第七話:忘れじの もとの心よ(四)
四
師匠や、残念やったな。わたしは大学で文学を教えることになったが、禿げとらん。髪はわたしを見放さなかったのや。ふぉっふぉっふぉっ! あんたと比べてもつまらんぐらいにふさふさや。流行のリーゼントに毎日セットしたって、減りませんぞ。
ある年、例の黒衣が入学しよった。偉そうに『萬葉集』を読んでな、他人を寄せつけへん陰気な目つきをしとった。まるで自分だけが、選ばれし高等な人間やと思い込んどる。好かん娘やった。もし我が子にそないなんがおったら、叩きに叩いとったかもしれん。
人としてあんたとはまた違うクズやったが、読みは本物やった。知識量が他の学生らを桁違いに超しとる。萬葉学者の子やからか知らんが、文献の探し方、論じ方は三回生並みやったの。情報の処理が速いのや、それは……文学を好んどったため、やもしれんな。
あの娘は、他人と関わりたうなかったわけやない。内面で、戦っとったのや。
「なんや、そちの貸し切りか」
附属図書館にふらり寄ってみたら、あの娘が閲覧室に座っとった。机に、上代文学の本を置けるだけ置いてな。
「司書もおらんようやが」
「…………席を、外していただいただけですわ」
放っといてくれ、ちゅうことか。わたしは娘の隣の椅子を、わざとやかましう引いたった。
「話し相手が欲しいなら、共同研に行ってくださりませんこと?」
「『詠唱』を行使したやろ」
頁をめくる手が止まった。娘の顔が、鏃よりも鋭くなっとった。
「そちの一族は、主が『詠唱』を継ぐんやったの。若うして、人払いの歌かいな。『萬葉集』の歌人が泣きますぞ」
「……私の術です。先生にとやかく言われるいわれはありませんわ」
娘は読書を再開しよった。早よ帰れ、やな。しかし、ちゃんと「帰れ」と言わん限り去らへんのがわたしや。
「『呪い』の先輩としてアドバイスや。ほんまに独りになりたいんやったら、館外にも術をかけておくのやな。わざと隙を作っては、かまってほしいように受け取られるで」
図星かや? 同じ頁を進めたり戻したりしとりますぞ。
「ご指摘ありがとうございます。かけ直しますわ」
「せえへんな」
扇を広げて、わたしはちと仰いだ。冷房が効いとらんの。
「先にお口を縫いつけましょうか? 針詠……」
「寄物陳呪・禱扇興、巻二十・朝顔!」
雪玉が速うに、娘の頭に落ちた。
「暑うてやってられんわ。食堂へ涼むで」
引きこもるようなら、本棚に雪降らしたる。嫉妬する紫の上に源氏が語る夜ほどに長うな。
わたしは図書館荒らしにならんでもすんだ。安達太良家のお嬢が、黙ってわたしについてきよったのや。
「二十年経っても、変わらない美味しさですわね」
うず高く盛られたカレーライスをひとさじすくい、安達太良嬢は快活に言った。
「学生の頃は、先生にごちそうしてもらってばかりでした」
「今日はわたしに大負けして、奢ってくれとるがな。ふぉふぉ」
占い通りの結果や。お嬢が得意なカードゲームやったが、わたしの手札の回りが良くてな。さらにコインが全部表ときて「ブレイズローリング」最大180ダメージや。赤デッキが白デッキを破ったのですぞ。
「して、なんでカレーライスにしたんや? わたしの勝ちやで、お嬢も月見うどんの約束やろ」
めったに負けなんだが、わたしが奢る時はどっちもカレーライスや。青垣山盛りでな。お残しはあかん、老体に鞭打って完食しとるんや。
「……初心に返りたくなりましたのよ。月見うどんは追加で注文しますから、約束は違えませんわ」
あれは、昔の今頃、皐月やったかいな。周りを射落としそうな雰囲気しとって、カレーライス大を頼みよったんや。おかわりも忘れずにな。ぬるい附属図書館を脱出したっちゅうのに、わたしの懐が寒うなったわ。
「目えつぶったる。これから俗世間の物が食べられへんなるかもしれんさかいな」
お嬢の瞳が、藤色に光っとった。
「いつ村雲神社に帰るんや」
「再来年の春ですわ」
卯月と皐月の間に、安達太良嬢は「二代目アヅサユミ」に就任した。教え子の力になろうと、神の道を進みよったのや。
「担当しているクラスが卒業するまでは、勤めます。責任ですもの」
「ご主人にはもう話したんか」
「ええ……。退官したら神主になって支える、と。いみじく先ですけれど」
「あと二十年そこらやろ、退官なぞ、あっちゅう間やで」
お嬢がまぶしう笑った。
「おほほ、私はいと長き時を過ごしますのよ?」
「ふぉっふぉっふぉっ、さやうでしたな」
心なしか、だしが濃うなったの。
「キミックは、いかがお過ごしですの?」
「時折、仁科のぬいぐるみに移ってぐうたらしとるわ」
翁は重うて窮屈やぼやいとる。わがままなこっちゃ。
「いづれは神社に居つくそうや。その時はよろしうな」
喪失と言うには大層やが、世の中は別れが多いよの。
「安達太良嬢や」
雅な「呪いの具」を広げて、わたしは教え子に術をかける。
「そちを占うたる。しほたれて喜びなはれ」
わたしの水占いは、超百発百中なのですぞ。
如月の障り【奇・更(に)・来の障り】
とかく奇なる事、続けざまに起こる障りなり。現との差に憂くなる人の心を貪りけり。
〈次回予告!〉
「ふみかだよ!」
「唯音…です」
「はなびと申しますっ!」
「夕陽ですぅ」
「明子っス☆」
「いよいよ、最後の話ですよ、お姉さん方っ!」
「千秋楽……ですね」
「コレでラストだと思ウト、泣けてクルっス」
「長い間応援してくれはって、ありがとうございますぅ」
「最後だから、皆で言おうよ。せーの」
―次回、第八話「長月は事の始まり」!
「あなたたち、早くしなさい。文学PR始めるわよ!」
『ラジャー!!』




