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第二話:終に行く道(一)


     一



 親友を困らせないため 耐えようとすればするほど

 頬に露が(したた)り落ちてゆく


 独りで歩くため 前を向こうとすればするほど

 袖が濡れに濡れてゆく



 額田(ぬかた)きみえは、彼女を傘に入れることしかできなかった。

 佐久間(さくま)()(おん)は、彼女にストールをかけてあげることしかできなかった。

「……そう、感情の、解析を、もう一度」

 音遠の瞳孔が開く。三秒して、肩を落とした。

「……エラー、結果が、変わらない、なぜ」

「もう、やめよう」

 きみえの手が、音遠の肩に置かれた。

「気持ちはね、他人がのぞいて完全に分かるものじゃないんだよ」

 この世にテレパシストがいたとしても、無理だと思う。言葉や絵など、見える形にしたって、解釈した時点でずれが出てくる。

「……あなたの手、冷たい」

「ごめん」

 音遠はネックウォーマーを鼻の先までつまみ上げて、首を傾げた。

「……そう、私は、怒っていない」

 きみえは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「え、え? てっきり嫌だったのかと思ったんだけど」

「……誤解された、しくしく、しくしくしくしく」

 音遠はうつむいて、余らせたセーターの袖をふりこのように揺らした。毛糸で暑くないのだろうか。きみえは浮かんだ疑問に消しゴムをかけた。……自分の尺度に当てはめてはいけない。極度の寒がりなのかもしれないし、この感触が体に合っているのかもしれないのだから。

「聞かせてもらっても、オッケー?」

 雨脚が強くなってきたため、きみえは丹田を意識した。

「……体が、冷えて、かわいそう」

 小花柄のロングスカートのポケットから、懐炉(かいろ)を出してきみえに握らせた。

「……そう、温かい?」

「うん。話を聞かないで怒っていると決めつけて、ごめんね」

「…………」

 沼のような目が、きみえを浸す。アイスブルーのネックウォーマーを小さくへこませ膨らませして、彼女の周りを嗅いだ。

 された人の大半は、ひどく不快になり、音遠に深く関わらなくなる。だが、きみえは過剰に忌避するのでも、無反応でいるのでもなく、自然体でいた。音遠がとる行動に対して、頭ごなしに否定しない。教師になると決めた時から、意識してきた姿勢だ。

「……そう、ごめんよりも、ありがとうが、嬉しい」

 左右の人差し指をつつき合わせる音遠に、きみえは優しさをもらったお礼を口にした。

「難しいよね。私達は言葉を使えるけど、伝えたいことが少ししか表現できていない」

 親友の左隣に、きみえはもう二歩寄った。

「……そう、分析機能も、完璧では、ない」

 音遠は静かに、親友の右隣にまわった。

「雨が止むまで、ここにいよう」

「……虹が、見える確率、99.99%」

 二人にはさまれた唯音(いおん)は、とことん咽んだ。




 小学三年生の夏休みに、お祖父(じい)さんの家へ行きました。家の人には、隣町の中央図書館まで、読書感想文の課題図書を借りに行くと嘘をつきました。嘘は初めてではありませんでしたが、冷や汗をかきながらついたことは、今までに無かったと思います。

 漢字の書き取りに疲れて、仏間で昼寝をしていました。大きな音に、(わたくし)は起きてしまいました。重い物を落としたのでしょうか。私は、応接間、研究室、お祖父さんの部屋、洗面所、浴室、お手洗いと、丁寧に確かめてゆきました。変わった様子が無かったため、リビングへ勇み足……訂正します、忍び足で入りました。

 探究心は、時に後悔を生みます。音の正体を気にしないで、もう十分寝るべきでした。リビングに、紙片が散らばっていたのです。私は、踏んでいた一枚を拾いました。論文……でしょうか、お祖父さんが読んでいたものと文体が似ていました。

 私は、良くも悪くも怖いもの知らずでした。同世代の人が行きたくない所、触りたがらない物、聞きたくない話が、平気だったのです。リビングに人がいますのに、逃げませんでした。

 泥棒でしたら、私は現在、ここにいなかったでしょう。不用心な子どもでした。

「………………唯音か」

 お祖父さんが、論文に囲まれていました。

「のどが乾いたか。お茶を持ってこよう」

 頭と肩にかかった、破れた紙を払って、お祖父さんは冷蔵庫を開けにゆきました。

 本当に、お祖父さん? 物を大切に使うお祖父さんが、紙を破りますか。本を床に落としたままにしますか。論文の上を歩きますか。

「顔色が悪いな。嫌な夢を見たか?」

 お祖父さんは、シャツのボタンをかけ違える人だったでしょうか。左右違う柄の靴下をはく人だったでしょうか。

「怖いことなどないぞ。ほら、飲みなさい」

 私は、お祖父さんから一番遠い椅子に座りました。

「整理をしていたが、かえって汚くなったな」

 半分は本当だと思います。残り半分に、謎が多くて、質問して良いのか悩むのです。


 お祖父さんは、過去に、夢よりも恐ろしい現実を体験していますか。


 私は、関係の無い質問をしてしまいました。

「あるよ。数えきれないほどだ」

 なぜでしょう、息苦しさが和らぎました。私だけではない、と分かったからですか?

「歳を重ねていると、浮き沈みが多くなってな。流れには勝てんよ」

 流れ、とは?

「たまには、自分で調べてみなさい。長い休みだ、毎日家の本を片っ端から読んでいけば、たどり着くだろう」

 学校の宿題よりも、難しそうです。この答えを見つける間に、お祖父さんが普段と違う行動をした理由が解き明かせられると一石二丁ですね。丁? 鳥でした。石を投げては豆腐が崩れてしまいます。

 仮説を立てましょう。流れるものを挙げるのです。水……真水? 海水? 他の液体も考えられますね。水銀、油、不凍液…………。空気も当てはまります。目に見えないものの可能性も、除いてはなりません。

 お祖父さんが勝てなかった「流れ」の正体は、始業式の前日に分かりました。答えをお祖父さんに伝えると、正解したごほうびに「メタファー」について教えてくれました。ある物事を説明する時、聞いている、あるいは、読んでいる人にとって想像しやすい物事に置き換える方法、です。お話は「メタファー」にあふれているそうです。今、「メタファー」を、水に見立てていたことに気づきましたか。便利な手法ですね。



 大人になった(わたくし)もまた、「流れ」に負けてしまったのです。







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