第一話 転生、さらに転生、さらに……
世界は暗転する。
最初は何が何やらわからないままひたすら無心に温かい水を吸っていた。
暗闇の中を呼吸する。
呼吸が出来るのなら、生きているという事だ。
車に轢かれたのち生還!俺はこの上なく安心した。
あの引き籠り部屋に戻れる、ゲームにログインできる、愛と会える。
そう期待したものの、未だに視界は晴れない。
目が開けられないのだ。
まさか、事故で目をやってしまったのか?思えば、声も聞こえない。
これは一体どういう状況なのか……。
目よ開け、開けー!とふんばり続けることも虚しく、時間もわからないままどれほど経っただろう?人の声が聞こえてきた。
「わんちゃんの赤ちゃんはかわいいねぇ」
へえ、どこかに犬の赤ちゃんがいるらしい。
うっすらと目を開けた。
目が開いた!事故で目を失ったかと思ったが大丈夫だ!俺は未だによく回らない頭で周囲の状況を確認する。
暑いほどの暖かい密着した肌は巨大な犬の赤ちゃんが俺のまわりにズラリ。
あれ?俺は入院しているんじゃないのか?なんだこのデカい赤ちゃんは……いや、待て。
自分の手を見る。明らかに人間ではない産毛の生えた手……。
犬の手?
俺を見て優しく撫でる人一人包めるんじゃないかってぐらいでかい人間の手は、どうやら俺が小さいらしい。
事故で体が縮小するなんてこたねぇだろ!犬の手が生えてくることもない!一体どうなってるんだ!
「ほらかあちゃんのおちち飲みなさい」
ビックサイズの犬の赤ちゃんよりさらにビックサイズの女性がこちらを覗き込む。
何故いい歳した青年が乳を飲まなくちゃならないんだ。
入院とかしてないなら、このままラーメンとか食べたいんだけど……
「おちちを飲まないわどうしましょう」
「それは困ったな。犬の赤ちゃんは母親の母乳が成長に必ず必要なのに」
ラーメン!!
俺を見て犬の赤ちゃんと連呼する女性達。
体が思い通りに動かず、鏡を観ることも出来ないが……。
開いた目で自分の体をまじまじと見て、一つの確信を得た。
間違いない、俺はどうやら、犬に生まれ変わっている……。
仕方なく犬の乳を飲み続け日々を過ごしていると、俺は立派な子犬に成長していた。
最初は動揺していたものの、すっかり慣れてしまった。
何より、犬生というものは最高であった。
ひたすら寝れるしデカいがかわいい仲間の子犬が俺のまわりにうろちょろ走りやがる。
ワイルドに居間でうんこをしなけりゃならないのとドッグフードを食わなくちゃいけねぇのが少々精神力を消費するが、働かなきゃ人権を得られない前の人生より遥かに良い。
ああでもやっぱラーメンは食いたい。
飼い主の女性の目を欺いてこっそり菓子とか食ったけど、ラーメンはまだ食えてない。
どこかラーメン屋の前で弱ったふりをして倒れていたら優しい店主がラーメンを差し出してはくれないだろうか。
俺は子犬達の集まりからこっそり抜けると、窓の隙間から外に出た。
アスファルトの上を駆け抜けラーメン屋を探す。
何軒か家の隙間を抜け大通りに出るとどこからかラーメンの匂いが漂ってきた。
ラッキーどこかにラーメン屋があるかもしれない!と意気込んだ時。
体が吹き飛んだ。
宙をただよう感覚にもうれつな全身の痛み、そして地面に叩きつけられる。
遠くに去っていく車が視界に入る。
どうやら俺はまた車に轢かれたらしい。
仕方ねぇじゃねぇかまだ犬生慣れてねぇんだよ……。
折角犬の生を手に入れたにも関わらず、意識は遠のいた。
ゆらゆらと体が揺れる。
暫く考えた後、水中を漂っている事に気がついた。
周囲の景色は青く暗く、息をしている感覚はないが水中に溶け込んでいる。
運良く犬に転生できたのもつかの間、ついに俺は死んでしまったのか?しかし、どうにも水の中にいる感覚がある。
よく目を凝らす。
水の中、俺の周囲から全方位に密集している何かに気づく。
俺と同じように水にぷかぷか浮いて…なんだこいつらは。透明に透き通るボディに虫のような足……俺は理解した。
エビだ!巨大なエビのような姿が目前数えきれないくらい密集している!そして考えたくはないが恐らく俺もこいつらと同じエビだ!手足を確認して、絶望する。
体の周囲の水が揺れ動いた。
密集するプランクトンを縫って遥か遠くに巨大な姿が見える。
正面から見たクジラの姿だと理解するのに時間を要した。
クジラは、段々段々大きくなっていく。
俺はさらに理解した。
巨大なクジラの口が俺たちを飲み込む。
エビの形をした、クジラの餌になるプランクトンに俺は転生していたのだ!そこまで理解した時には、俺はクジラの口の中に収まっていた。
闇から視界は開ける。
でかい植物がもさもさと茂る中に俺はいた。
まだ、俺は生きているらしい。
怒涛の転生に脳がクラクラする。
今度は何に転生したんだ?なんて可笑しな思考が働く。
草の一部がゆらりと動いた。
それはでかいカマキリが、俺をじっと見下ろす。
虫!最悪だ!俺は自分のうでを見る。
カマキリだ、カマキリに転生しちまった!とんでもねぇ!プランクトンよりはマシなのか!?眼の前のカマキリは何かをむしゃむしゃと食べている。
俺も食われんじゃねぇか。
そんな恐怖が思考を支配する。
いやいや、生みの親が子供を食ったりしないだろ、何のために産んだんだ。
その前に、目の前にいるカマキリは生みの親だよな?お母さんだよな?
様々な恐怖と戦いながらがさりと音をたてた後ろを振り返る。
背後にいたのは首のないカマキリだった。
もう限界だ!俺はその場から飛び出し、青い空遠くに飛んでいる鳥に呼びかける。
ヘイバード!俺を食べてくれ!
あのカマキリは間違いなく母カマキリだった。
カマキリのメスはオスを食べたりするらしい。
間近でその瞬間を目撃しちまった!転生慣れした俺は見事、飛んできた鳥の嘴の中に転がり込む事に成功した。
もし次に転生するのならば人間がいい、そう願いながら。
こうして俺の転生人生は何度もころころと舞台を変えた。
せんべいを差し出されたと思ったら奈良の鹿だったし、壺に入れられたと思えば蛇だった。
不思議なことに、何度転生しても記憶は全て継承され、人の意識を保つことができた。
そのくせ、人間に産まれられなかった。
人間になりたい、やっぱ人間がいい!何度も転生に失敗して自ら命を経つことどれほど繰り返しただろう、十年程経った頃。
何度経験しただろう、眠りから目覚めるように視界が開け、眩しい光が差し込む。
俺はすぐに自分の手を確認した。
手はちゃんと人の形をしていた。
周りにいるであろう人の声……今度こそ間違いない、人間に産まれたんだ!今度こそ人間になったんだ!
「おぎゃあああああ」
「産まれましたよ!元気な男の子です」