マイラス宛の手紙
ジャガイモ畑で草むしりをしていると、ザウベルト前農政長官のことを思い出す。
気さくで話しやすい人だった。
土いじりは嫌なことを忘れていられるから、と言っていた前長官。
俺には想像もできないが、農政長官の仕事は辛いことが多かったのだろう。
その職に、今、父さんが就いている。
父さんも苦しんでいるのだろうか。
実家にいるとき、土いじりは母さんが主に担当していた。
父さんはたまに義務感でやっている感じだった。
そんな父さんでも土いじりをしている時は嫌なことを忘れられるだろうか。
たまには嫌なことを忘れるためにここに来て土いじりをしてくれても良いのだけれど。
そんなことを考えながら部屋に戻ると、妙な気配があった。
と思ったときには、背後から大きな手で口を覆われていた。
「んー、んー」
「静かにしろ」
耳元で聞こえてきたのはコールマンの低く抑えた声だった。
俺は他に選択肢がなく、目の動きで了解のサインを出した。
コールマンの手の力が緩む。
俺は自由を得て、喘ぐように口で息を吸って呼吸を整えた。
びっくりした。
何事かとコールマンを見たら、その後ろにはレイもいた。
「ごめんね、ジャスパー。驚かせちゃったね」
「レ……。陛下!……コールマンさん。ちょっと、怖いんですけど」
「ごめん、ごめん。コールマンと内緒の話があって、ここの部屋を借りたんだけどさ。そしたら、誰かが入ってきて……ってジャスパーしかありえないんだけど」
レイの口ぶりだとこのタイミングで帰ってきた俺が悪いような感じだ。
ここは俺の部屋なのに。
そう思った次の瞬間、レイはこの国の王で、この王宮もレイのものだから俺はレイに何をされようが文句を言える立場にないことに思い至る。
「じゃあ、私は少し外していますね」
レイがこの場所を必要とするのなら、俺は邪魔をしない。
「いや、ジャスパーも一緒に聞いてよ。余とジャスパーは一心同体なんだから」
「いや、その……」
レイとコールマンがする内緒の話は俺には荷が重すぎる。
そういうことには関わり合いたくない。
絶対に。
しかし、レイとコールマンはさっさとテーブルに着いてしまう。
二人から「何してるの?」「早く座れ」と催促するように見つめられると、俺も歯をくいしばって席に着くしかなかった。
喉の渇きに耐えられず、失礼かと思ったが、卓上のポットから冷たい水をコップに注いで口を潤した。
「こちらが以前お話しました手紙です」
コールマンは懐から少しヨレヨレの白い封筒を取り出した。「どうぞご覧ください」
封筒には「マイラス様へ」と書かれている。
「マイラス?」
誰だったっけ。
どこかで聞いたことがあるような。
「近衛兵団団長のマイラスだ」
コールマンが少し険しい顔で説明してくれる。
その目は他にマイラスという名の人間はいないだろうと言っている。
俺は「ああ」といかにも知っているけれど、うっかり忘れていたというような納得顔を示す。
しかし、俺はまだまだ王宮内の人の顔と名前が一致しない。
確か、マイラス団長は怪我の治療で現場を離れていたのではなかったか。
そのマイラス宛の手紙がどうしてここに。
この手紙が何だと言うのか。
レイが手を伸ばして封筒をひっくり返す。
そこには何も書かれていない。
「ボグス隊長の字で間違いないですか?」
え?ボグス?
俺は全身の皮膚という皮膚が粟立つのを覚えた。
謀反人ボグスが上司であるマイラス団長宛に何を書いたのか。
今回の騒乱に関することなのか。
「間違いありません。マイラスも保証すると言っていました」
コールマンの声が変に掠れた。
緊張している?
あのコールマンが?
俺は喉の奥が急につかえるのを覚えた。
雰囲気があの時に似ている。
魔法により眠るファミル皇女のそばでコールマン、ライガンそしてエリゼに囲まれてオッフェラン帝国への使者の役目を押し付けられた時。
だが、雰囲気の重さは格段に今の方が上だ。
どうしてこんな場面に俺が同席しているのだろう。
今すぐ走って逃げ出したい衝動に駆られる。
「そうですか」
レイは神妙に頷いてゆっくり封筒を開いた。
どこか危険なものを取り扱うような慎重さで封筒の中を覗き込む。
三つ折りされた一枚の便箋と、証文のようなものが出てきた。「拝見します」
レイは便箋を静かに黙読する。
そして、何かを見極めるように証文のようなものをチェックする。
俺はその様子を極力見ないようにして、自分の手元を見つめていた。
できる限り関わり合いたくない。
何が起きているのかは分からないが、とにかくレイとコールマンだけで話を進めてほしい。
全てを読み終え、レイは腕組みをして天井を仰いで目を閉じた。
誰も何も話さない。
空気の重さがどんどん増していくが、苦しくても口に出したら負けのような気がして、俺は噛みしめた奥歯に力を込めて無音に耐えた。
誰かが廊下を歩いて行く靴音がやけに大きく響く。
「私は昨日、マイラスの療養先の別荘に行き直接本人から受け取っています。従って、これを見たのは、マイラスとここにいる三人だけ」
コールマンの説明に俺は暗澹たる気分になる。「ここにいる三人」にどうして俺を入れるのか。
俺は封筒の中に入っていたものを懸命に見ないようにしていたのに。
きな臭さが充満していて、息ができず、俺は机に突っ伏した。
父さんが言っていた「国王派」という言葉が脳裏に浮かぶ。
こんな風に人知れず密室に集まるから国王派などと特別視されるんじゃないか。
って言うか、マイラスっていう人のことは分からないけれど、王宮にいる国王派ってどれだけ頑張って集めてもこの三人だけで、それ以外は全員宰相派なんじゃないか。
「エイドル……」
エイドル?
何だ?
あのエイドルのことか?
「はい。国内でも屈指の商家です」
「知っています。先代の御代から王室も付き合いがあります。手広くやっているようですね」
「元々は地方の豪農だったようですが、貿易商を営むようになってからというもの、急速に業績を拡大して、現在は野菜から、土地、建築資材、武具防具まであらゆるものを扱っています」
エイドルなら誰でも知っている。
学校で使う文房具も畑を耕す鍬もエイドルが経営する小売店舗で買える。
「ありえない話ではありませんね」
「ありえないどころか……」
コールマンはドアと窓に素早く視線を向ける。「証拠がないだけで、王宮の内外で誰もが怪しいと疑っているのです。エイドルとガリュー。二人は不正の黒い鎖で繋がっていると」
出た!
ガリュー!
「嗚呼」
俺は突っ伏したまま両手で耳を塞いだ。
もう何も聞きたくない。
ガリュー宰相の黒い噂を密かにレイとコールマンが話し合う。
こんなことが露見したら、やはり世間は国王派と宰相派の軋轢を感じるだろう。
分断はやがて騒乱に発展するのではないか。




