第五話:我(ワレ)ハ君(キミ)ト此処(ココ)ニ戀(コ)ヒ戀(コ)フ(三)
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「与謝野、ノートを研究室まで運んでもらいたい」
エリス准教授と交流できるチャンス! 明子は二つ返事し喜び勇んでお手伝いした。
「右のデスクトレーっスよネ」
余計な物を一切置いていない。さすが日文ティーチャーズストイック度ランキング一位(明子調べ)だ。
「感謝する。与謝野、時間はあるか」
「ふにゃ?」
まさか、ボーナスイベント発生!?
「次ハ文学PRデスけド、まゆみセンセに事情説明しタラOKモラえソウっス☆」
「ふふっ、そのまゆみセンセが持ちかけたのよ」
扉に安達太良まゆみ准教授が寄りかかっていた。白い上着とタイトスカート、ストラップパンプスがまぶしい。藤色のインナーに、弓矢を象った銀のペンダントもおしゃれポイント高しだ。
「皆には後で会いましょ、と伝えたわ。アドリブお願いね。そして!」
まゆみ准教授の三歩後ろに、宇治紘子准教授がケーキを入れる紙箱を大事そうに両手で支えていた。
「わわわわ、私も、ご一緒させていただきます! こちらは、今朝焼いてきましたマロンパウンドケーキです!」
上着、長めのプリーツスカート、ストッキング、革靴は黒。シャツはのりが利いていて、ボタンは全部留まっている。豊満なお胸をしっかり隠していて、完璧なガードだ。サラサラな髪と控えめなメイク、丸眼鏡に加えて「文学部日本文学国語学科」の腕章が真面目さをこれでもかと表現している。
「にゃにゃにゃにゃにゃ……!!」
陽向の安達太良、月陰のエリス、綺羅星の紘子、コンプリートいたダキまシタ!! 美しき三人の女性教員、名付けて日文レディースとティータイム! 明子はこっそり携帯電話のボイスレコーダーをONにした。
「明子、お茶淹レテきマス! センセ達はコーヒーっスか、紅茶っスか!?」
三人の教員は、明子に微笑み、飲みたい物を言った。
島崎の足は、部室のある秋津館に向いていた。
「小生にサボタージュは、不似合であります」
帰って小難しい本を読み耽り、夜を明かして健康を害するのならば、稽古して道具を作って鬱々した気持ちを汗に混ぜて流せ。
「待てない男に、恋する権利は無いでありますよ」
「シカシダケドシカシ、ホントウハスグアナタノモノニシタカッタンデスヨネ」
周りを見回すも、島崎の他に人はいなかった。夕刻の風は、暗い台詞が聞こえたかのように思わせる。
「ソラミミデハアリマセン。ワタシハアナタノリカイシャデス」
首に濡れた長い毛が腕のごとく抱きついてきた。島崎は身がすくんだ。
「アキコノホカハイラナイ、ショウセイトアキコノセカイニナレバミタサレル……」
耳に流れるは、絹の誘惑。影より濃い髪は島崎が飼い慣らしてきた欲を撫でまわした。
「アナタシカスキニナレナイヨウニ、シュウノウシチャイマショウ?」
島崎は髪を咀嚼した。理性を放棄して、礼節を唾棄して。舌に粘りつく液の甘さよ。吸わせろ、吸い尽くしてやる!
「アナタハワタシノアイガンドウブツヨ」
三切れ目のマロンパウンドケーキを食べ終えたまゆみが、明子に訊ねる。
「今朝、本殿前で見かけたんだけど、礼拝に身が入っていなかったんじゃないの? さっき、夏祭さん達もすずろいでいたし、お困りなのかしらとね」
明子はうっかりガチャンと紅茶のカップをソーサーに置いてしまった。
「言いづらいなら、無理しないでちょうだい。アヅサユミを継いでから、勘が冴えに冴えてきちゃっていみじく大変なのよー」
まゆみが左肩を回しだしたのを察し、紘子がマッサージをした。
「そうでしたよね! 安達太良先生は教員兼神様なのですよね!!」
「あああー、宇治先生、お上手ですわー、ここの、コリっとした所を強めに……効きますわー」
学生には気さくに、教員や目上の人にはお上品に話し方を使い分ける。明子は前者を「まゆみフレンドリィモード」、後者を「まゆみエレガントモード」と呼んでいた。
「先祖の役割をいさよはず継いだのですが、望みをもれなく叶えるのは、至難の業ですわね。先代がくじ引き制にしたわけに納得しましたわ」
とんでもない真実を聞き、明子は全国に報じたくなった。
「安達太良先生も、抽選で願望を成就させているのだろうか」
ブラックコーヒー(明子の予想が当たった)を片手に、エリスが疑問を投げかけた。
「秘密ですわ。なるべく多くの人の求めに沿うよう、力を尽くしております」
「はいはいはいはい! 最も多い願い事は、何なのですか!?」
腕章を付けたロケットのような腕が挙がった。
「年齢層にもよりますが、家族皆健やかに、ですわね。若人は、両思いもしくは結婚できますように、でした」
「ぎゅぴーん!」
顔がぎゅぴズムではなく、キュビズムになりそうだ。明子は、昨日の出来事を話した。
「芥川龍之介の手紙に、二人が過剰に恥じらっていた理由を、理解した」
「クールなコメントもらウト、モッと恥ズかシイっス」
エリスはまばたきひとつせず、明子を注視した。
「私、猛アタックする派なのですよ! 学生の時は走ることと文学に夢中で、その後は仕事に没頭していましたから!」
「では、この頃逢い引きを重ねていらっしゃるお相手とは、猛アタックの末、恋仲に?」
「なななな、なんで!? めっちゃんこおそがいわ!」
方言! レアな紘子に土下座しなければならない衝動にかられた明子なのだった。
「警察官であるな」
「もももも、森先生まで!?」
ゆだった紘子は、紅茶に砂糖を山ほど加えた。
「おほほほ、いっそう頭の回転が速くなりますわねー!」
「甘くて熱いとは、良好で何よりである」
「かかかか、からかわないでください!!」
あの「腕章の女史」と怯えられている紘子が、いじられていた。帰ったらレコーダーをリピート再生しよう。
「与謝野さん! 誰かを愛することは人生を豊かにします! ですけどけど、不純異性交遊はいけません!! 分かりましたか!?」
「ハーイ☆」
ついでに明子は、パウンドケーキのおかわりをねだった。
「手ほどきできたら良し! なんだけどね、初めて好きになった人が主人だからなあ」
「にゃ、まゆみセンセはモテモテなイメージありマシた」
まゆみはコーヒーをひと口飲んで、うなった。
「院生時代は時めいていたわよ? いわゆるモテ期よね。でも、しっくりこないのよ。財産目当てがほとんどだったから。欲にまみれた人とは仲睦まじくなれないわね」
「自分は、本朝に移り住んだ頃より数えきれないほどの縁談があった。全て、軍または自衛隊の関係者である」
エリスは独国軍医の家系だ。可憐にして妖艶な容姿と、聡明さに惹かれるのは、同性の明子でも納得できる。
「近松先生が聞かれたら、めちゃんこ嫉妬されますよ! あとこの間、芸術学部の後歩先生と偶然お会いしたんですけど、ショック受けていました!」
息を荒くして話す紘子に対し、エリスは泰然としていた。
「私事のため、本学全体に報告する必要は無いと判断したのだが」
葉月某日、エリスは婚姻届を提出した。明子をはじめ教員の熱狂的ファンは「エリス様、ゴールイン!」の号外を脳内にでかでかと貼り出していただろう。
「さして有名ではないのに、結婚しましたら周りがののしりますものねー」
まゆみは日常において、古語をたびたび用いる。今の「ののしる」は現代の意味とは異なっていた。古典が得意じゃなかった明子も、ようやく電子辞書を引かずに解せるようになれた。
「私ですら、当時の教え子達に根掘り葉掘り聞かれましたわ。森先生はなほ大変だったのではございませんこと? 受け持たれていらっしゃる四回生一同が記念の宴を開いたと伺いましたわよ?」
「一部の男子学生は『森ロスを慰める会』と称していた。自分は退職せず、旧姓を名乗り職務を遂行している。感傷に浸る要素がどこにあるのだろうか」
ありマス、大イにありマスよ。明子は声にしないで返した。カップリングを認めつつも、いざ結ばれると一抹の寂しさを感じるのだ。
「学生に愛されている証拠じゃないですか! 私でしたらそこまで燃えないと思います!」
「あらー、近いうちに良き報せがあると受け取ってよろしいのかしら?」
「その際は腕章に『新妻』を付け加えなければならないであろう」
紘子は明子に泣きついた。
「戯れ言ですわよ。私達は、宇治先生の幸せを祈っておりますわ。さて、与謝野さん」
まゆみの手のひらが向けられた。
「どんなお返事でも、あなたを好いてくれることへの感謝を忘れずにね!」
敬礼した明子に、日文レディースは表情をなごませた。




