6)
それから私たちは互いに自分のことを話すことにした。森で出会ってからすでに4日が経過していたにも関わらず、相手の名前しか把握していないということに漸く気がついたからである。「それでは私から」とニクスさんは自己紹介を始めた。
彼から聞いたことをまとめると次のようになる。名前はセイル=ニクス、21歳。あと一月で22になるらしい。そしてなんとこの町を治める辺境伯(貴族!)であるそうだ。
ニクスさんが貴族であったこと、そもそも貴族が存在していることにさえ驚き、絶句していた私に構わず、彼はあっさりと自己紹介を終えた。
自己紹介を終えた彼は黙ってこちらを見たが、私はいまだにどう答えるべきか答えを出せずにいた。それでも沈黙はまずいということはわかっていたので、とりあえず口を動かすことにした。
「その、すみません。ニクスさんのご身分も知らず――、度重なる無礼、大変申し訳ありませんでした。」
「そのようなことを言わないでください。あなたは私の恩人なのですから。」
本心から謝罪すべきことだったのに私は上の空だった。もう時間稼ぎは出来ない。いつかこの瞬間が来ることはずっとわかっていたはずだ。今さら少しの時間稼ぎを繰り返したところで、この4日間にひねり出せなかった名案を掴み取れるとも思えない。私は腹をくくった。
「それでは私自身のことについてお話させて頂きます。名前は沢…アキ=サワノ、21歳の学生です。」
「学生ですか。私なんかはもう何年も前に学問を投げ出してしまいましたよ。あなたは勤勉なのですね。」
「いえ、物好きなだけです。」
そう言うと彼はふっと笑った。その微笑みに私は拍子抜けした。もしかしたら緊張しすぎていたのかもしれない。これは単なる自己紹介、言うなれば世間話の一環に過ぎないのだから。やはり自分の置かれている状況をしっかり把握するまで様子を見ることにしよう。下手なことを言って立場が危うくなることだけは避けたいから。
「それで――」
自己紹介が終わって気を抜いていた私に再び声がかかった。顔を上げると、彼から笑顔がすっと消えていくのがよくわかった。
「それで――、あなたはなぜあのような場所にいたのですか?」
―――ああ、私はとっくに怪しまれていたのだ。
私はこの期に及んでまた現実から目を背けようとしていた先ほどの自分自身の思考に驚き、そして心底嫌気がさした。本当にもう、逃げられないのだ。私は逃げてばかりの自分のためにも全てを話すことにした。
「信じて頂けるとは思いませんが、4日前に私に起こったことをお話しします。あの日私はいつも通り学校で授業を受けておりました。そして気が付いた瞬間にあの森にいたのです。いえ、攫われたわけではありません。本当に、瞬きをする時間もないうちに、私は森の中に立ち尽くすことになっていたのです。」
ニクスさんは明らかに困惑していたが、私は続けた。
「しばらく立ち尽くしていたのですが、埒が明かないと思い、森の中を歩いてみることにしました。そこでニクスさんに出会い、その後はご存じの通りです。」
自分の身に起こったことを初めて口に出して説明することで、非現実だったことが急に現実味を帯びてきたように感じた。認めたくはないが、この4日間は少なくとも私にとって現実だったということを痛感した。
しかし、私にとっての現実が必ずしもニクスさんの現実であるとは限らない。その判断は彼に任せるしかないのだ。私は眉を寄せて何かを考え込んでいるニクスさんを見つめた。