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影武者ワンダフルデイズ  作者: 彩杉 A
王宮での生活

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皇帝夫妻の部屋の中で

「本当に、ずっと浮かない顔をしてますのね」


 今日の宿所となる王室所有の離宮の前庭を歩いていると、ユリア妃から呆れたように言われた。

 案内役として常にスタンリー帝とユリア妃の近くにいたのだが、道中、ユリア妃から何度も「何か喋りなさいよ」、「暗い」、「体調悪いの?」と言われ続けてきた。


 浮くはずがない。

 王宮までの一泊二日の道のりが終われば死ぬかもしれないのだ。

 気を抜くと泣いてしまいそうにさえなる。


「オッフェランのせいです」


 自棄気味に言ってしまってから、失言だったか、と内心ドキッとしたが、ユリア妃は「まぁ」と肩をすぼめ、何故か楽しそうに笑顔で「怖い、怖い」と小走りで石畳を渡って行く。

 その様子が少女のように可憐で、ネイビーのドレスの後ろ姿が庭園の深い緑の奥に走り去る様は、楽園の妖精が見え隠れするような現実感のなさを覚えた。


 主客が使う部屋にスタンリー帝とユリア妃がくつろぐ様子をしばらく見届け、廊下を挟んで向かい側の部屋に引き上げる。


「何かありましたら、気軽にお声掛けください」


 部屋を辞すときに、役目上、そう言った。


 スタンリー帝は終始覇気がなく、青白い顔で、どこか遠方を眺めている。


「何かあっても他の方に頼むから大丈夫よ。気疲れがひどいでしょ?今日はゆっくりお休みなさい」


 ユリア妃は慈愛の微笑で俺を見送ってくれた。


 決して同志ではなく、敵味方に近いような関係だが、ユリア妃は良い人だと思う。

 あの美貌を持ち、皇帝の妃という高い地位に立っているのに、気配りができる素晴らしい女性だ。

 同時に、その細かいところまで目が届く賢さがゆえに、油断はならない人という印象も併せ持つのだが。


 俺は早めに食事をとり、熱いシャワーを浴びると、引き込まれるようにベッドに入った。

 ユリア妃は言葉通り、俺を呼ぶことはなかった。

 俺は値段を聞くのも怖いぐらいのふかふかのベッドに横になると、明日王宮でガリュー宰相に会ったら何を言われるのだろう、と考えたが、何とかなるさ、と思ったら、あっという間に眠りに落ちていた。


 物音がしたのだろうか。

 ふと、眠りから意識を取り戻す。

 ここはどこだっけ、と一瞬混乱する。

 離宮であることを思い出すと、寝過ごしたか、と慌てて目を開いた。

 カーテンの隙間から微かに白んでいる窓の縁が見える。

 まだ、夜明けの時間か。


 ゴトゴト。


 やはり、物音が聞こえる。

 しかも、オッフェラン帝国皇帝夫妻が泊まる向いの部屋の方からだ。


 俺は役目柄、義務感で様子を窺うため、寝間着のままドアを開いた。


「あら。起こしちゃったかしら」


 向いの部屋のドアから出てきたユリア妃と廊下でばったり遭遇する。

 常夜灯のろうそくの心もとない灯りでもユリア妃はハッとする美しさだ。

 辺りを憚った小さな声も可愛らしい。「おはよう」


「おはようございます」

「あ、そうだ。あなたの部屋にシーツの予備ってないかしら?」

「シーツですか?何で?」

「何でって、……そんなこと、訊く?」


 ユリア妃が恥かしそうに身をよじって目を逸らすので、俺は慌てた。

 何か、大人の秘め事のにおいだ。


 シーツを取り換えるということだろう。

 それは汚れたから。

 何故、汚れた?

 男と女が汚れることをしたから……。

 俺はそこで思考を停止した。


「すいません。探してきます」


 俺は急いで自室に戻り、シーツを探した。

 いくつか、扉を開くとブランケットやシーツ、枕などが仕舞ってある収納スペースを見つけた。

 一枚?

 二枚あれば足りるだろう。

 俺はシーツを小脇に抱えて、廊下に戻る。


 ドア横の壁にもたれていたユリア妃に見せると、彼女はパーっと花が開くように笑う。


「あなたも来て」

「え?」


 ユリア妃は俺の腕を掴み、スタンリー帝との部屋に入って行く。

 いきなりのことに俺は抵抗できず、引きずられるように部屋に入った。


 何?

 何が始まる?


 その時俺は、ユリア妃が全身黒ずくめの、皇帝の妃には不釣り合いな、まるで泥棒のような軽装になっていることに気付いた。

 そして、俺は部屋の中の様子に目を疑った。


 壁に掛けられたランプの橙色の灯りで夕景のように俺とユリア妃の影が床に伸びる。

 その影の先で、スタンリー帝が仰向けになっていた。

 寝ている?


「グフッ」


 突然、視界に現れたレンブール将軍の端正な顔が歪んで見え、変な音を口から漏らしたのが自分だと知る。

 鳩尾を抉るような衝撃は、まさに衝撃的だった。

 内臓が破裂したような感覚は人生で初めての重い苦痛だ。

 息ができず、自分が横ざまに倒れていくのを止められない。

 殴られた?

 そう気付いた時には俺もスタンリー帝の隣に転がっていた。


「ちゃんと二枚持ってくるところが、ジャスパー殿の優秀さよね」


 俺の隣のスタンリー帝は苦しそうにもがくような表情のまま硬直している。

 まさかとは思ったが、明らかに息がない。

 そのスタンリー帝をレンブール将軍がテキパキとシーツで包む。

 巨大な繭玉まゆだまのようなものがすぐに出来上がった。


 レンブール将軍は俺の方へ歩いて来て、腹部を今度は蹴り飛ばした。


「グワッ」


 慣れた作業のように手際良く、レンブール将軍は俺の体も繭玉にしようとシーツを広げる。


 打撃の深い威力で意識が飛びそうな俺は、ただ痛みに体を丸めるだけで、なす術がない。


「ちょっと待って」


 レンブール将軍の動きをユリア妃が止める。「初めて会ったときから気になってたの。焼けて溶けちゃうと勿体ないから、これはもらっておくわね」


 ユリア妃は俺の腕から赤い宝玉のブレスレットを取り上げ、満足そうに自分の手首に着けた。


 レイ……。


 ユリア妃は部屋の隅に立っているランプを次々に倒して回る。

 たちまちその周囲で炎が踊り出す。


 レンブール将軍は再び俺をシーツに包んでいく。


 何だろう。

 遠くからドコドコと地響きのようなものが聞こえてくる。


「何が、したい?」


 何とかそれだけ声にできた。

 リーズラーン王室の離宮でオッフェラン帝国の皇帝を殺し、火を放つ。

 ユリア妃の意図が全く分からない。


「私の世界を築くのよ。ファミルとあなたのせいで、計画が少し狂ったけどね」


 ユリア妃はどこからともなく取り出した黒い紐で手際よく髪を束ねる。「西部の私兵の蛮行をリーズラーン軍の仕業にでっち上げたのが、まさかそのままあの子の耳に入っちゃうとは思いもよらなかったわ」


「何だと……」


 でっち上げ?

 それがファミル皇女のあの態度につながってしまったのか。


「災い転じて福となす、かしら。それでリーズラーンへの侵入が容易になったし、あいつも踏ん切りがついたみたいだから、あなたにもお礼を言うわ。じゃ、名誉の戦死をされたスタンリー帝のお供を最後までよろしく」


 ユリア妃が煙そうに口元を押さえたのが見えた瞬間、俺はシーツで視界を遮られた。


 あいつとは誰のことか。

 訊ねようとしたら、ぼたぼたと何か液体を掛けられた。

 油?


「とどめを刺しておきますか?」

「先を急ぎましょ。勝手に死ぬでしょ」


 メラメラ、パチパチと炎が暴れる音の向こうに二人の気配が消えて行く。


 俺は懸命に体を動かそうとしたが、腹部の鈍痛の影響で、全身に思うように力が入らない。

 シーツがしっかり固定されていて、体の自由が利かない。


 煙が息苦しい。

 ゴホゴホとむせ返り、空気を肺に吸い込めない。

 新鮮な空気をくれと胸が暴れるが、ないものはない。徐々に頭が痺れてくる。

 意識を保つのが難しくなってくる。シーツ越しに熱さがすぐ近くに感じられる。

 炎がすぐそばで揺らめいている。

 シーツに飛び火すれば、油であっという間に燃え広がるだろう。

 もう駄目か。煙に巻かれるのが先か、炎に巻かれるのが先か。

 どちらにせよ、この死を回避する術が見当たらない。

 まさか、ガリュー宰相ではなく、ユリア妃に殺されることになるとは。


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