スマイル
「屋敷に傷をつけたら、ぶっ殺すからな。役立たずの下手くそどもめ」
ビスター卿はそれだけを吐き捨たかと思うと、流星のように冷ややかな青白い光をまとって瞬く間にコールマンの方へ飛んで行った。
そして、タイミングを合わせたように、コールマンは巨大な赤い炎撃を、ビスター卿は鋭利なガラスの塊のようなものを無数にドラゴンに向かって放った。
ドラゴンは回避できず、両者の魔法攻撃をまともに食らって、バランスを崩し、地面に墜落する。
雷が落ちたような地響きが砂塵を巻き起こしながら腹を揺さぶる。
もうもうと白っぽい煙がこちらに押し寄せてくるのが見えた。
「ジャスパーはん。最後のリフレクトや」
ドラゴンが落下した方向に向かってシュバルが魔法の壁を作る。
「はい」
俺もシュバルの横に立って、リフレクトを展開する。
この短時間でリフレクトの技術が上達したような気がした。
* * * * * * * * * * *
「やっぱり、なかなか眠れません」
俺はベッドに半身を起こして、コールマンとシュバルを見た。
「そら、そうでっしゃろ。体は疲れてても、心が興奮してもうてる」
俺はベッドから抜け出して、二人が向かい合っているテーブルの横に立った。
「お二人は寝ないんですか?」
「できれば一眠りしたいところだがな。間もなく夜が明ける。ここに居られる時間はあまりない」
コールマンは難しい顔をして腕を組む。
「確かにビスター卿は一晩だけっておっしゃってましたけど、夜中にあんなことがあったんですから、もう一晩ぐらい泊まらせてくださるんじゃないでしょうか。後で僕が掛け合ってみます。きっと何とかなりますよ」
「無駄だ。あんなことがあったから、なおさら出て行けと言われるだろう。そういう人だ」
「そんなぁ。……ビスター卿って何者なんですか?あの魔法攻撃の強さは異常ですよ。コールマンさんと五分に見えましたけど」
「ま、まあ、そうだな。昔から強いんだ、あの人は」
コールマンが珍しく言葉を濁す。
「コールマンさんはビスター卿と古い知り合いなんですよね?ビスター卿って昔から、ああいう感じなんですか?」
「ああいうとは?」
「その、何て言うか。口が……悪いってことです」
「そうだな。俺は何を言われようが気にならないが」
「そうですか。すごいですね」
俺はあんな風に罵られたら、コールマンのように聞き流し続けることはとてもできそうにない。
今回は他に頼れる人がいないので、すがるしかないというのが辛いところだが。「シュバルさんは、ビスター卿とお知り合いですか?」
「私はよう知りません。お名前を聞いたことがある、ぐらいでんな」
「ふーん。謎の多い人ですねぇ。そう言えば、例の作戦ってどんな感じです?」
「作戦は仲間が集まってから考える。今はとりあえず、このあたりにある廃屋を拠点にして、そこで情報収集をしながら、仲間を募る」
ろうそくの灯りの下、コールマンはテーブルに地図を広げた。
その地図は王宮を中心に、ビスター卿の領地も描かれている。
コールマンが指差した場所にその廃屋があるようだ。
そこはビスター卿の領地内だが、ブックローの森に非常に近接している。「君はどうする?」
「どうするって?」
「我々とともにガリューを倒すために戦うか、それ以外の、例えばここでビスター卿の使用人として生きていくという道もある」
「あのぉ……。私はガリュー宰相を倒すためのお役に立てますか?」
これはずっと考えていたことだ。
正直言って、先ほどのドラゴンとの戦いでも何の役にも立っていないのは分かる。
戦いたい気持ちは強いが、足手まといになるようなら早めに離脱した方が賢明だろう。
「正直、君の王の声は非常に魅力的だ。戦略的に言えば、一発で戦局を打開できる他に類のないジョーカーとなる。できれば私に助力してほしい。だが、無理にとは言わない。厳しい戦いになるのは目に見えてるからな」
レイに反旗を翻したガリューを倒す。
それは彼の異腹の双子として、彼の友人として果たさねばならない責務のように思えた。
しかし、俺にそんな力があるのだろうか。
落ちこぼれの俺に、コールマンを助けるほどの力があるのだろうか。
事なかれで生きてきた俺にあのガリュー宰相と戦う気構えができるだろうか。
「すぐに答えを出す必要はおまへんで」
答えを出せない俺にシュバルが優しく声を掛けてくれる。
コールマンも「そうだ」と頷いた。
「まずは情報収集と仲間を増やすこと。私たちはそれに専念する。その間に身の振り方を考えておいてくれ」
「わかりました」
俺は頷いて、再び地図に目を落とした。「廃屋を拠点にって、勝手に使って大丈夫なんですか?誰かの持ち物なんじゃ」
「心配おまへん。昨日、一日私がそこにおったんですけど、屋根は腐ってて、よう空が見えました。壁も今にも崩れそうな、ここ数年、誰かが使った形跡なんか全然ない、まさに廃屋ですわ」
「そんなとこ、拠点になるんですか?」
「大丈夫だ。屋根や壁は少し手を入れる。戦時の露営に比べれば快適なもんだ」
「そうですかねぇ。補修することによって、逆に目立ちませんか?」
「そこはもちろん目立たないようにするさ。シュバルはそういうことが得意だからな」
「いやいや、せやさかい、そこが誤解があるんですって。私の得意なのは変化であって、大工仕事じゃないんです」
苦笑いを浮かべたシュバルがカーテンの隙間から入り込む陽光を眩しそうに手で遮る。「夜が明けましたな」
カーテンに映りこんでいる何かの影が揺れている。
「何だろう?」
カーテンを開くと、窓のすぐ外にこちらを見ている人がいた。「うわっ!セリカ?」
セリカが笑顔で手を振っている。
揺れて見えていたのはセリカの手だったのだ。
“おはようございます”
そう書かれた紙を窓に押し付け、セリカはお辞儀をした。
「おはようございます」
俺もセリカに向かって頭を下げた。
するとセリカはどこかへ走り去った。
そしてすぐに部屋がノックされる。
シュバルがドアを開けると、セリカがまん丸なパンを籠に入れて持ってきてくれた。
どうぞ、と口を大きく動かして、籠をシュバルの前に突き出す。
「おおきに。丁度腹が減ってたとこやわ」
セリカはコールマンと俺にもパンを勧めてくれた。
「ありがとう。セリカは早起きだね」
そう言うと、セリカは眉を八の字にして曖昧に首を傾げた。
籠をテーブルに置いて、腰に巻いた麻のベルトからペンを引き抜き、紙に何やら書き込む。
“実はほとんど寝てないの”
「そっか。そりゃそうだよね」
“スマイルが怖がって”
「スマイル?誰?」
“私のドラゴン”
「ドラゴン!」
俺は驚いた。
ドラゴンは非常に獰猛で、プライドが高く、山間の峻険な土地を好み、人になつくことはほとんどない。
その困難を乗り越えて竜騎隊を作り上げたリーズラーン王国は圧倒的軍事力で他国を凌駕する存在になっている。
それだけドラゴンは希少な存在なのだ。
それが、私のドラゴン、とは。「飼ってるの?」
セリカは自慢げに頷く。
「サラマンダーでっしゃろ」
シュバルがニコニコと話しかける。
ああ、そういうことか、と俺は納得したが、セリカは大きくかぶりを振った。
ついて来い、という感じで手招きし、大股で部屋を出て行く。
俺とシュバルは顔を見合わせ、肩をすくめた。
サラマンダーでも飼育は難しいのだ。
ドラゴンをあの小柄な少女が一人で御せるとは到底思えない。




