陛下への謁見
「陛下がお呼びだ。謁見を賜る」
朝食を食べている最中にキュエルがやってきて、胃の中のものが逆流しそうなほど緊張させることを告げる。
国王陛下が俺を呼んでいる。
つい数日前までは、そんなことが自分の人生で起こるとは思ってもみなかった。
あの使者が家に来て、影武者となったからには、いつかは拝謁する場面が来るとは思っていたが、いざとなると、内臓が絞られるような圧迫感に窒息しそうになる。
専制君主。
この国に生きる全ての者の生殺与奪の権を握っている人と対峙するということは、何か粗相をすれば、命を落とすこともあるということ。
陛下と俺が似ているのは年齢と背格好のみと聞く。
それで務まる影武者など誰でもできる。
俺のようなちっぽけな人間の生死に陛下が頓着するとも思えない。
気に入らなければ、さっさと捨てられる。
急に喉がヒリヒリ渇いて、コップの水をグイっと飲んだ。
拳をテーブルに叩きつけて、大きく息を吐く。
「何とかなるさ」
いつからだろう。この言葉を口にすれば、心が少し軽く感じられるようになったのは。
本当に何とかなるような気がしてくる。
そして、本当に今までは何とかなってきた。
王立学校の高等部へ進学するための試験で、自信のある問題は一問もなかったが、それでもちゃんと進学できた(父親が裏で手を回してくれたのは承知している)。
バカンスの間に宿題の存在をすっかり忘れて、登校日の当日に思い出したが、宿題を忘れていた生徒がもう一人いて、一人で叱られずに済んだ(そのもう一人はいつの間にか王立学校を退学してしまった)。
コニーとの帰り道で、人相の悪いごろつきに絡まれたが、財布の中の金を周囲にばら撒いて走って逃げたら、誰も追ってはこなかった(コニーも置き去りにしてしまったが)。
今までの人生はほんの十八年だが、それでも、どんな窮地に陥っても何ともならなかったことは一度もない。
だから、今回も何とかなる。
きっと何とかなる。
キュエルに連れられて、陛下の部屋の扉の前に立った時には、もう緊張はなかった。
「まともに顔を上げてはならない。終始、俯いていなさい。陛下と目を合わせるような、不敬なことがあってはいけない」
そう言ってキュエルがからくり人形のように三回ノックをして扉を開ける。
俺はキュエルの言葉に従って、視線を足元に落としたままにしていたが、それでも視界の上の方で部屋の奥にいくつもの足が見えた。
重臣が何人も立ち会っているのだ。
キュエルに付き従って、ふかふかの赤い絨毯に視線を足元に落としたまま、五歩、中に入り、その場で跪く。
「ここに控えますが、ジャスパー・ベルモンドでございます」
キュエルの紹介を受け、俺は急遽叩き込まれた口上を述べる。
「ジャスパー・ベルモンドでございます。陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。ご尊顔を、拝し、えっと、えっとぉ……」
何だったっけ。
恐悦至極。恐悦至極。
キュエルが斜め上から呪いをかけるように難しい言葉を浴びせる。
「ああ、そうだ。ご尊顔を拝し、恐悦至極にございます」
「大儀」
た、い、ぎ。
か細い声での、この三音で陛下への拝謁は終わった。
まさかとは思ったが、キュエルが俺の服を摘まみ、部屋を出るよう促すので、そのまま退出するしかなかった。
会話はできなくても、せめて、お顔だけは見たい。
扉が閉まる瞬間に、チラッと部屋の奥に視線を向ける。
そこには重臣が立ち並ぶなか、一人の同年輩の若者がちんまりと椅子に座っていた。
窓からの逆光で表情までは確認できない。
あれが、国王陛下。
同い年なら学校に通っている。
だから、この王宮の中で十八歳は二人きりのはず。
いきなり打ち解けるとまではいかなくても、何かを話題に二言三言、素の会話がしたかった。
俺は胸に去来した空しさのあまり、自分の部屋に帰る道中で目の前を歩く冷たい上司に憮然と問いかけた。
「前国王陛下の異腹の双子さんは、今はどちらにいらっしゃるのですか?」
前国王陛下にも異腹の双子はいたはずだ。
四十年前、三十三歳で前国王は即位された。
つまり、異腹の双子も三十三歳ぐらいで王宮に入ったのだろう。
それから四十年間、一人で影武者を務めたのだろうか。
それとも途中で別の人に変わったのだろうか。
王宮に入ったときから、俺はその人に話を聞いてみたいと思っていた。
異腹の双子に選ばれた時にどう思ったか。
影武者として何に気を付けるべきなのか。
陛下とはどういう関係を築いたのか。
そういうことを教わることができるのは、その人しかいないのだ。
キュエルはコツコツと正確に一定のリズムで靴音を鳴らして歩き続けた。
「隔日で執務の時間がある。重臣たちがこの国の重要な案件について、その詳細を奏上し、陛下のご裁可を仰ぐものだ。短ければ一時間に満たず、長ければ一晩中続く。その際、執務の間で君は陛下の隣に座り、陛下と同じように重臣たちの説明を聞く。陛下の玉座と重臣たちの間は御簾で仕切られている。シルエットしか見えない重臣にはどちらが陛下でどちらが異腹の双子なのか分からない。そうやって、万が一の時にも陛下が危難を回避される工夫をしているのだ」
「あのぉ。前国王陛下の異腹の双子さんは?」
聞こえなかったのかと思って、俺は再度キュエルに訊ねた。
キュエルはスッと立ち止まって、俺を振り返る。
その目が怒っているような、悲しんでいるような不思議な光を宿していた。
「そんなことを訊いてどうする?」
「いやぁ」
俺は頭を掻いて愛想笑いを浮かべた。「異腹の双子の経験談を色々伺いたいなと思いまして」
キュエルは再び前を向いて歩き出した。
「死んだ」
「え?」
死んだ?
いつ?
「陛下がお隠れになった二日後。この王宮の敷地の隅で服毒して倒れていた。四十年間の長きにわたり、陛下に仕えてきたのだ。黄泉の国でもお仕えしたかったのだろう」
そうかもしれない。
しかし、俺の脳裏に過ぎったのは、別の視点から切り取った思考だった。
四十年間、陛下に付き添い王宮の中で過ごしたのだ。
陛下がお隠れになると同時に役目から解き放たれて、突然目の前に現れた自由な外の世界は天涯孤独の老人には歩き方が分からなかったのではないか。
自分もその選択をするかもしれない、と俺は思った。
いや。
その選択しかないかもしれない。
仮に四十年で御役御免となったとして、その頃には両親は他界しているだろう。
四十年間会わなかった兄弟、友人と何を話せば良いのか。
王宮から追い出され、どこへ行ったら良いのか。
何をして金を稼げば良いのか。
俺に何の甲斐性が残っているのか。
俺は暗澹たる気持ちでキュエルの小さな背中を凝視した。