよ」


「……本物の、自分ですか……」


 ニールは静かに空を仰いだ。木々の隙間から月の光が漏れ出していた。


「……それってなんでしょうね。本物の自分……自分の願い――つまり、夢ですか?」


 一拍置き、


「……自分の願い……叶えたい夢が、ニールにはあるんじゃろ。……それが本当なら、本物なら」


 ウァレに抱かれながら、エミルカは首から提げた十字架を握った。


「本物ですよ。僕の夢は」


 ニールは断言して、ウァレを振り返った。


「僕はやっぱりカドゥラスを描きたいんです。そのために、今は人間に戻ることを考えます」


「……そ」


 エミルカは短く言って、目を閉じた。頬が緩むのを彼女は感じた。


「夢は届く。特に、強い想いを持った夢は。夢のない者はつまらんし、夢のために何かするわけでもなく、楽をしようとする人間もまたつまらない。例えば賞金稼ぎや、自分勝手に被害者になりたがった者みたいに」


 ニールは三人の賞金稼ぎを思い浮かべた。彼らはカドゥラスを探して、その先にあると噂されている財宝を狙っていた。それを楽というのだろうか――。


 また、二人の研究者の姿も思い浮かべた。彼らは竜を見下してる気風があった。カドゥラスのせいで……竜のせいで、自分たちが竜になったと考えている。それはある意味では正しいが、それを作った原因が彼らにあったというのなら、やはり彼らは自分勝手な被害者なのだろうか――。


「願いのため、夢のために何でもしようとする人間は強い。努力っていう言葉は嫌いじゃけど、それはきっと報われるもんじゃ。それをバカにして何もしない人間は、何をやってもうまくいかん。そんな人間は、ほかの者を卑下する資格すらないんじゃ」


「……カドゥラスは、僕たちの何がみたいんでしょうか」


 エミルカの話を聞いていると、ニールは疑問に思った。


「だって、願いが……夢がある人間がいれば、それがない人間だっているはずでしょう? それを探せない人間だっているはずなんです。彼らに手を差し伸べられる人も差し伸べてもらえる人もいない……」


「夢のない人間は、贅沢者しかおらん」


 エミルカは冷たく言った。


「本能で願えることだってあるってことを忘れんな。ニール、あんたは夢をもっとる。それなら、きっとカドゥラスは姿を現すはずじゃ」


「……でも、僕以外の人たちは……賞金稼ぎの方や、研究者の方たちは……?」


 エミルカは答えなかった。暗闇で彼女の表情は読み取れなかったが、ニールは察したように顔を俯かせた。が、すぐに思い直したように顔を上げてよしっと小さく手を握った。


「それなら、僕がカドゥラスに願いますよ。ほかの人たちも人間に戻してって」


 前を向いたニールは、やる気に満ちた顔をして歩み始めた。


 彼の様子を見守っていたウァレは、ふっと息を吐いた。歩き始めたニールと少し距離をとるように、ゆっくり歩き始めた。


 ウァレは周囲を見回した。そこには賞金稼ぎの姿も、研究者の姿も見て取れなかった。どこへ行ったのかは分からないが、彼らは彼らなりにカドゥラスを探しているはずだ。


 そして、ウァレは確信していた。カドゥラスは彼らには絶対に見つからない、と。カドゥラスが現れるのは、一人の青年の前だろうと思っていた。


 と、その時だった。


 目の前を歩く小さな竜が、前のめりに倒れた。


「……ぁ…………ぅぁ…………っ」


 少し遅れて、ドォォッンっという筒音が聞こえてきた。静かに吹いた風に、僅かな硝煙の香りがした。


「ニールッッ!!」


 ウァレが彼に駆け寄ろうとした時、ドンッと言う音が再び聞こえた。ウァレの足元に穿たれた穴に、熱を持った弾丸がシューっと音を立てて埋まっていた。


 ウァレは音のした方向へと振り返った。


 森の木に隠れて、男が二人いるのが見えた。賞金稼ぎでも研究者でもない男たちの手には、猟銃が握られていた。ここらの森では狩猟が禁止されていると、研究者は言っていた。明らかにおかしかった。


 男たちはともに汚らしい恰好をしていた。服は縮れ、ボロボロに傷み、灰が積もったように色が薄かった。顔には無精髭が生え、顔色はくすんだ泥色をしていた。


 片方の男は小太りで、何日も顔を洗っていないせいか、顔にイボが出来ていた。顔は丸く、悪人面の似合う男である。


 もう片方の男は中肉中背だったが、顔を真っ赤にしていた。酒に酔っているのか、それとも単に怒りやすいのか、何もしていない今でも青筋を立てている。


 小太りの男が、イボを掻きながらニヤニヤと笑ってウァレを見た。


「おいおい! 俺の獲物だぞぉ? 勝手に盗られちゃ困るんだがなぁ?」


「獲物?」


 ウァレが分からない風に聞くと、男は笑った。森に響いた不気味な声が木霊して、眠っていた動物たちが逃げる音が聞こえた。


 その時、顔を真っ赤にした男が叫ぶように言った。


「貴様の前に転がっているのが、世にも珍しい生き物だってことが分からねぇか!? 物の価値も分からねぇようなガキが、勝手に俺たちの獲物に手出してんじゃねぇぞ!!」


 耳障りな声に、ウァレはうんざりした気分になった。ウァレは彼らのことを知っていた。


「……なんだ。ただの山賊ですか」


 男たち――山賊は、ウァレを睨みつけた。自分たちの正体がばれているとは思っていなかったのだろう。そして、自分たちの正体を知ったウァレに殺意を向けた。


「何だ、このガキ……俺たちのことを知っているのか?」


「そりゃもう。街に指名手配されてますし、知り合いの宗教家から注意されたんでね」


 ウァレは視線だけをニールのほうに向けた。倒れた彼の背中からは、今も鮮血が流れ出ている。山賊にかまっている暇はなかった。が、山賊は時間を与えてはくれなかった。


 山賊は腰に提げていた曲刀を掴んだ。


「知っているなら、殺すしかないなぁ? 俺たちはこれでも、一生懸命、努力して生きてるんだぜぇ?」


「努力? っはは。それは弱者のいいわけじゃ。あんたら、見た目からして弱そうじゃしな」


 エミルカが呷ると、顔を真っ赤にした山賊が叫んだ。


「んだとこのガキィ!! 殺してやるっ!! 千回殺してやるっ!!」


 ウァレは自分に向かって走ってきた山賊に、死亡フラグだねと呟いて曲刀を避けた。腕の中にいるエミルカと目を合わせると、ウァレは息を吸った。


――その直前、彼の腕に黒い刻印が現れたのを、山賊は見た。


 そして彼は、呪いの言葉を紡ぐ。


「――願いし(Sperans )(shi )(viam )(meam )……っ!」


 しかし、彼の言葉は最後まで続かなかった。


 目の前に倒れていたはずのニールが、いつの間にか立ちあがっていた。彼の大きさは次第に大きくなり、やがて大樹と変わらなくなる。


 彼の腕にはウァレと同じような黒い刻印が這っていた。ウァレはそれを見て、仮面の中で笑った。


 山賊は驚き、パニックになって猟銃を撃ちまくっている。だが、彼の体を貫通する弾は一つとしてなかった。ニールの鱗は、いまや鋼すら通さぬほど硬質化していた。


 やがて、彼の口が鈍重な【呪い】の言葉を紡ぐ。


「――願いし(Sperans )(shi )(viam )(meam )

     先を(Ergo )連ね(null )し≪(mode )(,ut )(ante )なし(contiguis )―― 


        ――叶い(Verum )し己(Verbum )(Dei:)(veni)

             我、歩(Different )みし≪(inoponatus)( nos et )≫を違(Historia )えぬ(Shivia )――」


 そして、彼は山賊のほうへと振り返り、


「――――≪連峰(curse)≫――――ッッ!!」


 次の瞬間、山賊は地面から現れた巨大な手に襲われた。


「うわああぁぁぁああぁあぁああっっ!!?」


「な、何だこれはぁああぁぁっッ!?」


 巨大な手は山賊を追い払うように襲いかかった。山賊は一目散に森の中へと逃げて行ったが、その巨大な手は深追いしなかった。


 ウァレは山賊がいなくなった方向を見た後、ニールに近づいた。彼は自分の目の前で起きたことを理解していないように目を丸くしていた。


「あれ……僕は何を……? って、ウァレさんが小さいっ!?」


「違うよ。きみが大きくなっただけ。にしてもすごいな。あの【呪い】をここまで操るなんて……」


 感心したように言うウァレを、ニールは静かに見下ろしていた。すると、ウァレは一つ頷いて


「うん。合格、だね。きみに決めよう」


 そう、ウァレの声ではない高い声が言って、彼はエミルカを地面に下ろした。エミルカは自分の足(・・・・)で立ち、くっつくようにウァレの服を引っ張った。


「え……ウァレさん……エミルカさん……?」


 戸惑っているニールを嘲るように、笑ったウァレは――否。


 カドゥラスは、ニールを見上げた。


「うんうん。きみはいいよ。人間に戻してあげよう。でも、ボクのことは秘密でよろしくね? 後でいろいろ面倒だから」


 そう言って、カドゥラスはウァレの姿のまま、手をニールの前にかざした。その手が白く輝くと、ニールは自分の内側が熱くなるのを感じた。


 ニールが人間に戻ると、カドゥラスはうんうんと頷いて、手を握った。ニールは何が起こったのかを分からないまま、戸惑ったように口を開いていた。


「あーあ、後でエミルカに怒られちゃうぅ~。人を呪っちゃったこと怒られちゃうぅ~。でもいいや。こんな素敵な人に出会えたんだからね!」


「は、はあ……」


「うふふ~」


 笑ったカドゥラスは、その姿を変えていった。


 体を光らせ、高かった背はみるみる低くなっていく。それと同時に、エミルカだったものが木の枝へと変化して地面に落ちた。


 ニールの前では、奇妙な現象が起きていた。


 小さな女の子が現れたのだ。美しい緑色の髪を腰まで伸ばし、裸体を隠すことなく立っている。頭からは枝分かれした鹿のような角が生え、白磁の腕には鱗が生えている。乏しい胸には、十字架のあざがあった。この世のものとは思えないほどに美しい少女は、無垢な瞳でニールを見上げていた。


 ニールはカドゥラスから顔ごと視線をそらした。その様子を面白そうに笑って、カドゥラスは逸らした顔の先に歩いて行った。ニールは赤くなって後ずさろうとして、後ろ向きに転んでしまう。


「うぁっ!」


 どさりと尻もちをついた彼の前には、裸体の少女が腕を後ろに回して面白そうに笑っていた。


「うふふ。おもしろ~い! 何でそんなに慌ててるの?」


 カドゥラスは手を差し出した。ニールは照れながらもその手を掴んで、立ちあがった。

 ニールが立ちあがると、満足そうに頷いて、カドゥラスは指を顎に当てた。


「えーっと、きみはボクをどうしたいんだっけ?」


「え?」


「だーかーらー、きみの願い……夢は?」


 小首を傾げて言ったカドゥラスの言葉を、ニールはやっと理解した。ニールは彼女を探していたのだ。


 子どものころに見た、あの光景がよみがえった。美しい体をした、巨大なクジラ……そして、哀しそうな声。それに感動して、ニールは絵を描きつづけた。カドゥラスに再び会った時、その姿を絵にするために。


 ニールはカドゥラスを見下ろして考えた。上目に見上げてくる彼女は、美しい。クジラの姿ではなくとも、その姿にはため息が出るほどに美しい。


 だからニールは、その顔に笑みを(たた)えて、


「……僕の願いは――」


              †4†


 車イスの少女は、教会の礼拝堂の祭壇の前にいた。


「カドゥラス……ええかげんにせぇよ」


「い、いや……ボクはエミルカに迷惑かけようとしたんじゃないんだ」


「問答無用ッ!!」


「にぎゃっ!?」


 教会の礼拝堂に、カドゥラスの悲鳴が響いた。


 ウァレは紅茶を二つ持ち、エミルカに片方を渡した。彼女の前には正座をした少女の姿があった。この世のものとは思えないほどに美しい緑色の少女だった。しかし、目じりには涙が溜まっていた。


 彼女は今、緑のローブをまとっている。しかし、その下には何も着けていなかった。羞恥心という言葉を知らない彼女は、それを気にした風もなく、しびれた足を投げ出して胡坐をかき始めた。ウァレはそっと視線を横に向けた。


「もー、エミルカ怒りすぎだよ~。いつか頭の血管が吹っ飛んで血がドバーッ! てなるよ? あ、紅茶ありがと」


 ウァレは、反省した様子もなく嘘泣きで目じりを拭ったカドゥラスに紅茶を渡すと、長椅子に座った。


「……にしても、あの手紙は何?」


 ウァレが言うと、カドゥラスは何かを思い出したかのようにあ! と言って立ちあがった。しかし、足がしびれえてぐぉぉ……と唸って蹲った。


 そんな彼女に憐れみの目を向けたウァレは、ため息交じりに言った。


「中身が『入れ変われ』って書いただけの手紙なんて、初めて見たよ」


「うふふ~。あれが正しいのよ~。だってそうだったでしょう?」


「まあ、確かに……」


 カドゥラスから届いた手紙の中身には『入れ変われ』としか書いていなかった。送り主は書いていなかったが、ウァレとエミルカには心当たりがあった。そして、それがカドゥラスだった。


 ウァレとエミルカは昨夜、ニールとともに行動する中でひっそりと入れ変わった。ニールにはばれることはなかったが、最後には自分から話してしまった。その後始末をするのはエミルカとウァレだった。


 竜の話を聞いて、人間たちが竜を捕まえようとやってくればここらの生物が殺されることだってあるかもしれない。教会周辺の森には珍しい種類の動物がいるので狩猟は禁止されているが、それを無視する人間が来るかもしれない。


 あの場にいたのが山賊とニールだけだったから処理が簡単だったものの、ほかにも人がいれば処理が面倒だ。


「山賊は後で処理するとして、本当に信頼しても大丈夫なのか? ニールのほうは」


 そう聞くと、緑髪を跳ねさせてカドゥラスは自信満々に胸を叩いた。


「もちろん! あんな人間はいないわ~。いいこいいこ~よいこ~!」


 ニールは、人間に戻ったのち、カドゥラスのことを話さないと誓って出て行った。彼と会うことはもうないかもしれない。


 そして、彼は結局カドゥラスを描くことはなかった。自分の力では、カドゥラスを美しく描けないと思ったらしい。その代わり、彼は研究者と賞金稼ぎたちを元に戻すように言った。


 だが――。


「ま~、人間如きと約束なんてしないけどね~。ジョークジョーク! 冗談にならないジョークだよ!!」


「ほんまにお前、立ち悪いわ……」


「えへへ~。にしても、ボクってば今日も美しいのかな~!? あの子いいこだよ~。ボクのこと綺麗だってさ!」


 ニールは彼女を美しいといった。しかし、彼女の本性はこれだ。この姿を彼に見せつけてやりたい、とウァレは思った。


「ふん。百歳超えた婆が何を言っとんじゃ」


「その年齢、ニールに話してないんだよね? 詐欺だよ」


「詐欺じゃないです~! それに、まだ152歳です~!」


「人間からしたらとんでもない数字だよ、カドゥラス」


 ウァレが突っ込むと、カドゥラスはうぅと項垂れた。見た目は小学生くらいの彼女だが、実際年齢はかなりのものである。


「完全に猫かぶって……そんなことして、楽しいんか?」


「楽しくはないけど……でもみんな優しくしてくれるんだよ、エミルカ!」


 呆れたように息を吐いたエミルカは、カドゥラスの額を小突いた。はうっと唸って額をおさえたカドゥラスは、弱弱しく上目にエミルカを見た。


「そうやって、猫かぶって人をたぶらかすの、ええ加減止めれば?」


「むぅ……エミルカだってその方言訛り、いい加減直せば?」


「ふん。あんたに心配されるいわれはないわ」


 エミルカは紅茶を一口飲み、


「……で、あんたの依頼だけど」


 カドゥラスは頷き、


「うん。ストーカーどもを、全員ボクの【呪い】で竜にしちゃって」


 目を爛々と輝かせて、言った。


「ボクの【呪い】、貸してあげるからさ」


              †5†


 日が昇り切った昼間だった。


 男の叫び声が、森の中に響いた。


 その森には人がほとんどいなかった。そのせいで、男の叫びが誰かに届くことはなかった。彼は次の瞬間にはその姿を竜に変え、そして言語すら忘れてしまった。


 男は二人いた。片方が竜になったことを驚く暇もなく、彼は目の前の二人の人間に目を向けた。


 否。彼らはもう人間ではなかった。


 青年のほうの顔は、十字架のように焼けただれていた。唇からは常に鮮血が流れ出し、左目はない。その上、彼には尖った耳と牙が生え、唯一ある右目は赤黒く光っていた。そして彼の腕には黒い刻印――擬態の【呪い】だ込められた刻印が這い、そこからうっすらと黒い霧のようなものが揮発して彼の周りをまとわりついている。


 車イスに座った少女は、金色の頭に大きな狐の耳と猫のような尻尾を二本生やしていた。顔には針金のような髭を生やし、目は赤く輝いていた。


 彼らを見て、小太りの男は腰を抜かした。彼らの姿を……人間だったころの姿を見たことがあったのだ。


「なんで……貴様らが……ここに……?」


 かつての威嚇するような声はどこにもなく、小太りの男……山賊は、目に涙を溜めて恐怖に慄いていた。


 山賊の二人が隠れて住んでいた洞窟に、彼らは突然姿を現した。殺してやろうと猟銃を持ちだしたのだが意味はなく、片方の男は姿を竜に変えられてしまった。


 残った山賊は、目の前の人ならざる者を見上げて、恐怖に叫びをあげた。


「――願いが届いたからよ」


 最後に聞こえた少女の声は、冷たく無機質だった。






 青年は、教会の前でたき火をしていた。季節からして寒いわけではなかったのだが、何か燃やさなければならないものがあるようだった。


 彼が火の番をしていると、遠くから一人の憲兵隊がやってきた。


「こんにちは。何をされているのですか?」


 憲兵隊は青年に訊いた。青年は右目以外を隠した狐面をしていた。それはまるで、顔を怪我しているようにも見えて酷く不気味だった。


「いえ。ただの焚火ですよ。寒がりなので」


 青年はそう言いながら燃料を火に突っ込んだ。人と話すのがあまり得意ではないと見た憲兵隊は、早めに仕事を終わらせようと話し始めた。


「あなたは、ここら辺に住んでいる方?」


「ええ。まあ一応」


「なら、この森に入った、二人の研究者と三人の賞金稼ぎについて何か知りませんか?」


「知らないですが……どうされたんです?」


 青年は、何かを燃やしながら憲兵隊に振り向いた。憲兵隊は彼の腕を見ながら話を始めた。


「いや……最近森に入った人物が六人、いるんです。しかし、そのうち五人が音信不通で」


「おやおや、迷子ですか?」


「……まあ、そうなるでしょうね」


「うーん……見たことはないですけど、一応特徴だけお伺いしてもいいでしょうか?」


 憲兵隊は頷いて、青年の腕にあった黒い刻印から目をそらした。


「ええ。研究者の二人は、片方が橙色の髪をした女性、もう片方が中年の男です。二人とも白衣を着ているはずです。賞金稼ぎのほうは、一人が恰幅のいい男、一人が女装した男、そしてもう一人が忍者の格好をして、なぜか藁人形と五寸釘を持っていたらしいです。あなたが今焼こうとしている、その藁人形と同じように」


 青年は藁人形を火の中に入れて、仮面の下で笑った。


「へえ、そうですか。ずいぶん目立ちそうな方ですが……どうしたんでしょうね。もしかして竜にでもなって森をさまよっているんじゃないですか? 山賊と一緒に」


「あはは。本当にそうなら探し様がありませんね」


 本当ですね、と青年は言った。憲兵隊は彼の奇妙な行動を気にしていたが、関わりたくないのか、森へと視線を向けた。


「もし何か分かれば情報をください。えっと、あなたは……?」


「ウァレ・フォール・エルタニルです。ここの教会に住んでいるんですよ」


 青年は教会を指さしながら言った。憲兵隊は訝しげな視線を向けたが、首を振ると考えるのをやめた。


 青年は白衣のような白い布を火の中に入れると、憲兵隊に向かって話し始めた。


「気をつけてくださいね、憲兵さん。ここの近くには竜が出ると噂されていますから。そして、竜を見ると誰も帰ってこれなくなるらしいですから」


「へえ。それは恐ろしい。ちょうど今、あの教会から出てきた、飛んでいるトカゲみたいなものですか?」


「……」


 青年は答えず、手を止めた。

 彼の代わりに応えたのは、緑髪の美しい少女だった。


「あーりゃりゃ。見つかっちゃった!」






 翌日、一人の憲兵隊が姿を消したという噂が、街に流れた。


 朝食の買い出しに出ていた青年は、困ったように頭を掻いた。黒い刻印はそこにはもうない。彼はその噂を聞いて教会に帰ると、昨日からやっていた作業を再開させた。


 火の中には、かつて人間だった者の服が燃えていた。そして、車イスの少女は火にあたりながら


「あー、あったかい」


 と言った。



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