事後処理
部屋がノックされ、モンシュが顔を見せる。
「用意できてる?執務の時間だよ」
「うん。今行くよ」
俺は鏡に向かって身支度を整える。
「ねぇねぇ、ジェイ」
モンシュは近寄ってきて、鏡越しに俺を見る。
「ん?」
「オッフェランに行っちゃうの?」
「俺が?何で?」
俺は扉に向かって歩きながらとぼけてみたが、無駄なことだとは分かっている。
モンシュならファミル新皇帝の配偶者に俺を推挙してほしいとオッフェラン側が求めたことを知っているのだろう。
「ベリーニに聞いたのよ。ファミル皇女の結婚相手としてジェイの名前が挙がったって」
「へぇ。そうなんだ」
先週別れを告げに来たベリーニの名前を不意に聞かされ、胸がドクンと跳ねたが、モンシュには気付かれないよう、無表情を装った。
「何よ、それ。そんな大事なことを他人事みたいに」
俺は「分かってないな」と首を左右に振りながらドアを開いて廊下に出た。
「俺が選ばれるはずないでしょ。条件がリーズラーン王国の王室の方ってことなんだから」
レイには伯母さん、つまり、先代国王のお姉さんに息子が二人いる。
レイの従兄だ。
他にも、先々代国王の妹さんの末裔にあたる人も。
みな、政務中枢から離れ、国内に広々とした所領をもらって悠々自適に暮らしているらしい。
「そうとも限らんぞ」
ドアの陰からひょこっと現れたのはガリュー宰相だった。
「うわっ!」
俺は慌てて廊下に膝をついて挨拶をする。
何でこんなところにガリュー宰相が?「何か私に御用でしたでしょうか?」
「お前の気持ちを確認しておこうと思ってな」
「私の気持ち?」
「お前がオッフェラン帝国皇帝の配偶者になりたいのなら、俺の力で何とかしてやれないこともないってことだ。相手も乗り気だしな」
「え?本当ですか?」
ガリュー宰相の発言を聞いて、俺の胸に最初に現れた言葉は「警戒」だった。
この人は、自分に逆らう人間は皆殺しにしようとするし、それができる人だ。
世の中の物事を自分の損得で動かそうとする。
今回、俺がもしここで、ファミル皇女と結婚したいと希望して、その通りになったとしたら、きっとその先に何かガリュー宰相にとって都合の良いことがあるに違いない。
そうでなければ、わざわざ俺に希望を聞くことなどしないだろう。
オッフェラン帝国に送り込む人間として俺が適当だと思ったのなら、俺が何と言おうと勝手に決めてしまう人なのだから。
「ああ、本当だ。ベルモンド家は王室の血を受け継いでるんだろ?」
ガリュー宰相の俺を試すような目が怖い。
この質問は冗談ではない気がした。
どう応えるかが今後の俺の人生、そしてベルモンド家全員の行く末を左右するかもしれないと直感する。
「それは、父の祈りのようなもので。家族はほとんど信じていません」
「まあ、いざとなればそれが方便として使えるということだ。何度も言うが、お前は今回の騒乱を治めるのに最も貢献した人間だからな。俺としては、できる限りのことはしてやりたいと思っている」
そんなことを言われると面映ゆい。
しかし、相手がガリュー宰相だから、甘い言葉の裏にこそ何かがあると勘ぐってしまう。
ここでガリュー宰相に推挙してもらうことは、その陣営に取り込まれるということだ。
ガリュー宰相が俺のような貧乏貴族の次男坊にそんなことは思っていないだろうが、少なくとも俺はガリュー宰相に一生かけても返しきれない恩義を感じて生きることになる。
それは、レイと距離を取ることにつながらないか。
「私なんかにはファミル様のお相手は務まりません。それよりも私は陛下の異腹の双子の御役目を全うさせていただきたいです」
俺はガリュー宰相ではなく、レイのために生きる。
それを自分に対して宣言した。
当然だ。
この国はレイの国。
国民はロイス四世に忠誠を誓って生きている。
「……そうか。分かった」
ガリュー宰相は表情を変えず、俺をじっと見ると、スッと体の向きを変えて執務の間の方へ行ってしまった。
「ちょっと、ちょっと」
モンシュが俺の袖をグイグイ引く。「断って良かったの?こんな立身出世、宝くじに当たるよりありえないのに」
確かに皇帝の配偶者になれば、俺はオッフェラン帝国でジャスパー・ベルモンド公として崇められ、どこへ行っても大勢の人にかしずかれ、贅沢な暮らしができるだろう。
しかし、オッフェラン帝国を属国として監視し、何かあればリーズラーン王国に報告する役割も担うことになる。
オッフェラン帝国での暮らしが長くなれば、そちらの人々に対し情が深くなり、リーズラーン王国とのはざまで苦しむことも出てくるかもしれない。
オッフェラン帝国に不利になることもあえて選択しなくてはいけない場面もあるだろう。
そんなこと、俺に耐えられるのか。
「いいの、いいの。俺は陛下の異腹の双子になれて、毎日がありえないワンダフルデイズなんだから」
モンシュは「ははーん」と何かに閃いた顔をする。
「あんた、もしかして、王宮内に好きな人がいるんじゃないの?」
「はぁ?」
思いもよらない角度からの問いかけに思わずたじろいでしまう。
どうしてそういう発想になるのか。
「もしかして……」
モンシュは恥ずかしそうに身をくねらせる。「私?」
「何言ってんだよ」
馬鹿馬鹿しくて俺は執務の間に足を向けた。
「あっ。もしかして、リオンじゃないでしょうねぇ?あんなに熱烈にチューなんかして、どういうつもりなんだか」
モンシュが俺の背中を両手の爪でガリガリ掻く。
「あれは……」
俺は思い出して全身を熱くした。
まさか、リオンが女だとはあの時は思ってもみなかった。
俺は歩く速度を一気に上げてモンシュを置き去りにした。「早く行かないと怒られちゃう」
執務の時間はいつも通りの緊張感だった。
今回の騒乱の事後処理について、決めることがいっぱいある。
特に捕縛したユリア妃の扱いや、竜騎隊隊士に対する調査、処分は重い話だった。
一通り案が説明され、議論が交わされ、後日もう一度検討の場を設けることになって、最後にガリュー宰相が切り出した。
「陛下。一件、人事に関する提案をさせていただきたく存じます」
「人事?どういうことですか?」
「今回、不幸にも戦禍に散ったザウベルト農政長官の後任に誰か充てなければなりません」
「ああ。そうですね。ザウベルト長官の御遺族には十分な見舞いをしてあげていただけたでしょうか?」
「はい。それは、侍従部署から手厚く行っております」
発言したのはキュエルだった。
彼女はマッコリーの派遣に伴い侍従次長から侍従長に昇格した。
「ありがとう。では、宰相。提案内容を」
「はい。私は次の者を推挙いたします」
ガリュー宰相が扉に向かって「入れ」と声をかけ、一人の男性がおずおずと執務の間に現れた。
俺は近づいてくるその姿に開いた口が塞がらなくなった。
「ロードン・ベルモンドでございます。お見知り置きを」
おどおどとした様子で膝を折り臣従の礼を取ったのは、見間違いようがない。
俺の父親だ。




