古臭い価値観
「宰相。これでも、まだまだ費用は莫大でしょう」
レイはもう一戦挑もうとしている。
俺は隣で聞いているだけで緊張の連続で消耗しきっているのに、レイはすごい胆力だ。
「承知しております。仮にオッフェラン帝国が賠償を飲んだとして、どれぐらいの費用が残っているか計算し直す必要がありますが」
ガリュー宰相の目が再び険しさを宿した。「税の特別徴収は避けて通れないレベルであることは疑いありません」
ガリュー宰相の全身に受けて立つ意気込みが感じられた。
誰が相手でもこれ以上の譲歩はしないというその迫力は長年王政を切り盛りしてきた宰相としてのプライドのなせる業か。
「今回の費用は誰が負担すべきか、の問いに対する答えを導くにあたり、私が最も重要視するのは、そもそも誰が今回の騒乱を企図したのかということです」
「それはユリア死刑囚でしょう」
ガリュー宰相は間髪入れずに答えた。当たり前のことを訊くなという風に肩をすくめる。
「果たしてそうでしょうか」
レイの挑戦的な言葉にガリュー宰相が表情を少し歪めた。
しかし、レイは気にせずに言葉を続ける。「宰相も覚えているでしょう。王宮に向かってドラゴンが火炎を吐いた時、国民全体が大きく動揺しました。謀反を起こしたボグス隊長は戦乱の中で亡くなっており、今となっては彼から事の経緯を確認することはできませんが、ユリア死刑囚に対する尋問ではオッフェラン帝国のレンブール将軍に竜騎隊による王宮の制圧を持ち出したのはボグス隊長だったということです。リーズラーン北東部をオッフェラン帝国の一部にする、あるいは独立させるという大きな野望をユリア死刑囚が抱いていたのは間違いないでしょう。しかし、ボグス隊長率いる竜騎隊が王宮に奇襲をかけて余を拘束し、オッフェラン帝国の軍隊で防衛線を構築した上で、リーズラーン王国から北東部領域を独立させるという詳細な計画を立案し、実行を主導したのはボグス隊長だったというユリア死刑囚の供述はあながち否定できないと考えています」
「主導者がボグスだった可能性というのは私も高いと思います。内戦に苦しみ、我が国からの援軍頼みのオッフェラン帝国にリーズラーン王国侵攻の具体的アイデアはなかったでしょう」
「竜騎隊の反乱ということを招いてしまった時点で余に国軍の掌握という面で欠けていた部分があったということは間違いない。騒乱全体をボグス隊長が主導したということであれば尚更です。余は王室に非があるものを国民に押し付けたくはありません」
「いやいや」
ガリュー宰相は苦笑いを浮かべながら顔の前で右手をひらひらと振る。「王室のために国民があり、王室が国民そのものなのである。陛下もこの言葉はよくご存じでしょう。このロイス一世陛下の絶対的な教えは確固として息づいています。王室は国民総意で支えているもの。つまり、仮に王室に非があったとしても、それは国民全員の非ということ」
ロイス一世の教えは小学生でも知っている。
リーズラーン王国の国是だ。
「その考え方を根本的に変えましょう」
レイの放ったこの言葉に王宮全体がどよめく。
国王自ら王室を否定するような発言に俺は胃がねじれそうな緊張から息もできなくなる。
レイは社会の在り方を根底から覆そうとしている。
「どういう意味でしょうか?」
ガリュー宰相はゆっくり座り直して、玉座に正対した。
宰相が国王に正面から歯向かう意志を示したように見えた。
この状況はユリア妃が起こした騒乱よりも危険な雰囲気が漂っている。
「王室が国民総意で成り立っていること、そこに異論はありません。しかし、国民は常に王室のためには存在しているわけではありません。この王室が誕生する前から民はいた。そして、王室がなくなっても民は存在する。今はたまたまこの王室と民との間に契約があるにすぎない」
「契約?」
「王室は民を守り、民は王室を守る。相互に義務を果たさなくてはならないという契約です。一方的に王室だけが民から利益を享受するような関係ではないはずです」
「陛下。そのような講釈や議論は意味がありません」
ガリュー宰相は辟易したように顔を左右に振る。
しかし、その態度にレイの「何故ですか?」という声が熱くなる。
「ここのところをはっきりしておかなくては、今後の費用の源泉についての考え方に齟齬が出てしまうのです。これが大事なのです」
「では、申し上げますが、国民は王室に貢献するにあたって契約や利益などということをいちいち考えてはおりません。そこにあるのは忠誠心です。忠誠心があれば、国民はいくらひもじくても、貧しくても、王室を支えようとします。大事なのはいかに忠誠心を維持するか、高めるかということ。従って……」
ガリュー宰相は座っている椅子の肘置きに強く拳を叩きつけた。「時には武力を用いてでも国民の心に忠誠の二文字を深く刻み込むべきなのです」
俺は黙って唾を飲み込んだ。
ガリュー宰相の迫力に完全に飲み込まれていた。
その言葉の重み、説得力の強さに唸るしかない。
返す言葉などどこにも見当たらなかった。
しかし、レイは違っていた。
その目は爛々と燃えている。
「それは王室が誕生して間もないロイス一世の御代の、悪く言えば、古臭い価値観です」




