24ー4羽: 幻たる獣
「うおお!《獅子姫》ちゃんから離れろ、この獣野郎め!」
雄叫び上げながら《魔獣喰い》ことオレは、その七色に輝く大角の牡鹿に突撃する。
普段の狩りなら決してしない奇行だ。だが、今は牡鹿野郎の注目を、《獅子姫》からこちらに向ける必要がある。
『キャルゥウウ』
その作戦が功を奏したのか、獣は奇声を上げながらこちらに顔を向け構える。
「《魔獣喰い》…逃げろ…こいつの視線を合わせるのではない…」
一方で《獅子姫》はひざをつきその場に身体を落とす。恐らくは獣の視線を受けて放心状態で操られていたのだろう。
さっきのオレと同じで全身が痺れて、まだ自由が効かないようだ。だが、どうやら怪しい催眠は解けたようだ。よし、いけるぞ。
『ギャャルルルルゥゥウ!!』
だが次の瞬間…獣は急に鳴き声の質を変え叫び出す。絶叫だ。
「くっ…」
鼓膜を直接刺激するような激しい叫び声だ。動いている心臓を素手で鷲づかみされた様な恐怖を感じる。
“絶対にこの獣には敵わない”という恐れで、胸が押し潰されそうになる。本能で恐怖する。
見ると獣の形相も先ほどの聖獣のような穏やかな顔付きではなく、どす黒い漆黒の獣の目つきへと変化していた。白銀の体毛も灰色に変色する。
「こっちが本性かよ…この鹿野郎が…」
そう軽口を叩くものの、オレは動悸が激しくなる。見えない恐怖で足がすくみそうになる。この場から逃げ出したい。
辛うじて正面の眼前に囚われないように、獣を中心に移動できているのが不幸中の幸いだ。だが弓を射ちたくても、動悸が激し過ぎて集中できない今は放てない状況だ。
(クソッ…どうする…)
早くしなければ、獣の足元でまだ動けない《獅子姫》ちゃんがまた襲われてしまう。オレは無い思考回路を全開にして考える。
・・・・・・
『魔獣を狩れたからといって調子に乗るな。この世界…大森林は広く神秘に満ちている』
『べ、別にオレは調子に乗ってないよ、オッサン』
またなぜか、幼いころに《流れる風》オッサンに言われた言葉に脳内に響く。新たなる精神攻撃か幻聴か。
『獣や魔獣の中にはその咆哮により、狩る者の心を乱す奴らもいる。心の精霊を乱すというやつだ…』
『へえ…それは怖そうだね…』
どうやら獣の精神攻撃ではないようだ…これもオレの記憶か…オッサンと一緒に旅をしていた時の。
『更には厄介なのは、甘い幻影や幻聴で相手を誘惑し虜にする獣だ。…ぞくに言う“幻獣”というヤツだ…』
『“幻獣”…初めて聞く獣だね…強いの、それ』
『最悪だ。何しろその姿を認識した瞬間に、相手の術に掛かっちまうからな…見かけたら逃げるに限るな』
だが、オレは知っている。森の英雄と呼ばれる戦士《流れる風》は無類の負けず嫌いだ。子どもな大人だ。
『もしも…どうしても狩らなくていけない時は、どうするの、オッサン』
『ハッ、オメエも懲りない子供だな。どうせ“幻獣”がどんな味か食いたいと思っているんだろうが…そうだな、どうしても倒さなきゃいけない時はだな…』
《流れる風》オッサンの言葉が、今となって急に胸に響く。
・・・・・・
“顔や目から視線を逸らして、相手の足元や、特に重心を注目する”
戦士《流れる風》の最初の言葉を思い出す。
オレは半円を描く様に、その獣…幻獣と一定の距離を取りながら移動を再開する。あくまでも視線は合わせない、その肢体を観察し臨機応変に対応できるようにする。
“次は深呼吸と共に腹の下の部分に意識…”氣”を溜めて心を強く持つ“
(だったな…確か)
獣の咆哮で乱れていた呼吸を整え、意識を集中する。先ほどまで氷の様に冷え切っていた身体が、自然とポカポカ暖かくなってくる。
(そして最後は…これは恥ずかしいな…だが、仕方がない…)
覚悟を決めたオレは、相手を狙える好位置で足を止める。
そして、両足を肩幅に広げ大地をグッと踏み込む。すうっと、森の香りがする空気を、思いっ切り両肺に吸い込み準備万端だ。さあ、行くぞ。
「オレは…」
一瞬、躊躇しそうになる。だが、まだ動けないでいる《獅子姫》の姿が視線に入りにオレは覚悟を決める。《流れる風》オッサンに教わった最後の言葉を叫ぶんだ。
「オレは最強だ!オレは最高だ! オレは最強だ!オレは最高だぁ!」
深淵の森の中に騒がしい叫び声が響き渡る。山びこの様に声がこだまする。
叫んだ張本人であるオレは、恥ずかしさのあまり耳に先まで真っ赤に染まり、身体中に嫌な汗が流れる。
どんだけ自意識過剰な掛け声だ…これはある種の拷問だ。
『ギャャルルルルゥゥウ!!』
だが、何かの異変を感じた獣は、先ほどより更にけたたましい叫び声を上げる。これは相手の心の精霊を乱す野生の術の一種だ。
(くっ…さっきのアレか…ん…大丈夫だ…さっきと違い全然胸が苦しくないぞ…マジでさっきの雄叫びが効いているのかよ…)
自分の身体を確認すると、先ほどまで痺れが残っていた手足は完全に回復している。身体中がほど良い熱気に包まれ、また頭も澄みわたっている。
これまでに経験したことがない最高の体調だ。
「これならいける!」
オレは即座に弓矢を構え集中する。目標は幻獣野郎だ。
こちらの変化に勘付き、七色の牡角を振りかざしながら物凄い勢いで突進して来る獣だ。その距離十木半。
『キュゥウウウル』
こちらに突進して来る獣は、更に先ほどと違う鳴き声を上げる。するとその姿は陽炎にように揺らぎ何重にも見える。
これも幻術の一種か…狩人泣かせの最悪な術だな。クソッ。
「我を舐めるなぁあ!」
その時、気合の声とともに《獅子姫》が幻獣の背後から斬りかかる。
つい先ほどまで、幻術をまともに食らって動けないでいたはずだったのに、物凄い回復力だ。それでもその動きはいつもの精彩を欠いている。
《獅子姫》は満身創痍ながらも、何重にも姿を分けた幻獣に全て斬りかかる。多くの剣撃は空をきるが、一撃多重の凄まじい連撃だ。
「《魔獣喰い》よ、コイツが本体じゃ!仕留めるのだ…うぐっ」
「あっ…《獅子姫》ちゃん…分かった!」
辛うじて手応えがあったのだろう。最後の一体に斬りかかった《獅子姫》の剣先には、ねっとりした血が付着していた。
だが、次の瞬間には幻獣の後ろ蹴りをまともに喰らい、吹き飛ぶ。大型肉食獣ですら即死させるであろう一撃だ。
《獅子姫》ちゃんは反射的に身体をひねりその勢いを殺していた。何とか無事そうだ、よかった。
幻獣は次の獲物でるオレに向かって、再び物凄い勢いでこちらに突進してくる。前方の木々を吹き飛ばし一直線。
「これは…この一射は…」
オレは静かに弓矢を構え、押手と勝手に集中する。足踏みで大地の壮大さを感じ、息を整える。押し潰されそうになる恐怖心を、心で抑える。
「この一矢は外さない」
自分を信じてスッと指を離す。
狙うは幻獣の急所と思われる箇所…微かに光り輝いて見える所。不思議な感覚だ…興奮しているような、それでいて心静まっているような。
この一射が通じなければ、オレはこの幻獣の猛突撃を喰らい絶命するだろう。だが、それも仕方がない。
“弱いモノは、強いモノに狩られる”
それがこの大森林の…自然の摂理だからだ。
・・・・・・・・・・
(ん…?)
いつの間にか集中し過ぎて、妄想にふけていたようだ。いけない癖だ。
ふと視線を送ると、オレの目の前には一匹の“獣”が横たわっていた。その脳天には一本の矢が突き刺さり絶命している。
どうやらオレの矢が何とか効いたようだ。
(これが…さっきの幻獣の正体だったのか…)
オレはその獣にゆっくりと近付き観察する。
(この“猿類の獣”が見せていた幻覚だったのか…さっきの巨大な牡鹿の獣も…)
近寄ったオレの眼下に横たわるのは、人間の子どもほどの毛むくじゃらの猿人だった。
顔はしわだらけで手足も針金のようにやせ細っている。だが、絶命しながらもなお輝く両眼は、これまで見たこともないような綺麗な黄金色であった。
しばらくその輝きに目を奪われる。だが、先ほどの様に心を操られる嫌な気配はしない。
「ふむ、数百の年月を越えた魔獣は幻獣と化す…まさか本当に目にするとはな…」
「《獅子姫》ちゃん…」
《獅子姫》が左腕を抑えながらゆっくりと近づいて来た。先ほど蹴り足の衝撃を受け流しきれずに痛めたのだろう。痛々しい。
「《獅子姫》ちゃん…身体の…怪我は大丈夫?」
「なに、手足の痺れはまだ若干残っているが…お前に酷い有り様に比べたら可愛いもんじゃ、《魔獣喰い》よ…」
「ん?」
彼女にそう言われてはじめて気付く。
先ほどまで意識を集中して張り詰めっぱなしだったので、一気に疲れがどっと溢れてくる。更に全身は脂汗まみれで、親指の爪の隙間には極太の針金が突き刺さったままで血がどぼどぼだ。
「ハッハッハ…緊張のあまりに忘れていたよ…でも《獅子姫》ちゃんも泥だらけで酷い顔だよ」
「ん?お前のこの猿の様にくたびれた果てた顔よりはマシじゃよ…ふっ」
「そうかな…ぷっ」
気が抜けたのかオレはその場にしりもちで座る。なぜか込み上がる笑い声を抑えられない。
一方で《獅子姫》もひざを折りすとんと上品に座り込み、こぼれだす笑み声を抑えている。
激戦を終えて静寂と化した森の中に、二人の男女の笑い声が響く。
疲れのあまり今は身体が一歩も動けない。別の肉食獣に襲われたらお終いだろう。その時はそのときだ。
「ああ…それにして疲れたな…」
《魔獣喰い》ことオレはごろんと寝そべり、木々の隙間からこぼれる青い空を眺めながら、そう呟くのであった。




