15.7羽:邂逅との再会
「爺さん、悪いが少し寄って行く所がある。先に行ってくれ」
大村の賑やかな通りを抜け切った頃、戦士《流れる風》は先導していた初老の戦士にそう告げる。老戦士は静かに頷き、護衛の戦士たちと共にこちらを離れて先に進んで行く。
「お前はこっちだ」
どうすればいいのか右往左往していた《魔獣喰い》ことオレは、《流れる風》のオッサンのそんな指示に従い後を付いて行く。何しろ知らない全く土地だ、迷子になっただけでも何が起こるか分からない。
「ちょ、ちょっと待ってよ・・・」
そんな感じで急ぎ足のオッサンの後を付いて行きしばらく進むと、華やかな大通りを逸れて少し建物もまばらな地区に入る。
急に左右の建物が切れて何もない大広場へとたどり着く。
「ん!?大きい・・・これが“元始の樹”か・・・」
感嘆の声が自然とオレの口からこぼれる。驚きのあまり口を半開きにしながら遥か頭上の彼方に視線をやる。
大きな広場の中心にそびえ立っていたのは、天まで届こうと一本の大老樹であった。
大人十人が手を繋ぎ輪になっても足りない位に幹は太く、この場の頭上がすっぽり覆われ空が見えなく成る程に枝を広げた青葉。更にそれを支える為に大蛇の様に大地にしっかり張り巡らされた逞しい根が、まるで生き物の様にそこに聳えていた。
「遠目でも大きく見えたけど、間近だと更に圧巻だ・・・」
その全景を目にして独り言の呟きながら、オレはしばし言葉を失う。それ程までにこの大老樹の姿は荘厳であり幻想的でもあった。
「遥か古代、人も獣の住めない死の荒野だったこの地に天から一粒の種が落ち、“元始の樹”が芽吹く。やがて気の遠くなるほどの長い年月をかけてその周りに豊かな大森林が広がっていった・・・まあ、これも精霊神官たちの口伝の昔話だがな・・・」
《流れる風》は大老樹を目の前に絶句していたオレに聞こえる様にそう呟く。
(この水源豊かで様々生き物の宝庫の大森林が、昔は死の荒野だったなんて信じられない話だ・・・でも・・・)
実際にこの幻想的な大樹を目にし、その昔話もあながち本当ではないか、と思ってしまう程に不思議な力に満ちている。
「おい、そろそろ行くぞ」
感動の渦に浸っているオレを現実に引き戻し、オッサンはその老樹の麓へと先に進んで行く。
(ん?建物・・・館がある)
その行き先にあるのは老樹の幹や根を巧みに利用して建てられた館であった。あまりにも規格外の大樹の下にあるので気付かなかったが、森にある建物としてもかなり大きな部類の館になる。
「母樹の麓にあるという事は“精霊神官の館”か・・・」
近付くにつれて詳細が見えてくる館にオレはそう呟くのであった。
・・・・・・
「少しここで待て」
大老樹の下の館の正面玄関から普通に《流れる風》のオッサン入って行く。門番や出迎えの者などは居なく出入りは自由だ。オッサンは以前もこの館に来たことがあるのだろう、勝手に中に入り奥の部屋まで進んで行く。そこで指示されオレはオッサンとしばらく待機する。
木製の大きな建物だが中は質素でどこか気品もある。更に室内だというのに深い森で感じられる“精霊氣”に満ち溢れているような気がする。さすがは“元始の樹”の精霊神官の館だ。
そう“精霊神官”というのはこの森の部族の特有の職種だ。
どんな辺境の小さな村にも必ず一人の精霊神官がいて、村で一番大きな母樹の側の館に住んでいる。
仕事としては森の精霊の声を聞き、婚礼の儀や新しく産まれた子供に健康の呪いをかけたり、その年の狩りや狩猟の吉方角の決定、精霊の声を聴いて大雨や暴風などの災いを避けたり、ある意味で村長よりも重要な役職だ。
更には様々な薬草や毒薬にも詳しく、村の者が大怪我した時はこの精霊神官の薬草を付けると怪我の治りも格段に早い。
普段はあまり館に籠り表舞台に出てこないが、村では誰よりも尊敬されていたりする。
「精霊たちが騒がしいと思ったら・・・珍しく“風”の坊やじゃないか」
そんな事を思い出しているとオレとオッサンの待機する部屋に女性が二人静かに入って来る。
その言葉を発した一人はフードで顔はよく見えないが、声質や歩き方からして老婆であろう。だが背筋はピンと伸ばされておりどこか風格さえある。身に着けている装飾品から恐らくはこの館でも高位にあたる精霊神官であろう。
「よう、婆さん。まだ生きていたのか・・・相変わらず元気そうだな。今日は頼みがあって来た」
「何だい、久方ぶりに可愛い坊やが尋ねて来たかと思えば、また無理難題かい・・・悪いがお前さん“剣”はまだ浄化中。まだ半分といったところだよ」
《流れる風》のオッサンは入室して来た老女の精霊神官に皮肉めいた言葉で返す。だがその顔には珍しく柔らかな笑みが浮かんでいる。
一方で老婆の口から出る言葉は厳しいが、その小さな目には明らかに親しみと喜びの色が見える。
「それは知っていた。それよりも・・・」
オッサンは少し声のトーンを落とし老婆に相談をし始める。
「こちらをどうぞ」
「ん?」
そんな時、老婆と共に入室していた付添人から木の器に入った飲み物を出される。恐らくは道中の喉の渇きを癒す浄化された水であろう。来客に飲み物を出すとは流石は大都会の精霊神官の館である。
(ん、この子は…)
だがオレが注目したそんな些細な事ではない。その水を出してくれたのが自分と同じ年頃の少女であった事だ。
いや、同年代の少女というだけなら、自分の育った村にも何人かいた。だがこの少女はこの世界に来て・・・いや、現世も合わせて初めて見るタイプの女の子であった。
(透き通るような…白い肌の子だな…)
第一印象で思わず目を奪われてしまった原因はそこであった。
どちらかと言えば暑い地域に属するこの大森林で、殆どの部族の民は年中薄着で生活している。そうすると必然的に男女を問わず健康的に日焼けする。それは当たり前の事でありむしろ誇らしい事であった。
だがこの少女はまるで日の下に一度も出た事が無い程に透き通った白い肌をしていた。年代的にはまだ十歳であるオレと同じ位だろうか。質素な白い神官着と精霊装飾を身に着ける所をみると、間違いなくこの子も先ほどの老婆と同じく精霊神官であろう。
(か、可愛い子だな…)
そして目を奪われた最大の理由・・・オレの率直な感想はソレだった
長い髪を二つに結い大きな瞳でこちらをジッと見つめている。透き通る様な肌がより一層そのつぶらな瞳を印象的づけている。雲ひとつない闇空に幻想的に輝く月の様に・・・そんな神秘的な趣きさえ醸し出している。
(今でも十分可愛いけど・・・数年後にはどんな風に美しく成長しているんだろう・・・)
自分を擁護する訳ではないが、この十歳以下の女の子を見て可愛いと思ったのは初めてであった。何しろオレは元々十四歳の中学生・・・あまり変わらない様な気がするかもしれないが、この年頃の四歳は大きい。幼児愛好者では決してない。
(アレっ…こんな感じは前もあったような…あっ、もしかして、この子は…)
そこでオレはハッと気付く。
五年前に、オレがまだ五歳の時に一度だけ感じた想い。そして、この少女はあのときの子とよく似ているのだ。
(でももしかしたら、似ているだけで、本人じゃないかもしれない。姉妹とか従妹とか)
そう考えると間違って声もかけ辛い。少女はこちらの目線に気付いていても気にする事無く、大きな瞳でジッとオレを見つめ返している。ニコリとも笑顔を浮かべ無いところがまた幻想的だ。
その視線にこちらの方が急に恥ずかしくなり視線を逸らす。
少女は更にオレの事を見つめてくる。視線を決して逸らさずに真剣な表情で真っ直ぐにこちらを見つめている。
「どうだ?」
恥ずかしいけど何とも言えない心地良いその視線を受けオレが硬直していると、老婆と話をしていた《流れる風》のオッサンがその少女に問い掛ける。少女は無言で頷き、小さな声でオッサンに何か伝えている。
そして先ほどまで無表情だったその少女の顔に、一瞬だが笑みが浮かんだのをオレは見逃さない。それは本当に一瞬だったが年相応の少女の明るい笑みであった。
小声で内容は聞こえないが、この少女とオッサンはどうやら顔見知りなのだろう。何となくだが二人のやり取りでその事に気付いてしまう。どういう関係なんだろう。やっぱりアノ時の子かな…気になり過ぎる。
「おい、ボーっとしてないで、次に行くぞ」
「えっ?」
用事が済んだのか《流れる風》のオッサンはそう言い、この部屋を出て行く。相変わらずマイペースなオッサンだ…オレが言うのもなんだが。
オレは名残惜しさに後ろ髪を引かれながら、その後を追う。
・・・・・
(それにしてもさっきの女の子は……)
館を出てまた大通りに戻るオッサンの後を追いながら、オレは心の中で呟く。冷静に思い出しても、あの時の精霊神官である事には違いない。
(ここで見習いしていたのかな・・・相変わらず無愛想だったけど、本当に可愛いかったな・・・きっと、五年前のあの子だと思うだけど。名はなんていうのかな・・・またあそこに行けば会えるのかな・・・)
思春期の少年の様に上の空で考え事をしながら歩く。まあ、まだまだ思春期の様なものだが。
「おい、目的地に着いたぞ。ここから先は気を引き締めておけ・・・気を抜いたら下手したら死ぬぞ」
(死ぬ?)
オッサンのそんな声で我に返る。
「ん?・・・ここは・・・」
いつの間にか辿り着いたその視線の先にあったのは堅牢な構えでそびえている“城”であった。




