第四話:朝陽夕陽考(おはなしと一ー二)
もうひとつのふるさとへ帰る日は、ざあざあの雨でした。
傘を閉じて、カズコさんは電車に乗りました。快速急行の方が目的地に速く着くのですが、普通列車にしました。カズコさんは大人になったので、おやすみの日は好きなように過ごせるのです。もうひとつのふるさとまで、ひと駅ひと駅の空気を体に取り入れたいから、そして、着いたら雨が止んでほしいと願っているから、ゆっくり電車の旅を楽しむことにしました。
カズコさんは「まち」で生まれました。子どもの頃、お母さんの仕事の都合で「にわ」に引っ越してきました。「にわ」の住人は、カズコさん一家を怖がっていました。「にわ」の人々にとって「まち」は、得体の知れない所だったのです。カズコさんは、「にわ」の子ども達に「かいぶつ」「あっちいけ」など言われ、つぶてを打たれたことがありました。
でも、「にわ」でのいやな思い出は、やさしい思い出に追いやられました。カズコさんは「幸せになれるおまじない」をかけてもらったからです。
「久しぶりね、ナナカマドさん」
カズコさんは、長くなった髪に結んだ黄色いリボンにふれました。「おまじない」のリボンをくれたナナカマドに会いに行くのです。
電車は「はくあ」駅に止まりました。「にわ」まであと二十九駅です。
「よろしいのですか、夕陽? 十分後の快速急行でしたら、兎眼寺へ先に着きますよ」
「えぇんやよ、ナレさん。早起きできたんやもん、たまにはスピードにこだわらへんで行ってみよぉ」
前から三輌目、内嶺駅側の端っこに、本居夕陽は座っていた。背筋が伸びており、リュックサックを膝の上に置き「正しい乗車の仕方」のポスターさえ恥じ入るほどの完璧な姿勢であった。
「貸し切っているようですね。あなたのお父様は、畿内鉄道の株主だと伺っております。お得意の優待サービスですか、こちらの会社は随分繁盛されているのですかねえ……」
夕陽のウェーブがかった髪に結ばれた鈴は、おしゃべり好きであった。神と人間の子・ナレッジが、黄金の水琴鈴を寄りましとしているのだ。二人は、現に奇跡を起こす術「呪い」のひとつ「祓」を行使する者同士だった。
「使ってへんよ。せやのに、誰も降りてこぉへんかって、乗りもせぇへんかった。日曜で空いているて、おかしいわぁ」
ナレッジが、清らかな音を鳴らす。
「本当でしたら、夕陽とナレッジさんの吉き旅を寿ぎたいものなのですが、不吉なスタートだと思われますよ」
「そんなん言わんといてぇなぁ。ネガティブな考えしていたら、ほんまになってまうんやで」
あかんよ、と夕陽は鈴を指でつついた。
「…………ご無礼を。何者にも妨げられない快適なお出かけとなりましたねえ」
鈴に付いている珠の鎖が、一緒に結んである黄色いリボンにぷらぷら当たった。言葉に隠した意図を充分に汲み取ってくれなかった場合の、ナレッジがするやつあたりだ。
「うち、ナレさんをがっかりさせているやんなぁ?」
夕陽はうつむいた。トンネルに入り、外が暗くなる。
「いいえ、ナレッジさんが上手に伝えられないのが悪いのです。それからもうひとつ、ナレッジさんは夕陽ほど気が長くないのでございます」
「怒っているんやろぉ」
扉にはなぜか半紙がくっついていた。「口は災いの元」と書いてある。どこの広告だろうか。
「もうこのお話は、やめましょう。夕陽、執筆は捗っていますか? 文集の締め切りまで、一ヶ月を切りましたよ。児童文学賞に応募した直後ですから、たいそうお疲れのようですが」
夕陽はリュックサックで顔を隠した。
「はうぅ、あれは勢いに任せてもろうたんやよ。深夜に書き溜めていたやろぉ? 金賞とデビューはいただくわぁ! ゆうて、まともやなかったんや」
「送るべきか否かを悩まれるよりは、そのように思い切られた方がよろしいですよ。ただし、注意しなければならない点がひとつ、日が落ちた頃に書いた物には、禍々しい力が宿ります。審査員を病みつきにさせる傑作となりますか、審査員に忌避される駄作となりますか、神の座に近いナレッジさんにも、分かりかねますねえ……」
夕陽の右手が、窓の方へ伸びる。画用紙のようにざらざらした白い空に、弱々しい光が通された。
「禍々しい力……文章は、読者を落ち着かせる家にかて、痛めつけるバットにかてなり得るんやもんね」
「仰る通りですよ。創作される方は、言葉に責任を持たなければなりません。ペン先は、他者の命を容易く断てるのですから」
電車は次の駅を目指す。二人のみ乗せて、ぐるぐると。




