第八話:長月は事の始まり(四ー一)
四
梓弓社が半分ほど開き、領巾がはためきながら出てきた。
「荒事はダメよ。親子のふれあいに水を差すつもり?」
赤い上着の女性は、領巾に頬をなでられても身じろぎしなかった。
「あそこで遊んでいた鶏は、初代アヅサユミとビブーリオたちが憑いていたんですね。大丈夫、うるさくしないでけりをつけるから」
社の奥で、太陽の光をまき散らしたかのような笑い声がした。
「私が、十三番目の『障り』だったら良かった?」
「その方が、お肌がみずみずしいうちに祓えましたよ」
赤い上着の女性は、長く息を吐いて、社を見すえた。
「先生がかくまっている『障り』を、祓うんだ」
師走の障り【シ・忘(る)の障り】
「シ」を含む人もしは物事を、忘れさせる障りなり。うつけゆゑ、心を枯らさずに間を去りがちなり。
「アヅサユミは『障り』を祓う立場なんでしょ。『引き』入れちゃまずいですよ」
「先代だったら、かやうなややこしい真似はしなかったわね」
領巾は、女性の足へ下りていった。
「『障り』が何者か、先代は分かっていたのよ。けれど、救えなかった。弓では刺し貫いてしまう。文学ではいっときの慰めにしかならない。神だってね、無力さに落ち込むことがあるわ」
少女期以来、先祖と交流していたまゆみは、神の弱さも目に焼き付けていた。
「私が『殊なる力』―『引く』力を宿してなお、先代はそばにいてくれたの。私だけでも『障り』にさせないように。親しい山の神に、力を封じさせてね」
山の神は、うっかり者の女性でも忘れない。巨大な白猪の姿をとり、まゆみの命を握って、女性達「スーパーヒロインズ!」に立ちはだかった。
「先代は、『障り』が私をかぎつけて動き出すだろうと予想していた。衰弱が激しい自分では心許ないから『祓』を、あなた達に分けたのよ」
「まったくもって、子孫思いなご先祖様ですね」
「ふふっ、お墓参りは欠かさずにね」
女性は栞をひらひらさせた。
「息子にも聞かせておきますよ。さて、どうして『師走の障り』をおいたんですか」
「責めないんだ?」
「怒っていないわけじゃないですけれどもね。卒論の前に、戦いをちゃんと終わらせたかった」
社に満ちていた藤色の光が弱まり、まゆみの背中が明瞭になった。
「この子はね、理不尽に奪われた命を再びこの世に戻して、人を外れたの。でも、その命は皆、争いや天災で散った」
「一緒ですね。先生の望みと、挙句が」
「命の終わりを忘れさせたくて、『シ』を忘れさせる『師走の障り』に変貌したのよ。申し伝えておくけど、この子は心を亡すことにこだわっていないわ」
「それで仲間にして、私たちの記憶から、司令官であり恩師のあなたを消したんだ」
女性にひっついていた領巾が、縮んで社の中に戻る。
「『師走の障り』とその能力も含めて、ね」
まゆみが後ろ姿のまま、手を叩き合わせた。
「正解よ! 教師探偵でいくのもありなんじゃない?」
女性お得意のつっこみが無かった。
「私も質問していいかしら。あなたが私とこの子を思い出したのはどうして?」
鶯のさえずりが静まってから、女性は持っていた物を放り上げて言った。
「障りと踏む 土の色 珊瑚の栞」
緋色の気をまとった栞が、女性の顔の隣で止まり、緩やかに回る。
「二つ目の効果を、揮ったのね」
「対象の時を好きに動かせる他に、あらゆる物事を記録しておけるんです。『読み』直して、記憶の欠けを埋めました。私の短所を補うために、考えたんですよね。ほら、肝心な所で抜けちゃうでしょ」
女性は、純粋に思ったことを訊ねた。
「奥の手を見抜いていて、これは入れなかったんですか? 『し』が付いていたのに」
「私もたまには失敗するのよ」
首を左右に倒して、凝るわねーとまゆみは言った。
「いや、私に解かせようとしていたんじゃありませんか」
まゆみが素早く立ち上がった。
「人は、共感が強いの」
時計回りに、教え子へと振り向く。
「先代も敵わなかったそうよ」
「共感と、関係あるんですね」
「ええ、大いに関係あるわ」
教え子は、大学を巣立った頃とお変わりない恩師に、安堵と寂寥を覚えた。二十年して、教え子は恩師の年齢を越えたのだ。
「あなたの栞によって『長月の障り』が人に戻った。めでたくもあり、恐ろしくもあったわ。時をさわれるスーパーヒロインは、あなたの他にいないもの」
女性は口を結んだ。
「琥珀の添削は、災いを書き換える。薔薇水晶の詞華集は、災いの衣を脱ぎ捨てる。改良された瑠璃の修辞は、災いに狙いを定めて分解する。熱気を高めた翡翠の走り書きは、災いの要素を焼く。どれも、あの人達に、望みを持った・叶えた事実を残せるわ」
「読」のスーパーヒロインが珊瑚の栞をはさんだ頁は、「人を外れた行い」をする前、だった。
「私は誉めるのをためらってしまったの。私達の望みを否定された気がしたのよね。あなたが直感で選んだ時だとしても。この子に栞をはさまれたくなかった……」
「『師走の障り』に共感、ね。答えになっていないんですけど」
恩師の瞳に灯る弓矢の印が、揺らめいた。
「急くようになったわね」
「命の短さを、さんざん思い知らされているんですよ」
「そう…………」
教え子が、さらりと言えるまでにどれほどの年月を要したか。すぐさま分かってしまう我が身が、憎たらしい。
「卒論を出した日、あなたがカップを丁寧に洗ってくれて、人だった私がかりそめに現れたのよ。あなたに……あなた達に、共感したんだわ」
まゆみは、かがんで女性に手のひらを向けた。
「何に? とは訊かせないわよ。あなたは教師、だから厳しくします。自力で答えに至ってみなさい。人間ゆえに浮かぶ気持ちよ」
ウインクされて、赤い上着の女性はへなりへなりと座り込んだ。
「は、反則だよ。でも……なぜか、やろうじゃないのって、昂ってしまうんだよなあ」
まゆみはうなずきながら戸を全開にして、外へ出た。
「『師走の障り』を渡すわ。スーパーヒロイン・ふみかレッド」
「久々にその名前で呼ばれたよ、まゆみ先生」
ふみかレッドはまゆみに手を貸してもらい、しっかり立った。
「先生にも『読み』取れますよね。四人の『祓』が」
「ええ」
東に、桃色の帽子をかぶったあきこピンクが、神殿でお告げを聞き、南に。緑のジャージを着たはなびグリーンが。教え子と友達のために走り、北に、青い万年筆を胸に差したいおんブルーが。懐かしき空気を辿り、西に、黄色いリボンを結んだゆうひイエローが、皆の明日を励ましに、ここに来る。
「また、集まれたね」
まゆみが真っ白な袖を振る。
「あなた達は、いくつになってもスーパーヒロインよ」
ふみかレッドは、まゆみと並んで四人を迎えに行った。




