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第四話:朝陽夕陽考(おはなしと三ー一)


     三





 ぽつぽつの雨に降られながら「となみ」駅に着きました。いよいよ次が「にわ」です。カズコさんは、タップダンスをおどりたくなりました。次の駅を降りたら、空はにこにこしていることでしょう。電車の中でおどっては、他のお客様にめいわくをかけますから、カズコさんは心の中でくつを鳴らしました。そういいましても、電車にはもうカズコさんの他に誰も乗っていないのですが。

「ナナカマドさんは、夜の魔法を知っているかしら」

 物知りのナナカマドでしたら「夜の魔法」にまつわるお話をたくさん教えてくれるはずです。

「朝の魔法使いは、ナナカマドさんだったらいいわ」

 先ほどの駅で降りたウメおばあさんが、カズコさんに古い文庫本をくれました。「夜の魔法」のはじまりとおわりについて書いてありました。


 望みが多ければ多いほど、叶えようとする気持ちが強ければ強いほど、正しい判断ができなくなり、手を出してしまう、黒くて暗くておそろしい力が「夜の魔法」です。一度使ってしまうと、二度と「わたし」として生きられなくなるのです。

 文化を消し去ろうとした「まち」のえらい人は「夜の魔法」を使い過ぎて、ある新月の晩、毛虫になり、次の日には、追いかけっこをしていた子ども達が知らずに踏んでしまいました。それから皆「まち」のえらい人がいたことをすっかり忘れました。

 後にまた「夜の魔法」を使う人が現れました。その人は、同じ人を次から次へと増やしてゆきました。「くに」を不幸で固めようとしたのです。その人は「くに」に満たされない思いを抱いていました。頑張って働いても、全然幸せになれない。困っているふりをしている、何の努力もしない人々を助けるひどい「くに」に、罰を与えることを望んだのです。

 「くに」が「夜の魔法」でいっぱいになった時、空が割れました。そこから黄色い光が、落ちました。「朝の魔法使い」です。

「悲しみを喜びに、怒りを笑いに、不幸を幸福に」

 たったのひと言で、「夜の魔法」にとりつかれていた人々を解放しました。そして「くに」には「皆が優しくなれるおまじない」をかけました。望みを叶えたくても、叶えられない場所にさせてしまった「くに」を治さなければ「夜の魔法」が再び流行ってしまうからです。

「安心してください、ぼくがいます」

 人々がいきいきしているのは「朝の魔法使い」がそばにいるためです。


「私が幸せなのは、ナナカマドさんがきっかけをくれたからよ。恩返しをさせてね」

 カズコさんの黄色いリボンが、窓の細い光に当たり、金色に見えました。





後生畏(こうせいおそ)るべし、と『論語(ろんご)』にあります」

 桜と銀杏の葉が青々としているキャンパスを歩きながら、(とき)(すすみ)教授はそばの教師に言った。

「五十歳まで、私は『後生』に含まれていると信じ込んでいました。年甲斐もないことです」

 教師はにこやかに聞いていた。他者にしんどくさせない最良の手立ては、言葉を口にしない、つまり沈黙だ。特に恩師へは細心の注意を払わなければならない。

「この秋に六十二歳を迎えますが、()(ぶち)くんに追いつかれつつあります。驕り高ぶっていたんでしょう」

 老眼鏡の奥の温かい目が、教師をしっかり捉えていた。

「学長にお願いした甲斐がありました。真淵くんは、図書館に収まる研究者ではないんです。私のように視野の狭い研究者は、衰退の末路しか残されていません」

 本学附属図書館の司書を務めている彼を、日本文学国語学科にも配属させ、教壇に立たせた。両立できるのか不安そうにしていた彼を補助し、自信をつけさせて担任に任命した。時進教授から、返しきれない恩を受けたのである。

「真淵くんは、どんな人にも敬意を持って接していますので、大丈夫ですね」

 教師の足が止まった。時進教授は、わけを悟った。彼方の黄色いリボンを結んだ学生に興味があるらしい。

「ふみちゃん、遅刻してまうで! ちゃっちゃと行こぉ!」

 黄色いリボンの学生は、A・B号棟へ赤いパーカーの学生の手を引いている。きつく聞こえない泰盤(たいばん)(べん)に、教師は思わず偽りない笑みを浮かべた。

古琴(ふること)……それは旧姓でした、本居(もとおり)(あさ)()さんのお嬢さんですね。古琴さんに負けないぐらいの努力家です」

 時進教授は抱えていた『尊卑(そんぴ)分脈(ぶんみゃく)』の背を指でなぞった。教えていた時の名字でまた呼んでしまい、恥ずかしかったそうだ。

「教え子のお子さん、お孫さんを教えて、彼と彼女達に教えられてゆくんですよ。長く勤めていて嬉しいことのひとつです」

 一回生の必修科目初回に、冗談で「僕の名前は何と読むでしょうか」と謎をかけてみた。教室がざわめく中、教壇に最も近い席に座っていた朝陽の娘が、春であるが顔に紅葉を散らして、黒板の「真淵丈夫」を見つめていた。彼女に目配せすると、朝陽よりもまろやかな声で、正しく教師を呼んでくれた。「他述(たじゅつ)(ちん)(じゅ)」で聞き取ると、彼女は、教師と母親に面識があったことを知らない。母親は、作者名を伏せて『庭の七竈』を貸し、そのまま与えたのだという。


 あなたは、まさしく(あさ)()さんと本居世夜(つぐよ)の血筋を引いていらっしゃいます。ですが、せめてこの学び舎では、あなたの親にならせてくださいませ。夕陽(ゆうひ)さん。


 朝陽の願いに従うのではない、完全なる教師の意志。恋慕われているが、あくまで父親と娘。教えられる限り教え、助けられる限り助ける。相応しい時が来たら、ブローチを譲る。こうして朝陽は、後生に抜かれるのだ。変わり者の「(まじな)い」を継がせた元少年に育てられた後生に。




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