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[Tenth episode] 機心の竜――One;S――

             ✝0✝

 

 窯から出したアップルパイを皿に置くと、甘い香りが部屋中に漂った。


 白い部屋。ホルマリンの香りが漂う、暗い部屋だった。机といすが北向きに置かれ、それを囲むようにして、ガラスの筒が立っていた。その中にはいくつもの人間の臓器が入っている。


 机に置かれたパソコンの前には、男が一人座ってキーボードをたたいていた。机の向こうにはガラスの壁があり、そのさらに向こう側にはもう一つ部屋があった。


 その部屋は機械で埋め尽くされている。白い筐体から黒いケーブルがあちこちに這い巡らされており、その中心には部屋を埋め尽くすほどに大きな何かが凄然と立っていた。


 それは緑の瞳を持つ、鋼色の竜――人工的に作られた、命のない生物だった。


 男はそれを見上げてふっと笑う。あと少しで完成だった。その喜びをかみしめるように、男は切り分けられたアップルパイにかじりついた。


 彼の後ろでは、無表情な少女が機械竜を見上げていた。後ろを振り向くと、ホルマリンで浸されたガラスの筒に、トカゲのような生物が入っているのが分かる。そのトカゲの頭には緑の光が点滅するケーブルが繋がれていた。


 少女は何も思わない。しかし、心の奥底で、何かが疼いているのを感じていた。それがなんなのかを、彼女は知らなかった。


 彼女とて、造られた物だったから――。


             ✝1✝


 狐面をつけた青年は、手紙を読み返してため息を吐いた。


「……また面倒事かな……」


 差出人は不明。しかし、筆跡の癖を見る限り、彼の頭に思い浮かんだのは、一人の緑髪の少女だけだった。いや、少女と言っていいのかすら分からないが。


「ま、面倒ごとじゃろ」


 彼の前で、車イスの少女が腕を組んで言った。


「あいつが面倒事以外をここへ持ってくるとは思えんし、それ以外の用事があったとしても、面倒には変わりないじゃろ」


「ま、そういえばそうだな。どっちに転んでも面倒には変わりないか……。あいつが関わっている=面倒事だからな」


 青年は納得したように頷いて、これから起こるであろう面倒事に覚悟を決めようと瞑目した。だが、差出人に出会ってからの面倒事の数々を思い出すと、どうにも覚悟は決まりそうになかった。


 それでも彼らに拒否権はなく、どれだけ面倒だとわめいたとしても、結局はその渦中に飛び込まざるを得なかった。


 青年は立ち上がり、車イスの少女の背後へ回った。車イスのブレーキを外すと、自分たちの住んでいた廃教会から外へ出て行った。


 しばらく歩くと、街が見えてきた。差出人との待ち合わせの場所は、その街の中心にある噴水の前だった。青年たちはその噴水のところまで歩いて行った。その間、街の人たちは青年たちを奇異の目で見ていた。


 それもそうだろう。彼らの恰好は実に妙なものだった。


 青年の狐面は右上以外を多い、唯一見える右目は赤黒かった。背が高いにも関わらず、来ていたローブをひこずり、端々がボロボロになってしまっていた。彼はその不審者とも呼べる恰好をして、車イスの少女連れていたのだ。


 そして、その車イスの少女とて妙な恰好だった。目深にかぶった白いベレーは少し盛り上がって、ぴくぴくと動いている。彼女が着ているのは東方の神事服である巫女装束で、へそが見えるほど大きく開かれていた。短いスカートの後ろ側は少し盛り上がっている。首からは白銀に輝く十字架を提げていた。


 いや、それはもう十字架と呼べないほどに劣化してしまっていた。


 いうなればト字架だろうか。


 彼らは噴水までやってくると、青年は辺りを見回した。行きかう人の中に、目的の人物はいない。このままあいつがこなればいいのに、と思っていた矢先、青年の目に緑の髪の少女が映った。


 緑髪の少女も青年たちを見つけると笑顔になり、大きく手を振ってかけてきた。恥ずかしい行為に顔を伏せた青年に、少女は奇声ともとれる大声で言った。


「おにぃちゃ――――――んっ!」


「誰が!? ――ぐほっ!」


 緑髪の少女は青年の胸に飛び込んできた。その衝撃に耐えられず、青年は後ろ向きに倒れてしまう。


 藍色のコートを着た小柄な少女だった。緑の髪の上には、飾り物とは思えない、シカのような角が生えていた。耳は少しとがり、彼女は人間とは思えなかった。事実、彼女は人間ではなかったが。


「会いたかったですよ、おにいちゃん!」


「俺がいつからきみのお兄ちゃんになったんだ、カドゥラス。勝手に俺の家族を増やさないでくれ」


「うふふ~。そんなに照れてぇ、ウァレったらもう! ほんとはうれしいんでしょ? ほら、お姉さんに本当のこと言ってみてくださいよ、ほらほら~!」


「いつも以上にウザい……」


 青年……ウァレは少女――カドゥラスの行為にがっかりしてうなだれた。その時、彼を見下していた車イスの少女が、車イスで彼の手を轢いた。


「ぎゃああっ!?」


「ふん。ずいぶん仲よーなったんじゃな。私の知らん間に、結構なもんじゃな!」


「うふふ~。エミルカ嫉妬してる? ボクとウァレが仲よくしてるのが、そんなに嫌なことなの~! エミルカ、超かわいい!」


「嫉妬じゃないわ! こんなやつ、どっかで勝手に女となかようしときゃええんじゃ! 私なんかと一緒じゃなく、勝手に、女に飢えて死んどきゃええんじゃ!」


「お前は何が言いたいんだよ。それに、俺がお前以外のところに行くわけないだろうが、バカ」


 ウァレは半身を起こすと、腕を伸ばして車イスの少女――エミルカの頭をなでた。怒ったような表情をしたエミルカだったが、それがただの照れ隠しだということを知っていたウァレは、狐面の下で笑った。


「むぅ……エミルカにはそんなに優しくて、どうしてボクにはやってくれないのかな! ボクだってウァレに頭をなでられたいよう!」


「うるさい、カドゥラス。で、今日は何の用事?」


「ああ! そうでしたね!」


 ここに呼び出したのは彼女だったはずだが、なぜ忘れているのだろうか。ウァレはいきなり不安になって、こめかみをもんだ。


「もぅ。そんなに心配しなくとも大丈夫ですよ! なんたって、ボクが頼んでいるんだからね!」


「心配要素以外、何も見えんのんじゃけどな……まあええわ。さっさとおわらせば、あんたともそう長いこと一緒にならんですむじゃろうけん」


「ええ!? それだと、まるでボクと一緒にいたくないって言っているみたいじゃない! エミルカ酷い! 信じてたのに! ボクたちの友情は、そんなものだったの!?」


「まず、友だちですらないじゃろうが」


「やっぱりエミルカ酷い! ウァレ、どう思う? ボクのこの美貌を、エミルカが嫉妬しているとしか思えない!」


「はいはい。いいから、呼び出された理由を早く聞かせてくれないか?」


 ウァレが冷たくあしらうと、カドゥラスはむぅと頬を膨らませながら言った。


「とりあえず、ついて来れば分かりますよ~っだ」






 カドゥラスに先導されついて行った先、やがて辿り着いた白い建物を、ウァレは見上げた。


 何者も寄せ付けようとしない、無垢な建物だった。全体が白一色の壁で、窓の一つすら見当たらない。街中ではこれほど目立つ建物はほかにはない上に、何をしているのか分からないという観点から、近づくことを戸惑わせる風貌をしていた。


「さ、行きましょーっ! れでぃごー、れでぃごーっ!」


「ちょっと待って……ここは何?」


 先に行こうとしたカドゥラスを引き止め、ウァレは訊く。カドゥラスは振り返ると「心配ないですから、安心してボクちゃまについてきてください!」と言って、先を歩いた。


 ……まあ、カドゥラスが先を行くなら、犠牲になるのは彼女だ。彼女に危害が及んだとき、ウァレたちは彼女を放って逃げればいいだけだ。


 ウァレはそう結論付けて、カドゥラスに続いた。


 カドゥラスは巨大な木の扉の前で立ち止まり、ノックした。すると、巨大な扉が緩慢に開かれ、その向こうに一人の少女が立っていた。


 闇色の髪をした少女だ。黒と白のメイド服で全身を着飾り、フリルのついたカチューシャを着けていた。あどけなさの残る、小軀の少女はカドゥラスの姿を視認すると、静かにお辞儀した。


「ワタシ、待ってた……きみ、来ること……」


 抑揚のない声で、少女は言う。言葉の拙さを感じる話し方だった。


 少女はそのままウァレたちを中へ入れた。


 外から見ると窓のない、無情な印象を与えた建物だったが、その中は案外明るい。窓一つなかったはずだが、どうやら小さな穴が無数に開いて、そこから光が入ってきているようだった。


 しかし、明るく見えるのはそれだけではない。


 建物の中には、何もないのである。白い柱が立っているだけで、それ以外には何もない。それが室内の明るさを際立たせ、同時に部屋を広く見せた。


 少女は部屋を突っ切っていき、やがて一番最奥にある部屋の前で立ち止まった。


 扉をノックすると、中から返事をする声が聞こえた。野太い声だった。


 少女は扉を開けて、ウァレたちを中に入れた。


 その先の部屋は、ここまでとは違い、暗かった。部屋中には緑の液体で満たされたガラスの筒が置かれ、その中にさまざまな臓器が入っていた。部屋の最奥には白い機械が置かれ、その内の一つの前に、恰幅のいい男が座っていた。


 男は白衣を着て、入ってきたウァレたちに振り返らないまま、何やらつぶやいていた。彼の周りには、機械から伸びたケーブルが方々へとのび、それらはやがて一つの機械へと集合していた。そこにはパソコンが置かれ、目に悪い光を延々と放ち続けていた。


「ワタシ、連れてきた……お客様、ご来場……」


「お客様? オレは誰か呼んでいたっけかな……?」


 男は振り返ると、まずカドゥラスの姿を認めた。カドゥラスは笑顔で手を振った。


「会いに来ちゃいました……迷惑、ではなければいいのですが……」


「め、迷惑だなんてとんでもない! 光栄でございますよ!」


 男は慌てた様子でカドゥラスの前まで歩み寄った。そして、彼はカドゥラスが一人で来たわけではないことに気づいた。


 カドゥラスの後ろで、ウァレとエミルカはゆっくりとお辞儀した。白衣の男はウァレの前までやってきて、丁寧な物腰でお辞儀し返した。


「初めまして。私はフィルター・ネクスト・アークと申します。この度は、私の館においでくださいまして、誠に光栄でございます」


「初めまして。俺はウァレ・フォール・エルタニル。こっちがエミルカ・トゥバン。俺たちはカドゥラスの付き添いで来ただけだから、そんなに丁寧にならなくてもいいよ」


「そうですか。では、三方をお連れするんだ」


 男が言うと、メイド服の少女が彼の隣までやってきて頷いた。


「ワタシ、了承します……」


 ウァレたちは、メイド服の少女に連れられて別の部屋に通された。そこは明るい部屋で、革張りのソファーが二つ、観葉植物が部屋の隅にそれぞれ置かれていた。ソファーの前には、いかにも高級そうな机が置かれていた。おそらく、ここは応接室なのだろう。


 ウァレとカドゥラスがソファーに腰掛けると、机の上にコーヒーが置かれた。顔を上げると、メイド服の少女がゆっくりとお辞儀した。


 ウァレたちの前にフィルターが座ると、彼の前にもコーヒーを置いた。少女はそのまま彼の後ろに下がって無表情の顔をそのままに、静かに立っていた。


「改めまして、この度はありがとうございます」


「いえいえ。ボクが無理言ってきただけだから、そんなに丁寧になることはないですよ」


 カドゥラスがそう言うも、フィルターの態度は変わらなかった。彼は客人に対しては非常に丁寧になるらしい。


「カドゥラス……無理言ってって、結局ここには何をするために来たんだ?」


「へ? 言ってませんでしたっけ?」


「言ってない。と言うか、言おうとしなかっただろ……」


 いたずらっぽく笑うカドゥラスに、ウァレは頭が痛くなった。カドゥラスは視線をフィルターに戻した。


「でも、本当にいいのですか? ボクとあなたは、まだ一度しか会っていないのに……」


「良いも悪いも、こんな寂びれた怪しい雰囲気のある建物に、誰が入りたいと思いましょうか! 最近はセールスすら来ず、私は誰とも話せず、非常に寂しい日々を過ごしておりました。こうして、誰かが来てくれるだけで、私は大変うれしく思うのですよ」


 この人、絶対に詐欺に引っ掛かるタイプだな、とウァレは思ったが、口には出さないようにした。


「うふふ。そこまで人に会っていないと、詐欺にあってしまいそうですね」


「ははは。それが一か月ほど前、久々にセールスマンがやってきたと思ったら、ツボを買ってくれないかと言われてね、おかげで借金だよ」


「ああ、もう手遅れだったんじゃな……」


 エミルカも同じことを思っていたらしく、小さく呟いた。しかし、フィルターには聞こえなかったようだ。


「さて! さすがに今日は怪しい何やらを買ってくれと言いに来たわけではないでしょう! わざわざ、ここに来てくれたことに感謝し、お客人を誠心誠意、もてなしましょう!」


 どれだけ人に会わず寂しかったのだろうか、とウァレは少し悲しくなった。


「……でも、誰かと話したいならここから出ればいいじゃないですか。なのに、なんで」


「あー、説明してませんでしたね」


 カドゥラスはたはは、と笑って、頭をかいた。


「この人は、毎日多忙な日々を過ごしておられる、研究者なのですよ。だから、外にはなかなか出られないのです!」


「研究者?」


「いかにも!!」


 フィルターは胸を張ると、自慢げな口調で言った。


「たとえば、ここに控えているこの少女。この子も、実は私が人工的に作りだした人間なのです! まあ、世間からは世知辛い反論が行きかい、表には出せませんがね」


 つまり、人造人間というわけだ。だからなのか、欠陥が多いのかもしれない。その一つが、言語だろう。彼女は話すことがうまいとは言えない。


 しかし、人造人間を作り出すとは、なかなかすごいのではないか、と思う。確かに世間からは批判が飛び交うだろうが、それでも一から作り出すことはそう簡単なことではないだろう。


「欠陥は多くとも、いいとこはいい。おい、あれを焼いてきてくれないか?」


「ワタシ、理解しました……ワタシ、作ってくる……」


 人工少女はそう言い残して、、部屋から出て行った。


 その間にも話は続く。


「しかし、この私といえど、万物を作ることができるというわけではない。無論、万物を作るのは神の仕事。私が手を下してはならない領域なのです」


「人工的に人間作っといて、よう言うわ……」


 呆れたようなエミルカの言葉。フィルターは苦笑いして、


「ええ。確かにそうですね。しかし、彼女は私にとって必要なのです。表には出せないと申しましたが、なにぶん、私は家事一般が出来ないもので、それをしてくれる助手が欲しかったのですよ。雇う金はもちろんありません。なら、作ってしまえばいい! ということになったわけです」


「な、なるほど……」


 開発費がどれほどしたのかは、あえて聞かないでおこう。


 ウァレは一つ咳払いすると、フィルターに言った。


「――で、今の話し方だと、あなたが何か行き詰っているようにも聞き取れるのですが?」


 フィルターは真剣な顔になって頷いた。


「ええ。今、開発しているものがあるのですが、どうもうまくいかず……そこで、誰かの意見を取り入れようと思いまして」


「これは、ウァレもエミルカも関係あることだからね。むしろプロフェッショナル! だから、ボクは君たちを呼んだわけ」


 ウァレは嫌な予感を感じて、背中に汗を流した。


 カドゥラスの言う、自分たちに関係のあること……それは一つしか思い浮かばなかったのだ。


 そして同時に思う。ああ、やっぱりこいつは面倒事を持ってきた、と。


 ウァレは額に手を当てながら、フィルターの台詞を確かに聞いた。


「私が研究しているのは、人工的な竜です」


「――ったく……カドゥラスはいつもいつも……」


 そう愚痴ったエミルカに、カドゥラスは笑いかけた。


             ✝2✝


 改めて通された、最初の部屋に、ウァレたちはいた。


 暗い部屋の奥には、壁になるようにガラスが張ってあった。フィルターがパソコンで何やら操作をすると、その向こう側に照明が灯り、部屋を埋め尽くす機械の群れを見せつけた。


 ガラスに隔てられた部屋は円状で、水族館の展示のようになっていた。その中央に鎮座しているのは、三メートルはあるだろう竜の姿だった。しかし、その竜は生物とはいえない。


 その竜は、機械でできていた。


「人工的に造るとは言っても、まだ研究段階でしてね。まだ竜の動きを調べるために、機械を作ったのです」


「なるほど」


 竜は停止しているようだったが、フィルターがパソコンで操作すると、その瞳が緑色に灯った。


 竜は静かに動き始めると、ウァレたちの姿を視認した。


「【事態】・【確認】・【来訪者】・【善意】・【or】・【悪意】・【所持】」


 竜は高い機械音でそういうと、ウァレたちを睨んだ。どうやら、主人が怪しいセールスに嵌ったせいで来訪者たちを訝るようにできているらしい。


 フィルターがもう一度パソコンを操作すると、竜は【了承】と言って、背筋を伸ばした。


「これが、私の造った――まだ完成ではありませんが――竜……名付けて、『One;S』です! どうでしょう、この完成度!」


「す、すごいですね……」


 機械について、全くというほど分からないウァレは、適当に相槌を打った。だが、フィルターは満足げに頷いて、パソコンを操作しながら言った。


「実は、明日実験の最終段階に移行する予定なのです。そこでOne;Sを見ていただき、意見を頂戴したいと思うのです」


「最終段階って、何をするんですか?」


 フィルターはふふふと怪しげに笑うと、机の上に置かれたフロッピーディスクを掲げて見せた。


「この中には、とある生物の情報が入っております。このディスクをOne;Sに入れ、そのデータを収集するのです。それが最終段階。そして、そこでの反応を見ていただきたいと思っております!」


「……へぇ、そう」


 その時、カドゥラスが妙に笑ったのを、ウァレは見た。フィルターに見えないように後ろで組んだ手が、強く握られていた。


「ワタシ、入ります……この部屋、扉あけます……」


 その時、どこかへと行っていた人工少女が入ってきた。彼女は一つの皿を手に持っていた。


 その皿の上には、湯気の立ち上る、アップルパイが置かれていた。彼女はそれを持ったまま、机のないこの部屋でどこに置こうかと視線をさまよわせていた。


「【芳香】・【確認】……【少女】・【燃焼】・【林檎】・【包装】・【甘味】・【食料】・【自分】・【好物】」


 突如、One;Sが反応し、ガラスの壁に触れた。ガラスの壁が開くと、One;Sは人工少女の元まで歩み寄った。


「少し待つんだ、One;S……それはお客様の物だ」


「【了承】・【心情】・【残念】」


「図々しい機械じゃな」


 妙に人間らしい機械の竜だった。話し方を変えれば人と見紛うこともあるかもしれない。


 そんなOne;Sを連れて、一同は先ほどの応接室にやってきた。


 人工少女が焼いたアップルパイが机に置かれると、エミルカが手を伸ばした。


「事情は分かりました。俺たちはとりあえず、また明日One;Sの最終段階を見届ければいいんですね」


 フィルターはアップルパイをおいしそうにほおばるエミルカから視線をウァレに向けると、少し緊張した様子で頷いた。


「はい。ですが……あなたたちに何か不都合があれば、無理にとは言いません」


「不都合はありませんよ。それに、こんなにおいしいアップルパイを焼いてもらったんだから、その分は働かないと」


 エミルカは棘の混じったウァレの台詞を聞かなかったことにして、顔をそむけた。アップルパイに手を出していたのはエミルカだけだった。


 すると、フィルターが安心したように息を吐いて椅子の背もたれにその巨漢を預けた。


「よかったです。しかし、今日はもう遅い。ぜひ、ここに泊まってくださいませ」






 通されたのは壁一面が真っ白な、比較的明るい部屋だった。簡素な部屋にはベッドが三つと机が一つしか置かれていない。寂しさを覚える部屋だった。


「……で、カドゥラス。どういうつもりじゃ?」


「うふふ。何がかな~?」


 カドゥラスが、壁際に置かれたベッドに飛び込みながら軽い調子で返した。エミルカは額に手を当てて、言った。


「あんたが厄災を持ってくるのは分かっとったんじゃ。じゃけど、なんであんたは意味不明な研究のために手を貸そうとしとんじゃ?」


「……」


 カドゥラスは枕に顔をうずめて「本当に意味わからないよ」と呟いた。


「人間って、本当に意味が分からない。なんでそんなことを研究するんだろうね。ボクたちは平穏に暮らしたいのに、なんで竜なんて研究しようとするんだろう……」


「……カドゥラス、きみが俺たちに頼みたいことって、ただ明日の研究の最終段階を見届けるっていうわけじゃないだろ?」


 カドゥラスはひっそりと頷いて、身体を起こした。ベッドに腰掛けると、扉の前で立っているウァレに視線を向けた。


「当たり前ですです~。ボクが人間のために、わざわざ協力するなんてありえないですよ~」


「カドゥラス、あんたは一体、何を知っとるんじゃ!?」


「ワタシ、入ります……」


 その時、ウァレの後ろの扉が開かれた。


 ウァレが振りかえると、そこに人工少女とOne;Sの姿があった。この建物の中では、二人は自由に歩き回っているらしい。


 少女は手に持っていたプレーンクッキーを机に置くと、どうぞとエミルカに差し出した。

エミルカは喜びの表情を表に出さないように、ありがとうと返事した。


「ワタシ、用事ある……」


「用事?」


 すると人工少女は頷き、ウァレの服の裾を引っ張った。そのまま彼を部屋の外へ連れ出すと、暗い廊下をまっすぐに歩き始めた。ウァレは訝りながらも、エミルカを置いて、人工少女について歩いて行った。


「ちょっと待ってよん、ウァレ!」


「カドゥラス……別について来なくても……」


「いいんです。おそらく、彼女の行く方向に、ボクの用事がありますから」


 ウァレは仕方ないと頷くと、人工少女を追いかけた。


 やがて人工少女は立ち止まった。彼女の前に凛然と立っているのは巨大な扉。そこにタッチパネル式のリモコンが設置されており、人工少女はそれを操作して扉を開けた。


 部屋の中には、いくつものガラスの筒が置かれていた。その中は緑の液体で満たされ、それぞれのガラスの筒が、いくつものケーブルで繋がれていた。


 人工少女は、その怪しい雰囲気のある部屋の中を、ためらうことなく突っ切っていった。ウァレは彼女の覚悟を決めると、怪しい部屋に一歩足を踏み込んだ。


 その部屋は、これまで見てきた中でも一番大きかった。


 人工少女はその部屋の最奥までウァレたちを案内すると、目の前に立ちふさがった、ほかのガラスの筒とはけた違いに大きなガラスの筒を見上げた。

 

 ウァレはそれを見上げて、目を見開いた。


 それと同時に、カドゥラスの目的も理解した。なるほど。こういうことなら彼女が自分たちの下にやってきたことにも頷ける。


「ワタシ、願う……彼、救済を……」


 振り返った人工少女――その背後のガラスの筒には、一メートルにも満たない小さな竜が、生きたまま液体に鎮められていた。


 口には呼吸をするための機械が着けられており、身体中に何やら液体を流すための管が通っている。ガラスの筒の下部分からは絶え間なく泡がごぼごぼと音を立てて発生していた。


「……カドゥラスはこのこと知ってたんだな」


 ウァレがガラスの筒から視線を逸らさないまま言うと、カドゥラスはひっそり頷いて返した。


「そうでなければ、ボクはただの暇人になってしまいますよ」


 その時、カドゥラスの瞳が鋭く光った。彼女が現状に対して怒っているのだと、ウァレは気づいて拳を握りしめた。彼女の気持ちが、痛いほど分かった。


「彼は、くだらない研究のために捕まったですよ。ある日、いなくなった彼を探しているうちに、ボクはここを見つけました。彼の意識は明日、あのOne;Sに入れられてしまいます」


「じゃあ、フィルターが言っていた、最終段階って……」


 カドゥラスは頷く。


「……彼の意識を、One;Sに入れることですよ。そうすることで、さらに竜に近づいたデータを取るつもりなのでしょう」


「竜を犠牲に竜を作る、っているわけか……」


「ワタシ、救済求む……彼、何も悪くない……」


 人工少女がウァレに歩み寄った。彼女は人工的に造られていて、感情などないはずなのに、どこか悲しそうだった。


「明日、いなくなる……彼は、意識いなくなる……彼は、生きたまま死ぬ……それは、矛盾と言う……矛盾、正すが正解……」


 人工的に造られた少女が、主人であるフィルターを裏切る……それは反逆行為で、とても褒められるものではないのかもしれない。しかし、彼女の方がよっぽど人間らしいと、ウァレは思った。


 だからウァレは頷き、そして悩んだ。


「それは良いけど……助けるっていってもどうやってするつもりだ?」


「もちろん、無理やり解放しようとすれば、その時点でフィルターにこのことがばれてしまうでしょう。そう考えると、やるべきことは一つしかないですよ~!」


「一つ?」


 ウァレが訊き返すと、カドゥラスははい、と頷いて人差し指を立てた。


「この研究所自体を木端にして、ボクたちがやったことをうやむやに――って冗談ですよ~! そんなに怖い顔しなくていいじゃないですか~っ!」


「おまえの言うことは、冗談にならないんだよ……」


「ワタシ、木端できる……」


「しなくていいから!」


 人工少女はなぜか残念そうに頷くと、「ワタシ、承諾する……」と言った。彼女は目を話したすきに此処を木端にしかねないので、用心しないといけないと、ウァレは思った。


 ウァレたちは部屋に戻ると、エミルカにも事情を話した――彼女は人工少女が持ってきたプレーンクッキーを全て食べていた――。


 その晩は、一晩中捕まった竜を助ける方法を話し合った。


 しかし、結局話はまとまらなかった。






 人工少女は、One;Sの前に立つ。


 暗い部屋で二人きり……フィルターの姿はなく、ただ機械のグォーンという駆動音が響くだけだった。


 人工少女は目の前の竜に手を伸ばした。


「ワタシ、何すればいい……この感情、理解不能……理解可能、助けたい気持ち……」


「【貴方】・【言動】・【理解】・【不可】」


 作られた声に、人工少女は泣きたくなった。しかし、彼女には泣くという行為ができなかった。そういう風に作られていなかったから。


 しかし、だからといって自分の気持ちが全くないというわけではない。不思議なことに、作られた彼女には感情があった。


 そして、その感情が様々な行動を阻害する。


 こうして目の前で話しているOne;Sを見るのも辛かった。彼女は彼を助けたかったのだ。


 自分と同じように、感情だけを持った人工物になってほしくなかった。


 感情というものが酷く邪魔だった。でも、それが理性と結びつくならば、それも必要なことなのかもしれない。暴走しないように、彼女らは制御されていた。


 だからなのか、彼女には正しいことが分からなくなっていた。


 自分のすること――主人であるフィルターを裏切ってOne;Sを助けることが正しいのか、それともフィルターのやっていることを、指をくわえてみていることが正しいのか……感情を持ち合わせた人形は、その判断をできずにいた。


【予測不能】(エラー)……ワタシ、正しいか? どれが、正しいこと……?」


【不順】(エラー)【不評】(エラー)【未知】(エラー)・……【自分】・【理解】・【不能】……【正解】・【皆無】……【然シ】・【自分】・【気持】・【同士】……【貴女】・【懊悩】・【自分】・【救助】・【希望】」


 人工少女の悩みを悟って、One;Sは機械の声を響かせた。


 その無機質な声が、人工少女の心を優しく包んで……彼女は微笑んだ。


 そうして、彼に気持ちを救われているのだと理解し、彼女は自分なりの答えを導き出すことが出来た。


 人工少女は、作りかけの人形(One;S)に手を伸ばして、声に出さず、口だけ動かした。


「【口唇】・【解析】……【理解】・【返答】・【感謝】……【然シ】――」


「ワタシ、いい……それでも、救いたい……あなた、自由なるべき……ワタシ、なれなかった……だから、自由なるべき……理解、してください……」


「【了承】……――【自分】・【理解】・【可能】…………【But】・【貴女】・【同士】・【救助】・【願望】・【同士】……【懊悩】・【自分】・【同士】」


 人工少女は首を振って、伸ばした腕を下げた。その時、背後の扉が開き、主人が近づいてきた。彼女は無表情になって振り返った。


 もう、作られた感情に振り回されないことを、彼女は決意していた。


              ✝3✝


 結局何も思い浮かばないまま、ウァレたちは朝を迎えた。


 人工少女が作ったらしい朝食を部屋で食べ終わると、フィルターに案内されて最初の部屋にやってきた――その時にはカドゥラスはいなかったが、誰も気に留めなかった――。彼らの目の前には、眠ったように動かないOne;Sが静かに立っていた。


「――では、これから始めます」


 フィルターはそう宣言すると、パソコンのEnterキーを叩いた。すると、ガラスの壁を隔てた先で、One;Sの立っていた床が静かに下降しはじめた。


 One;Sはそのまま五メートルほどまで下降すると、停止した。ガラスの向こう側が天井からつりさげられた明りで照らされた。


ガラスの向こう側が明りで包まれると、そこには様々な機械が置いてあり、そこから伸びた管がOne;Sの頭に装着されていくのが見えた。


「……あれをどうにかして外さにゃいけんのんか……」


 エミルカはフィルターに聞こえないように、声を押さえて言った。ウァレは頷いて、彼女の肩に手を置いた。彼女を安心させたかったのだが、エミルカは額に汗を浮かべてうんうんと悩み唸っていた。


 フィルターを止めるためには、何ができるのか……それを考えるほど、エミルカは思考の迷宮に入り込んだかのように、同じ考えを堂々巡りしていた。


 その時、フィルターが彼女たちに振り返ってにかっと笑顔を浮かべた。


「それではお客人! 今から、私の実験の最終段階に移ります。ぜひ、ご期待なさってください。私は決して失敗などいたしませんから――」


「……失敗、せんか……」


 エミルカは膝の上で拳を握りしめた。


 フィルターは彼女の様子に気が付いて、首を傾げた。


「どうかなさいましたか?」


「……いや、ただ単に、この実験が失敗に終わればええのにって思うただけじゃ」


 フィルターは目を見開いた。


 言い始めたことはいまさら撤回できない。だから彼女は、自分の気持ちを、感情を素直に、率直に、簡潔に話した。


「私は、竜と人間を繋ぐ者――【猫ノ狐】……私は、人間が竜を侵そうとしとるのを黙って見とれるような奴じゃないんじゃ」


「……それは、私が竜を侵そうとしていると申しておられるのですか――?」


「そう言っとるのが分からんか?」


 エミルカは目を赤く光らせて、フィルターを睨み付けた。


 フィルターは呆けたのちに、ふっと笑った。それは、まるで彼女を嘲笑っているかのようだった。


 ウァレは眉をひそめさせた。「何がおかしいのです?」


「――いえ。あなたたちは何か勘違いをなさっているようだ」


「勘違い?」


「ええ」フィルターは頷く。「私はなにも、竜を侵したいから人工的に竜を作ろうとしているのではありませんよ」


「……あんたがそれを言っても、私たちはそれを信用できんな」


「信用も何も、それが私の本心でありますから。それに、人間の感情、気持ち、考えと言った不確かなものは、どうしても完全に信用し、受け入れることなんてできないものですよ。なぜなら、それは作り出すことが出来ないものですから」


「……確かにそうじゃな」


 エミルカは頷く。が、彼の言っていることが正しいとは思っていなかった。


 だって、それは誰も信用できないことだったから。彼女は彼女なりに、ウァレやその他大勢の竜のことを信用していたし、彼ら彼女らの気持ちも分かったつもりでいた。考え方は分からずとも、信用だけはできると、彼女は思っていたのだった。


 それは、作られた人工少女や機械竜だって同じことだ。


 彼女たちには感情こそないかもしれない。しかし、彼女たちには願いが、思いがあった。だからウァレやカドゥラスに助けを求めた。


 だから、エミルカは彼女たちを助けないといけないと思った。


 人工的に造られた少女、そして竜が抱いた願いを、彼女は叶えなければならなかった。


 エミルカは自分の首に提げていた十字架を握った。


「――私は願われた。助けてほしいって、直接言われたわけじゃないけれど……それでも私は、悩み苦しむ彼女たちを放ってはおけんのんじゃ!」


「悩む? 苦しむ? 誰がそんなことを言ったのですか? ここにいるのは私以外には、感情を持たない人形がいるだけですよ? ははっ! まさか、そんなに人形たちの言葉を信じているのですか!? それこそ妙だ! あいつらには感情はない! なぜなら、それは作ることが出来ないプログラムだからだ!」


「なら、感情を持っとる人間が、感情を持たない彼女たちを粗末にすんな!」


「――あなたは一体、何が言いたいのですか……?」


「何が言いたい? そんなことは決まっとる!」


 エミルカは慟哭するように、叫んだ。


「他人の願いを侮辱するなっ!!」


「……侮辱? いつ私がそんなことを――」


「こうして最終段階を進めていることこそ、あなたは彼女たちを侮辱していることになるのですよ」


 ウァレが赤黒い瞳をフィルターに向けて言った。


「今、こうしてやっていることは、一体誰のためですか? それはきっと自分のためです。あなたの勝手な感情のために捕まった彼は、自分の願いを無視されたままあなたに捕まり、そして実験台にされています」


「捕まった……まさかあれを見たのか!?」


 しかし、ウァレはフィルターの言葉に反応を示さず、続けた。


「あなたのそうした身勝手な行動で、思い悩むものだっているのです。助けてほしいと願った彼女は、あなたに作られた感謝と恐怖と、自分の感情とで板挟みになって身動きがとれなかった。だから俺たちは願われた。


「だから私たちは救う。願われた私たちの思いは、彼女たちを救いたいという気持ちでいっぱいだから!」


「はっははぁっ! 感情を持たない人形に振り回されるとは、なんと痛ましい! 私はそんな人間に落ちぶれたりはしないぞ! 私は私の感情を貫く! たとえ、誰から反対されたとて、私はこの実験を成功させて世に私の名を知らしめてやるのだ!!」


「――そんな下らんことのために、竜を巻き込んだんか?」


「くだらない?」フィルターは嗤う。「One;Sを作ることが下らないか! それは違うぞ! あれを作り上げることで、私は己の願望をかなえることが出来るのだ! 誰にも作れないものを作った功績で、私は誰より有名になり、そして金だ! 一生遊んでいける金を手に入れるのだ! それのどこがくだらない!? 人の願いを、感情を侮辱しているのは、自分たちの方ではないか!?」


「――そうじゃな。でも、竜を傷つける奴を、私はどうして許すことができるんじゃ! できるわけないじゃろうが!」


「――感情は理性を左右する、か……ならば私は、冷静でいよう! そして、この実験を成功に終わらせるのだ!!」


「させてたまるかっ!!」


 ウァレはフィルターを止めようと、腕を伸ばして駆けた。しかし、彼に触れる寸前で、ウァレは足を止められてしまう。


 それは、彼の足もとから生えた一本の腕だった。フィルターに向かったウァレは、その腕に捕まえられ、地面に倒されてしまう。倒れたウァレを拘束するように、次々と地面から腕が突き出して、一瞬でウァレはつかまってしまった。


「ぐっ……」


「ウァレ!」


 叫んだエミルカにも、床から生えた腕が襲い掛かった。車イスを倒された彼女は、全身を床に押し付けられて動けなくされてしまった。


「ぐっ……ぁあっ!」


「ミカ……!」


 身動きが取れない中、ウァレはエミルカを解放しようと身をよじった。しかし、どれだけもがいても、全身をつかんだ腕は離れなかった。


よくよく見ると、それらはすべて機械で作られていた。フィルターが自分に近づけさせないように、あらかじめ床に仕込んでいたものだろう。


「ふはは! 邪魔はさせない。邪魔はさせないぞ! この実験さえ成功すれば解放して差し上げましょう!」


「邪魔をすんな? これがなかったら、それがどれだけ難しいことなのか、あんたの身を以てして教えてあげるところだったんじゃけどな!」


「それは残念! いつまでも訪れない未来で、その可能性を信じず待っていますよ。それに、今はそんなことよりも大切な事情があるのでね。そちらを優先させていただきます。ええ。もちろん、この実験の最終段階ですけれどね!」


「くっ……こんな時にカドゥラスは何しとるんじゃ……」


 エミルカは呟くと、視線だけを辺りに這わせた。しかし、カドゥラスの姿を視界にとらえることはできなかった。エミルカは今度会ったらただでは済まさないことを心に決め、現状をどう打開するかを考えた。


「さあ、始めましょう! 私の一世一代の実験……その最終段階を!」


 焦るエミルカたちの前でフィルターは、まるで彼女たちがいないかのようにそう宣言した。


 パソコンに何やら操作をしていた手を止めると、心を落ち着かせるように瞑目し、深呼吸した。再度目を開くと、フィルターはENTERキーを叩いた。


 その途端、部屋を囲んでいた機械がぐぉんという低く唸るような音を上げた。それは連鎖していき、やがて壁を隔てたOne;Sの部屋の機械からも同じような音を響かせた。


 音が波のように広がっていくのと同時に、緑色の光がケーブルを伝ってOne;Sの頭に向かって走った。光がOne;Sの頭の中に入ると、それまで眠るように動かなかったOne;Sの瞳が緑色に光った。


「【起動】・【状態】・【解析】……【異常】・【皆無】……【正常】・【起動】」


One;Sの機械の音を聞いて、フィルターは楽しくて仕方ないという風に笑った。これから始まる最終段階で、自分は失敗しないと言っているようだった。


 ウァレは顔をしかめさせ、何とか床から生えた腕から抜け出す方法を考え出そうとした。が、機械の腕は細身にもかかわらず相当の力が働いており、びくともしなかった。


 フィルターは再度パソコンに向かって操作すると、フロッピーディスクを入れた。


 すると、今度はOne;Sに向かって伸びたケーブルに、青い光が走った。それがOne;Sまで到達すると、瞳が青く光った。


「【情報】・【異端】・【同類】・【判断】・【解析】……【完了】・【情報】・【接続】・【構築】」


 その無機質な声が響くたびに、ウァレは焦らされていた。フィルターが入れたフロッピーディスクには、One;Sを完成させるための非人道的な情報が入っているはずだ。


 目の前で助けを求められたウァレは、それを放っておくことなどできない。

 

 ウァレは拳を握って、現状に苛立ったように地面に振り下ろした。気持ちとは裏腹に、やはり体は動かなかった。


「さあ、もうじきだ。もうじき、私の目的が完遂される! いや、実際にはまだだが、それでも一歩近づくことくらいはできる!」


 フィルターは好色を顔に浮かべて、パソコンの画面とにたらめっこをしていた。にらめっこだとすれば、フィルターはすでに負けている。彼は口角を上げて、画面に映ったOne;Sの様子を確認する度に笑っていた。


 しかし、その笑顔もすぐに崩されることになる。


「【不可(エラー)】・【不純(エラー)】・【異常(エラー)】・【不能(エラー)・【筋違エラー】・【無駄エラー】……【脳内】・【情報】・【残留】・【言葉】・【起動】……『――ガッ――僕はこ――の身ではなかったはずだだだガッァァ――人間に変ぇられ――ビビッ――た世界――僕は自分の身体ぅお――ジジッ――取り戻す――』」


「な……なんだ一体!?」


「――【以上】・【残留】・【情報】・【磁器】・【終焉】・【唱詠】・【呪言】・【拒否】・【不可】――ッ!!」


 One;Sが翼を大きく広げて、頭に繋がったケーブルを引きちぎった。火花が飛び散り、周囲の機械が高い音を立てて蒸気を噴き出した。


 One;Sとの間に隔たれていたガラスの壁が大きな破砕音と共に崩れ落ち、突風が部屋に吹きすさんだ。部屋に立っていたガラスの筒にひびが入り、中の緑の液体が床に滴り流れた。


「な……ななななッ!? なんだ!? どうしたというのだ、一体――ッ!」


 フィルターは焦りながらもパソコンを操作し、状況の打開を試みた。しかし、今のOne;Sを制御することはできない。今、繋がっていたはずのケーブルはOne;S自身に踏みつぶされていた。


 床に亀裂が入り、One;Sが宙に飛び上がった。いや、それは飛び上がったというよりは、跳び上がっただけだった。その跳躍力はすさまじいもので、軽く跳んだだけで自分よりはるか上方にあった、ウァレたちのいる部屋に到達した。


One;Sは部屋に入り込むと、散らかった部屋を見回した。その視線がフィルターをとらえると、瞳が赤く光った。


 フィルターは恐怖を顔に張り付かせてOne;Sを見上げた。


「【自分】・【製作】・【主人】・【因縁】・【鬱蒼】・【鬱々】……【少女】・【救助】・【何処】・【存在】」

 

「は……? 何が言いたいんだ? 全然分からないぞ!」


「【主人】・【理解】・【可能】・【言語】・【所持】・【皆無】」


「私をバカにしているのか!? 私は、お前たちを作ったんだぞ! なぜ私に歯向かおうとする!?」


「――ボクたちが怒っているからだよ」


 フィルターは目を見開いて、視線を部屋の入口へ向けた。


緑髪の少女が立っていた。


「カドゥラス……」


「ボクたちは激怒する。あなたの身勝手な行動で、ボクたち竜が侵害された。ボクたちはあなたの操り人形ではないのに、それを強要された!」


 カドゥラスは拳に力を込めて、フィルターを睨み付けた。彼女は今までに見たことがないほどに、激情で顔をゆがませていた。


「ボクたちはあなたのおもちゃなんかじゃない。ボクたちは自由だ! ボクたちは人間に操られて生きているわけじゃない! 勝手な気持ちを押し付けてくるな! あなたの目的など、ボクたちにとっては小さなものだ! ボクたちには関係ない。ボクたちには、どうだっていい! どうだっていいあなたが、あなたごときが、ボクたち竜に関わってくるな!」


「竜? 竜だと……? ふはは! 知るものか……知るものかぁぁぁっ! 俺は何でも利用する! 俺自身の目的が、どれほど醜くゆがんでいると言われたとて、俺は諦めない! ふははははははははっは!!」


「ボクは嗤われるようなことを言った覚えはないぞ、人間ッッ!!」


 カドゥラスの一声で、その場が静まり返った。


 部屋中の機械からは絶えず蒸気が噴射し続け、壁や地面にはヒビが入っていく。部屋を、この施設を激しく揺らすほどの轟音の中、カドゥラスの声は妙にはっきり聞こえた。


「ボクは竜を救います。ボクはあなたを軽蔑します。ボクは友だちを傷つけられたことを許しません。ボクはかつて仲間だった竜をこんな目に遭わされたことを心の底から後悔します。ボクは……ボクはっ!!」


「【起動】・【呪言】・【対象】・【差別】・【皆無】」


 カドゥラスの言葉を制して、One;Sが心からの叫びを詠った。


「――造られ(Quod )た≪心(factum )≫に(est )魂は(anima )宿る(in)


    造られ(Ad )た身体が(tabulata )崩壊を(votis )始める詩(collapse )――」


     「――守れ(Suus )なか(insidiba)った(tur )思い(ficti )を恨(videantur )めば(putant)

         もう、(Alterum )我が(,)身を(si)≪壊≫(aduesus)す刻(se)――」



  「――――【心壊】(Curse)――――」


 One;Sの周囲に、黒い霧のようなものが立ち込めた。それはOne;Sの身体を舐めまわし、身体中に黒い刻印を這わせた。


 フィルターは目の前で自分の造った竜が変化していくことに驚きを隠せないようだった。自分がプログラムしていないことが、彼の目の前で起きていたからだ。


 同時に、フィルターは喜んだ。


 誰も作ったことがないものを作り、有名になることを願った彼は、自分が作った竜がそうした変化をしていくことを喜んだ。


 きっと、何かの偶然か奇跡で、人類には作れないものを自分は作ったのだ――そう、勘違いしていた。


 しかし、ウァレたちはOne;Sの変化に冷や汗をかいていた。機械で作られた竜が、本来持つべきではないものを持っていたことが、彼らにとっては酷く恐ろしく思えた。


 それは、竜の【呪い】――。


 竜が自分の身を守るために、その身に宿した、不可思議の存在。


「ウァレ! エミルカ! 早く逃げますよ!」


「カドゥラス! 早うこの腕を壊せ!」


 エミルカが叫ぶまでもなく、カドゥラスは自分の手の周囲に黒い霧を発生させ、斧を生成した。彼女は『擬態』の【呪い】を持つ竜だった。


 カドゥラスはそれを振り下ろすと、エミルカとウァレの身体を縛り付けていた腕を壊した。腕はバキッと簡単に折れて、ウァレたちはすぐに立ち上がった。


「すごい……すごいぞ! ふははっ! 竜を作ることは失敗に終わったかもしれないが、結果的にすごいものが出来たぞ! ふはははははっ!!」


 立ち上がったウァレたちの前で、フィルターが不用心にOne;Sに近づきながら笑った。


「俺はやはりすごい! こんな……こんな誰にも作れない兵器を生み出すなど、誰が出来ただろうか! ほら、ウァレ殿、エミルカ殿! これを見て、まだ俺を侮蔑するか!」


「あんたはただの竜の素人じゃ。じゃけん、そうやって喜んで、危険な状態のOne;Sに近づくんじゃ!」


「危険? それは当たり前だろう? なぜなら俺は、兵器を生み出したのだから!」


 One;Sの前で両腕を掲げながら、フィルターはふははと笑う。


「まあ、素人の貴様らには分かるまい。この素晴らしさが、この崇高さが! 俺の偉大さを、いつか知ることになるだろう!」


「素人はあなただ」


 ウァレはエミルカを抱きかかえながら、フィルターを睨んで言った。フィルターは心底機嫌悪そうに顔をゆがませて、拳を握りしめた。


「竜のことをろくに知らないで、よくも竜を作ると言ったものだ。あなたが作り出したと妄言するそれは、本来竜が持っている【呪い】だ。あなたの偶然の産物ではない。あなたが犯した罪そのものなんだ!!」


「何をいいだす!? そうか。この俺に嫉妬しているのか? この俺の、この偉大な研究結果に、激しい嫉妬を抱いているのだな! ふあぁっははははっ!」


「【呪言】・【進攻】・【目標】――【主人(フィルター)】」


 上機嫌に笑うフィルターの後ろ、One;Sが無機質な声を発した。


 その言葉の意味を悟って、フィルターは笑うのを止めさせられ、驚愕と恐怖に目を見開きながら背後へ振り返った。


「な、なにィィッ!? その不可解なものを、作り主だという俺に向けるつもりか!? ふざけるな! 向けるは、この俺をバカにする、そこにいる傍観者どもだろうがッ!」


 しかし、フィルターの声を聞く素振りを見せないまま、One;Sは身体中から黒い霧を噴射させた。


「まずい……逃げるぞ、ミカ、カドゥラス!」


 彼女たちが頷くより先に、ウァレは駆けだした。


「ま、待ってくれ! た、たたたぁぁたたた助けてくれぇっぇぇぇえぇぇぇっっ!!」


「【誰人】・【待機】・【不可】」


 One;Sの声が聞こえると、フィルターは腰を抜かして、立ち上がれなくなった。


彼の断末魔を最期に――その施設は崩壊した。






 One;Sは啼いた。哭いた。……泣いた。


 ガシャンッと轟音を立てて崩れ落ちてきた天井は、今は痛くなかった。頭に当たろうが肩にぶつかろうが、何なら、腕がもげようが……何があっても彼にとっては痛くもかゆくもなかった。


 それは、生きていない証拠――。


 悲しくて、彼は虚空を虚ろに見つめた。


 天井にぽっかりと穴が空いて、そこから青い空が見えた。


 いつの日か、自由に飛び回っていた――青い空。


 そこに戻ることが出来ないことを、彼は本能的に悟っていた。彼の翼は今や彼の物ではなく、それを自由に制御することはできなかったから。


 その時、ふとOne;Sは部屋の入り口を見下ろした。


 メイド服の少女が、その手にアップルパイを乗せた皿を持って立っていた。


「ワタシ、救う……あなた、救う……ガッ……ワタ……ワ、ワワワピ――ッ……」


「【理解】・【可能】・【然シ】・【救助】・【不可】……【御身】・【故障】・【救助】・【不可】……」


「不可、なななななし……ワ、ワタタタシ――ガッ……救うもとm……たたたた……」


 One;Sは壊れた彼女を前にして、何も言えなくなった。


 人工少女は半分剥がれた顔で無理に笑顔を作った。平気だよ、とそう言いたかったのだろうが、それが返って哀れに思えた。


「……一ッ緒に、食べるききき希望……ガッ――作ったたたた……あなななななな、好――物……」


 人工少女が、ゆっくりゆっくりとOne;Sに近づきながら手に持っていた皿を突き出した。One;Sは頷いて、皿からアップルパイを一ピースつかんで口に入れた。


 味はない。


 かつて、大空を飛んでいたころに好きだった味は、もうかみしめることが出来ないのだと、彼はその時悟った。


 だから彼は、少女の隣でひっそりと呟いた。


「【嗚呼】……【生存】・・【希望】……【死亡】・・【嫌ダ】――ッ!!」


「なら、その願いを叶えちゃる」


 One;Sは驚き、部屋の入り口に立つ二人を見下ろした。


 その片方の青年は笑い、顔に着けていたはずの狐面を外していた。


              ✝4✝


 青年は狭いベッドの上で目を覚ます。


 自分の隣で眠る少女の頭を一撫ですると、彼は礼拝堂へ向かった。


 誰もいない礼拝堂を突っ切って、彼は教会の扉を開け放った。


 晴天の空の下で、一体の竜がうなりをあげて飛んでいくのが見えた。


 それは白銀の、人に作られた竜。


 かつて人に作られ、死んでいるようなものだった竜――。


 彼は生を得て、己の身体の一部となった翼をはばたかせて飛び去って行った。


 ふと、青年は地面へと視線を向けた。


 そこに、皿に乗せられたアップルパイが置かれていた。アップルパイの上には一枚の手紙が置かれていた。


 彼は皿と手紙を拾い上げて、中身を読むこともしないで教会の中へ戻った。


 ひっそりとした、静かな空間が彼を迎えた。




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