表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/39

第一話:夢一夜(一)


     一

 どうして私が、こんな夢を。


 母方の祖父宅にて、おやつを食べていた。東大寺(とうだいじ)のお水取(みずと)りが済んでも、こたつ布団を敷きっぱなしにしているのがこの家の癖だ。出してずっと洗濯をしていない。いつ汚したか何をこぼしたかもはや覚えておらず見分けられない「しみ」が点々とついている。慣れきっておなかまで入り、私は白ごま煎餅を歯で割っていた。

「そち、リモコンを取ってたも」

 やんごとなき指図をされても、別に苛立つことなく、さっとこたつを抜けて、畳にあった所望の物を拾い、手渡しする。

「どの局も駅伝やら能楽やらで退屈よの」

 ちゃっかり上座にふんぞり返る翁は、リモコンの電源ボタンを大儀そうに押し、テレビを真っ暗にした。

 それにしても、目を見張る坊主頭だ。電灯から来る光をことごとく反射している。油でもかけて磨いたんじゃないだろうか。明かりを消したって都合が悪くならないぐらいだもの。

 無作法者の私でも、祖父を「翁」とは呼ばない。ここでは祖父が土御門(つちみかど)先生に差し替えられていたのだ。先生は、私が通っている(そら)(みつ)大学で中古(ちゅうこ)文学の講義を担当されている。『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』や『伊勢(いせ)物語(ものがたり)』、『古今和(こきんわ)歌集(かしゅう)』を読み解いたり、翻刻(ほんこく)変体仮名(へんたいがな)を、普段私たちが用いているひらがなや漢字に直すこと)を練習したりする。本朝(ほんちょう)の古典文学といえば、で挙げられる作品は、だいたい中古文学である。既に使われた車などの物を俗に言う「ちゅうぶる」ではなく、主に中国の料理を指す「ちゅうか」でもない。

「して、大和(やまと)や」

 土御門先生が、閉じた扇で私を指した。

「わたしが直々に、そちの暇つぶしをしたる。宝探し遊びや」

 先生は、それこそ中古の貴族みたいな立ち居振る舞いをされる。みたいな、は失礼か。だって本当に貴族だから。本朝の古都・陣堂(じんどう)に住む「華族(かぞく)」なんだ。(みかど)に和歌をお教えするありがたい役目をいただいているらしい。新入生には必ず初回の講義で「わたしは、『雅』そのものですからな。そちらは、下﨟(げらふ)や」と仰る。空満大学日本(にほん)文学(ぶんがく)国語(こくご)学科(がっか)、略して(そら)(だい)(にち)(ぶん)のお約束にも数えられているんだよ。

「そこの庭に、お宝を埋めたった。割り箸かインスタントラーメン(うみ)(さち)味の容器で掘ってみなはれ。流れ星よりも雅な物が出てくるやろう」

 私はなんとなく、制限時間があるのか訊いてみた。

「三分や。百年が口をあんぐりさせるほどの短さですな。お日さんが東から西へ落ちるんをひたすら繰り返さへんのや。ほれ、()よ靴を履きなされ」

 割り箸と即席麺の空き容器を押しつけられ、私は勝手口の扉を開けた。

 外は夏に移っていた。庭に、満開の向日葵(ひまわり)がたくさん植えられていたのだから。ふと、向日葵の花言葉が浮かんだ。憧れ、私はあなたを見つめる…………。

 特にきれいに咲いた花の根本を、粗末な道具を二つとも使って、掘ってゆく。

 土に紛れていた宝は、首飾りだった。細い銀の鎖に、弓矢を象った銀のチャームが通っていた。せめて袋に入れておいてほしい。洗うのが煩わしいではないか。

 居間へ首飾りを持って帰ると、翁はたいそう仰天していた。二分もかかっていなかったのだそうだ。

「三分って、なかなか過ぎないものなんだね」

 私は、また新たな気づきを得たのだった。



 どうして私が、こんな夢を。


 あんまり会いたくない人の舞台を、中央の席に座らされて延々と見せられる身になってくれないものか。


  ♪ 吹けよホイッスル 刻めリズム

   進め真夏の ストリイト

   君も我も のぼせわめき

   うれし涙が ほとばしる ♪


 侍? 将軍? この際どうでもいいや、刀を差す男が金ぴかの着物を悪びれもせずまとうとはけしからん。真っ先に狙われるでしょうが。金だよ金、趣味を疑うよね。おおっぴらに取り入れる色じゃないと思う。


  ♪ フレー フレー チカマツサンバ

   フレー フレー チ・カ・マ・ツサンバー! ♪


 吐いても恥ずかしくないかな。現実では我慢するよ。地味に生き抜くためならば、飲み込んでやり過ごすんだから。


  ♪ いざ 愛せよ 淑女 お手を ファム・ファタール

   浮き名さえ 構わず 歌い明かそう ♪

   

 のどに辛味(からみ)(のぼ)ってきた。夕ご飯は坦々麺だった。弟が珍しく台所に立ったのだ。「料理がうまいと女性にもてる」巷説に踊らされているだけかもしれない。

 いくつか物申したい。「淑女」と「ファム・ファタール」のあたりで、流し目をするな。こちらに手を差し伸べないでほしい。腰を無駄に振るんじゃない。そもそもあなたは大学教授でしょうが。色っぽく隙のある髷を結って、襟をはだけて、これ以上異性を誘惑して何がしたい。「士族」の名が泣くよ。


  ♪ サンバ WOW サンバ チ・カ・マ・ツサンバー

   フ・レ!! ♪


 近世(きんせい)文学の神がおはすのなら、すみやかに近松(ちかまつ)先生を戒めてください。チカマツサンバって何よ、もじり満載じゃないか。もじりは『(にせ)(むらさき)田舎(いなか)源氏(げんじ)』か『仁勢(にせ)物語(ものがたり)』までにしてよ。どちらも、ご専門の近世文学でしょ。あ、研究されている作家は井原(いはら)西鶴(さいかく)だっけ。

「ただいま歌った曲は『チカマツサンバ 其の二』だよ。作詞、作曲、振り付けは、すべて私なのさ」

 歓声(もちろん女性)の大波が、先生へ寄せられる。おかしい。私のいる列と、前は空いている。後ろに他の客がいるのか? 上にも座席が並んでいるのかもしれない。首を動かしたいけれど、禁忌にふれて取り返しのつかないことになりそうなのでやめた。

「前作を超えたヒットだけれども、其の一があっての二なのだよ。諸君ならば、一も聴いてくれているのでないかい?」

 いや、まだですけど。というか、本当にあるの? 夢に疑問を投げかけても、無意味だよね……? ばたばた倒れているのは、追っかけの人々かな。海外の有名バンドなら、失神する気持ちは分からないでもないが。

「先日、住職の旧友に一喝されたのだよ。『悟れぬ士族(しぞく)』、『煩悩まみれ』、ははは、言いたい放題さ」

 さすが住職殿、色欲の権化だと見破れたな。

「彼からすれば、私は最低な部類の男のようだ。しかしだね、私は、最高の賞賛として受け止めている。悟りを開いた者に、恋の手本となる戯曲は書けぬよ。本業の論文もね」

 核心を突いているような、いないような。まあ、迷いのない人が創作した文学や芸術は、面白味に欠けるよね。

「ゆえに私は生涯、女色に耽るよ。次の曲を聴いてくれたまえ、『チカマツ・カイザー』!」

 もうええ、もうええて! その場で脱ぐなー! いったい誰に需要があるんだ。早く、朝になってよう!!



 どうして私が、こんな夢を。


 女の子を背負って、研究棟の廊下を歩いている。ロの字になっているはずなのに、延々とまっすぐ伸びた長い長い廊下を、えっちらおっちら前にゆく。

「昔っから、こうして(ねえ)ちゃんにおんぶしてもらってたな」

 この夏で十九歳になる女の子は、私を「姉ちゃん」と呼んでいた。私の下には、一つ違いの弟しかいない。

「姉ちゃんは、意外と力持ちだよなっ。スリムなのによ」

 そうなのだ。今の私は、手足が長くて、背が伸びていて、お腹まわりがとても引き締まっていて、薄かった。

 別に、食事制限をしたわけじゃない。運動量を増やしたわけでもない。私は、違う人に変身しているのだ。サークルの仲間、仁科(にしな)唯音(いおん)先輩にね。

「あたし、久しぶりにべっこう飴なめたいなっ」

 おんぶしている子は、先輩のいとこだ。夏祭(なつまつり)(はな)()ちゃん、私が入っている日本文学国語学科に合格した。この子ともサークルで知り合った。

「おたまにざらめと水を溶かして、ガスバーナーであっためてただろっ。姉ちゃんがやるときれいにできるんだよな。トパーズみてえでよ」

 (わたし)は……「(わたくし)」にすべきか、(わたくし)は手先が器用なのだった。べっこう飴やカルメ焼きなら目をつぶってでも作れるし、愉快な発明品を生み出せる。

「あきことふみかとゆうひに、食べさせてみるって、どうだ!?」

 華火さんが私を揺さぶってきました。興奮しているのですね。思いやりのあるいとこです。

 ところで、いつになったら曲がり角に差しかかるのでしょうか。

「さあな、んな細かいこた気にすんなっての。疑心暗鬼はますます迷い込むだけだぞっ」

 はい。おかげで元気づけられました。二階、で合っていますか? 左手に日本文学国語学科共同研究室、右手に教員の研究室の扉が見えています。

「姉ちゃんが、そうだって思うんだったら、それで間違いねえんだよ」

 頼りなくて、ごめんなさい。研究室の番号が、全部「二〇七」です。なぜ?

「…………」

 難しい質問だったようです。私の考えを、聞いてもらえますか。この日だけ全室二〇七号にしよう、という行事ではないでしょうか。最初に二〇七号で研究していた先生が、名誉にあずかったのです。おめでたいことを称えて、毎年、表札を、

「おやおや、もっともらしい解答を思いつかれたのですねえ」

 華火さんが、表面だけは礼儀正しい口調をするでしょうか。

「僕はどなたに対しても、敬意を払っておりますよ。仁科さんになりきっていらっしゃる、大和さん」

 明らかに少女の声ではなかった。近松先生よりもっと会いたくない人が、私の背にしがみついていた。

「克服していただかなくて構いませんよ。後期の国語学研究に『可』の成績をつけたことが不服でしたら、納得のゆく説明しなくてはなりませんが」

「心を読まないでくださいよ」

 読むだけに留まらず、ご丁寧に言語化してくださるんだから、たまったものじゃないよね。

「物事を『読む』力に関しましたら、大和さんにはかないませんからご安心を」

 鋼の塊を乗せられた気分だった。早く下ろしたい。唯音先輩でも、厳しいよ。でも、取れないんだよ。にかわでも塗ってあるの? ってくらい。

「僕の期末レポートをおざなりに作成されたため、ですよ。歩いていただきますよ、果てしなく」

 真淵(まぶち)先生め……次、学校で鉢合わせたら、必殺技のふみかムーブメントを三連発してやる。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ