第四話:朝陽夕陽考(一ー一)
霜月の障り【刺・喪・突きの障り】
血腥きことを好み、人々を余さず刺し貫いてゆく障りなり。慄き叫びて絶えんとする様をうちまもりて、心を齝むなり。
一
おやおや、このような所で人間にお会いできますとは。「呪い」を少し行使できる人間が呼ばれたのですか……あなたは大変、運が良いのですねえ。
あなたについて、何でも知っておりますよ。ですから、あなたのコピーをさせていただいているのです。あまりお怒りではないようですね。嫌に思う方が多いのではございませんか? その習慣は、おやめになってはいかがです? 笑みをたたえて本心を悟られないようにされているようですが、かえってご自身を傷つけてしまいますよ。
聴覚が優れていらっしゃるのでしたね。常人には聞き取れない音まで聞こえて、さらに「呪い」がそれを強化しています。痛々しい音を追って、こちら間へ入られたのですねえ。あなたを駆り立てるものを申し上げましょうか? クス、クスクス、本居夕陽さんなのでしょう?
彼女の身が危うければ、先回りしてセーフティエリアをこしらえる……献身的なお方ですよ。そうです、彼女を含めた人間は、明日、このような最期を迎えるかもしれないのです。あなたに話しかけている存在が、尋常ではない大きさの霜柱を串として刺さっているように…………。
お上手ではございませんか。彼女のために、青筋を立てられて、開いた目を吊り上げられて、あなたはお優しい方ですよ。どうか落ち着いてください、災いを退けて差し上げますから。
あなた方の心を貪り亡す災いが「障り」です。朔日と晦日の間にこの地へ訪れます。おやおや、本心を聞き取る術を行使されましたか……そうです「障り」に効く呪いは「祓」でございます。クス、おいたわしいですねえ、あなたが傅かれているおつもりのお方が「祓」の行使者でしたとは。
申し訳ございません、あなたに似せたあまり長々とお話を致しました。ご安心を、あなたに聞いていただいている合間に祓っておきましたよ。
お別れが惜しいのですか? 夕陽さんの宿命に携わりたい、面白いですねえ……。あなたは彼女の牛馬走なのですか? わざと訊ねているのです、あなたが本当になりたいものは、彼女の父親でしょう? 天地が逆転しても叶わない、はるかに大きな望みをお持ちなのですねえ。先ほど申しましたよね、あなたについて何でも知っているのだ、と。あなた以上に知り尽くしているのかもしれませんよ?
眠気覚ましに、オペラを鑑賞させていただけませんか。ある教師と二人のマドンナとの邂逅、題して『朝陽夕陽考』。いかがです?
少年の世界に、夜明けが到来した。
「古琴朝陽、教育実習でお世話になりますぅ」
白亜高校二年三組に、とんでもなくキラキラした実習生が着任した。縮れさせたオレンジに近い茶髪、ブランド物らしき金輪みたいな腕時計、舞台女優もかくやの化粧が明らかに浮いていた。
「古典を教えるんと、体育祭のダンス練習をサポートします。よろしくやでぇ」
男子は単純だ。若くて胸の大きい女性にしっぽを振ってついてゆく。女子も然りだ。日頃のくだらないお友達ごっこに疲れていると、包容力あるお姉さんを欲する。
あんな部類と一緒くたにされて迷惑だ。少年は、朝陽の胸元を飾る物を凝視していた。蒼穹を削り出したかのような石に、焦茶色のリボンが付いたブローチだ。ここだけが、本質を表している。少年は、やっと話の通じる他者にめぐり会えた喜びを包み隠した。
「真淵丈夫くん」
朝陽は少年を見つけてくれた。放課後にひとり教室で復習をしている自分は、クラスはもちろん学年でも異質な存在だった。だから、共に行動する人がいない。そして、先生に「何を考えているのか分からない」「もっと自己主張をしなさい」と言われ、大人にも失望していた。
「精が出るなぁ。次の中間テストが楽しみやわぁ!」
少年はうつむいた。期待外れだ。この大人も「真面目な学生」としか認識していない。僕を理解しようとしてくれなかった。
「理解させる努力をしてへんくせに、よぉ言うわハムレット型ボウヤ」
朝陽がのぞき込んで、嘲笑っていた。少年はルーズリーフを取って椅子を後ろへ力いっぱいずらした。
「復習のふりをして、小説を書いているんやろぉ? いつか気づいてくれる人が現れる、てぇ? 童話のヒロインか。家でも影が薄い長男やけど二番目に生まれた真淵くん」
夕暮れの空が、鮮血のように赤い。この大人は、
「エスパーやてぇ? 本の読み過ぎとちがうかぁ?」
朝陽はルーズリーフを簡単に奪った。
「なぁ、うちのこと、興味深くなっているんやろ。なんで思考を聞けるんや、てなぁ?」
ブローチに人差し指と中指を当て、朝陽は意地悪く目を細めた。
「『庭の七竈』ゆうんか。主人公はあんたがモデルやな。せや」
少年は幻かと疑った。朝陽が光よりも速く、教卓に移ったのだ。縮地か。今日習った『おくのほそ道』の松尾芭蕉は、忍だった説がある。旅路にはこのような術を使っていたそうだ。
「芭蕉はともかく、だいたい正解やなぁ。それは後で教えたる。さて、カズコさん。うちがナナカマドや。メソメソ泣くんは終わりやで!」
朝陽はおっちょこちょいな先生だった。
「昨日はごめんなぁ。かっこえぇところを見せといて、あれはあかんかったわぁ」
確かに、締まりが無かった。「うちがナナカマドや!」宣言した後、下校のアナウンスが流れた。朝陽はきまり悪そうに「まぁ……せやな、今日は早う帰り。露出狂が目撃されているらしいしなぁ」と少年を校門まで送った。なお、少年の家は、露出狂が現れる「白亜ストリート」とは反対の方向だった。
「えらい少食やなぁ。売店のミックスサンド二切れとレモンティーやてぇ? 創作に打ち込むんは感心やけど、育ち盛りなんやからもっと食べやぁ!」
身長はもともと高く、それなりに筋力がありますから、量を増やす予定はありません。少年は丁重に断った。飲み食べした物もお見……訂正、お聞き通しなのか。朝陽に秘密は作れない。
「うちのおやつ分けたるわぁ、サラミはどないや? スタミナつけるには肉や肉!」
何も持っていなかった朝陽が、ビニール袋を提げていた。おそらく縮地だ。実習生の控え室はここの二階上、昼休みはたっぷり残っているのだから、歩いてもよかった。
「面倒やんか。使うたって減るものやない、寿命が縮むみたいなリスクもあらへんし。それに……」
近づいてくる二人組に、朝陽は手を挙げた。同時期に入った実習生だ。爽やかに挨拶を返す二人が階段を下りてゆくのを確かめると、朝陽は舌打ちした。
「あいつら、虫が好かへんねん」
はっきりしている所に、少年はしびれた。
「男の方は、女子高生に異常な性癖がある。教師の立場を利用して、犯罪すれすれのいたずらをするつもりや。えぇ大学通っていますぅ、ていばっているけどぉ、ちょっとお勉強ができるだけのクズや。親御さんが哀れやわぁ、大金ドブに捨てて、ロリコン生産してもろうているんやもんなぁ」
だから男子生徒にそっけなかったのか。体育科の実習生が採用試験に落ちるよう祈ろう。
「女の方は、人生を舐めてきたクチや。顔でうまく世渡りしていたんやろうなぁ。教師になって勝ち組か。公務員のどこが偉いねん。あの女、うちをやっかんでいるんや。うちは全てを兼ね備えているらしいでぇ? 性格までブサイクやなぁ。ゆるいおまたのせいで、未婚の母にならへんよう気ぃつけななぁ」
英語科の実習生は、女性の醜い部分を徹底して集めた人物だったのか。母と姉で食傷している。
「あんな大人になるんちがうでぇ、真淵くん」
朝陽は、太いサラミを丸かじりした。他人の本性を知ってしまうとは、どういう気持ちなのだろう。
「しんどい。逆にかわえぇなぁ思うけどなぁ、やっぱりしんどいわ。あいつらかて、うちを毛嫌いしているんや。『お互いに頑張ろう!』て仲間にしたっているみたいやけど、中身はヘドロや。気っ色悪い」
少年もサラミをいただいた。しょっぱい脂の塊だった。けれども、止まらなかった。
「思い込みで終われたら、どれだけ楽やったやろぉな」
朝陽は、手洗い場へ行った。少年は残りのサラミを口に押し込んで、追いかけた。
「心配してくれるんか、おおきに。うちはへこたれてへんよ。メンタル強うないと、術士務まらへんねん」
レースのハンカチが、朝陽の精神を表すようで、少年は不安を募らせた。
「僕がおらなあかん、て決意せぇへんでえぇ。自分で稼げる年になったら、そうしたいお相手に会えるわ」
湿ってしわになったハンカチをたたみ、朝陽は胸のブローチを指した。
「実習の最終日に、プレゼントするわ。うちにはもういらないんや」
指が蒼いブローチから、頭へ移った。
「やり方は、ここに収まっているからなぁ」




