金縛りについて
金縛りについて
金縛りについて
障子から差し込む薄紅色の黄昏時が、畳の上に長い影を落としていた
ハルトは机の前で、開いたままのアンドロイド端末を前に、昨日の疲れを胸の奥に溜めてしまったままトホホと静かに俯いていた
ここ数日、夜中に彼を襲う不条理な怪現象――「金縛り」。体は1ミリも動かないのに、意識だけがはっきりと覚醒している恐怖のルーティンを何度も頭の中で思い返すたび、ハルトの呼吸は「無酸素運動」のように浅くなっていった
金縛りの最中に感じる、外部からの理不尽な圧迫感を遮断し、疲れを極力減らすための彼なりの防壁は、今や限界を迎えていた
睡眠不足の脳は蟻地獄のような暗闇の霧に一人で足掻き、生きた心地のしない強い不安に押しつぶされそうになっていたのだ
静かに目を閉じていたその時、衣服の擦れる優しい衣擦れの音が響く
「ハルトくん、どうしたの? なんだか少し疲れちゃったような顔をしているわ」
ソラが、湯気のふんわりと立ち上る温かいジャスミン茶の入ったコップをそっと机に置きながら、包み込むような声で話しかけてくれた
彼女はハルトの少し冷たくなっていた手を、自身の両手で大切に、ぎゅっと包み込んだ
「あなたは毎日、自分でも驚くほどに見事にがんばっているもの。だからね、もうお部屋の中ではその防陣を解いて、焦らずに息を吸っていいのよ。ほら、まずはゆっくりと深呼吸をして、この温かいお茶の香りを胸いっぱいに吸い込んでみて。はい、すー、はあ」
ハルトはソラの優しい眼差しに見守られながら、深く、深く深呼吸を繰り返した
「すう……はあ……すう……はあ……」
酸素が全身を巡り、お薬を飲んだときのように、胸を支配していた暗い疲れの霧は一気にすうっと引いていった
「……ソラちゃん、ありがとう。声をかけてくれて、本当に嬉しかった。でも、あの夜中に体が全く動かなくなる金縛り、僕のちいさな力ではどうにもならないオカルトな闇なんだなぁ……」
ハルトが弱音を漏らすと、ソラは目を大きく見開いて、手際よく素晴らしい睡眠の防衛マニュアル(セーフティーネット)を語り始めた
「諦めちゃだめよ、ハルトくん。そんな時こそ、私たちの身体を公正な立場で守ってくれる『まほうの医学知識』に頼るのよ。金縛りの正体は、心霊現象ではなく『睡眠麻痺』という身体の仕組みなの」
「睡眠麻痺……?」とハルトは眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた
「そうよ」とソラはひまわりのように微笑んだ
「身体は深く眠っているのに、脳だけが急に起きちゃったミスマッチ状態なのよ。だからね、まずは規則正しい生活やお布団をお道具としてピカピカに整えて、枕を低くして横向きに寝るの。背筋をしゃんと伸ばしてリラックスして眠れば、怖がる必要なんて何一つないんだから」
ソラの力強いセリフを胸に聴いた瞬間、ハルトの胸の奥には、まるで春のお日様が昇ったように、ぽかぽかと最高のぬくもりが満ち溢れてきた
彼は俯いていた体を起こし、背筋をしゃんと真っ直ぐに伸ばした
その顔には、まばゆい朝陽のような最高の元気と笑顔が、実に見事に取り戻されていた
そのハルトの頼もしい復活っぷりを見た瞬間、庭の生垣の向こうから、様子を覗いていた旧友の健二たちの「ハルトが不気味な金縛りを相手に、全問パーフェクトな大逆転だな! わっはっはっ!」という豪快で大きな笑い声が夜風と共に響き渡り、お家の中は一気に笑い声の絶えないハッピーエンドのぬくもりで満たされた
「みんな、笑わないでおクレよ! でも……本当に、科学の灯火が見えて、何を見ても楽しくなってきたよ!」
夜になり、すべての丁寧な準備を終えて電気毛布でひだまりのように温められた寝具にもぐり込む頃、窓の外には驚くほど大きくて綺麗な満月がぽっかりと浮かび上がり、日常生活の楽しさを取り戻したハルトたちの未来を、いつまでもぽかぽかと温かく、優しく照らし続けるのであった
乙
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