ガリュー宰相
そうか。
ここは王宮だ。
慌てて起き上がり天蓋の隙間から顔を出すと、どこか不機嫌そうに腕組みをしたキュエルと目が合う。
この人形のように整った顔立ちの人に叱られると肝が冷える。
「あのぅ。どこかに行くんですか?」
「だから着替えるのだ。早くしろ」
取り付く島もない感じに、俺は仕方なく服を脱いで、投げ込まれた衣装に身を包む。
明らかに偽物ではない威厳のある金の刺繍が至るところに施された服。
両胸に王家の紋章である賢者の杖とドラゴンの羽の模様があしらわれているのを見つけると、全身に震えが走る。
俺は本当に国王陛下の影武者になるのだ。
陛下に影のように寄り添う存在として、陛下のためだけに生きる。
善行も悪行もない。
賞賛も非難もない。
親孝行も、親不孝もない。
だったら、意思など邪魔でしかない。
一瞬、母親の姿が脳裏をよぎって、動けなくなったが、「着替えたか?」と天蓋の向こうからキュエルに訊ねられ、慌てて目尻を拭う。
「こ、これでいいですか?」
俺は今一つ自信が持てないまま、キュエルに自分の姿を見せた。
国王陛下の姿など、これまで遠く向こうに霞むぐらいの距離でしか見たことがない。
王族が身に着ける独特の服装はどう着こなしたら良いのか分からないところが多い。
服の大きさから、着る順番は合っていると思うのだが……。
キュエルはつかつかと俺の目の前に近寄ると、袖を引っ張ったり、ズボンの腰の位置を調節したり、スカーフを一から巻き直したりして、服装を整えた。
最後に分厚いマントのようなものを羽織らされる。
マントでほとんどが覆われた自分の姿を見下ろして、これがあるなら、その下に何をどう着ていようが分からないのではないか、と言いたくなったが、キュエルの鷲のような険しい眼差しに、俺は何も言い出せなかった。
「よかろう。陛下のお召し物と同じサイズでぴったりだ。では、ついてまいれ」
キュエルはサッと踵を返して部屋から出て行こうとする。
一つに束ねた髪がその背中で大きく揺れる。
不意に過去の記憶の女性とキュエルが一致する。
キュエルは俺に異腹の双子として出仕するよう告げた使者だ。
そうか。
あの使者はキュエル侍従次長だったのか。
俺は早足で彼女を追った。
「侍従次長」
「何だ?」
キュエルは歩くスピードを緩めず、背後を振り返ることもない。
きびきびと廊下を進んで行く。
「今から、何があるんですか?」
階段を上がったところで、マッコリーが待っていた。
「三階のテラスに行く」
キュエルの代わりにマッコリーが答えてくれる。
マッコリーとキュエルが並んで歩く後ろを俺はついて行く。
「テラスですか?」
「陛下は即位式の後、テラスで民衆に対して、お披露目をなさる予定だった。だが、体調が優れないため、急遽、君の出番となった」
「出番?」
「そうだ。君が新国王、ロイス四世陛下の代わりにロイス四世陛下として民衆にその姿を見せる。異腹の双子としての初任務だ」
「え?そんなこと、僕がやっていいんですか?」
「仕方がないだろう。民衆は待っているのだ。お披露目が取りやめとなっては、即位を寿ぐつもりで待っていた国民は失望し、いらぬ不安が募る。何。心配することはない。庶民は誰も、陛下の御尊顔を知らない」
「でも……」
「でも、何だ?」
急にキュエルが立ち止まり、口ごたえは許さないという感じで俺を睨む。
しかし、ここは俺も引き下がれない。
「陛下のお顔は知らなくても、私の顔を知ってる者が見ているかもしれません。その者が偽者だと騒げば大変なことになります」
「ほう」
マッコリーは自分の頭に手を当てた。
そして、スポッと銀髪を頭から取り外す。
マッコリーの実際の頭はスキンヘッドだった。
「うわっ」
「これを被れ」
これを?
生暖かいかつらを渡され、俺は思わず顔をしかめる。
が、スキンヘッドになって余計に威圧感が高まったマッコリーにギロッと睨まれ、仕方なく被る。
生え際や首筋のあたりが汗でべったり湿っていて、気持ちが悪い。
が、今さらもう脱げない。
それにさすがにこの格好で俺に気付く人はいないだろう。
不意にキュエルが廊下に膝をついた。
「ガリュー様。連れてまいりました」
キュエルの言葉に慌てたようにマッコリーも同じように姿勢を低くする。
二人を前に尊大に仁王立ちしている大男は「ご苦労」と小さく唸るように言う。
「これ!こちらは宰相のガリュー様だ。控えろ」
ガリュー宰相!
その名前に俺は反射的に膝をついた。
この人が内政、外交、軍事の事務全般を国王から委任されている国内ナンバーワンの実力者。
「お前が新しい山羊か?」