第六話:舞姫と好色男(四)
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期末テストの成績をつけ終わり、空満大学の教員も夏季休業に入った。
葉月のオープンキャンパスが済んだ夜、エリスの携帯電話に着信があった。
「月を見に行こう」
近松からの誘いを、断った日など無かった。
「窓を開けぬのかい。珍しいね」
近松が助手席に話しかけた。いつにもまして物静かなので、酔っているのではないか気がかりだったのだ。
「今夜の空気を、楽しみにとっておきたかったから」
足首を撫でるエリスに、近松は微笑んだ。
「さっそく、付けてくれているのだね」
近松が先日贈った、ルビーのアンクレットだ。
「前世の契りかな、十年離れているけれども、七夕に生まれた者同士とはね」
「学生達には、織姫と彦星だと言われているが?」
青白い街灯が次々と飛んでゆく。
「年に一度の逢瀬では、足りぬなあ……」
アンクレットと似たデザインのネクタイピンが、今宵結んでいる物と調和がとれていた。
「天の川を泳いででも、逢ってみせる」
あえて声を小さくして言い、近松に首をかしげさせた。
海に面していない県に勤めているせいか、汐風と波を聞くと、気持ちが華やぐ。
「氷のように 冷たく澄み 柑のように 温かく甘い 光よ 我を追い 追われる 光よ―」
エリスの詩が、月に捧げられた。
「最初に傷を癒してもらった夜も、こんな月だったね」
近松が水筒を彼女の傍らに置いた。
「熱帯夜、誰が名付けたかすぐに出てこぬが、しっくりくる」
コップに半分ほど注いで、エリスに持たせた。
「アイスレモンティー?」
「作り過ぎてしまったんだ。ははは」
夏はこれに限るよ、と近松は乾杯をした。
「刻まれた忌まわしき過去」
潤ったばかりの、凛とした声でエリスは言った。
「年内に治せるよう、力を尽くすけれど……」
近松の胸に、秘術が脈のように通っている手が当てられる。
「私は、自由になっても、初徳のそばにいる」
隈無き瞳が、彼をしっかり捕らえていた。
「先を越されてしまったなあ」
ネクタイを締め直し、近松は彼女の手を握った。
「エリス、私と夫婦になっておくれ」
「……!」
エリスの感情に呼応して、赤黒い文章が、桜色に変わった。
「直球だったかな」
近松が求婚の贈り物を出すと同時に、エリスが口づけした。
「Ich liebe dich von Herzen.」
合わさるふたつの影に、月明かりのヴェールがかけられた。
〈次回予告!〉
「フン、なにゆえ雅なわたしが安達太良嬢と次回予告せねばならんのや」
「そのお言葉、そっくりそのまま熨斗も付けずにお返しいたしますわ」
「ふぉふぉ、勝手にせい。さて、次回はな……」
「先には言わせませんわよ。次回!」
―『次回、第七話「忘れじの もとの心よ」』
「なんや、被ってしもうたやんか!」
「あらー、土御門先生が被せたのではありませんこと?」
「お嬢やろ」「先生ですわ」
「ふん、こないなったら昼御飯をかけて、勝負や!」
「望むところですわよ!!」
ひとりごと(めいたもの)
どこかでお話していたかもしれませんが、実は近松先生と森先生のモデルになった先生方は、結婚されています。作中、二人の未来をどうするか決めた時期は、当部分投稿の三年前でありまして、モデルの先生方はその次の年に夫婦になられたのです。こんな偶然が重なってしまうのが、当シリーズなのですよね。書いていてやりがいがあります。




