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影武者ワンダフルデイズ  作者: 彩杉 A
派閥の葛藤

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交渉

 俺とコールマンはビスター卿の指示通り湯浴みし、セリカが用意してくれた古着に着替え、改めて応接間に戻った。


 すると赤い仮面のままのビスター卿がようやくソファに座ることを許可してくれた。

 王宮を思い出させる、革張りの固めのソファだ。


 ふと、王宮でのことを思い出してしまう。

 ほんの数日前まではこんな形で外へ出ることになるとは思いもよらなかった。

 王宮の中は今頃どうなっているのだろう。

 レイは死んでしまっただろうか。

 あの深手だと、悲しいことだが、かなり厳しい状況だと思う。

 とすると、主の国王が殺害され、ひっそりと喪に服しているのだろうか。

 それともガリュー宰相が我が物顔で玉座におさまっているのだろうか。


「その仮面。以前のものとは変わりましたね。少し笑っているような可愛らしさがある」


 コールマンはセリカが出してくれた紅茶を飲みながら、軽めの話題を切り出す。


 俺には不気味でしかないが、確かに目が垂れ、口が半開きで笑っているように見えなくもない。


「無知なお前は知らんだろうが、これはショウジョウと言ってな、極東の国に伝わる酒飲みの精霊を表現した大変めでたい面だ。前のはセリカが怖がるからやめた」


 コールマンはうんうん頷く。


「前のは不気味でした。額から角が生え、目は吊り上がって、大きな口も裂けているみたいでしたから」

「本当にお前は何も分かっちゃいない。あのおどろおどろしさが、ハンニャの良さなんだ。まあ、そんなことはどうでも良い。お前たちは、こんな辺境の地に何をしに来た?まさか、農作業を手伝いたいと言うわけでもあるまいし。この魔法馬鹿が」

「いや、半分あっています」

「半分?」

「要はかくまっていただきたいのです。その代わりに、二人で畑仕事でも家畜の世話でも何でも精を出します」


 畑仕事に家畜の世話?初めて聞いたが、それも仕方ない。

 無一文の俺たちが住まわせてもらえるのなら、それぐらいは当然の務めだろう。


「断る。さっさと出て行け。とうへんぼく」

「ちょっと、そこを何とか……」


 俺は思わず声に出していた。

 お風呂を借りられたのはありがたいが、おかげで体がふにゃふにゃに弛緩してしまって、もう歩けない。

 できれば、もうこのソファに横になりたいぐらいなのだ。

 こんなに広い屋敷なのだから、何とか一室貸してもらえないか。

 これ以上野宿は勘弁だ。


「私にお前たちをかくまう義理もなければ、義務もない。せっかく静かに暮らしてるんだ。ごたごた面倒に巻き込まれるのだけは絶対に御免だ。この疫病神が」


 ビスター卿は、シッシとコールマンを追い払うように手を振る。


「そうおっしゃらずに。久しぶりに言葉を交わすのです。何があったかだけでも、聞いてもらえませんか」

「聞かなくても、大体分かるぞ、コールマン。お前は昔から思ったことを言わずにはいられないトンマで、周囲に敵が多いからな」

「近頃はこれでも大人しくしてたんだ!あ、いや、してたんです」


 冷静さを保っていたコールマンが一瞬、興奮で自分を見失ったような様子があった。

 一瞬だが。


「そうか?そのセリフも何度も聞いた気がする」


 ビスター卿の言葉にコールマンは苛立ちを隠せなくなったようで、クッと苦いような顔をして脇を向いた。


「コールマンさんには命を助けてもらいました。少なくとも私は一生コールマンさんの味方です」


 ビスター卿は俺を見た。

 正確には面をこちらに向けた。

 表情が全く分からなくて、ゾクッと寒気がした。


「お前は誰だ?小僧」


 冷ややかな問いかけに、俺は改めて背筋を伸ばす。


「私は、ジャスパーです。ジャスパー・ベルモンド。一応、伯爵家のベルモンド家の次男で……」


 そこから先を口にして良いか、逡巡した。

 答えを求めて、コールマンの横顔を見る。


「彼はロイス四世陛下の異腹の双子です」

「何?陛下の影武者がこんなところで……」


 ビスター卿はサッと仮面の口元に手を当てた。「まさか……」


「その、まさかです。王宮でガリュー宰相がクーデターを起こしました。執務の間に兵士がなだれ込み、混乱のさなかロイス四世陛下は……おそらくお隠れになりました」


 動かないはずの仮面の表情が険しくなったような気がした。


「おそらく、とは何だ?あやふやな」

「陛下はガリュー宰相の手の者に刃渡り三十センチほどの短刀で腹部を刺されました。すぐに止血を試みましたが、既に陛下は意識がなく……さらに、妨害され、陛下は別室に運ばれてしまい、その後の容体は分かりません。分かりませんが、感覚としてはかなり厳しいかと……」

「お前、カラスが飛んだのを見たか?」


 カラス?


「はい?」


 どういう意味かという感じでコールマンが訊き返す。


「いや、何でもない」


 ビスター卿は苛立ったように足を組む。「傍にいながら情けない。地に落ちたな、コールマン」


「面目ありません」

「お前には改めてがっかりだ」


 ビスター卿は窓の方に面を向け、指でソファを叩きながら舌打ちをした。「ガリューの動きは読めなかったのか?」


「浅はかでした。自分たちが優位に立っていると油断していたかもしれません」

「ん?どういう意味だ?」

「実は、私はガリュー宰相の不正を示す証拠を陛下に提示していました。それを受けて陛下の命により内偵を進めていた矢先にこのような……」


 そうか。

 内偵がばれていたと考えると今回のクーデターに至ったガリュー宰相の思考が見えてくる。


「先手を打たれたということか」


 ビスター卿は足をほどき、前傾姿勢になった。「あの鯰男め……」


 やはりあの時、殺しておくべきだった。


 ビスター卿の呟きは、俺にはそう聞こえた。

 が、確認するのは憚られた。


「申し訳ありません。お傍に仕えていながら私だけが生きながらえ……」


 俺は深く頭を下げた。

 異腹の双子が生きてここに座っていることが罪なことに思えてきた。

 いっそこの冷酷なビスター卿に激しく罵ってもらいたい気持ちが募る。


「いや。国の宰相が本気で王国転覆を図り、コールマンでも止められなかったとすると異腹の双子ごときにできることなど何もない。お前がそこで死んでも、何の意味もない。逆に、生き延びたからこそ、できることがある」


 思いがけず、ビスター卿から優しい言葉を掛けられ、気づけば俺は涙を流していた。

 胸から嗚咽が溢れてきて、堪えられない。

 自分で自分の体のことが良く分からない。

 かつてこんなに泣いたことがあっただろうか。

 ビスター卿に生きることを許されて、俺は全身を強張らせていたものが涙となって溶け出て行く気がした。


「レイ……」


 主人であり友でもある人間の名を口にする。

 その人の名の響きは俺にどうしようもない寂しさをもたらす。


「私こそ陛下をお守りすべき近衛兵団の副団長として、死してお詫びすべきところ。しかし、それは逆賊ガリューを屠ってからと……」

「王宮に攻め込むのか?」

「そのつもりです。しかし、今のままではあまりに多勢に無勢。態勢と作戦が整うまで、ここに逗留させていただきたいのです」


 ビスター卿はコールマンと向き合って、しばらく黙り込んだ。


「こいつだけは面倒を見てやろう。だが、コールマン。お前は駄目だ。一晩だけ泊めてやるから、明日の朝、ここから出て行け」


 力なくそう言い残して、ビスター卿は部屋から立ち去った。


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