第三話:浪(なみ)の上にも水はさぶらふ(四)
四
「鉢飛ばしッ!!!」
常盤色の風が形作る鉢が、観世に噛みついた物を払い落とした。
「シュトルムっ」
「お供して正解だった!!! おまえは許嫁を!!!」
華火は、気を失った観世をなんとか抱き留め、シュトルムは、落とした物を石の体で下敷きにした。
「……ッ、あいつか!!!」
片方だけねじって包んだ飴玉の、飴が砕けていた。
「どうしたんだよ、知ってるやつか」
「『水無月の障り』だ……!!!」
華火の背筋が凍った。タカアシガニが、恐怖の舞を踊っているように見えてくる。
「詳細を話したいが、人が来始めている。適した場所は無いか?」
華火は館内ガイドを開いた。
「救護室だっ、二階受付まで降りるぞっ」
「任せろ!!!」
ポロシャツの内側にシュトルムは潜り込み、観世の意識がある風に装った。
「あいつは、執念深い奴なんだ……今回はおそらく、爆発娘だな!!! 引導を渡してきやがったからな!!!」
華火は、壁に拳を打ちつけるのを我慢した。
「しかし妙だ、間を越えていた!!! 以前なら、仕返ししたい奴の大事にしている奴の心か物を間に呼んで、壊す過程をそいつの目に焼きつけてきた!!!」
「暴虐非道っ、鬼とか悪魔よりも酷いじゃねえかよ!」
シュトルムの輝きが、華火の瞳に火を灯す。
「……シュトルムも、昔、遭ったのか?」
「俺はねエ!!! お袋が恨みを買われて、『障り』の未練に親父を食われた!!! 即祓って一命を取り留めたがな、心に虫食いが生じた!!! 親父は」
車輪がキリキリ後ろへ転がった。華火が急に立ったためだ。
「観世っ!!」
華火が許嫁の広い肩をつかむ。
「あたしだっ、華火だっ、分かるかっ!?」
「忘れやしないよ……華火ちゃん」
「ナースコール、これだったよなっ」
背伸びして、華火はコードでつながったボタンを押した。
おばさん看護師が、荒々しく入った。母とおめんに雰囲気が似ていて、華火はつい三度も見てしまう。
「もういいの? あとちょっとだけ休んでたら?」
あごの輪郭が、くっきりと二重になっている。さらに目を引くのは、太ももを無理やり詰め込ませた花柄のスカートだ。タイトスカートじゃないことを祈りたい。
「饅房さん」
人の名前をすぐ覚えられる観世を、華火は尊敬している。
「そのお召し物ですが」
「は?」
観世は顔をしかめた。
「サイズが合っていないのではないでしょうか。ボタンが今すぐにでも飛んでいきそうだ。せっかくの小花柄が、芙蓉になっているではありませんか」
饅房がトマトみたいに赤くなる。大惨事を免れない! 華火は急いで二人の間に立った。
「本気でそう思ってるんだ?」
「はい」
骨太な腕が、観世に振り下ろされた!
「できるかどうかで迷うより、やっちまえ! 真剣白刃取りっ!」
捨て身の防御は成功したか? 片目を開けると……。
「逆に好感持てる。結婚して」
観世の手を握りしめて、看護師が唇を突き出していた。冗談が過ぎる。
「ごめんなさい。私には、この瞬間にも妻にしたい人がいます」
許嫁に腕を回されて、華火は沸騰寸前だった。
「ちえっ、優良物件はこれだからなー。お幸せに」
しばらく様子見な、と饅房は手を振りながら去った。
「ばかやろうっ!!」
華火の声がうわずっていた。
「確かに、馬鹿だ。華火ちゃんを前にするとね」
「また歯の浮くようなこたあっ」
観世が眉間に指を当てる。
「頭、痛むのか?」
「いいや。さっき、饅房さんに思ったことをそのまま言ってしまって……。怒らせてもおかしくなかった」
頭の中でシュトルムが呼びかけている。
(爆発娘、席を外せ!!!)
華火はナップサックをひっつかんだ。
「お茶買ってきてやらあっ、待っとけ!」
救護室の外に控えていたおよう達に観世を頼み、全速力で奥の自動販売機へ駆けた。
ベンチの真ん中に腰かけ、耳に携帯電話を当てる。窮屈で申し訳ないが、シュトルムには小さくなってもらい、携帯の裏に隠した。宝石がしゃべると騒動が起きるので、通話中のふりをする。
「世話をかけた!!! 戦闘以外の術に慣れていないものでな!!!」
「あたしこそ、こういうやり方しか考えられなくて、ごめんな。んで、どうしたよ」
「許嫁だが、『障り』に心を若干食われてしまった!!!」
華火はうつむいた。
「嘘をつけなくなった!!! 人間にとって、救いなのかどうか分からねエがな……!!!」
「……だめなんだ」
「爆発娘?」
「ずっと正直じゃ、あいつは自力で夢を叶えられなくなるっ」
華火が肩を震わせる。
「総理大臣になってやるんだって。あたしらが住む国を、憂いてるんだ。その第一歩が、市長っ。地元の住民から、困ってること改善させられねえで、国民の代表は務まらねえんだと」
便箋の上で将来を語る観世に、華火はもっと大人への憧れが強くなった。いくつになっても、夢を持っていていいのだ。彼女の思い描いていた「現実にのみ生きる大人」が、急速に塗り替えられたのである。
「嘘は、悪いことばっかしじゃねえんだ。誰かを安心させられる、危機を脱することができる、空想の世界を作れる。あいつは特に、仕事柄必要なんだよ」
袖で目や鼻をこすり、晴々した表情で華火は泰盤湾を眺めた。
「あいつは、嘘を本当にさせる政治家にならなきゃなんねえからな」
既視感を覚えるシュトルム。母娘そろって、苦を押し殺しているのが、痛々しい。
「……助けられるよな?」
「親父は心の虫食いを、お袋に埋めてもらっていた!!! 『祓』でな!!!」
「『祓』は『障り』に効く、ってんなら、『障り』による害にも効くっつー理屈か」
「賢いじゃねエか!!! 日が変わるまでに一度、身を清めた状態で『祓』を許嫁に分けてやるんだ!!!」
「零時まで、だなっ?」
「そうだ!!!」
「あいつは仕事、あたしは学校と文学PRだから、夜か。体清めないとなんねえんだよな、庭に滝あったか……?」
「風呂で充分だ!!! おまえの家は、滝を作れと言えば簡単にできそうでシャレにならねエ!!!」
山持ちの大地主にして空満の政に関与している夏祭家に、不可能の文字は無い。
「『障り』に食われた所は、二度と取り返せねエ!!! 許嫁の命尽きるまで、嵐が来ようが地が裂けようが、戦火に巻き込まれようが波に沈められようが、続けなければならねエ!!! おまえの生涯をあの男に捧げられるかッ!?」
「当然だろ」
シュトルムは更に問う。
「自責の念に駆られているのか? 『祓』の行使者としての義務だからか? そういう気構えでは、いつか投げ出してしまうぞ」
「惚れたんだよ」
湾を発つ船の汽笛が、シュトルムと華火の会話を遮る。
「何だと……!?」
「二度も言わせんなっ、あたしは観世の嫁になりてえんだよっ!」
携帯電話をしまい、華火はシュトルムを顔のあたりまで持ち上げた。
「遠距離でもねえのに手紙を書いてくれてよ、方向音痴のくせにあたしが迷子になるのを心配してくれてよ、あたしのために粉骨砕身する男が、あいつの他にいるかってんだ。喜んで観世華火になってやんよ! 徹頭徹尾っ、支えてやらあっ!」
シュトルムが淡く発光した。
「決まりだな!!!」
「おうよっ!!」
観世と使用人達の飲み物を買い、海風を受けて華火とシュトルムは駆けた。
爆発娘、おまえは全然曲がってねエな。おまえがそう育っていったのは、周りの奴らが温かい心を持っていたからだろうな。待てよ、おまえが周りを温かくさせたのか? いずれにせよ、おまえは縁に恵まれている。胸を張れ。
憎かった人間どもに封印され、解けて、俺はおまえと会った。こんな小娘に絆されるものか、と意固地になっていた俺は、今では丸くなってしまった。
俺は嘘が下手だから言っておくがな、おまえの燈に惹かれているんだ。おまえの走る姿、道が気になってしかたねエんだよ。俺も昔、熱でへばっていた。共通点を探しては、喜んでいたんだ。妹にも近しい所があるぞ。愛した男に己の何もかもを燃やせる。家が細く長く続く秘訣だ。観世家は安泰だな。
俺は近頃、この世に訴えているんだ。生きている奴らを苦しませるな。以前の俺が聞いていたら、鎌鼬を起こしていただろうよ。おまえや御母堂らが無理に強くあろうとしなくてもいいようにな。
この世がどん底に落ちようが、爆発娘みてエな人間は必ずいる。小さい火が、周囲に熱を発して、大勢の冷えを除いてやれるんだ。人間は、へこたれねエんだ。神よりも剛健だ。
おまえの燈は、どれほどの奴らを温めてやれるんだろうな。
日々の移ろいは、止めることができない。来た路を懐かしみ、浸っていても、いずれは前へ進まなければならない。「障り」に心のひとかけらを奪われる前のあの人には、戻せないのだ。
シュトルムはこの日を、修羅の朝と名付けた。
「髪を結ぶ場所を、変えたのか?」
姫鏡台の前で、ポニーテールの女子大生が身だしなみの最終チェックをしていた。
「ええ。再来月であたし、十九歳ですよ」
頭の左側に結んでいたのを、真後ろに改めた。
「来年、観世さんは市長選に出られます。まずは身なりから整えてゆくのです」
柚葉色のワンピースが陽光に照らされる。湾遊館の付近で買った一着だ。観世は手放しで喜んでいた。
「俺といる時ぐらいは、肩の力を抜けよ」
女子大生は、星形の翡翠へ上品に笑いかけた。
「……そうだな。目上の人以外にも少しずつ、あいつに相応しいレディになっていくよ」
「俺は、おまえの見るべき程の事を見る。菩提も弔ってやる、夫婦共々な」
「ありがとう」
女子大生はシュトルムを帛紗でくるみ、帆布のトートバッグに入れた。観世からの贈り物である。手紙のやりとりばかりで寂しい思いをさせた、せめてものお詫びだそうだ。
「日めくりは、しなくていいのか?」
「昨日、二枚めくっちまったんだ。だから、今日は休みっ」
窓を閉めて、女子大生とシュトルムは部屋を後にした。
キャンパスの木々が瑞々しくて、こちらまで元気がみなぎってくる。明け方まで降っていた雨のおかげだ。足元を悪くするのは嫌いだが、命に潤いをもたらしてくれるところは好きだ。
「あたし、毎晩観世さんのところに通っているんだよな」
風呂を済ませたら、シュトルムが観世の元へ運ぶ。シュトルムの術で結界を張り、眠らせた観世に女子大生が「祓」を分け与える。
「心の虫食いをふさいでやっているっつっても、恥ずかしくなるんだ」
「惚れている証左だ!!! 添うと決めた男とだから、余計にだろうよ!!!」
シュトルムが、体に緑の光を三三七拍子で点滅させる。
「……だよなっ」
女子大生が襟に付いたリボンのゆがみを直した。
「おまえを咎めるやつがいたら、俺が吹っ飛ばしてやる!!! そこにいる娘らは、おまえの選んだ悔いのない生涯を後押ししてくれるだろうよ!!!」
A・B号棟と研究棟とを結ぶ横断歩道を、見知った四人がおしゃべりしながら渡っていた。研究棟側か。おそらく日本文学国語学科の共同研究室に寄るのだろう。
「参りましょう、シュトルム!!」
「燈を輝かせろ、華火!!!」
新しいスリッポンを履いた女子大生は、弾むように走る。
「おはようございますっ。いおんお姉さん、あきこ先輩、ふみか先輩、ゆうひ先輩!」
〈次回予告!〉
「ナレさん、大変、大変やぁ!」
「いががしましたか。偉大なる友、夕陽。あなたが慌てていらっしゃるとは、珍しい」
「えらいことになってもろうたぁ、真淵先生からお誘いを受けたんやよぉ。葉月朔日、
午後一時、空満図書館やって!」
「そうなのですか……。ついに全てを明かそうと決心したのですねえ」
―次回、第四話 「朝陽夕陽考」
「ナレッジさんの知る限りでは、真淵は夕陽に並々ならぬ想いを抱いているようです。鍵となるものは、昔の…………」
「先生の過去に何があったんですかぁ!? 気になってまうやんかぁ!」
「ナレッジ、またあなたは余計な事を。困りますねえ」




