オッフェランの奇襲
「ジャスパーはん。ジャスパーはん。大丈夫でっか?」
頬を何度も叩かれて、俺は目を覚ました。
どこかで聞き覚えのある声だ。
「あ、うあ」
返事の代わりに何とか呻いた。
「ジャスパーはん。シュバルです。分かりまっか?」
「ああ。はい」
独特の訛りのあるシュバルのことはすぐ分かった。
焦げ臭いにおいが鼻を打つ。
が、火の手は少し遠い感じがする。
空気が自然と胸に入ってくるいつもの呼吸の感覚に安心する。
息苦しさはない。「ここは?」
「あー、良かった。ここは、離宮裏手の山の中ですわ。危ないとこでした」
シュバルは何かをビリビリと裂いている。
何かと見れば、俺の体に巻かれたシーツだ。
「ありがとうございます。シュバルさんが、助けてくださったんですね」
「まあ、そうなりますわな。へへへ」
シュバルは顔がにやけるのを隠すように鼻の下を指でこする。
「本当に助かりました。でも、どうやって?」
シュバルの介助で俺は上体を起こす。
すると、自分が小高いところにいて、眼下二百メートルほど先のところに、大きな建物が激しく燃えているのが見えた。
離宮だ。
俺はあの火の中でシーツに丸められて転がっていたはず。
「ほんまやったらコールマン副団長自身がジャスパーはんを国境までお迎えに行かれるつもりやったんですわ。それが、急遽、ガリュー宰相がスタンリー帝の出迎えをされることに決まって、副団長は顔を合わすのを避けられましてね。代わりにジャスパーはんをねぎらってやってくれと私を遣わされたんです。けど、ガリュー宰相に見つかるのは怖いし、ジャスパーはん、スタンリー帝の案内役になられたんで、なかなかお話しできんかったんですわ。どうしよか、思って、コソコソと離宮までついてきたんですけど」
「どこにいらっしゃったんですか?」
「同じ部屋におりましたよ。壁際の花瓶に化けてたんですわ。ジャスパーはん、すぐ眠ってしまわれて。起こすのも可哀そうやし」
「そうだったんですか」
「朝になってから、びっくりさせよと思ったんですけど、あんなことになって、こっちがびっくりですわ」
「ですよね」
俺は思い出しただけでも恐ろしくて、苦笑いも出てこない。「シュバルさんがいなかったら、今頃、私もあそこで燃えてるんですね」
俺は何とか立ち上がった。
ふらつきかけたが、近くの木の幹に手をついて体を支える。
目の前に明け方の空にも届きそうな炎の柱。
離宮が原形を留めず、燃えている。
「何が……。何が起きてるのでしょう?」
「私にも、よう分かりませんが、これは……」
いつも陽気なシュバルにも笑顔はない。「戦争でっせ」
「戦争?」
産まれて十八年、戦争など経験したことがない。
ここは平和なリーズラーン王国だ。「どこと、どこの?」
「王国がオッフェランに攻め込まれてるんです。あいつら、寝首を掻こうと奇襲をかけてきたんですわ」
寝首。
まさに、スタンリー帝は寝ているところをユリア妃とレンブール将軍に襲われたのだろう。
骸はシーツに巻いて油を掛け、建物ごと燃やしてしまった。
骨まで残すことなく証拠隠滅を図ったということか。
しかし、戦争とは。
「国境を突破されたんですか?」
「おそらく。オッフェランの兵隊が、国境の方からなだれ込んできて、離宮前の広場にどんどん集まってきてます。近衛兵団との戦闘も始まってるみたいでっせ」
離宮で聞いた地響きはオッフェラン軍の騎馬の駆ける音だったのか。
これは行き当たりばったりの突発的な騒乱ではないだろう。
ユリア妃とレンブール将軍は綿密に計画を練り、実行に至ったようだ。
スタンリー帝を見限り、実権を握ってリーズラーンに侵攻。
リーズラーンを手に入れ、内戦でじり貧のオッフェラン帝国を立て直そうとしているのか。
不意に国境守備隊へ竜騎隊が助力できなくなることを懸念していたボグスの言葉を思い出す。
ユリア妃たちはこのタイミングでリーズラーンが国境守備にドラゴンを回せなくなることを察知していたのか?
いや、ドラゴンでオッフェランに使者を派遣するという作戦はリーズラーンの王宮内での立案だ。
限られた人しか知らない。
それをユリア妃が予期するなどできるはずがない。
しかし、まんまとオッフェラン軍はリーズラーン内部深くにまで侵入している。
これはどういうことだ。
単なる偶然か。
もしや、王宮内に内通者が?
「王宮は?陛下は?」
レイは大丈夫なのか?
まさかとは思うが、既にレイの身に魔手が伸びているのでは。
「不意打ちではありますが、さすがに王宮はまだ無傷でっしゃろ。近衛兵団がどれだけ頑張れるか。各方面に散らばってる地方軍団の部隊が来るまで持ちこたえられるかですわ」
「本当に?王宮に裏切り者がいるということは考えられませんか?」
シュバルの顔色がサッと変わる。
「ジャスパーはん。わい、一足先に王宮へ戻ります」
「私も、行きます」
「ジャスパーはん。動けまっか?」
シュバルが無理をするなという顔で見てくる。
大丈夫だ。
痛いのは腹だけ。
他に怪我はない。
「私は異腹の双子です。こんな時にこそ陛下の御傍にいなくては。動きます。急ぎましょう」
王宮へ。
レイのもとへ。
一刻も早く。
「ほな、とにかく馬を手に入れましょ」
シュバルはまだ陽光の差さない山道を離宮とは反対の方へ駆けて行く。




