3羽:森の夜に…
「おお、男衆が帰ってきたぞ」
「日帰りとは…これは期待できるわね」
その日の夕方になり、朝一で狩りに出ていた男衆が帰って来た。
見張り者の知らせが広まり、朝の見送りの時と同じように村人総出でお出迎えだ。その目当てはもちろん今日の獲物の結果だ。
男衆の狩りは長いときで数日かかる。だが、一日で帰ってこられたということは、一定の量を仕留めたという証である。
精霊神官の館から戻ってきたオレも、急ぎその出迎えに加わる。どんな肉があるのかが気になる。
よく日に焼けた屈強な男衆が、ぞろぞろと村の中に帰って来る。その隊列の中央には木製台車が二台引かれている。その上に乗った獲物の膨らみを見ると、今日はかなりの大猟だったようだ。
「今日の猟果だ」
村の広場で獲物を被う布を外される。
「けっこうな量ね…ありがたいわ」
「あっちはかなりの大物もいるわよ」
出迎えの女性陣から感嘆の声があがる。
一台目には野良ウサギ・野鳥など小物が乗っていた。内臓と血が抜かれキレイに下処理されている。
「おお、なんだ、あれスゲーぞ」
「“大猪”だなんて、久しぶりね…」
布が全部外され最後の大物がお披露目されると、集まった村人中から声が上がる。まずは子供たちが歓声と共に群がり、間近でその大物を見ようとする。控えめなオレは少し遠いところからこっそり見る。
大人たちの言葉からも分かる様に、今日はなんと“大猪”までいたのだ。
この獲物が豊富な大森林でも“大猪”は滅多に捕れない。
今宵に食べるにしろ今後のために保存食にするにしろ、皆の腹が膨れる事は間違いない。森の民にとって野生の獣の肉は貴重なタンパク源であり、ビタミン・鉄分などの豊富な栄養源なのである。
(“大猪”…前に見たのより大きいな…ちょっとした“化け物”だな…これは)
オレは目の前に積まれたその“大猪”を見て内心で驚きを隠せない。
それ程までに、この“大猪”の大きさは、常識の域を外れていたのだ。
前世で自分が見た動物の“普通の猪”の数倍の体躯、更には口元には鋭く突起した牙が二本生え、その凶暴性を体現している。
大人の話では、何でもその毛皮下は分厚い脂肪に覆われ、ちょっとした刃物なら簡単に跳ね返す。更には重量を活かした突進は大樹さえもへし折る破壊力を備え持つ。
人間ならかすっただけでも重症、まともに喰らえば即死であろう。
(でも、こんな大物を原始的な弓や槍剣だけで倒せるんだから、この部族の“力”の方が“人外”なのかもしれない…)
オレは懐に入れておいた“クルミ”に似た木の実を取り出す。数少ない子供たちへの配給であり、携帯食料でもある。野性味があり殻の硬さは、普通の倍はある。
(ふん)
オレが軽く力を入れただけで固い殻を粉砕され、中身の香ばしい実が出てくる。
(五歳のオレですらこの握力か…相変わらず驚異的な力だな、この部族の身体は…)
そう、この森の部族は“普通の人”に比べて、遥かに身体能力が優れていた。
優れているといっても平成の前世で、未開発の大陸住民の視力が5.0あったり、マラソン大会で好成績を出せる、という低レベルではない。
力自慢の大人は巨木を一人で軽々と担ぎ、また身の軽い者は高い木のから平気で飛び降りる。全身の筋力や運動神経、反射神経が常人を遥かに凌駕しているのだ。
(数年前にその光景を見たときは、心臓が口から飛び出るかと思ったな…)
小さいころに何気なく精霊神官バアさんに聞いた話だと、これはこの森の民の全て与えられた“森の精霊の加護”が要因だという。この険しき森で暮らす事を運命づけられた、民への加護だと。
森の外の平地に暮らす者たちにはそれほどの“力”はないらしい。中には武勇に優れた者もいるようだが
「さあ、みんなのんびり眺めてないで仕事だよ!急いで小屋に運び込んで夕飯の支度さ」
女頭の指示する声で、オレは意識をむける。ここ数日は不猟で不機嫌だった彼女も、今夜ばかりは上機嫌だ。
「今宵は宴だな」
「ああ、村長のジイさんに、秘蔵の“木の実酒”も解禁にしてもらうとするか…」
雑然とした中でその日の夕食の準備が始まる。
男衆が命を賭けて獲ってきた獣の肉が中心だ。数人がかりで大木に吊るされた大猪が、見事な手際で解体され小分けされる。女衆もその力も尋常ではない。
それをいくつかの大鍋に分けて入れ、キノコや木の実と一緒に煮込む。森の恵みはオレたちが午前中に採取した採れたてだ。
肉やキノコから出汁と旨味が溢れ出た、“森猪鍋”といったところか。
「美味いな…腹に染み渡る」
「男衆に感謝しなきゃね…」
「なに、お前たちが村の留守を、守ってくれていたお蔭だ」
「子供たちも今宵ばかりは遠慮しないでいいからね」
夕食の宴が始まる。
宴といってもささいなものだ。それでも村長の館の大広間に、喜びの声と笑顔が溢れる。
今日は久方ぶり大猟という事もあり、酒も解禁。配分量もいつもより多めで、成長期である子供たちは、食い溜めと言わんばかりに凄い勢いで食べる。もちろんオレもだ。
(ああ、本当に美味いな。転生したての当初は期待していなかったけど、この部族の食事は基本的に美味いんだよな…)
伸び盛りであるオレは黙々と食事を口にする。
平気で生肉や生葉を食べるこの森の民だが、調理は意外とまともだ。数種類のキノコや木の実、香草なんかを組み合わせて料理をおこなう。味と香りのバランスが考えられている。
更に旨味の決め手となるのが、深い味わいのある“大森林産の岩塩”だ
なんでも山岳地帯に近い森の村では、大量の岩塩が採取されるという。それが定期的に各村に“無料”で配給される。はるか昔から大族長によって代々統治されているこの森は、村同士が助け合う一個の共同生命体と考えられているのである。
雨季が続きこの村でも塩不足だが、近日届く予定だ。
余談だが、血抜きされた“獣の血”もこの部族では愛飲食されている。鉄分に塩分など栄養価は高そうだが、未だにオレは慣れない。生肉は食べるけど。
(ここの味付けは悪くないんだけど…やっぱり、日本の味が恋しくなるな…たまに…)
元日本人であるオレとしては、醤油や味噌など日本の味が時おり恋しくなる。もちろんそんな物はこの森の中には一切ない。
(この森を出た所にあるという“王国や街”には、そんな調味料はあるのかな…)
噂では石製の城と街の西洋風な暮らし。
そんな平地の王国には恐らくは、醤油と味噌はないだろう。でも恐らく大豆に似た豆くらいはあるかもしれない。醤油と味噌確の原材料は豆なので、自分でも作れるかもしれない。
(でも、醤油や味噌の作り方をオレは知らない…まあ、何とかなるだろう)
自分はまだ幼い五歳だ。
凶暴な獣が闊歩するこの大森林を、自由に出歩けるくらいに成長しないと話にならない。とにかく死なない様に生きるんだ。
(よし、オレも早く一人前になろう)
そう思いイノシシ鍋のお替わりを試みる。だが、オレの前にある大鍋は既に空になっていた。一体、誰が食べてしまったんだろう。
(ん…オレなのか…これを食べちゃったのは…)
オレと同じく鍋を囲む村人たちの視線が厳しい。
どうやら味噌と醤油に想いを馳せていたオレが、無意識的に鍋の具をつついていたらしい。あとでみんなに謝っておこう。殴られる前に。
森林部族の食糧状況は厳しいのだ。
・・・・・・
「おい、お前」
「ぼ、僕ですか」
「ああ、そろそろ精霊神官様の食事の時間だ。この小鍋を館へ持って行ってくれ」
「神官の館…は、はい。わかりました」
いつもの女頭にオレは呼び止められる。
拾われ子で“名無し”なオレはだいたい『おい、お前』と呼ばれる。敬語をあまり気にしない部族なので、オレも特には気にしていない。
午後に行ったオレがまた行くのに都合がいいのだろう。精霊神官の婆さんは気難しいことで有名だから。
(ふふふ…よし)
オレは小鍋の中身を道中でこぼさない様に、気を付けながら精霊神官の館へ向かう。暗い夜道で神経の使う移動だったが、内心はうきうきだ。
(もしかして、まださっきの女の子はいるのかな…いや、いるはずだよな)
色白の碧色のキレイな瞳の少女のことを思い出し、オレは慎重に道を急ぐ。
(それにしても、今宵はいつもに比べて結構な量な夕食だな…)
小鍋と言いながらもその量は軽く数人分はあった。
年配の神官の婆さんの食事はいつも質素で、数日に一回届けるだけでも足りていた。だが、今宵は大猟の祝いもあるが、それ以上に食事が多い。
「すみません…失礼します…」
そんな事を考えながら歩いていると目的地にたどり着く。
先ほどと同じように草木の蔓が絡まった扉をこっそり開ける。返事が無いので無断で中に入る。この部族にはノックをするという習慣もない。
相変わらず部屋の中は薄暗い。
「あなたは、さっきの…」
暗闇に慣れて自分に声がかけられる。さっきの色白の少女だ。
思っていたとおり、まだいたのだ。
「しょ、食事を持って来ました、神官様に」
緊張した声でオレは目的の説明をする。言葉が少ない子が相手なので言葉を選んでしまう。
「そこに置いて。あとは帰って」
「は、はい…そうします」
相変わらず無表情で不愛想な子だ。でも神秘的な見た目と相まって、もはやそれすらも可愛らしく感じる。これだけでも今夜は収穫だ。
オレは指示通りに小鍋を部屋の真ん中へ置き、館を出る準備をする。
「これは…肉…」
「は、はい、大人衆が捕って来た“猪鍋”です…あれ、肉は大丈夫ですか?」
「うん…好き」
鍋の蓋を開け中身を確認し、少女は口元を緩めた。薄暗くてよく見えなかったが一瞬だけ笑みを浮かべたのかもしれない。可愛い。
「そういえば…私…明日、この村を離れる」
「えっ…そ、それは随分と急な…」
少女の笑顔の断片を見られ、オレは有頂天になりかけていた。だがその子の言葉で、一気に谷底に落とされた気分になる。
「“大村”へいくの」
「そっか…大村か…」
“大村”…聞きなれない単語だったが、沈むオレはただ言葉を繰り返す。
「また、会えるかな…君と」
「大村に来られたら…」
その返事にオレの沈む心はパッと晴れ渡る。上がって下がって、また上がる。会える可能性が見つかったのだ。
「そっか…ん」
その時、館の奥の部屋からごそごそと人の気配がする。恐らくは口うるさい神官の婆さんが、この部屋に来るのだろう。
「じゃあ、僕は戻るから、またね」
「…うん、また」
少し間があり、少女はコクリと返事をくれる。相変わらず無表情だけど、最初よりは会話が成り立っていた。
そして、婆さんが来る前に、オレは館を勢いよく飛び出ていく。
(へっへっへ…また会う約束をしちゃった。大村か…あっ、あの子の“名”を聞くのを忘れちゃった…まあ、いっか)
お使いが終わり、暗闇の中をオレは勢いよく駆けて行く。
想いをよせた少女と、再会を約束できたのだから。“大村”という村がこの森にはあるのだろう。
だが、この時のオレはまだ知らなかった。
この森の部族の少年にとって“大村”に行くということが、どれほど苦難の道であるかを。
そして、あの神官着の少女と自分の運命に気付かずにいたのだ。
「ああ…そういえば、走ったら、また腹が減ってきたな…」
どうやらこの身体の燃費が悪い。
それでもここの、森での生活も悪くはない、と最近思えるようになっていた。
そんな事を思いながら、オレは深い森をを駆けるのだった。
------五歳の日 終------