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今思えばやはり、あの時の私は動転していたのだと思う。目の前に血まみれの人間が倒れていれば誰だって助けようとするものなのかもしれないが、知らない場所に置かれていた以上、関わらないという選択の方が正しかったような気がする。
しかし、あの時の私は彼を助けることに決めたのだった。助けるしかないと思ったから、止血したり、水を探して飲ませたりした。彼に付いていた血にはどうやら返り血も含まれていたようで、幸いにも彼自身の出血を止めることができた。怪我をした状態で逃げてきたために体力を消耗しており、倒れていたということだった。
そして、彼は驚くべき早さで回復した――そう、私は思った。
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心地よい風が吹く中を私は二日間も一人の男と歩いている。ろくな食べ物なんてなく、時折木の実を食べる程度だ。当然おなかも減るし、トイレにも行きたくなる。それでも私はまだ、これを現実だと思うことができないでいた。
「大丈夫ですか?」
そう問いかけてくるのは倒れていた男である。セイル=ニクスというそうだ。名前を聞いたときに初めて、日本人ではないことに気が付いた。顔や髪の毛を見ればすぐにわかりそうなことではあったが、混乱に混乱が重なった状況では血まみれの人間の人種を特に気にすることがなかったからだと思う。
彼からあの時感じた恐怖心を再び感じることはなく、むしろ親しみのような感情を向けられているように思い、戸惑いを感じている。いくら助けられた相手とはいえ、もう少し懐疑心持つべきものではないだろうか。詳しくは聞いていないが、血まみれになるような争いをした直後に出会った人間である私に、もしかしたら精神的に依存している節があるのかもしれない。確かに、そういう意味では私も森の中で初めて出会った人間であるニクスさんに精神的に支えられているように思う。お互い、絶望的な状況で出会った人物に無意識のうちに何かを期待せずにはいられなかったのかもしれない。
「私は大丈夫です。怪我をしているニクスさんの方が心配です。」
そう答えると、ニクスさんは「私も大丈夫です」と笑って答えた。これが本心だとしたら、彼はとんでもない人間だと思う。動けないほどの怪我をした翌日から二日間、ろくな食事もせずに歩きつめているのである。これで大丈夫だとしたらもはや人間業ではない。しかし、彼の言葉はあながち嘘のようにも思えなかった。彼の足取りは非常にしっかりしており、油断すれば私の方が置いて行かれそうになる。そのため、先ほどのように「大丈夫か」と時々尋ねられてしまうのである。
そしてその問いに対する私の答えに嘘はなかった。怪我人に対する配慮や虚栄ではなく、本心から大丈夫だと答えたのだ。私は今自分がしていること、自分がここに存在していることに対してさえ実感がなく、目の前の出来事を身体の中から誰かが見ているような気持ちで歩き続けているのである。だから私は何もしておらず、疲れることもない。大丈夫というわけである。
こうして二日間も歩いているが、実際のところ私は自分がどこに向かっているのかを知らない。ニクスさんがどこに向かっているのかも、そもそも彼に目的地があるのかもわからない。何もすることがなく、何をすれば良いのかもわからないという理由だけで私はこの男に付いて歩いているのだ。この状況はあまりにも難しいと判断したため、私はただ流れに身を任せ、早々に考えることを放棄してしまっていたのだった。
ニクスの怪我についてはまた書くことになります。
とりあえず怪我関係の疑問はスルーして頂けたらと思います。