第五話:我(ワレ)ハ君(キミ)ト此処(ココ)ニ戀(コ)ヒ戀(コ)フ(二)
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島崎は、メッセージを見ただけで返事はしなかった。今日の講義を全部休もうかと思った。島崎と時間割が同じだったのだ。
「近現代文学ト伝教課程、もろカブりなんデスが」
会ったら何と声をかければ、気まずくなくなるのか。
「しかしbutしカシ、自主休講しタラ、ソレはソレで気マズいデス」
クローゼットを開けて、右端のハンガーを取った。サークルのユニフォームだ。顧問が隊員の個性に合わせて、縫ってくれた。
「明子は、スーパーヒロインっス。猫背にナッてチャいられナイんデスよ!」
薄い部屋着をひと息に脱いで、明子は鏡の前で鼻息を荒くした。
そして、昼休みに至る。明子は、メロンパンを片手にぼんやりしていた。
「吃驚仰天、お姉さんとふみか先輩は、去年の夏に会っていたんですかっ!」
「ということになるよね。あんまり覚えてなかったんだよなあ。あの時の青ジャージの人が、ね」
「海原キャンパスで体力測定の帰りに、図書室分館に寄ったら、たまたまふみちゃんが本を探しに来ていたんやんなぁ。二人ともうっかりしてぇ」
「意外な、縁……です」
四人の会話に飛び込むのも、面倒くさい。皆、今日の自分を、どう思っているのだろう。
「あきこ先輩、全然食べていないようですけれど、体調不良ですか?」
華火がメロンパンを指差すと、皆の視線が明子に集まった。
「絶品スギて食べチャうノガもっタイないんデス! ソレに、明子ハ至っテ元気っス!」
華火はいぶかしんで、顔を近づけてきた。
「怪しいですっ。先輩が元気を強調する時は、何かあるんですよ」
幼稚園からの腐れ縁である華火には、ごまかしが効かなかった。
「恋の悩み……ですか」
明子は銅像のように硬くなった。
「図星なんだ」
「ようお話を聞かせてもらおかぁ」
日文(日本文学国語学科の略)三回生・ふみかと夕陽が、明子の両隣へ席を移動した。
「食堂に連絡して、カツ丼を届けてもらいましょうか」
華火の提案に、彼女の従姉妹・唯音が黙って賛成した。理系女子×やせの大食い×酔ったら〇〇は、属性のメガ盛りだと思う。
「ガッツリ取リ調ベじゃナイっスかー!!」
ふみかがそこらへんのデスクライトを持ち上げ、夕陽が満面の笑みでノートとペンを用意する。ロマンス警察24時(十二時半ですが)、出動。
「分カリまシタ、白状しマス。明子、昨日、告白さレタんデスよ」
『誰に?』
一斉に訊ねなくても。
「いおりんセンパイ、カツ丼あげマス。目ガ血走っテてコワいんスよ」
割り箸をきれいに分離させて、唯音は丼にありついた。
「答え、聞かせてくださいよ。あたしと同学年でしたら、本人を全速力で連れてきますから」
てめえはすっこんでろ、リア充イメチェンはなっち! と言える威勢は、無い。
「近松先生かな……見境ないものね」
「センセならネタにナれまシタよ、ふみセンパイ」
「そ、そう?」
内心では、外れて悔しがっているだろう。ふみかは、ゲームにしたらセリフがかっこ付きでいっぱい出てくるようなタイプだ。
「ふみちゃん、近松先生にはもうパートナーがいらっしゃるんやからぁ」
「ああ、本当だったんだ。守りに入ったか、女たらしおじさん」
加えて、なかなかの毒舌。明子は、ふみかに唐辛子をあてはめている。
「ご結婚に至るまで、語り尽くせないドラマがあったんやよ。さて明ちゃん、告白した人て、身近にいるんとちがう? うち達も知っているんやないの?」
「どきりんこ」
警察署が法廷に変わった気がする。夕陽には時々、緊張させられるのだ。女王様気質というのか? 従わざるをえない、言葉の圧力。癒しの女神と呼ばれるふわとろカスタードクリームみたいなたたずまいよ、カムバック。
「誘導尋問、ヒドいっスよー。そーデス、明子のクラスメイト島崎クンっス」
夕陽は黒い笑みを浮かべ、ふみかはライトを落としかけ、華火はずっこけて、唯音は箸を折った。
「そっか、おめでとう」
「マダ返事シテまセンかラね、ふみセンパイ!」
「春が、来た……」
「いおりんセンパイ、たとえナノは分カッてマスけドあえて言いマス、今ハ秋っスよ!」
「後日、島崎くんにはご挨拶に伺わなあかんなぁ」
「デパートスイーツ攻撃は、ノー・サンキューっスゆうセンパイ!」
長い髪と息を乱す明子に、華火はとがった歯を見せて笑った。
「やっと、いつものあきこ先輩になりましたねっ」
明子は照れ隠しに、メロンパンをかじった。
「シャべってタラ、おなか激ヘリにナリまシタ。ぷひゅー、人生初なんデスよ」
唯音と夕陽がうなずきあった。
「いつされても、どきどきしてまうやんな」
「二人ハ、何度カあるんデスか!?」
どちらも、あっさり答えてくれた。
「中学、高校の、文化祭、修学旅行、合唱コンクール、卒業式やわ」
「私は、月に三回……」
肝をつぶしたのは、明子だけではなかった。
「いやいやいや、告白なんてそうそうないでしょ。ここは現実ですよ」
そう突っ込んだのは、ふみかだった。年齢と未だ交際していない歴が同じの彼女は、夕陽と唯音を「別世界の人」のように見た。
「嘘ではありません、唯音お姉さんは性別問わずもてるんですよ。年下の方からは特に」
華火は唯音の白衣をごそごそさせて、パステルピンクの封筒を取り出した。赤いハートのシールで閉じてある。
「御姉様へ、うーん、口の中が急に甘ったるくなってきた」
水筒を探すふみかに、夕陽が粉末の緑茶を淹れてあげた。
「読む……?」
明子は手紙を貸してもらった。
「ダイたい、コンなカンジでシタ」
島崎の声が、明子の頭に繰り返された。
「オ返事ハ?」
「恋人は募集していない、と断った……ですね」
「キッパリなんデスね、センパイっぽイっス」
華火が人差し指を立てた。
「優柔不断な答えは、誤解の元ですっ。告白した側が変な期待を持っていざこざが起き、された側の品性が疑われてしまいます。どちらも不愉快になるんですよね」
「ぷぴー、婚約しテル恋愛勝ち組ハ、仰るコトが違いマスな」
「勝ち負けはいりますか? いらないですよねっ? あたしは、あきこ先輩と島崎先輩が仲悪くならないように、少女マンガと夜ドラマで得た教訓をお伝えしているんですがっ!」
「実体験デハないジャないっスかー!」
「貴重な友達を失いたいんですか!?」
「明子がロンリー女子デスと!? 早クモ若奥様通リ越シテ、お母サンきどりっスか?」
「先輩は救いようの無い馬牛襟裾ですねっ!!」
「花嫁修業ノつモリか知らナイっスけド、上カラ目線なんデスよ!!」
夕陽が仲裁しようとすると、唯音が首を小さく横に振った。
「お付き合いするんですか、友達でいるんですか、島崎先輩は青息吐息なんですよっ」
「島崎クンは、島崎クンとは……!」
「……逃げないですよね」
明子は、唇を閉じてうなずいた。
「その後どうなったか、聞かせてくださいよ」
「ハイ」
「あたし、あきこ先輩の友達なんですからね」
「サンクス☆」
華火に紙袋をあげた。下宿先の裏手に営まれている「ベーカリービーナス」の看板商品、トマトカレーパンだ。
「はなっち、雑誌にコレ載っテて頁ノ角折ってマシたよネ? 明子、人気No.2のメロンパンでおなかいっパイっス」
しっかり揚がってパン粉が寝ていない生地に、華火は顔を輝かせた。
「いただきますっ!」
四限の教室にて、島崎が明子の隣の席に座った。
「おツカれデス☆」
普段通りに接するよう心がける。「おつかれ」は日本文学国語学科内の挨拶だ。広めたのは誰か、深夜番組の有能な探偵に調べてもらいたい。
「おつかれであります」
筆記具を並べながら、島崎は返してくれた。がっかりしているのでも、憤っているのでもなさそうだ。
「昨日のメッセージなん、デス、けド」
目を合わせるのが、怖い。
「失敬、読みましたでありますが、寝てしまったであります」
てっキリ無視サレたのカト、思いマシたヨー! へへへー。なんて済ませられなかった。
「お待ちしているであります」
明子は自分の足を踏んだ。意気地ナシ!
「サンキューっス」
校歌を編曲したチャイムが鳴り、だらけていた学生達が席に戻り、姿勢を正した。皆、この講義の先生を畏れていたのだ。
レモンイエローのスカーフを巻いた森エリス准教授が、隙の無い歩き方をして教壇に上がられた。
「起立」
魔法をかけられたかのように、受講生全員が従った。
「礼」
呼吸まで支配された心地がする。くしゃみやあくびをすれば、首をはねられそうだ。
「着席、出欠確認をする」
指先だけでも当たったら雪のように溶けてしまいそうな容姿と、軍人並みの厳格さのギャップに撃ち抜かれる学生は数知れず。センセフリークの明子も言うまでもなく。
「島崎戒」
「ここに、であります」
エリス准教授は演劇部の副顧問だ。島崎は活動中にエリス准教授のあんな面やこんな面を直に拝めているのだろう。
「……以上、講義を行う。前回の配付プリント三番のFを解説する」
クラスメイトの横顔が、ダイスキな近代文学史を遠ざける。抱えていた想いを、伝えたい人に解き放つ。どんな反応をされるか、分からない。勇気がいっただろう。
「芥川龍之介は、後に妻となる塚本文に手紙を幾度となく送っている。その内三通を全文紹介する」
明子と島崎は心臓が縮み上がった。
タイムリーすぎてマス!
タイムリー過ぎるであります!
声に出さなかった言葉が、同じであったとは。当然、二人には知り得なかった。




