右の尻を撫でられたら
「異腹の双子、ジャスパー様に折り入ってお話が……」
モンシュは俯き加減にそう言って俺の言葉を待たずに、ズイズイと中に入ってくる。
「話?」
「じゃーん」
顔を上げたモンシュは後ろ手に隠していた黒い瓶を見せる。
どうやら酒のようだ。
「お邪魔します」
素早くドアを閉めたコニールはナッツが山盛りになった皿を持っていた。
二人はここで酒盛りをするつもりのようだ。
「ジェイ、こっち、こっち」
モンシュはテーブルの上に酒瓶を置き、我が物顔で自分が座ったソファを手で叩く。「早く座って」
「飲むなら、自分たちの部屋で飲めばいいじゃん」
俺はモンシュの意向を無視して、その向い側のソファに腰を下ろした。
「むー」
モンシュは頬を膨らませて回り込み、俺の横に強引にお尻をねじ込んで座る。「私の横に座りなさいよぉ」
コニールはテキパキとテーブルにナッツの皿を置き、グラスを三つ並べ、そこに赤紫色の液体を注いだ。
そして、俺に向かって「はい」とグラスを突き出す。
コニールには逆らえず、無言で受け取ってしまうと、「カンパーイ」とモンシュがグラスをぶつけてくる。
コニールは俺に向かって軽くグラスを掲げるや、グビグビと一気に飲み干した。
「ぷはー」
「さすが、コニールお姉さま。今日も素晴らしい飲みっぷりで。ささ。もう一献」
モンシュがコニールのグラスに瓶を傾ける。
「あー、美味し。何でこれが分かんないかなぁ」
「ですよね。ほんと、まいっちゃう」
コニールとモンシュが意味不明の愚痴をこぼし合う。
「あのさ。自分たちの部屋で飲めばいいじゃん」
聞こえていないはずはないが、何度でも言ってやる。
「つれないこと言わないでよ、ジェイ。私たちにはここしかないんだから」
モンシュがスナップを利かせてバチンと俺の肩を叩く。
結構痛い。
「ベリーニがオッフェランに行って、新人の侍女が入ったんですけどね」
コニールはつまらなさそうにナッツに手を伸ばした。
「あー。分かります。真面目そうな感じの子ですね」
「そいつが堅物でさ。部屋で飲もうとすると、そんなことなさっても良いんですかって」
モンシュのモノマネに吹き出しそうになる。
特徴を捉えるのが上手だ。
「彼女が言うとおり、規則上は食堂以外での飲酒はできないことになってるんです」
「そうなんですか」
しかし、食堂以外でも、夜中にテラスや井戸の傍などで飲酒している人を見かけるが。
「実際、誰も守ってないのよ。それなのに、あの女。リヴァイアス侍従次長に怒られちゃいます、だって。馬鹿かっつうの」
「怒られるのは可哀そうじゃん」
仕方なく俺もワインに口を付ける。
「そんなことぐらいで怒る人、いないのよ。あ、そう言えば、リヴァイアスめぇ」
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃないのよ、ジェイ。今日もあのおっさんにお尻を触られたの」
「また?」
コニールが呆れたように言う。「モンシュは隙を見せすぎなのよ」
「隙を見せてるつもりはないんですけど。いつの間にか、背後にいるんですもん」
「こう?」
俺は掌を見せて、撫でる仕草をしてみた。
「それはマッコリーさんの触り方。リヴァイアスは通り過ぎざまに手の甲とか、太ももとか当ててくるの。不可抗力を装って。こないだは足がもつれた風で、私にぶつかってきて肘でおっぱい押されたし」
「ちょっと待って。マッコリー侍従長にも触られてたの?」
「あの人の場合は、挨拶代わりって感じよね」
コニールが同調するってことは、事実なのか。
「そうそう。触り方に陰湿さがないって言うか、笑えるエロって感じですよね」
笑えるエロって何だよ。
「じゃあ、リヴァイアス侍従次長の場合は?」
「あれは、笑えないエロ」
「意味分からん」
俺は首をすくめて、ワインを飲む。
「とにかく、頭にくるのよ。ほんと、触られ損」
「だから、触らせなきゃ良いのよ」
「それが難しいんですって、コニールさーん」
モンシュは指を目の下に当てて泣きまねをする。
「分かった。良い方法があるわ。右の尻を撫でられたら、左の尻を差し出しなさい」
コニールは澄ました顔で良く分からないことを言う。
「二回触られるだけじゃないですか」
「嫌がるから触ってくるのよ。こっちから差し出せば、逆に相手は触ってこない。そういうものなの。昔からのことわざよ」
「絶対に嘘」
モンシュはテーブルにぐったりと上体をもたれさせた。「あーあ。ベリーニだったら、もっと親身に相談にのってくれるのになぁ」
「親身じゃなくて悪かったわね」
「そうだ!」
突然モンシュが勢い良く体を起こして俺を見る。「ベリーニで思い出した。どうよ?どうなの?」
「な、何が?」
「実の父親と一緒に働くって、どうなの?」
どうやらモンシュはマッコリーとベリーニの関係から俺と父さんを思い出したようだ。
「さぁ」
そういう質問はやめてくれ。
誰だって家族のことを話すのは恥かしいし、俺と父との関係は特別なものになってしまって口にすることに抵抗がある。
「さぁ、って何よ。ジェイのことでしょ」
「うちは普通の関係じゃないからね……」
俺はモンシュから顔を背ける。
「え……。実は血がつながってないとか?」
「あのなぁ……」
全身から力が抜ける。「そういうことじゃないよ。それに、実際につながってなかったら、この場がものすごく気まずくなるから、そういう質問はするもんじゃないんだよ」
「分かった、分かった。で?どうなの?」
モンシュの我がままぶりは大したものだ。
俺には太刀打ちできない。
「異腹の双子に指名された時、俺はあの人に勘当されてるんだ。親でも子でもない、ってさ」
「なるほど」
コニールが頬杖をついて頷いた。
「どういうこと?どういうことですか?」
「あのね。陛下には言いづらいけど、異腹の双子って王宮の外ではあまり名誉なことではないのよ。指名された人は社会的に存在を抹消されて、王宮に入り、外に出ることはない。それはつまり、社会にとって価値がないから、抹消されても問題ないから選ばれたんだって理解されてしまっているの」
「そうなの?」
モンシュは大きな目をさらに大きくして俺を見る。
「そういうこと。ベルモンド家からそんな不名誉な人間を輩出してしまったって、あの人はカンカンなの」
「そんなぁ」
モンシュは心底がっかりした様子でソファに項垂れる。「でも、ジェイのおかげで農政長官になれたのに」
「まあね。それについてはこないだ、感謝されたよ」
「へぇ。良かったね」
モンシュはそう言うが、良いとか悪いとか、そういう簡単な表現では説明はできない。
「今さら何だよ、っていう気持ちが強いかな。見返してやったっていう思いもあるけどね」
「でも、これでジェイもガリュー宰相に頭が上がらなくなったわね」
モンシュはずけずけと言いにくいことを言う。
確かに、俺が何かガリュー宰相の気分を害すようなことをしてしまったら、父さんの農政長官の地位に影響すると思うと余計に委縮してしまうところはある。
「そもそもガリュー宰相は臣下の中では最高位なんだから、陛下以外は誰も頭が上がらないのよ」
さすがコニール。
賢く話をまとめてくれた。




