表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/13

[      episode]   の竜――        ――

              ✝1✝


 そこはある孤児院だった。


 森の中に、人の視線から隠れるようにして建てられた孤児院。保護されている孤児自体は多くはなかったものの、運営に差し支えはないようだ。


 外装は森林を思わせる木造で、日当たりが良くなるように、大きな窓がたくさんついていた。敷地の中に竹が群生し、涼しさのある和風な作りになっていた。


 中に入ると、太陽の光が心地よかった。木造なので香りもいい。


 しかし、慣れてしまった。


 俺は生まれてからずっとこの名のない孤児院に引き取られている。


 里親が見つからないのだ。不思議なことに、この孤児院に入った孤児たちは、みんな里親を見つけることが出来なかった。


 だが、引き取られないからといって、教養を欠かすわけにはいかない。


 孤児院の中にはいくつか施設があり、そこで俺たち孤児は小学校から中学校レベルの授業を受けることになっていた。その後の進路は、自分たちで決めることが出来たが、大体が軍隊に連れて行かれる。


 俺はあと一か月ほどで、長い間世話になった孤児院から出て行かなければならなかった。


 そして、俺の進路はまだ決まっていない――。






 その日は嵐だった。


 施設が揺れていた。建物を揺らすほどの強い雨や風が続いていたのだ。これまで体験したことのないほど大規模の嵐だった。


「兄ちゃん……怖いよ」


「おにぃちゃぁぁぁん! うえぇぇえん!」


「大丈夫。すぐにやむだろ、このくらい」


 俺は小学生ほどの子どもたちが怖がっているのを必死で宥めていた。怖いのはこっちだって同じだよ。


 これだけの嵐を平然と受け止められている年長者、大人はいなかった。だが、小さな子どもたちに不安を悟られるわけにはいかず、意地でも大丈夫、と言い続けることしかできなかった。


「兄ちゃん嘘ついたァァぁぁ! 私、すぐわかるもぉおん!」


「え!? 俺ってそんなにわかりやすいか!?」


 俺の周りに集まっていた子どもたちは一同に頷いた。


「実は兄ちゃんだって怖がってる」


「ぐっ……」


 俺は嘘が苦手だ。嘘をついても顔に出てしまうらしい。


 この顔を隠せたなら、この子たちにも気づかれないだろう。しかし、顔を隠す方法を俺は持ち合わせていなかった。


 数年前に行った、ある街の祭りでお面が売ってあったのを見たが、それを着けていれば、ばれなかったのかもしれない。


 今更ながら俺はそう思いつつ、泣き叫ぶ子どもたちの頭をなでた。そうだ。俺だって年長なんだ。この子たちを不安にさせてどうする。


「大丈夫だよ、兄ちゃん。怖くない怖くない」


「お、おう……」


 先手を取られた。


 俺は苦笑しながら窓の外を見た。


 鋭く矢のように飛んできた雨が、窓を揺らした。念のため対台風用のシャッターを下ろしていたが、それも風で飛んでいきそうだ。


 早く雨が過ぎ去るのを願いながら、俺たちはひたすら待った。




 数時間後、少しだけ嵐が落ち着いてきたので、俺はお茶を淹れることにした。泣き叫んでいた子どもたちは疲れてしまっていたらしく、すぐに眠ってしまった。


 起きているのは子どもたちを見守る大人か、もうすぐこの孤児院を離れなければならない年長者だけだった。


 俺は得意だったホットケーキにブルーベリーのジャムを乗せて、厨房から出た。


 外は暗い。もう深夜だった。それでも雨は眠ることを知らず、親の仇のように振り続けていた。落ち着いてきたとはいえ、いまだ風も強い。


 この嵐の中では、さしもの大人でも眠ることが出来ないでいた。こういう時、疲れに純粋な子どもたちはすぐに眠ることが出来るのでうらやましかった。


 俺は『休憩所』と書かれたプレートが掲げられている部屋に入ると、ぐったりと疲れた様子を見せる大人や年長者の前にホットケーキを置いた。


「ありがと。君も休みなー」


「はい。そうすることにします」


 俺は開いていた席に腰を落ち着かせると、自分で焼いたホットケーキを手に取った。他の面々も、ホットケーキを口に入れては柔らかく笑った。疲れた後の甘いものはやはりうまい。


 ホットケーキを食べながら、俺たちは話をした。


「今日の天気、どう見てもおかしいよなぁ……」


 俺の向かいに座る、同年代の青年が言った。俺は彼に頷いて返した。


「そうだな。なんだか作られた天気っていう感じがする。意味はよく分からないけど……」


「作られた天気、か……」


「あはは。面白いそれ。誰が作ったっていうのさ」


 隣に座った少女が笑った。


「それに、誰かが作ったとしてもあまり意味のないことでしょう? ま、年長者のくせに一人がくがく子どもたちに交じって震えていたあなたには、そうやって現実逃避するのがいいかもね」


「おい、お前だって手、震えてるじゃねえか」


「ふ、震えてなんかないもん! ただの武者震い!」


 とっさに手を抑える少女。武者震いって、嵐に対してか? 嵐と対抗するつもりならやめたほうがいいぞ。それだけは確かだ。


 そう助言しようとしたとき、窓の外が一際強く光った。


「ぴぇゃああぁぁぁぁああぁぁっっ!! 雷怖いよぉぉぉぉぉぉっっ!!」


「一番怖がってるのお前じゃねえか! 人のこと言えないだろ!?」


 雷に驚く以前に、そこまで怖がるお前に驚いたわ! 


 椅子の上で膝を掲げて、少女はがくがく震えていた。普段は気丈に振舞っているため、箍が外れたときの反動は大きく、そのギャップがかわいらしい。


「大丈夫だから。この嵐だって、すぐに過ぎ去るよ」


 俺は少女にそう言って、宥めた……だが、その後も嵐は過ぎ去らなかった。


 いつの間にか、半月が経っていた。それでも勢力の衰えない嵐が、まるで孤児院の上空に留まっているかのように感じて、怖がっていた子どもたちも次第に嵐に対して怒りをあらわにしていた。腰が引けていたけれど。


 孤児院の外へ買い出しにもなかなか行けず、子どもたちもいつ割れるか分からないガラスの窓から離れて震えていた。


 大人たちも、無責任に大丈夫と言い続けるしかなかったが、そのたびに「いつまで我慢すればいいの?」と聞かれて困惑していた。


 当然だ。


 俺たちが天気を操っているわけではないのだし、天気だって操ろうと思って操れるわけではないのだから。


 嵐は収まらない――そう、みんなが思い始めたときのことだった。







 天上から閃光が瞬き、雲を割って激しい雷光が孤児院の庭の地面を深く穿った!


「うわぁっ!?」


 俺は情けない声をあげて思わず尻餅をついた。しかし、それも仕方ないことだと思ってほしい。だって、目の前にそれが落ちてきたのだから。


「な、なんだよこれ……」


 俺は緩慢に立ち上がると、雷の落ちた場所から後ずさりして空の様子をうかがった。雷はまるで俺を狙ったようにも感じたが、当たらなかったのは幸いだった。


 地面を三メートルほど穿った雷に当たるなんて……想像しただけで背筋が凍るだろ?


 穿たれた地面からは黒煙が漂っていた。その黒煙が、孤児院全体を包み込むほどに大きく広がって行った。これほどの規模の黒煙が舞うなんて……雷が落ちるとこうなるのだろうか?


 俺は訝しみながらも穿たれた地面から背を向けた。


「待って」


 しかし、俺は聞き覚えのない声に呼び止められた。


 振り返ると、穿たれた地面の中に、何と少女が立っているではないか!


 驚愕しながら、俺は振り返ると動けなくなる。金縛りに罹ったというわけではないが、身体がそこから動くことを拒否しているかのように、ただただ動けずにいた。


 少女は立ち上がる。その恰好は見たことがない服装だった。どこかの国の物だろうか。


 唯一分かるのは、へそが見えるほど大きく開かれた服の胸元に、白銀の十字架が輝いていることだけだった。それは端正に造られた代物で、高価そうなものだった。


 絹繊維のような金色の髪をした少女は、俺のことを見下しているかのように無表情に見ていた。しかし、身長からして小学生くらいのその少女に、俺はなぜか歯向かえなかった。


 少女は小さな唇を動かす。


「ここはどこ? あんたはだれ?」


「こ、ここはどこって……」


 実は、俺自身にも場所が分かっていなかった。孤児院ということは分かるが、この孤児院には名前がない。その上、近くに家もないのだ。森に囲まれていて、人気もない……それ以外に分かることはないのがこの孤児院だった。


 俺が困っていると、少女は眉をひそめさせた。


「分からんのに、こんなとこにおるんか? ふん。これじゃけん人間は……」


「人間はって……関係ないよね。それに分かってないのは君もだろう?」


「……まあ、そうじゃけど」


 少女は拗ねたように頬を膨らませて視線を落とした。


 俺はこの少女の扱いについて困った。


 とりあえず雨の中にい続けるのはよくない。俺は少女を孤児院の中へ招いた。


 少女にタオルを渡すと、厨房へ向かった。薬缶に水を入れると、ガスコンロのスイッチを入れる。水が温まるまでの間、食器棚から取り出したコップに粉末状のココアを入れる。


 薬缶の水が沸騰すると、コップの中にお湯を入れ、ココアを作った。それを持つと、孤児院の玄関でタオルで顔や頭を拭いていた少女に渡した。


「ありがと……」


 小さな声で礼を言うと、彼女は玄関に腰を下ろした。俺もその隣に座る。


「――で、君は一体何者?」


「唐突じゃな……」


 呆れたように肩をすくませて、少女はココアを飲んだ。


「……別に私は何者でもない。何かになるつもりもないし、あんたはそれを知らんでもええ。というより、知らんほうがええんじゃろうな」


「知らないほうがいい?」


「それより、あんたはここに一人でおるんか?」


「いや。ここは孤児院だからほかにも……」


 そこで、俺は気づいた。


 いつもなら雷に驚いて泣きじゃくる子どもたちの声が、一切聞こえなかったのだ。それだけでなく、人の気配も一切ない。


 俺は立ち上がり、廊下の様子をうかがった。


 目の前の光景に、俺は夢でも見ているのかと思った。


「なんだよこれ……なんで、こんなところに木が!?」


 木が、まるでジャングルのように廊下を覆い尽くしていた。


              ✝2✝


 何が起きたのかは分からなかったが、そのままじっとしているわけにもいかなかった。


 俺は少女を一人残して廊下を進もうとした。が、俺の制止を無視して少女はついてきた。


「あんたに、私の行く先をどうこう言われる覚えはないわ」


「確かにそうだけど……でも何があるか分からないだろ? だから――」


「うるさい! ええけん早う行け!」


 少女の慟哭に驚きつつ、俺はしぶしぶ彼女を連れていくことにした。


 廊下は進むほどに妙なことになっていた。


 ジャングルだったのは最初の方だけで、曲がり角を曲がるたびに廊下は様子を変えていった。


 ジャングルの次は海、その次は滝、そのまた次は崖……といったふうに、まるで世界の景色をこの孤児院に集めているかのように思えた。


 廊下から見た部屋の一つ一つにも、おかしなところがあった。


 廊下の様子と同じ光景が広がっていたのだが、その規模は廊下よりもけた違いだった。部屋の一つ一つが、世界の一部を切り離して繋げているようだった。


 しかし、そんな奇妙極まりない空間になってしまった孤児院に、人の姿はない。


 俺と隣を歩く少女以外には誰一人として人の姿は見えなかった。


 廊下を進むほどに、外の雷雨の音は聞こえなくなった。廊下を歩くことで世界が変わったのだろうか。


「……誰がこんなことやったんだよ」


「それもあんたが知らんでええことじゃ」


「え……き、君は誰がこれをしたのか知っているのか!?」


 少女は答えなかった。


 それすらも知らなくていいってことか……。


 俺は彼女を訝しみながら、廊下を進んでいった。


 やがて、俺たちは美術館を切り離したかのような廊下にたどり着いた。


 壁や天井、床に至るまで絵画が掛けられた廊下だった。足を踏み出すこともはばかられる中、少女はふんっと鼻で笑って堂々と絵画を踏みながら先へ進んだ。俺は高級そうな絵画を踏む勇気はなく、慎重になって彼女の後を追った。


「こんなものは偽物(にせもん)じゃ」


 少女は立ち止まると、俺に振り返って言った。歩くのが遅いと呆れられているのだろう。


「でも、人情が……」


「それも嘘。自分の中に勝手に作っとるだけの偽りの情じゃ」


「……考え方が悲しいな」


「うっさい」


 少女が俺を睨み付ける。だんだん、少女とも打ち明けてきたような気がして、俺は少しうれしかった。威圧感のようなものも、今はなかった。


――ガタッ


「っ! 誰かいるのか!?」


 俺は音のした背後へばっと振り返った。


 今は誰でもいいから、ここにいるのが俺たちだけでないことの証拠が欲しかった。誰でもいい。誰でもいいから無事でいてくれ!


 しかし、俺の期待は裏切られた。


「逃げるんじゃ!」


 同じく背後へ振り返っていた少女は俺の服の袖を引っ張ると、廊下を走り出した。


 俺は背後をできるだけ見ないように、恐怖で竦む足に力を込めて走り始めた。


「キァ―――――――ッッ!」


 俺の背後で、それは叫ぶように啼いた。


 それは竜。


 背後の絵画からぬっと出てきた竜の顔が、俺たちに向かって炎を吐き出した!


「うわぁっ!?」


「背後に気をとられたらいけん! あんな奴、ただ作られとるだけじゃけ!!」


「つ、作られてる!? あんなにリアルなのにか!?」


「そうじゃ! ただし、作ったのは人間じゃないってだけ! とにかく走るんじゃ!!」


 もう一度迫ってきた炎を避けると、俺は少女を腕に抱えて走った。少女を抱えて走ったほうが早いと思ったのだ。


「きゃっ!? な、なにしょうるんじゃ!!」


「このほうが早いだろ! 今は非常事態だ……許してくれ!」


 必死で走りながら、俺は叫ぶ。ぎゃーぎゃ叫んでいた少女はぐっと息を詰まらせると、静かになった。その赤い瞳が、背後を眺めていた。


 おもむろに少女は首から提げていた十字架をつかんだ。その瞬間、十字架が白銀の光を放った。


 そのまま、少女は聞き取れないほど小さな声で言葉を連ねる。


「――【炎翔(Curse)】!!」


 最後の文を読み終えると同時、背後から悲鳴に似た声が上がったのが分かった。それでも振り返らなかった俺は、少女の瞳が一際赤く光っていることに気が付いた。


「……本当に君は何者なんだよ?」


「知らんでええ。知らんほうがええ」


 少女はそう言うと、もういいと俺の腕から下りた。さっきまでの出来事がまるでなかったことかのように歩き始めた少女を追って、俺は再び歩き始めた。






 施設はそこまで広くなかったはずだ。


 入っている子どもの数が少ないのだから、それも当然のこと。


 だが、今歩いている孤児院の廊下は、俺が知っている広さではなかった。


 どこまでも続く廊下。延々と広がった世界を映した部屋。そして、今までなかったはずの階段……果たして、俺はどんな奇怪な空間に迷い込んでしまったのだろうか。


 少女は慣れているかのように平然としていた。今となっては、恐怖の対象だったあの嵐の音が懐かしい。


 俺たちは廊下中に時計を掛けた場所を進んでいた。カチカチとせわしなく動く針が、耳に障って痛くなる。


 時計の廊下を進むほどに、時計の形も変わっていった。アナログの時計は次第になくなりデジタル時計となり、その向こうには今まで見たことのないような時計が掲げられ始めた。この廊下は時間の推移を表しているのだろう。


 先へ進むほどに明るくなっていくが、同時に黒い霧が立ち込めていった。触ることをはばかられるが、またしても少女はずかずかと先へ進んだ。その堂々とした態度が頼もしくて、俺はつい笑ってしまう。


 時計の廊下はやがて終わると――最後には時計自体がなくなっていた――今度は鏡張りの廊下にたどり着いた。


 自分を映すはずの鏡は、しかしその前に立ってみるとまるで違っていた。


 最初に映ったのは小さな子どもだった。無邪気に笑う子どもは、先へ進むほどにその表情をなくしていった。大きくなった子どもは自分の顔を写した仮面をつけはじめ、表では笑い、裏では悲しむようになった。


 誰も彼の心を見ることが出来ないでいた。だから彼の心を解かすことはできない。


 鎖に縛り付けられた子どもは、涙を流すこともなく、ただ現状を不思議そうに見ているだけだった。虚空を見続ける赤黒い瞳が、俺の視線とぶつかったとき――


「……やめてくれ」


 俺は視線を逸らした。だが、廊下一面を覆う鏡は、どこへ視線を移しても彼の姿を映し続けた。


 目をふさごうかと思った。だが、それでは先へ進めない。


 早くこの空間から逃げ出したくて、俺は隣を歩いていた少女を見た。


「いやああああああっぁああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」


 顔を真っ青にした少女が、泣き叫ぶ。 

 

 ついに立っていられなくなった少女は虚ろな瞳をして地面へ座り込んでしまった。


「だ、大丈夫か!?」


「いや……やめて……あ……ああぁ……わが主よ……あぁ……いやだ……いやだ……っ!!」


「……」


 少女は、一体何を見たのだろうか。この……。


「……」


 自分の運命を写す鏡を見て――。


「とりあえず、先に進もう。立てるか?」


 しかし今の彼女が立てるわけがなかった。


 俺は、震える少女を抱えて歩き始める。


 自分の過去なんて、これ以上見たくなかった。そしてこの先の未来も……。






「……ごめん。もう大丈夫だから」


 まだ顔が青い少女を床に下ろすと、二人で並んで歩いた。俺は少女と手を繋いで歩くことにした。少女は何も言わなかった。二人とも手が震えていた。俺は強がって、少女の手を強く握った。


 過去を映す鏡の廊下の先は、街の風景を切り離したような廊下になっていた。当然、そこに人はいない。


「……本当に変なとこだな」


「何言うとるんじゃ。あんたが住んどった施設じゃろう?」


「俺はこんな変な街になんて住んでいた覚えはないよ」


 石造りの街。遠くに一つの高い塔がそびえ、それを中心に背の高い建物が配置されている。そこらの広場には屋台があり、人がいれば、きっと賑やかなのだろう。


 だが、俺はこんな街を見たことはなかった。いや、存在していないと考えたほうがいいだろう。


 この世界にない街を細部まで再現している……本当に、孤児院に何があったのだろうか――。


 俺たちはまっすぐ進んでいた。だが、風景は次第に変わっていき、気が付けば辺りは路地裏になっていた。


 太陽の光が一切当たらない、じめじめした場所だった。道の両脇にはごみや木箱が置かれており、上を見れば電線が何本も交差していた。


「なんでこんなに風景がバラバラになるんだろうな」


「適当に作っとるとしか思えんな。それか、たまたまできた空間……初めて見たけど、竜はそこまで適当なんじゃろうか……?」


「竜?」


「……」


「それも俺が知るべきじゃないってことか?」


「……うん。関係のない人間が、あまり私に関わらんほうがええ。この件に関しても、終わったら全部忘れたほうが身のためじゃ」


「忘れるのは無理そうだな」


 これだけ妙なことが起きて、そうそう忘れられるわけがない。


 だが、少女の目は本気だった。


「……巻き込んでごめん」


 真摯な瞳で、少女は深く頭を下げる。


「? なんで謝るんだよ。それに、別に君のせいでこれが起きているわけじゃないだろう?」


 急に謝ってきた少女を訝しみながら、俺は訊く。少女は視線を地面に向けて立ち止まった。胸元で輝く十字架を握りしめながら、困ったように話し始める。


「そうじゃけど……でも、私が……私たちのせいなの。私が起こしたわけじゃないけれど……それでも謝りたいんじゃ。ごめん……」


「……」


 悲しそうな表情をする少女……俺は彼女に何も言ってあげられなかった。


 俺は彼女のことを知らないから。


 彼女のことを知った風に、彼女の謝罪を否定することなんてできなかった。でも、一つだけ確かなことはある……今の状況は、決して彼女のせいではない。


 根拠はないけれど……だから慰めの一つも言うことが出来ないのだけれど……きっと彼女のせいではない。原因は他にあるはずなんだ。


「……たとえ君のせいだったとしても、この先へ行かないと何も始まらないよ。とにかく行こう。現状は変えられないんだから、謝る必要もないさ」


 この先に進めば、その原因も分かるかもしれない。


 その原因を見つけ出して、彼女のせいではないことを証明してみせるのだ。


 そして……できることなら、彼女を悲しませたくなかった。


 何か力になれることがあるのだとすれば、俺は彼女に寄り添いたい。彼女を救ってあげたい。


 俺は少しだけ歩くスピードを上げた。彼女を悲しませた原因を見つけ出して……必ず謝らせる。そして、君のせいじゃないって言ってあげるんだ!


「あ、ちょ、ちょっと待って!」


 俺はぐいっと袖を引っ張られ、彼女に振り返った。少女は背後を指さすと、


「ね、ね、猫さんだぁぁぁぁああぁっ!!」


 幸喜の声をあげて、いつの間にかついてきていた黒猫を抱きしめた。……猫、好きなんだな……。


「にゃ、にゃはは~……っは!?」


 がばっと少女は猫を抱えて顔を上げると、顔を真っ赤に染め上げた。


「ち、違うけん! 私は別に……別に……」


「ま、確かに猫は可愛いよね」


 俺は少女の抱きかかえた黒猫に手を伸ばした。が、猫は触られるのを嫌がるようにふーっと唸った。な、なんだこいつ……ロリコンか?


 少女はそれに気づくことなく、猫を抱きしめて幸せそうな表情をしていた。さっきまでのことをすっかり忘れている様子で、少し安心した。


 同時に疑問に思った。


「……なんで猫がこんなところに?」


 少女の腕の中でゴロゴロ喉を鳴らす黒猫。よく見ると、その瞳の色は金と青色で、左右違っていた。オッドアイというやつだろう。


 少女になでられた黒猫は満足したのか、少女の腕の中から下りると、俺たちの先へ立った。一度振り返ると、ふっと鼻で笑い、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。


「ついて来いってことか……?」


 少女と顔を見合わせると、黒猫の後を追って歩き始めた。


          ✝3✝


 廊下は様々な景色を映し出しながら変わっていった。


 街は廃れていき、瓦礫の山と化した。そこに草木が生え、森が形成される。森にはたくさんの生き物がいた跡が残り、人間の兵器の残骸を住処として使う生き物が木の実を集めていた。


 森はやがて朽ち落ち、焼き払われた。天に向かっていくつもの塔が建てられてはすぐに崩落した。地面が割れると、そこから溶岩が流れ出し、地面は隆起して火山を作り出す。


 絶え間なく火を噴き上げる火山は、やがて大人しくなり、新たな生命を作り出した。地面に草木が芽生え、空から雨が降り落ちては川を作っていった。


 その川はすぐに干上がり、砂漠が出来た。砂漠は視界の限り広がり、その端まで来ると谷が現れた。その下は暗くて見えなかった。


 谷は瀑布となっていくつもの滝を作り出した。滝の周りには洞窟が現れ、黒猫はその中の一つに入って行った。


 洞窟の中は暗い。黒猫がこんなところに何の用があってきたのかは俺には分からない。しかし、この黒猫について行けば何か分かるような気がしたのだ。


 洞窟はずっと奥まで続き、その終わりは少し広まった部屋になっていた。


 黒猫は立ち止まると、視線を上にあげた。


 そこに掲げられた一枚の絵には、一体の竜が描かれていた。翼を大きく広げた、猛々しい竜が、人間の兵器に向かって黒い霧を吐いていた。


「なんだ……ここは……」


『これは、いつか人間が陥る世界――それを写した絵……』


 頭上から、威圧感のある声が響き、俺は身を強張らせた。


 ゆっくりと視線を上げると、俺はその正体を見つけた。


 竜だ。


 猛々しく神々しい……神のような竜。だが、全身黒色なので、よく見えなかった。見えないのだが……その竜の威圧感を肌身で感じた。


 俺は身体を震わせながら、それを見上げた。俺の隣に立つ少女もやや緊張気味に身体を強張らせていた。


『……そこまで怯えないで、大丈夫。この絵は、未来のことだから。いつかの未来……人間がたどる道……それは、あなたたちが生きてる間には起こらない。だから怯えなくて大丈夫。だけど、これを起こすのは今のあなたたち。いつかの未来で起こることは、全てあなたたちのせい。だけれどそれは、今は関係ない。今はおバカな竜たちが作り出した、この空間をどうにかしましょう』


「作り出した空間って……」


 孤児院の、ここまで歩いてきた奇妙な光景。


 そのすべてが、いるはずのない竜のせいだというのか?


 だが、俺はそれを否定できなかった。


 事実、いるはずのない竜が俺の目の前にいたのだから。


 少女はもしかするとそれを知っていたのかもしれない。だから、俺を混乱させないように『忘れろ』と言い続けたのかもしれない。


 少女は十字架を握って額に汗を流しながら竜に訊いた。


「この空間は、あんたが作ったものじゃないの? ……あんたたちが持ってる【呪い】なら、これくらいのことはすぐにできそうじゃけど?」


『違います。これを作ったのは、二体のおバカな竜。喧嘩ばかりで、ほかの生物に迷惑をかけていることを自覚しない、バカな竜たち。彼女たちの名前は、いつか知ることになるでしょう。だからここでは言いません。ですが、注意はしてください。彼女たちに会うと、あなたたちは面倒なことに巻き込まれます。特に、緑色のお調子者の竜には……』


 そして、桜色の竜にも、と目の前の竜は付け加えてこほんと咳払いをした。


『さて、少々雑談に興じるのもいいですが、今は時間がありません。早く二体の竜を止めなければ、困ったことになる。だからあなたたちを招いたのです。……天から落ちてきた、竜と人間を繋ぐ者――【猫ノ狐】と、その傍らで彼女を支えるあなたに……』


 目の前の竜はそういうと、口から金色の霧を発生させた。それは俺たちを取り囲んで、ある風景を見させた。


 それは、孤児院の外――雷雨の降りしきる空の様子だった。そこに二体の竜が黒い霧をぶつけあっている。


 片方は緑色の、美しい巨大な竜。


 片方は桜色の、偉大で巨大な竜。


 二体はぶつかり合って、そのたびに雷雨を発生させていた。


 そうか。これまで降り続いていた雷雨は、全てその二体の作り出したもののせいなのか……。


『彼女たちを止めてください』


 元の洞窟の風景に戻ると、黒い竜は言った。


『でなければ、世界の破滅の時が近づきます』


「世界の破滅……?」


「人間は知らんでええことじゃ」


 少女は、まるで竜が言っていることが分かるかのように言った。この中で状況を理解していないのは俺だけなのか……。


 少女は竜を見やると、両手で十字架を握りしめた。


「……で、私たちは何をすればええんじゃ?」


『簡単なこと。二人に【呪い】を託します。それは、世界の危機を少し回避させる程度の小さな【呪い】』


「人間に竜の【呪い】を使わせる気なんか!?」


 声を荒げると、少女は困惑したように俺を見た。


 すると、竜はもう一度金色の霧を発生させて、少女に向けた。外からでは少女が何を見ているのかは分からない、だが、少女は目を見開くと、胸を押さえて後ずさった。


 やがて、か細い声が「分かった」と言うのを聞いた。


『ごめんなさい。あなたには辛いものを見せました。しかし、これは必要なこと。あなたたち二人の試練。だから……どうか二人を止めてください!』


 竜はそういうと、口から赤黒い霧を発生させて俺たちを取り囲んだ。


 俺が困惑していると、その手を少女が握った。少女は赤い目を必死に向けてきた。俺は彼女の手を握り返すと、その赤黒い霧に飲み込まれた。


『さあ! あなたたちの物語はこれで終わり! 終わらなければならなくなった!』


 竜は慟哭するように翼を大きく広げて告げる。


『あなたたちは二人を止め、世界を歪ませる! 分岐された世界に道を譲り、あなたたち二人はいなくなるのです! これはすべて――世界を救うために!!』


 竜がそう告げた次の瞬間――。


 俺は意識を失う。


『――そして、あなたたちは世界を歪ませる』


              ✝4✝


 目を覚ますと、昨日降っていた雨が止んでいた。


 俺の前にあの不思議な少女もおらず、夢なのかと思った。だが、あんなリアルな夢があるだろうか?


 俺は眠っていたベッドから身体を起こすと、隣で眠る少女に目をやった。


 狐の耳をつけた、巫女装束の少女は微笑むようにして眠っている。その首に提げられた十字架が窓からの陽光を反射して白銀に輝いていた。


 ……もし、俺がこの少女に出会わなかったら。


 俺はそんな想像をして、ふっと笑った。絶対にありえない。


 少女の髪をなでると、これでよかったのだと心から感じた。


「……ん」


「起きたか?」


「んん……ウァレ……おはよ」


 少女は眠気眼をこすりながら半身を起こした。その赤い瞳が俺の姿をとらえると、おもむろに手を握ってきた。


「……嫌な夢見た」


「嫌な夢?」


 少女は頷き、物憂げに視線を下へ向けた。言おうか言わまいか暫し迷い、やがて手を握る力を強くすると、


「――ウァレがおらんようになる夢」


「俺がいなくなる?」


「うん。ウァレが孤児院にいて……嫌な過去を見て……竜にそそのかされて――おらんようになる夢……絶対、そんなことありえんよな?」


 少女は心配そうな表情でこちらを見上げた。


 俺は驚き、そして狐面の下で頬を緩ませた。


「大丈夫。俺はお前とずっと一緒にいるから」


「……うん。私も、ウァレとずっと一緒にいる」


 少女は安心したように笑い、小軀を俺に預けた。俺は彼女の肩を抱き、窓の外を眺めた。


 外には雲一つない晴天が広がっていた。


 空に、一体の黒竜が舞う。


 この街は、ある意味、竜に呪われているのかもしれない――。


 そんな気がして、俺はふっと笑った。



――コンコン



 今日も教会の扉がノックされ、竜と人間との問題(めんどうごと)が持ち込まれてくる――。



「もう! 今ブルーベリーのパンケーキ食べとったのにぃぃッ!!」



 今回の物語で、『竜窟の街』は完結します。ありがとうございました。


 次作『ゴッドキル・ザ・メサイア ~カミゴロシの救世主~』、完結作『世界樹なんか倒せるかぁぁぁぁぁぁ!?』もよろしくお願いいたします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ