第一話:夢一夜(四)
※本文に、登場人物ふみかの文学批判がございます。あくまでふみか(架空の人物)の見解であり、作者は異世界ファンタジーに好意的です。
四
枇杷の皮をむきながら、担任によしなし事を話していた。
「父がタッパーに枇杷をこれでもかと押し込んで、持ってくるんですよ。無理やりふたしているから、ぺたんこなんですよね」
私の晴れ舞台には、必ず枇杷だった。弟の時は焼き豚で、わざわざ休みを取って作っていた。
「女の子は果物、男の子は肉、単純すぎませんか。高校の体育大会でにこにこして出してこられて、引きましたよ。突き返しちゃった」
「余計なことだと感じてしまうのよね。大人になっても、くださるの?」
どんぶり鉢を空けて、まゆみ先生が訊ねた。
「そうですね、山ほどじゃなくなりましたけど。ありがたくいただいていますよ」
先生へ、大皿と三杯目のどんぶりが運ばれる。
「贅沢だったんですよね……。水菓子って、おいそれと食べられる物ではなかったんだ」
普通に、果物と言えば良かった。気取ってどうするの。
「最近、とんと口にしていないわけじゃないんですよ。月に数回、バナナかみかんを、ね」
夕陽ちゃんと華火ちゃんは、朝か晩の食後に付いてくるそうだ。苺、葡萄、桃、どれも高級品ではありませんか。ちょっとつまむぐらいの量らしいけれど、相当余裕ある家庭だよね?
「あらー、バナナとみかんを侮ってはだめよ。糖分をさっと補給できて、風邪予防になるんだから。ご両親に感謝よ」
「はーい」
しかし、いつまで召し上がっているんだろう。私より小さくてやせているのに、いっぱい入るものだ。身体の半分以上が胃袋なのかも。
「豚丼、豚汁、とんかつ、角煮、生姜焼き、酢豚、しゃぶしゃぶ……世界中の豚が震撼していますよ、まゆみ先生」
卓に広げられたどの器にも、豚肉が必ず乗っている。ついには、先生の鼻が吊り上がってつぶれたようになるのでは、不安だ。
「ふふっ、豚になったら大和さんに銭湯で働いてもらうかもしれないわねー」
「お断りします。名前の一部を奪われるのは勘弁願いますから」
まゆみ先生は、箸を置き、両手でお腹を抱えた。
「残さないでくださいよ。お手伝いできないです」
「ふふ、ふふふっ、違うわよー。大和さんがけっこう鮮やかに返してくれたからね、ふふっ、ふふふふ」
「ちょっ、先生、あんまり反ったら」
危うんだ通り、まゆみ先生が椅子と共に後ろへ倒れた。
「!!」
大丈夫かと訊くより先に、体が動いていた。先生の頭と首を支えて……
「私の目に、狂いはなかったわ」
先生の顔だけが羊になった。私は肩をびくんと上げて、手を離した。
「ひどいじゃないの大和さん、もっと痛くなったわよ。ほら、ほら、ほら、ほらあ」
ひどいのは、そっちだ。床にだらだら血を流さないで。
「だ、誰なの!?」
羊がほくそ笑む。
「私の名前を明かす義理は、ないわよー。なぜならば」
ゴムのおもちゃみたいに跳ね上がり、先生の皮をかぶった羊が指を鳴らした。
「あなたは今宵、私の肥やしになるんだもの!」
定食屋が白紙にすり替わり、天地・四方、巻き取られて電車の内装が現れた。近畿地方を主に走る私鉄だ。
「内嶺の名所と『萬葉集』のラッピング車輌よ。せめて冥土のお土産ぐらいはあげないとねー」
堂々と真ん中を歩き、彼女は振り返った。
「これでも優しくしているのよ? あなたに、貸しを作ってばかりなの。お礼してちょうだい」
「借りた覚え、ないんですけど」
「カチンときているようね。勝手になさい。逃げ場はもう無いわ」
電車は、草原に止まった。
「終点よ、大和さん。恨みは車内に吐き出しなさいな」
現実なら「お忘れ物のないよう、お確かめのうえお降りください」と放送されるけれどね。
「いみじくあっさりしているじゃないの。吊り革にしがみつくぐらいは許してあげたんだけどな」
「まゆみ先生は、神経逆なですること言わない!」
私は、彼女のあごめがけて拳を突き上げた。
「逃げ場なし、だったよね……」
白スーツの襟をつかみ、引きずって一緒に外へ降りた。あれだけ食べておきながら、軽いなんて、罪だ。
「あなたも同じだと思うんだけれど」
ふわふわおすまししていた羊が、とがった顔つきになる。
「本性を出したね。負けるのは、あなただよ!」
「調子に乗るんじゃないわよ、餌風情が!」
羊のけたたましい鳴き声が、草花を根こそぎにしてゆく。残った大地は寒々しく、私たちに決着をつけよと唆すようであった。
「豚に舐められて、落ちなさい」
いつ、どこに潜ませていたのか、豚が数頭押し寄せてきた。それぞれ、醤油瓶・牛蒡・甘藍・茹で卵・玉葱・中華鍋・大きな両手鍋を胴にくくりつけていた。
「おほほ、食んだ物は味方になるものよ」
「『徒然草』にもあるね」
毎朝口にしていた大根が、兵として助太刀に馳せ参じて窮地を救ってくれたんだ。
「私なら、食パンに来てほしいよ……」
豚は、私を着実に後ろへ追い詰める。
「口は災いの元よ、大和さん。これからいかにして逆転劇を見せるのかしら? 難しいわよねー」
遠くなったまゆみ先生のなりすましを、にらみつける。
「まさに極楽から地獄へ! 十回、あなたの夢にお邪魔して遊んであげたの。現実では、お友達が少ないでしょ? 最期の最後に、花を持たせて、チョキン! 我ながら良い趣味だわ」
「…………そっか」
私は、踏ん張ることをやめた。
「あらー、くじけちゃった? 降参したくなった? ごめんなさいねー、避けられないのよ。悔しいなら、生まれ変わってみなさいな。最近の人間は得意なんでしょ? 不遇だった前世と打って変わった充実ライフに! という話」
「まあ、あなたからすれば、不遇かもしれないね」
首にかかっていた物を外し、顔だけ羊の担任に掲げた。
「ありがとう、すっかり忘れかけていたよ」
第一の夢に掘り当てた弓矢のペンダントに、豚と羊が押し黙った。
「私の夢にいるんだから、私が思い描いたことを形にできる」
ペンダントに「船長の帽子になれ」と念じる。銀の首飾りが、玫瑰色の帽子に早変わりした。第七の夢に棚無先生がくれた物と相違なかった。
「『地味でさえない典型的陰属性の女子大生が異世界に転生して充実した毎日を送ります ~恨み晴らすついでに婚約破棄して勝ち組にのし上がっちゃいました~』…………なんて、
題名が長ったらしいわりにあっけない展開で繰り返し読む気になれない本みたいに、なってたまるものか!」
船長帽をかぶり、私は現実でのもうひとつの姿に変身した。無垢なる白の着物と緋色の短い袴、白玉の護符を胸に、緋色の円い羽衣を背に、こう名乗るんだ。
「やまとは国のまほろば! スーパーヒロイン・ふみかレッド!!」
跳んで、高きへ逃れる。危なかった、あと一歩もしないうちに真っ逆さまになるところだったよ。
「うそよ……『祓』持ちだったの? 聞いていないわ」
豚たちはひるみ、羊は青ざめて後ずさりした。
「先に教えてくれていたら、別の餌を探せたのに!!」
「お返しするよ、あなたに私を明かす義理はない!」
それと、あなたの悪行はおしまいだ。
「けり、つけさせていただきます。言霊の助くる国に、真幸くあれ! ふみかムーブメント!!」
崖の下に、小太りのおじいさんが赤茶けた文庫本をめくっていた。
「土壇場まで、折れずに奮闘しました」
左手で本を開いたまま、右手で前髪を分けなおした。おじいさんにしては、毛の量が多く、宵闇よりも真っ黒だった。
「漱石『夢十夜』、あなたに届けるまでもありませんでした」
彼は、ほくほくして次の頁をつまむ。
「生まれつきお持ちの鋭い読みが、アヅサユミの呪いでうんと伸びたんでしょう。何度か夢に紛れて警告を発しましたが、蛇足でしたか」
背広の内ポケットよりしおりを取って、『夢十夜』にはさんだ。しおりには、白うさぎの女の子がお座りしている絵が描いてあった。
「あなたを弄んでいたものの正体は『弥生の障り』です。如月と弥生の間に、不幸にも魅入られてしまいました。救いだったのは、あなたが祓を宿していたこと、そして、偶然にも同じ色の祓を継いだ私の封印が解かれたことでした」
『夢十夜』を膝の上に、おじいさんは語り続ける。
「今回は私が祓っておきました。あなたには『卯月の障り』、俗にいう『大いなる障り』との戦いが控えてありますので……難儀な相手です。必殺技に私の『読』を使っていただきました。どうか温存してください」
地面が、あちこちで砂と化し、無に帰そうとしている。弥生の朝が近いのだろう。
「次は、顔を合わせたいものです。遠くない日に、会えるでしょう。上巳を越えて、また。大和ふみかさん」
老眼鏡の奥で、珊瑚色の瞳が温かく光っていた。ふみかが属する学科の先生を寄りましにした「第一の神代の戦士」は、霞のように夢を去ったのだった。
弥生の障り【夜・宵の障り】
みなが寝静まりし頃に、うまき心を持つ者を一人誘ひて、ゆるゆると食むなり。
〈次回予告!〉
「やあやあ、このコーナーは久しぶりだね、唯音。え、あれあれ? 人違い?」
「そう、私は、唯音の複製、音遠……」
「ふーん。音遠ちゃんていうんだ。唯音はどこか知ってる?」
「知らない、でも、書き置きを、もらった……」
「書き置き? ちょっと見せてね。えーと」
―次回、第二話「終に行く道」
「そう、終とは、終りのこと……」
「次回で終わるの? 早すぎじゃない!? 私の出番もここまでって、扱いがひどいひどい!」
「さあ、どうなる、でしょう……」