無敵の氷竜
「何、勝手な推測してやがる。その口に氷柱ぶち込むぞ、ボケ」
声は違うが、ビスター卿と同じような言い回しだ。
ビスター卿の姿が見えないところに、この女性の出現。
アロージャという人がビスター卿なのか?
見た目が全然違うが。
「そう怒られましても……。逆賊を匿っておられるのは、いかに氷竜のアロージャ様でも許されることではありません」
氷竜?
今、氷竜と言ったか?
この人が炎凰と双璧を為す、あの氷竜?
ゲーリーはアロージャに頭は上がらないようだが、それでも必死に自分の職責を果たそうとしている。
「やかましい。私の眠りを返せ、愚か者」
「いや、それは……」
「この攻撃はガリューの指示か?お前、あの欲深い鯰みたいな顔に指図されているのか?」
「当然、あの方の指示ですよ。ですが、今回の作戦は私の考えです。油断していたとは言え、王国の英知の結晶とも言うべき竜騎隊がそこのクソガキにやられたままでは沽券に関わりますからね」
「言葉には気を付けろよ、不忠者が。竜騎隊は陛下直属の近衛兵団傘下だろ。鯰の指示とはどういうことだ?陛下の指揮権を何と心得る。大体、こんな坊やにお前たちは何をやられ……」
「コールマンは死にましたか?」
ゲーリーはアロージャの問いを遮るように声を張った。
「はぁ?コールマンはここにはいない。あいつが狙いだったとしたら、迷惑千万だ!間違いだったでは済まさんぞ。何の関係もない嫁入り前の娘にまで危険な目に遭わせやがって。顔に傷でもついていたら、お前など八つ裂きにしてカラスの餌だ」
アロージャは吐き捨てるように言う。
「何と……。作戦は完全に失敗だったな」
「ゲーリー隊長!」
別のドラゴンに乗っている戦士が金切り声を上げる。「屋敷の裏の建物からドラゴンらしき巨大な獣が顔を出しています」
「ん?ドラゴン?」
スマイルだ。
そう思って、振り返ると確かにスマイルが不安そうな顔を牧舎の入口から出して、こちらを見ている。
「さあ、さっさとかかってこい。ドラゴン三体ぐらい朝飯前だ」
スマイルへの注目を逸らすようにアロージャは声を張った。
手に巻いていた紐をほどき、長い黒髪をその紐でポニーテールに縛る。
その時、右頬に皮膚の爛れが見えた。
火傷?
その時、遠くから夜空を切り裂いて赤い光が近づいてくるのが目の端に入ってきた。
みるみる近づいてくるその光は巨大な鳥のようだった。
「おっと。それは次回のお楽しみということで。私も氷竜と炎凰を一度に相手するほど馬鹿ではありません。あのドラゴンも今度回収させていただきますから」
ゲーリーは指笛を一つ甲高く響かせると、ドラゴンの向きを変えて、赤い鳥とは違う方角へ飛び去って行った。
* * * * * * * * * *
「セリカ!セリ……」
俺はセリカに向かって駆け寄ろうとしたが、立ち上がった瞬間にグラッと足元のふらつきを感じて、しゃがみ込んだ。
屋敷から飛び出たときの衝撃がまだ体に残っている。
だけど、セリカが……。
俺は這うようにしながら、セリカの傍に寄った。
屋敷の炎に紅く照らされたセリカに意識はなかった。
ぐったり横たわっていて、ピクリとも動かない。
怖くなって、口元に耳を近づけると、呼吸音が聞こえて安心する。
首筋に指を当てると、しっかりとした脈を感じられた。
「頭を打ったかもしれないな。牧舎に運べるか?」
アロージャがスマイルのいる建物を指差す。
屋敷は炎を上げて燃えているが、牧舎は無傷のようだ。
「はい」
立ち上がってみると、先ほどよりまともな感覚になっていた。
これなら大丈夫かと思って、セリカを抱え上げてみたが、四肢に思うように力が入らず、前のめりにバランスが崩れる。
その時、背中から胸にかけて大きな腕で支えられた感触があった。
「無理をするな。私に任せろ」
声の主はコールマンだった。
先ほどの赤い鳥はやはり炎凰だったようだ。
コールマンは俺からセリカを受け取り、牧舎に向かって確かな足取りで歩いて行く。
俺はしゃんとするために頬を両手で叩いて、コールマンの後を追う。
クイィー
ぐったりしたセリカの様子にスマイルは不安そうな鳴き声を出す。
牧舎内でアロージャは大量の干し草をいくつかに分けて床に敷き、どこからか持ってきた毛布をそのうちの一つに広げ、簡易なベッドを作った。
コールマンがその上にセリカを横たえる。
セリカは目を覚まさない。
牧舎の中に注ぐ青白い月光のせいか、顔色にも生気が薄い。
スマイルが物悲しそうに、キューンと鳴く。
アロージャがスマイルの頬を軽く撫で、「大丈夫だよ」と慰める。
「このまま少し休ませよう。とことん不本意だが仕方がないから、お前たちもここで休め。私は火を消してくる」
やはり、この物言いはビスター卿のものだ。
アロージャがビスター卿の正体だということなのだろう。
「あ。手伝います」
屋敷の火事は桶の水が何杯要るだろう。
俺がアロージャについて行こうとすると、彼女は俺を制するように掌を見せた。
「お前に手伝ってもらうことは何もない」
アロージャはそう言い残して、外へ出て行った。
すぐに、ジュー、と火に水をかけたような音が聞こえてくる。
そうは言っても、あの大火を一人でどうするのか。
俺は桶を手に牧舎から外へ出た。
そして、目の前の光景に立ち尽くす。
アロージャが魔法による雪のようなものを屋敷に向かって大量に浴びせるように放出していて、あっという間に火が消えていく。
確かに、俺の出る幕はない。




