第七話:忘れじの もとの心よ(一)
一
五百年ぶりの猛き暑さは、この地にも及んでおった。
【―人には耐えがたし。さりとて、雨を乞ふ歌を詠む勢ひ、我に無し】
河原に、母が膝をついた。流水があるやろ、手か足をつけへんかったのか、やて? な、は、は! 川やいってもな、ごっつう細うなっておったんやわい。ひたすことはおろか、すくうこともできんかった。
母は神やったもんでな、飢え渇きではぽっくり逝きはせん。せやけれども、だいぶこたえたんや。なんでや? 父とわたいらを暑さから防ぐために力を使うておったゆえにのう。この地の人間も助けたろうと尽くしに尽くしておったわい。母は、人間と仲良しになりたうて、空を降りたんや。そのうちの「ずべらきゆん」と胸にきた男との間に産まれたんが、わたいらや。
【彦、子らよ、しばし待てるか。我はひさかたに眠りにつかむ】
待たれへん者はおらんかった。なにかにつけて文句垂れたがる第四子だに、母の眠りを妨げんかった。
わたいは石のわが身が、憎うてのう。母の負担をちいとでも軽うできんかと、糸のような川をじっと見ておった。海と似た色の瑠璃やで、掻けば母らの火照りを冷ませるんとちゃうかいな。
やってみるか。父に頼み、背を掻いてもろうた。今、背なんかないやろとやじ飛ばしたんは、どやつや。青海波舞うたる、全身洗ってまっさらな状態でわたいのありがたい話を聞くんやな。
もし垢が水にならんかったら、次の方法は考えているのか? 青いやっちゃなあ。端から失敗すると思うんが間違うておる。水にさせたるで! とな、意気込むんがわたいや。瑠璃の粉はな、めでたく皆を涼しくさせたのや。驚くべきことにな、ようけい水を発生できたんやわい。涸れそうになっておった川に向けて、掻いてもろうたら、元の量まで増えた。
わたいは嬉しうてな、母を叩き起こしたのや。こないな奇跡を起こせたのやで、褒めてくれんか。
【よくぞ、かやうな働きを。いみじくめでたし】
母はわたいらに水をすくって飲ませ、自らも潤したのちに雨詠を天に捧げたのや。ほんま、恵みの雨やった。
やうやく才を開花させたわたいが、時の帝に呼ばれるまでそう長くはかからんかった。そりゃ当たり前やわい、わたいは「神代の戦士」の頂点やからのう。
次の年、わたいは母に氷を贈った。前のような日照りはあらなんだが、夏は暑いもんや。母は領巾を振り、風を起こして汗を払っておった。わたいは、いつでも水を固体にする技を手にした。簡単なこっちゃ、冬の低い気温を蓄えて必要な時に吹き付けるのや。
透き通ったどでかい氷は、庭に置くだけでも暑さを忘れられたのう。しばらく母は濡れ縁を動かんかった。
それで満足するわたいやと思うたやろ? な、は、は、は!! わたいはな、氷の新たな使い道を発見したんやわい。知りたうなったか? 今回限りやで?
よう聞けい、粉になるまで砕いて、甘いおつゆをかけたのや! いわゆる「削り氷」やな。母は、袖で口を押さえて感嘆しておった。
【この冷たき香り、薄荷か】
鋺を持ち、上げ下げを繰り返して母が訊ねた。よう気がついてくれたのう。わたいは笑いたうて、たまらんかった。顔がついておらん身が、ちいと嘆かわしかったわい。
【汝、植ゑて育みたるや?】
これまた正解や。わたいが居座っておる地にてな、丹精込めて世話したった。わたいを慕うてる人間らに、種を分けてやったら、国のあちこちで収穫できたそうや。入れ知恵もしたった甲斐があったちゅうこっちゃな。
【我が親しき者にも、食べさせたし】
ほんまに、我が身より他者を思いやることよ。待てよ、近頃歌を贈りあっているらしき伊吹山殿もか? あやつに薄荷を吸わせてええのかのう? 鼻の穴の通りが良くなりすぎて、余計に息が出てまうで。そないなれば、山はますます霧に隠れるやらうな。
【な誹りそ。災いの鏑矢なり―】
災いを起こす相手はおらへんが、素直に「はい」言うといた。
さやうなことより、削り氷や。改良の余地がありそうなのや。粉は、荒さ細かさを自在に変えられるやうに刃の形を工夫せねばな。食べる者の好みに合わせたらんと、悪評につながりかねるわい。おつゆに色をつけられんかの。せっかくや、香りを表したものがよろしいな。青葉と同じくした色はどないや? 舌のみならず、目にも涼しくさせんとな!
「…………ごっつええ、覚め方やったのう」
明るい思い出が流れる中で、起きられたのは幸せやで。例えばやな、封じられた直前のなんか見せられてみい、うめきたうなるわいな。不注意で腹踏まれて、眠りを妨げられた時に近い。わたいぐらいこの世に長くおるとな、ふと来し方が頭に戻ってくるのや、ありありとのう。あれは……「ぶうむ」やな、削り氷ぶうむや。わりと続いた方ちゃうか。帝にも献上したのう。
「どっこいせ」
形なぞ無うなってもろうたちゅうのに、さやうな掛け声を出してな。いきなり自由になると、これより何をするものか、考えねばならん。しんどいわえ。
「あえて、煩わしくなってみようかの」
人間の身体でも借りて、窮屈な日を送るのや。わたいに相応しい寄りましは、近くにおらんか。京の育ちがよろしいな。今の世の龍顔を、拝見したろうやないか。未だに外の血をもろうておらんのか、かやうに時を経たんや、掟が緩うなっておるやろう。
「名案や、この部屋へ始めに入った者に、憑く!」
京の匂いがするのや。わたいの勘は、ごっつ当たる。そら、来よ、来よ、来よ!!
「竹坊、今の女給が話していたん、聞いとったか」
師匠が、スプーンの先で上に円を描いて言った。
「私がよう味わっとる薄荷のかき氷は、なんと、千年も前から作られてきたそうやぞ」
まろは師匠をにらんだ。この男は、大人げない。小さい弟子の前で、見せつけるように氷をしゃくしゃく楽しんでいる。「持ち合わせが無い」理由で、まろにはぬるいほうじ茶をやった。かき氷とセットのお茶だ。いらないから押し付けてきたんが、ばればれや。
「なんや竹坊、偉い私にさやうな態度はいただけんぞよ。私は親切にしとるんや。子どもがこないに盛った冷たいもんを平らげたら、腹くだすやろ。親御さんが悲しむ。もうちと大きうなったら、分けたる」
いつまでまろを子ども扱いなさるのか。竹坊、と呼んでほしなかった。半人前にも至っていないから、真名はいらん、やと。当時、竹林に囲まれた住まいに、まろが入門に訪ねた。それだけの理由で、竹坊。師匠は、引っ越しが好きだった。今の場所ならば、あだ名は池坊だったんやろうな。遺憾なことよ。
「坊は、帰れば飽きるほどおやつをもらえるやろ。私の家にはおやつの前に食べ物なんぞあらへんのや。この貴重な鑑定料で甘味をいただくことは、私にだけ許される。分かるか?」
あんたが稼いだお金やからな。間違いではない。まろはありがたくお茶を飲んだ。
優れた人物にして、外・内側ともに良し。そんな意味を持った名前をまろに付けよと父に告げた男に、教えを受けておるとは。両親が「先生のおそばで学びなはれ」うるさいもので従っているのであって。敬えるところが、全然無いんや。ほったらかしの頭と髭を整えて、風呂に入ってきれいな衣を着れば、まあまあ好感の持てる男になるやろうに。まろにはかなわへんが。
「しかし、氷菓子は終わり際がざんない。薄い水に返ってまう」
わざと聞こえるようにして、店の人が気を悪くせえへんのが、不思議やった。むしろ、ありがたい説法として受け取っていたのや。師匠には、人を惹きつける何かがあった。
「ちょうど水があるさかい、占うたるわ。歓喜にむせぶぞよ」
師匠は帯に差していた扇を開いて、ガラスの椀にかざした。
「寄物陳呪・禱扇興、巻十三・明石」
自慢の水占いや。爽やかな色の蜜が溶けた水が、格子状の波紋をなした。
「五十余年後の竹坊が、邪な笑い声をあげて青年らを謀に陥れている様が浮かんどる」
未来のまろは、悪代官か。納得がゆかなんだ。
「ほう、清々しいほどにつるっぱげやの。私の向かいにおる坊は、もさもさ、うねうねのアフロなんやが……愉快よ」
嘘や! まろは生まれながらにしてふさふさなんや! テーブルの下で、思いきり外した師匠のすねを蹴ってやった。
「暴力を振るうたら、アフロがぷうーって飛んでまうで。蒲公英の綿毛のやうにな。あな滑稽、滑稽」
扇を手にくねくね舞いだす師匠へ、まろは歯ぎしりした。
「髪の有る無しは、どうでもええやろ。しかとのぞいてみよ、長生きしとる。玉の緒が絶えへんことは、めでたいことぞよ」
坊主頭のじいさんを、まだまろやとは認めたうなかった。かき氷の成れの果てに、別のビジョンが映る。喪に服したようにうっとうしい顔したおさげの娘と、やけに陽気な白いスーツの姉ちゃんかおばはんか分からん女がおった。
「おさげのお嬢は、坊と出会って、右のご婦人に成長するようやの。血縁ではないが、世話したることとなるやろ」
まろは、養子を迎えるんか?
「まあ、これから流れに任せて角を丸くしてみなはれ。坊は、何度も青年らの命を輝かすやろう。私は、草葉の陰から見物しとるのでな」
五十年以上も師匠について歩けるわけがない。さっさと引退してもらわんと困るわ。
「達者やの、口先だけは。ほな、午後の稽古や。竹坊、頼んだで」
妙に腰が軽いと思ったら、師匠は甘味処から姿をくらましよった。占いの儲けもごそっと一緒に。
「た、たた……たばかりよったな、クズ師匠!!」
まろの財布をまたも使わせた。いづれ、借りを全部返してもらうのや!
……はて、師匠はほんまに薄荷の氷を頼んだのやろか。行く先ではいつも値段が超高い品を選ぶはずやけれどな。




