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異端-吸血鬼事件-  作者: 彩葉 陽文
Chapter5 反転の朝/九日目
17/18

3

 ユウナと別れた後、しばらくぼんやりと公園で過ごして、思い出したようにぼくは、病院へと向かった。

 ユウナとの別れの時点で、ぼくにとっての物語はすでにほとんど終わっていたのだけれども、最後の確認を取らなくては、気持ちに整理はつけられなかった。

 だいぶ遅くなったのにも関わらず、病院にはまだ石本さんも宮城さんも、もちろんハクも居た。どうやらぼくを待っていたようだった。

「やあ、遅かったね。ちょうど佐竹くんと、入れ替わりだったよ」

 その石本さんの言葉で、納得して。

 ああ、やっぱりユウナも来てたんだ、と。

 多分来て、チコの様子だけを見て、帰っていったのだろう。今の時間はもう飛行機は飛んでないだろうから、明日の朝、一番にこの町を出て、そして――

 ぼくは首を振って、考えるのを止めた。

「チコの容態はどうなんですか?」

「だいぶ落ち着いているそうだよ。おそらく、明日が峠、だそうだ。が、まあ、大丈夫だろう」

「そう……」

 チコに対して、何をどう考えていいのか、わからなかった。

 チコはシュンの仇で、ぼくを殺そうとしている。けれども、友達。

 回復を祈ればいいのか、死を願えばいいのか、それとも、このまま意識が戻らないことを、希望すればいいのか。

 ぼくはハクを見た。

 チコに好かれていた、ハク。

 その想いは計れない。ぼくにはできない。

「ハク……ちょっといい?」

 ぼくはハクを誘って、屋上へ出た。

 風が冷たかった。

 満月は煌々と蒼白い光を落とし、街を影絵のように照らしていた。

 どうしても確認しなくては、ならない。

 だから、たずねた。

 ぼくらの街を見ながら。

 ハクに背を向けて。

 異端の子供たちが暮らす、街を見ながら。

「いつから気づいてたの?」

「最初から」

 ハクらしく、ぼくの聞きたかった言葉を正確に理解して応えた。

「おれにはすべての可能性が見えていた。ただ、知っていることが多すぎて、どれが正解なのか、わからなかった」

「ぼくには何もわからなかったよ。可能性すら、ね」

「それが普通だ」

「そうだね……ハク……防げなかったの?」

「…………防げたのかも、しれない。おれはチコの思いも、シュンの考えも、ユウナの行動も、すべて知っていた」

「だったら、どうして?」

 叫ぶように振り向いて、ぼくは絶句した。

 ハクの目から、透明な雫が流れていた。

 始めて見た。ハクの涙も。

「なぜ、そこで泣く?」

「……信じたくはなかった。友達が、友達を殺そうとする、そんなことがあるなんて」

 ああ、いつかのハクの言葉を思い出す。

 相手がどんな存在だろうと、それでも受け入れ共にいる。それが友達。

 あの言葉は、ぼくが思っている以上に、ハクの本心を表していたのかもしれない。

「今朝……いや、昨日の、あの無茶苦茶な推理は、ユウナを庇ったの?」

 ハクはうなずく。

「そうだ……」

「昨日の朝、丘に登ったときハク、シホの遺体があった場所をユウナに尋ねたよね? あれは、確認だったの?」

 ハクが忘れているというのも。ユウナがシホの遺体の場所を知っているのも。どこがとは言えない、微妙に薄っぺらな違和感がある。けれども、あの時すでにハクが事の真相を知っていて、それを何気なく確認しようとしていたのならば、違和感は消失する。

 ハクの言葉が、どこまで本当なのかわからないけれども、確かにその時にはもう、ハクにはすべての真相が見えていたのだ。

 ハクは哀しげに笑うだけで応えた。

「どうしてチコは、ぼくに嫉妬したんだろう?」

 ぼくはハクのことが好きだ。けれども、表に現すことは決してなかったし、つもりもなかった。

「不安だったんだろう。この街に住むおれたちは、皆それぞれ、異端たる理由をもって社会からはじき出されることによって、集合を作っている。逆にいえば、異端であることがおれたちの仲間になる第一条件だったんだ。しかし、チコにはその理由がなかった」

「は? 何を言って?」

 何を言ってるんだ? そんな理由――

「例えばおれは《斑の賢者》たる智謀をもってして、異端となった。お前には七家の脱落者であり先祖帰りであり《紅十字》という特殊能力者である異端。ユウナには純和風フランス人、そして《吸血鬼》であるという異端。シュンには《沈黙者》であるという異端があった。しかし、チコは、何も持たない」

「え……っと? チコには――」

「《笑い所がわからない》と言う異端か? 《笑い所が他人と違う》――というのは、他人とのコミュニケーションと取る上での重大な異端さ。異端だろうな。人が笑うべき所で笑えず、人が笑わない所で笑ってしまう、異端。だがな、そうならば笑いどころが(ヽヽヽヽヽヽ)わからない(ヽヽヽヽヽ)なんてことは(ヽヽヽヽヽヽ)起こらない(ヽヽヽヽヽ)

「え?」

 笑いどころがわからない。

 笑いどころが違う。

 その、二つの、違い。

「……え? あっ……」

「単に違うというだけならば、普通の人たちとは異なる、何らかの笑いのパターンがあるはずさ。これだけ長く、一年も付き合っていればおぼろげながらもどういうところでチコが笑うのか、見えてこなければおかしい」

 だけど、わからなかった。それはつまり。

「演技をしてたって事? 人と違う場所で笑うという、演技を?」

 ハクは動かない。

「やり方は簡単だ。会話の、ランダムな場所で唐突に笑って見せれば良いだけだからな」

「そして、皆と同じ場所で笑わない?」

 呆然とした。

 だから、チコがどこで笑うのかわからない。

 いつ、笑うのか、わからない。

 基準があるわけではないから。

 彼女の笑いに、一定の法則があるわけじゃないから。

 ただ、ランダムに、適当に、笑って、見せるだけだから。

 チコはそこまでして、ハクに近づこうとしたのだろうか?

 面白くもない場所で笑い、面白い場所で笑わない。笑いの一切を、意志の力で、表皮の下に抑え込む。そんな演技をずっと続けて、ハクのいる場所へ、ぼくらの、異端の子供たちがいる場所へ、行こうとしていたのだろうか?

「チコは自分を偽っていた。なぜ、その演技を選んだのかは、わからない。下手な演技だしな。そのこともあっておれは、チコを、遠ざけこそしなかったが、必要以上に近づけることもしなかった」

 下手な演技。ぼくは気づきもしなかったけど。ああ、そっか。それが理由で動機で原因で。すべてがすべて、ただそうあるというだけで、チコの想いは報われることはなかったのだ。

「そして、おそらくシュンにも同じ事が言える」

「――シュンにも?」

 何のことか、わからなかった。

「おれの想像が正しければ、シュンのそれは、チコのそれより遥かに年季が入っていて、徹底している」

「……まさか、それって」

「ああ。おそらくシュンは、子供のころ、杜代の家から異端として排除されるお前を見た時、同じく異端でいようと、お前の味方でいようとして、喋ることを(ヽヽヽヽヽ)止めた(ヽヽヽ)のではないか?」

 巨大な鈍器で頭を殴られたような、これまでで最大の衝撃を、ぼくは受けた。

「そんな……そんなっ!」

「確証はない。けれども、そう考えるといくつかの事象をすっきり説明できる。例えば、チコの想いにシュンが気づいた理由だとか。ハクが、まったく喋れないわけじゃない理由だとか」

「全部、演技だったっていうの? ぼくに……ぼくに近づくために……いや、ぼくを守るために」

 ぼくを孤独(ひとり)にしないために。ぼくの味方になるために。

 チコとシュンを同類だと感じた。

 けれども、それは、ぼくの想像以上に深く、強く同類だったのだ。

 くらりと、

 世界が傾いだ。

 空が抜けて、月が落ちてくるような、錯覚があった。

 体から力が抜けて、ぼくはふらりと、屋上のフェンスへ寄り掛かった。

「シュン……、そんな……そんな――っ!」

 ぼくはその場で跪く。

 そしてただ、彼の名を繰り返す。

 ぼくのために死んだ、彼の名を。

 誰かのためじゃなく、自分のために。

 シュンの想いに気づいていながら、ずっと、気づいていない振りをし続けていた、自分のために。

 シュンのやさしさに甘え続けていた、自分のために。

 ぼくはシュンに何ができるのだろう?

 何をすればいいのだろう?

 わかっている。

 何もできない。

 死者が何もできないと同じように、生者もまた、死者に対してできることはない。

 生者と死者の間には、何よりも深い断絶がある。

 シュンに対してできることは、何もない。

 ぼくは、後悔という、言葉の意味を知った。

 どうしてシュンの想いに、気づいて、ほんの少しでも報いてあげられなかったのだろう?

 答えは簡単だ。

 ぼくもシュンも、生きていたからだろう。

「嘆くことはない。シュンは想いを遂げたのだから」

 慰めなんかじゃなく、ただ冷然と、事実のみを伝えるようなハクの言葉は、恐らく真実。

「……そうかもしれない」

 シュンは、ぼくの身代わりに死ぬという行為で、ぼくの心に永遠に残ることに成功した。

 一人の人に、心の一部であろうと支配されること。

 それは、その人の物になる、ということと、等号で結ばれる概念なのかもしれない。

「……ところで、キョウ」

「……何?」

 涙を拭いて、顔を上げるぼくに対して、ハクは、最後の逆転の言葉を発した。

「ユウナの言葉を、本当にすべてそのまま事実だと認識しているのか?」

「はい?」

 それって、どういう意味だか。

 この期に及んでユウナが嘘をつくだろうかと首を傾げるぼくに対して、ハクは不意に、表情に邪悪な笑みを浮かべて、語った。

「まさか、本当に吸血鬼なんて人外生命体が存在するなんてこと、信じてるのか?」

 いや、吸血鬼が人外生命体なんて、決まってないし……っていうか、そんな揚げ足取りはどうでもいいとして。

「えっと? ユウナがそうなんじゃ、ないの?」

 違うの? 違うのかな? 違うとでもいうの?

「ユウナは、ただ単に、自分が吸血鬼だと思い込んでいる人間……って考えても、彼女の行動はすべてすっきりと説明がつく」

「え? ええっ? ちょっと待って……あ、ほら、シホって、火葬場から蘇ったんじゃ?」

「あれは里穂が自分たち以外の犯人を示そうとして流した流言だろ?」

 そうでした。

「ユウナは人とも思えないほど、馬鹿力だったし……なんか、飛んでたし」

「確かに信じれないほど力は強かったし、君との戦闘の時のあの跳躍力も見事なものだった。しかし、本当に、人間に同じことはできないと、断言できるか?」

「あー……それは……断言、できない、かもしれない……け、けど、あっ、ほ、ほら、最後、風と共に消えたし」

「確かに見事だったな、あれは。だがしかし、奇術師による手品とどう違う?」

「じ、準備する時間がないよっ!」

「キョウがいつもの公園に呼び出すのは、少し考えれば想像が付く。それさえわかっていれば、準備する時間がまったくないとは言えまい?」

「あぅぅ……そ、そうかもだけど…………ってか、待て。見てたのかっ!」

 ぼくとユウナが戦っている場面を、どこかに隠れて、ずっと見ていたとでもいうのか?

 うわっ。何やってるんだ、こいつ。

「ああ。見ていた。おれには真相がわかっていて、キョウが気づくことも予想できていて、ユウナと二人きりで逢おうとすることも想像が付き、その会合場所も推測できたのならば、行かない手はないだろう?」

 悪びれもしない。

 邪魔されても困ったけど。

「まあ、あれだな。ユウナの最後のせりふ。あれは完全におれに対する当て付けだな」

「何のこと?」

「お別れのキスがどうとか」

「うわっ」

 顔が赤くなる。やだ。聞いてた?

 うわっ。キスしないでよかった。

 ……ひょっとして、ユウナはハクが隠れて見ていることに気づいていたのだろうか?

 えーと、えーと、やばい。ハクの顔がまともに見れない。何か話をそらさないと。

「あ、で、ところで本当に、吸血鬼はいないの?」

「いないとは言ってない。居るという、確証は持てないだけだ。そもそも、ユウナ、日光の下を歩いてたじゃないか」

「あ……」

「最近の吸血鬼をテーマにした物語では何かと理由付けて太陽の下でも歩けるようにしているみたいだが、あくまでもそれらは最近の創作にすぎない、だろう?」

 そう言えばそうだ。吸血鬼が太陽の下を当たり前のように歩いてるなんて、そんな小説が、マンガが、アニメが、ゲームが、あまりにも多いから、それが当たり前のように思ってしまっていた。

 けれど、それらはすべて後付けの創作であることは明らかで、厳密に、古来よりの、吸血鬼に則って考えると、確かに当たり前のように日光の下を歩いているユウナを吸血鬼だとするのは無理がある。

「じゃあ、ユウナは自分が吸血鬼だと、思い込んでいるだけ?」

「もしくは、吸血鬼だと思い込ませようとしているだけなのかもな」

「何のために?」

 ハクは応えなかった。

 必要のないことだと思ったのだろう。

 それは、友人を受け入れるという、ハクの信念に反する可能性だったから。

 自分は悪くないのだと、ぼくらに思い込ませようとした、ユウナの策略。

 そんなことを考えるのは、ユウナに対しても、ハクに対しても、チコに対しても失礼だ。

 ぼくは「そうだね」とうなずいた。

「まあ、ブラム・ストーカーやヨーロッパの民間伝承で言う吸血鬼以外の吸血鬼は、日の下でも平気で歩くやつがいるけどな」

「……どっちなんだよ」

「まあ、古来より妖怪ってやつは夜にしか出ないって相場が決まってるしな」

「妖怪って……イメージが……」

「それに、キョウ、杜代家の力にしたって、同じことだろう?」

「うん」

 ユウナはぼくが、手加減したと勘違いしたみたいだが、本当は、ぼくの《力》とは、それほど大したものではなく、小さな空気の渦を起こせる程度のものだったりする。噂では、真空の刃で人を十字に切り裂くとか、その線が紅く彩られ、ゆえに《<ruby>紅十字<rt>クリムゾン・クリスクロス</ruby>》と呼ばれているのだとか、言われているらしい。けれどもそれは、すべてハクやフジヤの手による宣伝効果ってやつで、実際にはそこまでの力はなかったりする。

 大体、そんなことしたら、人死ぬし。

 実家の古い文献や、光花市の古い伝承に出てくる杜代家の人間は、やたらと強大なその《力》を使って鬼を退治したり、山を砕いたりしていたらしい。らしいが、ぼくはひそかに、そんな昔話の主人公たちも、実はたいした力を持ってなくて、力があるのかないのか、役に立つのか立たないのかわからない程度の存在で、噂で、情報操作で、実体よりも遥かに巨大な《力》に見せかけていただけなのではないかなんて、思っている。

 ぼくの力をハクたちが強力に見せかけたように。

 里穂たちが、吸血鬼の存在の痕跡を実際の何倍にも大きく見せかけたように。

 異端であり、異端を脱し、力を得て、頂点へと登り詰めるため。

 そうすることによって、追われることなく、身を守るため。

 もっと大げさに。

 もっと強大に。

 もっと、もっと、どこまでも……

「ユウナのお前に対する想いだって、同じ《人間ではない者》に対する同族意識――同属意識から来ているのかもしれない」

 その推論は、そのままぼくの、ハクに対する想いに代えるものだった。ハクは意図して言ったのだ。何のためか? 答えは一つしかない。牽制のため。

「……結局、何だっていうの?」

 すべてを大きく見せかけて、実体はすごくとても、吹けば霞んで消えてしまうほどちっぽけで。

 正しい想いなどなくて、すべては作り物で。

 なるようにしかならなかったとか。

 すべてがなるべく行動した結果だというのはあまりにも悲しくて、哀しくて、救いがなくて。

 出会わなければ、こんな結末を迎えることはなかったのか?

 そんなのは当たり前のことで。

 確かなものなど、どこにもなくて。

「それでも、おれたちは、友達だった」

 過去形で言う、ハクの言葉が、とても空虚な、冷たいものに思えた。

 ぼくは、だから、微笑んだ。

 ぼくらの世界の終わり。

 そして……


 それから、事件のことも、異端の子らのことも、吸血鬼のことも、杜代家のことも、何にも関係なく、ぼくらは喋った。

 好きな映画だとか、小説だとか、ゲームだとか。

 親友のように、兄妹のように、親子のように、男同士のように、女同士のように、そして、恋人のように。

 それはただ話すためだけに話すような、何も生まない、ただの消費行動だったけれども、それゆえに話題は今までになく、たぶん、出会ってからの一年で、一番盛り上がり、一番楽しかった。

 さまざまな動機の交じり合ったここ最近の行為の中で、おそらく一番純粋な行為だった。

 どれほど時間がすぎたのか、不思議と邪魔する者もなく、ただ満月と、冷気を運ぶ風だけが観客で……

 ぼくと、ハクの、二人のためだけの会話は、蝋燭の炎が燃え尽きる時のように、ふっと、途切れた。

 そして訪れる、長い沈黙。

 それは喋った時間の何千分の一にも満たない、瞬間と呼んでも差し支えないほどの短い間だったが。

 ぼくにはここ九日間よりももっと長い沈黙のように感じられた。

「ぼくの本当の名前はね、杜代都っていうの」

 最後に、正直に、ぼくは自分の名前を告げた。

 少し驚いたように、ハクは目を見開いて、

「なるほどな」

 うなずいた。

「杜代京ってのは、兄の名前……」

 特に意味のない、ぼくの嘘。

 黙っているのが嫌になって、告白した。

 ぼくらは、異端。

 異端ゆえに、自らが作った名前で呼ぶ。

 杜代都はキョウになり、篠本拓治はハクになり、佐竹夕菜はユウナになり、内名知子はチコになり、塚守俊介はシュンとなった。

 ぼくが、キョウを選んだのは、自分でも自覚している兄へのコンプレックス。

 両親に受け入れられた兄。異端ではない兄。力を持たない兄。

 ぼくは兄になりたかった。

 ぼくがぼくである、原因。

「お別れのキス、しない?」

 ユウナに敬意を表して。ユウナに習って。最後のつもりで、尋ねてみた。

「キスだけでいいのか?」

 ……平然と問い返しやがった。

 応えるならば、ユウナに習って「ううん、よくない」とでも応えるべきなのだろうか?

 一瞬迷ったけど、さすがにそれは、言えない。

 赤面し、頭を抱えるぼくを見て、ハクは小さく苦笑。

「いつだったか……幼児と子供と大人……世界はそのように三極分化される……なんて話があったな?」

「……?」

 いつかの、ストリート情報誌『ライジン』の話。

「それに習えば、おれにとって世界は自分と、自分以外――それと、友人の、三つに分けられる」

 ハクは言葉を止めた。

 あぁ、それは、恋人という存在の否定。

 おれにとって?

 つまり、ハクの世界には、そんなもの、存在する余地がないという、宣言。

 わかってる。けども、世界は、結局三極分化されるような単純なものじゃないってことも、ぼくは知っている。

 子供と、大人。そして幼児。

 異端と、異端でないもの。そして、異端を演じるもの。

 けれども世界はそれだけではない。

 それだけのはずはない。

 ハクがその事実を、現実を知らないはずがない。

 だけど、それが、ハクにとっては真実だということも、よく知っていた。

 友達だから。

「またな」

 ハクは笑って、屋上の出入り口の扉を開けて、病院内へと戻っていく。

 まるで風のように。

 再会の約束。

 終わりではないという、約束。

 続きがあり、それは生きているということで、生きているのならば変化も望めるということで、希望が存在するということ。

 夜空の満月を、見上げた。

 風はなかった。

 夜気はまだかなり肌寒かった。

 ぼくは両腕を、自分の体を抱きしめるように回して、ぎゅっと締め付けた。

「またね……」

 つぶやいた。


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