それぞれの再会
またしばらく寝込んでしまって、やっと起き上がれるようになったのは次の日の夕方だった。
どうしてこんなに体が言うことを聞いてくれないのか、自分でも分からない。
レイが言っていた王の声が原因なのだろうか。
少し魔法を使うだけでも、長距離走と同じぐらい体力を消費する。
自分の能力に見合わない魔法を発動してしまうと、心身に不調をきたすというのは魔法学校で習う基礎だ。
しかし、俺には王の声を使った記憶もなければ、心身を追い込むほどにまで何かを頑張った覚えもない。
と言うか、王宮の敷地内に入ってからの記憶が曖昧でしかない。
シュバルのおかげで離宮で九死に一生を得たときのことはしっかり思い出せる。
王国の象徴であるドラゴンが王宮を攻撃した光景は一生忘れられないだろう。
問題はそこからだ。
その先のことを思い出そうとすると頭にもやがかかり、そして鋭いものを突きさされたようにこめかみが痛くなる。
今、起きて、沈んでいく太陽をベッドから眺めているこの瞬間も明日になったら忘れているのではないかというあやふやな感覚に漂っている。
ドラゴンが王宮を攻撃したのを目の当たりにしたあの時、俺はぼんやりとだが死ぬことを覚悟していたと思う。
その一方で、異腹の双子なのだからレイの傍でなければ死ねないと強く思った。
それなのに、そこから先の記憶がなく、いつの間にか意識を失って、レイに見つめられている中でベッドで目を覚ましたことが不思議でならない。
俺は何とか立ち上がり、フラフラする体を懸命に進めて窓にもたれかかった。
目の前にはジャガイモ畑とレイが愛した庭園……だった場所。
そこは見るも無残に破壊されていた。
土は深く抉られ、木々は倒れ、花は乱れ散り、枯れ、朽ちていた。
収穫を楽しみにしていたジャガイモ畑も辛うじて一株だけ残っているだけだ。
その一株を見て、急に涙が溢れてきた。
こんなにも荒廃した場所でも健気に育つジャガイモがある。
あのジャガイモだけはしっかり育てて収穫まで辿り着かないといけない。
理由は分からないが、俺は強くそう思った。
ドアのノックに返事をすると、入ってきたのはコニールだった。
「少しお時間、よろしいですか?どうしてもジャスパー様にお会いしたいと」
コニールは一度廊下に戻り、車椅子を押して部屋に入ってきた。
車椅子の主はファミル皇女だった。
俺はお辞儀をして、オッフェラン帝国の皇女を迎えた。
「皇女殿下。何でしょう。ほんの数日でしかないのに、随分、ご無沙汰してしまった感じがします」
「私もです」
ベッドの傍までやってきたファミル皇女は微笑みを浮かべた顔をすぐに俯けた。
その目が赤いのは流した多くの涙を想像させる。「数日前にジャスパー殿とお話をしていた時にも色々と悪いことは想定していましたが、ここまでひどいことは思いもよりませんでした」
俺はコニールが部屋を出て行き、二人きりになったところでファミル皇女に訊ねた。
「スタンリー帝の、お父様のことはご存じですか?」
知らないのであれば、俺が教えてあげなければ。
その場に居合わせた者として、誰の手に殺められたのかは伝える責務がある。
「聞きました。全てはユリアに仕組まれたこと。私たち親子はユリアに騙され、いつの間にか国を乗っ取られていたのです」
ファミル皇女は「無念です」と唇を噛んだ。
「お察しします」
口ではそうは言ったものの、俺には何も察することはできていない。
継母に実の父親であり、国の皇帝を殺められた彼女の心中は計り知れない。
「ジャスパー殿も大変だったようで……」
ファミル皇女の目からは堰を切ったように涙が零れ、嗚咽を押さえつけるように口元に強く手を押し当てた。「ごめんなさい。私の国が、とんでもない、ことを。リーズラーン王国の皆様に、どうやって……、どう、謝れば、良いのか……」
「私は大丈夫ですよ」
目の前のファミル皇女の体がいつもより小さく、傷ついて為す術なく路傍にうずくまる小鳥のように見えた。
俺は気持ちは寄り添っているということを伝えたくて、腕を伸ばしてそっと彼女の肩に触れた。「リーズラーン王国も大丈夫です」
「今のオッフェランはリーズラーン王国の支援があってこそ。しかし、今回のことで、オッフェランは……、祖国は本当に亡くなってしまうかもしれません」
「ぜひロイス四世陛下を頼ってください。我が国の国王は心の広いお方です」
彼女は俺の手に手を重ね、ひとしきり声を殺して泣いた。
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俺は廊下の奥に見える重厚な扉を前にして立ち止まった。
まだ十メートルも二十メートルも手前なのに、扉から見えない圧力を感じている。
足が先に進まない。
「さあ、どうぞ」
リヴァイアスと名乗った年嵩の男性が俺を不審げに見つめる。「あちらです」
あれはガリュー宰相の執務室。
この人はガリュー宰相が呼んでいると俺を迎えに来た。
どこかで見たような気もするが、どこの部署の人かは分からない。
さっさと歩けと言いたいような顔だ。
ガリュー宰相に命令されているのであれば、ちんたらしている俺にイライラするのも分からないではないが。
「本当に宰相が私をお呼びなのですか?」
やはり何かの間違いではないだろうか。
侍従部署の一人でしかない俺が宰相執務室に呼ばれる理由が分からない。
「もう、いい加減にしてくださいよ。私が叱られるんだ」
リヴァイアスはうんざり顔だ。
つまり、その時が来てしまったということなのか。
国境の大門の傍で、俺の生き死にはガリュー宰相の気分次第だと言われている。
「目障りだと思えば殺すし、どうするか考えるのも面倒だったら何もしない」ということだった。
そして、今、ガリュー宰相に呼ばれている。
俺のことを「どうするか考え」たということではないのか。
それは「目障りだ」ということなのか。
今回のユリア妃とボグス隊長が起こした騒動の一因はお前にある、と指弾されるのかもしれない。
ガリュー宰相の命令に逆らって、あれこれ動いてしまったのは間違いない。
あの扉の向こうに行けば、ガリュー宰相から死を宣告される。
考えはどうしてもそこに帰着してしまって、足が前に出ない。
廊下の窓から外を見る。
王宮の至る所から木材を切り出したり、木槌で何かを叩いたりする音が聞こえる。
荒れた王宮の修繕が各所で行われている。
それで元に戻るものがある。
だけど、どうやったって元に戻らないものもある。
俺の体もそうだ。
少しずつ体力は戻ってきている。
だけど、何か戻らないものがある。
心がついてこない。
何が原因かは分からないが、心のどこかでぽっかりと穴が開いてしまっていて、活力みたいなものが損なわれてしまっている。
宰相執務室のドアが開く音がした。
目を向けると中から誰か出てくるのが見えた。
俺は反射的に体を硬直させた。
その人は俺の存在に気付き、少し目を凝らすような感じになった後、猛然とこちらに向かって走ってきた。
「ジャスパーさーん!」
「リオン、さん?」
リオンは走ってきたスピードを緩めることなく、そのまま飛びついてきた。
直立不動の俺にしがみつくように抱きつき、俺の唇に勢い良く唇をぶつける。
「んー!」
「んーっむぁっ」
唇を離したリオンは、俺の顔じゅうにキスの嵐を見舞う。
「ちょ、ちょ、うわっ」
俺は腰と膝が砕けて、その場に倒れこんだ。
リオンは俺が廊下に倒れこんでも容赦ない。
俺にまたがったまま狂ったように何度も何度も繰り返し俺の唇を奪った。
「良かった。ジャスパーさん、生きてて良かった」
リオンは俺の胸に顔を埋め、「良かった、良かった」と涙声になった。
「リオンさん……」




