亡国の輩
「陛下!」
俺は何が起きたか全く想像できなかったが、気付いた時にはレイの前に立っていた。
しかし、足がガクガク震え、全身が縮み上がっていることが分かる。
俺は明らかに怯えている。
「宰相!何の真似ですか!宰相!」
立ち上がったレイが「宰相!宰相!」と何度も叫ぶ。
執務の間に強引に押し込み、ガリュー宰相の周囲に侍る兵士たちは彼が呼び寄せたのだろう。
何のために?
ガリュー宰相の逃亡か、それとも……。
背後の控えの間の方から軍靴が鳴り響くのが聞こえる。
こちらからもガリュー宰相に集められた兵隊がやって来ているのか。
だとすれば、これは周到に計画された蜂起。
そしてガリュー宰相の目的はレイの命。
俺の胸を絶望の二文字が支配する。
腹背に多数の敵を抱えて、どうやって逃げれば良いのか。
「開けろ!ここを開けろ!」
扉を蹴り、怒号が飛び交うのが聞こえる。
「開けません!絶対に開けません」
涙声はコニールのものか。
控えの間の扉を侍女たちが懸命に塞いでいるようだ。
「ガリュー宰相!これは、いかなる事態か!」
レイが俺の肩に手を掛け、体を乗り出して声を張り上げた。
「私がこの国を作り直す」
ガリュー宰相も負けじと大声を出した。
「それはどういう意味か?そんな勝手は許さないっ!」
「許してもらう必要はない。独善的で独裁的な国王には速やかに消えていただく」
紛れもない。
クーデターの勃発だ。
俺は混乱した。
こういう時に何をどうすれば良いのか分からない。
視線を色々巡らせるが、何も見えていない。
怖気で奥歯がガタガタしている。
まさか、国王に刃を向ける者がこんなに大勢いるとは。
ガリュー宰相がいる執務の間の扉の外で乱闘が起きているようだ。
「何とか突破せよ!陛下のおそばにっ!」と忠臣の悲痛な叫びが耳をつんざく。
良かった。
味方も少なからずいる。
「ガリュー宰相!正気か!こんなことが……」
御簾の傍にいた重臣の誰かがガリュー宰相に詰め寄る。
その誰かはガリュー宰相を護衛する冷徹な兵士に容赦なく切り捨てられ、床に倒れ、瞬く間に骸となった。
その骸を飛び越えて駆け寄ってきた兵士が御簾に斬りかかる。
御簾が裂かれ、ガリュー宰相の黒々と輝く眼が真っ直ぐにレイに向けられているのが見えた。
国王に対する忠誠の気持ちを微塵も感じない、己の野望を遂げることしか頭にないような傲慢な目に俺は愕然とする。
こんな男がこの王国の宰相として、二代にわたって国王の信任を得て、権力をほしいままにしてきたのか。
「あっちだ!異腹の双子に守られて、その後ろにいるのが国王だ!」
ガリュー宰相が吊り上がった目で俺の背後にいるレイを指差す。
「邪魔だ、ジャスパー!」
ハッと我に返ると、見知った顔の兵士が眉間に殺気を込めて、両刃の斧を振りかざしている。
「ビゼー兄さん……」
久しぶりに会う兄の顔は俺の知っている優しくて面倒見の良い歩兵隊隊長ではなくなっていた。
血に飢えた獣の口で実弟に噛みつこうとしてくる。
その時、ドゴーンと巨大な何かが巨大な何かに衝突する音が王宮全体を揺するように響く。
執務の間の壁に大きな穴ができた。
周囲の壁が崩落して、もうもうと白煙が舞う。
「俺に続け!陛下をお守りせよ!」
崩れ落ちた壁から、頼もしい声とともに赤く燃える火の鳥が飛び込んできた。
ビゼーは後ろに飛びのいて突然現れた炎凰から距離を取ったが、怯むことなく斬りかかった。
ガキーンと甲高い音がして、燃え上がった鳳凰が人の形になる。
その人はビゼーの戦斧を黒い左手で受け止めた。
義手は相当丈夫にできているようだ。
「やれっ!ビゼー隊長。コールマンを斬れっ!」
ガリュー宰相の命令に反応したようにビゼーのむき出しの上腕が赤く太く盛り上がる。
ビゼーの斧の圧力にコールマンの姿勢がどんどん低くなる。
「コールマン!」
レイが頼みの綱の近衛兵団副団長の名を呼ぶ。
「陛下。お逃げください!この壁から……」
コールマンの力んだ声がその劣勢を感じさせる。
いかに魔法隊の隊長でも、力勝負なら剣士ビゼーの方が優勢のようだ。
ただでさえ魔法は接近戦に不向きだ。
集中して狙いを定めて放つため、至近距離で剣や斧を次々に繰り出されると魔法を放つ時間が取れない。
コールマンとしてはビゼーから距離を取りたいところだが、戦闘するには広くない執務の間でレイを守りながらでは戦いにくい。
しかも、コールマンの意図を察知したように、ガリュー傘下の兵士が壁の穴を占拠し、逃げ道を塞ぐ。
「ガリュー。亡国の輩め」
すぐ背後のレイの呟きがあまりに怨嗟に満ちていて、俺は背後を振り返った。
その時、レイが大きく息を吸い、口元に左手首のブレスレットをあてがった。
「レイ?」
俺は何故かは分からないが、反射的に両手で耳を塞いだ。
「ゴーウゥガガァアアー!」




