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第六話:舞姫と好色男(三)


     drei

     ♥

 薔薇の香りとともに、あの人は来た。

「やあ、ローザは息災かな? (もり)エリス」

 瞳の色が変わっている。そうか、貴方(あなた)がローザの想う……。

「ヸタさ。薔薇(ばら)(せい)、最高に美しい名だろう?」

 革靴を乱暴に脱ぎ、ヸタはリビングへスキップした。

「キミの気遣いはmirabilis(ミラビリス)だよ。先月はビーネンシュティヒを焼いてくれたんだったね。ショコラーデの山を高くさせては、近松(ちかまつ)を悩ませてしまうだろうからなあ」

 ヸタの指が、私のあごを持ち上げた。

「熱いお返しをあげよう。近松は単純さね、好物は最後にとっておくんだ。いや、人間だから、本命……かな?」

 唇を近づけかけて、ヸタは止まった。

「やめておくれよ、中身が違うから、と自害してはならぬ」

 あの人が携行していた守刀(まもりがたな)を抜き取り、喉元へ切っ先を突きつけてみせた。

「貞節を守るため、だとするならば醜い考えだね」

「自分もろともローザを消すためだとしたら?」

 ヸタが平静さを失った。単純なのは、貴方。

()いのかね、キミがいなくなれば近松は……」

()りましに憑いている時、命を落とすまたは破損すると『神代(かみよ)戦士(せんし)』は生を終える」

「ボク達について詳しいでないか」

 ローザはおしゃべり好きだった。紅茶を飲みながら、有益な情報を得られた。

「ローザは眠らせている。自分には、書き換え防止の呪文が記されていたようだ」

 ヸタが唇を噛んだ。血の代わりに、薔薇の小さな花びらが流れ落ちる。

「そうか……キミ、ややこしいカラダなんだね。キミ自身が魔術の原本、『(まじな)い』に無理やり当てはめるならば、キミ自身を呪いの()にした『寄物(きぶつ)(ちん)(じゅ)』、同時にキミに刻まれた韻文を述べる『正述(せいじゅつ)(ちん)(じゅ)』! ははは、頭が混乱しそうだ」

 刃を握り、ヸタは刀を取り上げた。

「ローザはいつ目覚める?」

「貴方が鍵ではないのだろうか」

 花びらが私達の足元へ舞い散る。

「ボクには、キミがローザを好きに呼び出せるように思えてならないのだがね」

 ヸタは胸ポケットのハンカチで刀を拭いた。

「ボク達を掌の上で転がせるとでも? 近松の心はボクが支配しているのだよ」

 薔薇(ローズ)水晶(クォーツ)の瞳が、月明かりに合わせてぼんやり光った。

「キミの想いを、近松に伝えようか。長年、盾としてそばにいて、熟れてきたのでないかい」

「……………………」

「そう凄まないでおくれな。キミから仕掛けてきたのだよ? これでおあいこさ」

 ソファに深く腰かけ、ヸタは卑しい笑いをした。

「ならば、こうしよう。『卯月(うづき)(さは)り』を迎える際に限り、近松を返す。ボクと出会う前の状態にひとまず戻してね。『スーパーヒロインズ!』の活劇を、オペラグラスを持って心の座席で鑑賞させてもらうよ」

 右手を丸めて、私をのぞく。

「パステルカラーの卯月になるとも、ならぬとも、以降はボクがこのカラダを扱う。ローザに逢わせてくれるまではね。我慢比べといこうでないか!」

 遠眼鏡をクッションで覆ってさしあげた。

「その提案に、同意する」



 卯月朔日(ついたち)(そら)(みつ)大学にて入学式が行われた。安達(あだ)太良(たら)先生が「スーパーヒロインズ!」を待つために、始まるまでの時間を「引き」延ばされたが、行使者以外は違和感を覚えていなかった。

「窮屈だなあ。式は済んだ、これを外して()いかね」

 ヸタが左腕に通している物を指した。

「行事の際は全日、当学科の教員を示す腕章を佩用しなければならない。主任命令および宇治(うじ)先生のご希望である」

 臙脂色の生地に、金の糸で「(ぶん)学部(がくぶ)日本(にほん)文学(ぶんがく)国語(こくご)学科(がっか)」と刺繍している。

「宇治紘子(ひろこ)か。独り伝統を守って、醜いね」

「貴方と人間とでは、美に対する見方が大きく異なる」

 顔をしかめて、ヸタは歩道橋に散っていた桜の花びらを踏みしだいた。

「しぶとい盾だよ」

「次は、教会本部へ参拝である。近松先生になりすましているのならば、職務を怠らないでいただきたい」

「分かっているさ」

 前を歩く白いスーツの同僚に、ヸタは目を留めた。

「醜い戦いぶりだったよ」

 右手を開いて、遠くなる同僚に重ねて、結んだ。

「ローザはひとりで祓えたんだ。けれども五人は、周りの支えがあってようやく祓えた。現代でもセンセイは的外れな教えを説くんだね」

 高をくくっている。安達太良先生は太陽、私達は先生の周りを回る惑星にすぎない。いつか真実の前に額ずくだろう。

「次の障りこそ、ボクとローザが祓う。余計なものは、排除せねばならぬ」

 ヸタの指が、私の結んだ髪で戯れはじめる。

「ボクと『スーパーヒロインズ!』との橋渡しをしなさい。ローザとの逢瀬をまだおあずけにしておいて、そのぐらいの要求を呑めぬは、不義理さね」

「了解した。ただし」

 ネクタイの緩みを直す体で、ヸタに肉薄した。

「近松先生を辞めてもらう」




 私の行動は、ローザヸタにとって、善か悪か。

 「スーパーヒロインズ!」にとって、悪か善か。



 入学式の翌日、近松初徳(そめのり)教授は失踪した。



「大胆だなあ。ローザとボクの治癒術と、キミに刻まれた(じん)の魔術でカラダを若返らせるとは。飽きさせぬ」

 


 同日、平安堂(へいあんどう)(のぶ)(もり)が日本文学国語学科に編入した。



「近松の抱えていた仕事は、キミが。大変なのでないかい」


 平安堂は、近松先生の執務用椅子を座りながら回転させた。

「先生の分は常時、自分が遂行している。講義を追加したところで、自分の業務に支障は出ない」

 品性のかけらもない笑い声が、ブラインドカーテンをくすぐる。

「さすがは彼の副官だ!」

「どのように彼女達と接触するつもりだろうか」

 背もたれを倒して、平安堂はあごに右手をあてた。

「褒め言葉には感謝ですよ、森先生。そうだなあ、サークルに興味がある設定にしようかな」

「『神代の戦士』が集まっているようであるが?」

 昨夜、ローザの寝物語で知らされた。偶然にも、安達太良先生を除く四名の日本文学国語学科専任教員が、寄りましに選ばれたのである。(ふみ)()みのビブーリオ・科学技術のキミック・超速のシュトルム・知識魔(ちしきま)のナレッジ、皆、アヅサユミの子だった。

 後に生まれたローザヸタは、きょうだいに虐げられていたのだとか。このことについては、ローザの激しい思い込みではないかと考えられた。

「月末まで散らかしておこう。出番が早いと、すぐに片付いてしまうからね」

 貴方は、自身の力を過信している。

「ボクは弱くない。千年、世界を渡り歩いて研鑚を積んできたのだよ」

 束ねた髪を、平安堂が解いた。

「ルビーレッドのシュシュ、願掛けですか? 確か、近松先生が、そばにおいて何年目かの祝いに」

「黙秘する」

 不服な平安堂から、シュシュを取り返した。

「はっきりお願いしてはどうですか。布きれにゴムを通した物ではなく、永遠の愛を誓うアクセサリーが欲しいとね!」

「貴方は、他者を自身のように想えない人」

 平安堂は立ち上がって、机を蹴った。

「その他者に、自分の想いを伝えることを恐れているキミに、言われたくはないんだよ」

 さすがは安達太良先生と同族、射当ててくれる。

「ボクの好きにさせてもらうよ。芽を摘むような真似をしたならば、愛する人を植物と同然にしてあげよう」

 すれ違う時に、平安堂が肩を当ててきた。講義を受けるらしい。

 先生の研究室を、閉めた。以降、誰も入れないように術をかけた。気がつく人に宛てたメッセージを織り込みながら。



 あの人を不幸にさせない。そして、彼女達も。



「シュシュ、変えまシタ?」

 災いが来る二日前、研究棟にて与謝野(よさの)と会う。ローザヸタと同じく撫子色の「祓」を行使する、スーパーヒロインだ。

「ルビーレッドっスか、イイっスね! 前ノ桜色モ、ラブリーでシタけド、コッちはモッとラグジュアリーなカンジがスルっス」

 与謝野は、私に女性としての憧れを持っている模様。私は、彼女の髪に本朝の「あはれ」を感じていた。烏の濡れ羽色が、まさか身近で見られるとは。

「ルビーレッド、と正確に色を当てられた者は、与謝野が初めてである」

 わざと「人間では」を省略した。ローザヸタ、貴方の野望を言の葉で斬り崩してみせる。

「与謝野、サークル加入希望者には用心せよ」

 平安堂に限らず、(よこしま)な動機を持つ学生はいる。私が副顧問を務めている演劇部は過去に、特定の部員に対し演技を装って身体に触れたい学生の入部を断っている。そのような学生は大抵、学外で罪を犯し退学処分を受ける。人間性が問われる者が、わずかに在籍している。更生させるか、排除するか。職員会議で意見がまとまらないでいる。

「ソレっテ……」

 長話をしては、怪しまれる。加えて、ローザを押さえ続けていると、左胸が痛かった。杭が刺さっているかのようだ。個人研究室に戻らせてもらう。


「二〇三教室でしたよね、森先生」

 研究棟の中庭にまで、平安堂に踏み込まれた。

「絵画になれそうですよ。水が綺麗ならば、ですが」

「消火用である。飲料水ならば、付近の自動販売機にて購入せよ」

 平安堂はうわべだけ笑って、隣へ腰を下ろした。

「安息のため池を悪く言われて、ご立腹ですか。試しに落としましょうか? そのまま仕事してくださいよ。美人は汚れても醜くならないでしょう?」

 池の縁を離れ、平安堂を注視した。

「明日はお別れ会です。ヒロインズとの挨拶を済ませてきたらどうですか」

 学生を演じる「神代の戦士」を、評価する気にならなかった。

「彼女達に勝利する自信があるのだろうか」

「あるさ。二十年前後しか生きていない人間に負ける方が大問題だよ」

 平安堂は私を越えた先へ、眉根を寄せた。

「遅れそうだ、ではまた。ローザを頼みますよ」

 逃げた? 平安堂にとって都合の悪い人物は……。

「あらー、もう行ってしまいましたわ」

 靴音が、すぐ後ろで止まった。

「噂の編入生さんと、お話したかったのですが。つたなしですわね」

 安達太良先生が、手のひらにペットボトル三本を縦積みしてバランスをとられていた。

「ヨーグルト味の天然水、売り切れてばかりですのよ。口コミは恐ろしいですわね」

 先生の白いスーツに、中庭ともども清められた心地がした。

「今朝、学生達が『これを飲まなければ一生損する』と話していた」

「二限の教室では、ある学生の机の周りがにぎやかでしたわ。キャンパスのどこで買えるか、情報交換していたようで、図書館の休憩室とこちらが穴場だと教えてもらいましたのよ」

 どうぞ、と一本渡された。

「面談中のゼミ生に元気出してほしくて。私の分もついでに。ヨーグレア、まさにレアな逸品ですわね。おほほほ!」

 安達太良先生が耳を貸してほしいサインを送る。

「お困りのようでしたら、仰ってくださいな。お仕事でも、プライベートでも」

 直後に、鍵を閉めるしぐさをされた。先生なら射貫いてくださると信じていた。

「専門外の文学を教えるには、自分ひとりでは些か荷が重いのである。先生にお力添えをいただきたい」

 先生は親指を立てられた。

「補講をいたしませんか。確か、我が隊員の与謝野が『近代文学研究C』を受講しておりましたわね。先生直筆のお知らせがあれば、やる気がぐんぐん上がること間違い無しですわ」

 私の捉え所の無い言葉を、先生は的確に汲み取ってくださる。胸に食い込んだ杭が、徐々に引き抜かれてゆく。

「お仕事に戻りましょう。ヨーグレアは冷たいうちに!」

 Danke für die Hilfe. 太陽は、月をも温めてくださる。


 

 「スーパーヒロインズ!」へ、私の独善を許さなくても構わない。この身を悪魔に渡そうとしてでも、守りたい人がいる。先にも後にも、ただひとり。鋭く、硬くあろうとしていても、怖がりで、寂しがりやで、甘えん坊。けれど、好きになった女性達を幸せにしようと心を尽くす、強い剣。



  薔薇と生は ひとりでふたり ふたりでひとり

  

  剣は いばらに眠らされ


  盾は いばらに踊らされ


  花園は魔の祭壇となる



 卯月三十日の朝、平安堂が若返りの術を解くようすがりついてきた。安達太良先生に教えていただいた通り、第五の戦士は考えが浅く、予想しなかった事態に陥ると慌てるタイプであった。


 ヸタは与謝野を刈り取らなければ、と焦っていた。きょうだいの鼻を明かしたくて必死だった。与謝野とあの人が危ない。ヸタに従うふりをして、戦いに加わった。


 ローザを起こしたのが、ヸタの悪手だった。キャンパスにもいばらを張り巡らせたら、他のヒロインが察しないでいられようか。私は、近松先生を汚さないよう自らローザに心を譲った。


 ローザヸタは、家族に強さを認められたかった。私にはいないが、あの人は恥ずかしそうに語ってくれた。姉達が出来過ぎていて、読み書きの時間でも父にひどく叱られたのだと。

 認めてもらえないから、人格をふたつにして自己を愛し、保っていたのだろう。そうなる前に親が隣にいたのなら、本物の強さを身に付けていたのかもしれない。母アヅサユミにも事情があったのか。神ですら、育児に悩むのだろうか。


 重体である与謝野の治療を、ローザヸタがサポートしてくれた。他者に無関心ではない。ただ、向けることに慣れていないだけだ。



「すまない。君につらい思いをさせてしまったね」

 あの人の声が、かすれていた。休むなら個人研究室で構わないと断ったにもかかわらず、医務室へ運ぼうとする。ついでに校医の顔を見たいのだろう。色に耽る余裕がある、平気な証拠だ。

「アヅサユミの子が心を去った時に、君が現れたのさ。血を滲ませながらも、私を縛っていたいばらを引きちぎってくれてね。いつもの古傷を治す術を応用したのかね」

「あの術は、発動条件を満たす必要がある」

「ふぬ、私の思い違いか」

 あの人の目が一瞬、上に動いた。

「条件は何なのだね?」

 体が熱くなった。なぜ妙なところに限って鈍感なのだろうか。

「森君?」

「故意に訊ねているのだろうか」

「いや、私は本当に知らなくてだね。そうか、条件は、行使する対象と大人の抱擁を……」

 私としたことが、つい、手をあげてしまった。

「痛いよ、森君。もしや当たりだったのかい」

 二回、三回、追加した。身を震わせて耐えるあの人を、このように罵った。敬意を添えて。

「この、好色男!」







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