スタンリー帝とユリア妃
「本当に申し訳ありません」
エリゼが消え入りそうな声で深々と頭を下げる。
「謝罪はリオンさんにしてください」
俺は窓の外に視線を向けた。
エリゼを見ていると、文句ばかり言ってしまいそうだ。
出発前にどうしてもリオンに会わせてくれとお願いして通された場所には、簡易な木の檻があった。
ドラゴンは檻のすぐそばに眠っていた。
与えられた水の中に薬が入っていたのだろう。
ドラゴンの周囲には太いロープを持った兵士がたくさんいて、ドラゴンの体を四方八方から縛り上げていた。
檻の中でリオンは言葉を交わさなくても分かるほど意気消沈していた。
ドラゴンを奪われた悔しさが全身に現れている。
私のことはどうでも良いので何としてもドラゴンを解放してください、と訴えてきたリオンの血走った目が脳裏から離れない。
「本当に、本当に申し訳ありません」
エリゼの涙声が馬車の中をさらに陰鬱にする。
この状況においては、スタンリー帝を王宮に連れて行き、レイと面会させ、同盟関係が揺るぎないものであることを互いに確認することがドラゴンとリオンの解放への一番の近道だろう。
しかし、馬車の窓から見る風景は一向に変わらない。
国境にそびえる山々は全然近づいてこない。
馬はドラゴンとは違う。
分かっていても、ドラゴンのスピードを知ってしまった俺は馬車の遅さにイライラしてしまう。
馬車は重臣あるいは賓客が使うものなのだろう。
装飾は立派で座り心地も良い。
オッフェランなりに俺を厚遇してくれていることは分かる。
俺はエリゼの方を向いて、その耳に少し口を寄せた。
「皇帝陛下はいつもあんな感じなのですか?」
二人きりの馬車の中だが、極力声を抑えて訊ねた。
「あんな……とは?」
エリゼは怪訝そうに首をかしげる。
「かなりお酒を召し上がっておられるようでしたが」
「そうですね……」
エリゼは眉をひそめた。
「足取りも覚束なくて……。最後は眠ってしまわれました」
「私も普段はお目にかかることはありませんので、よく存じておりませんでしたが、噂では、近年、召し上がられるお酒の量が増えているとか」
「執務中も酒気を帯びていらっしゃるのでしょうか?」
俺の質問にエリゼは答えることを逡巡するように瞳を揺らしたが、何かを決意したような表情で頷いた。
「そのような話を聞いたこともあります。最近では、政務を取り仕切るためにユリア様とレンブール将軍が常に陪席し補佐していると」
「補佐、ですか」
補佐という建前かもしれないが、既にスタンリー帝はお飾りでしかない。
実質はユリア妃がレンブール将軍と協議して政治を行っている。
「数年前に信頼している一人の将軍に突如反旗を翻され、何とかそれを鎮圧された頃から陛下はお酒に溺れるようになったようです」
「事情はあるにせよ、酒に負けていては……」
俺は怒りに任せて余計なことを言っていると思い、口をつぐんだ。「これで良かったのでしょうか」
「と言いますと?」
「私たちは、リーズラーンとオッフェランが同盟を破棄して戦端を切ることになるのを避けるために皇帝陛下をお招きすることとしました。しかし、ロイス四世の前で皇帝陛下が何を話されるか……。私たちの目論見とは違う結果になりそうで、恐ろしいのです」
「さすがに陛下もロイス四世陛下の御前でお酒は……」
言いながら、エリゼの頬はどんどん強張っていく。「ユリア様が御同行されると思いますし」
「ユリア様とはどういう方なのですか?」
「陛下の御側室で国民憧れの才色兼備のお方です。六年前に陛下待望の男子をご出産されました。皇太子殿下です」
「かなりお若い印象ですが」
「三十五歳と伺っております」
「三十五?もっとお若いのかと思いました」
「あのお美しさですからね。ユリア様は幼い頃からその美しさが国内で評判だったようで、十二歳の時に陛下自らの御指名で侍女として召し出し、自分好みの教育や礼儀作法を施し、やがて側室として迎え入れたと聞きます。オッフェラン帝国ではかなり数奇な人生を歩まれた、その成功物語はもはや伝説とも言われている女性なのです」




