怖いぐらいの態度の変化
「何故?」
俺は思わずそう呟いていた。
「国内の誰かが私たちの動きを監視させているのでしょうか」
「監視……」
その言葉で一人の人物が頭に浮かんだ。
その名はガリュー宰相。
レイやコールマンの動きを察知して、俺がオッフェラン帝国の皇帝に会うことを止めようとしているのか。
上空のドラゴンは急に向きを変えたかと思うと、リーズラーンの方角へ飛んで行った。
俺たちに気付かれたから、慌てて帰るという様子ではない。
おそらく、オッフェラン帝国の部隊と接触したのを確認し、もう止めることはできないと判断したうえでの帰還だろう。
やはり、指示をしたのはガリュー宰相と考えるのが自然だ。
「あの二頭は、後方支援の……」
俺はこの場をやり過ごすため、咄嗟の思い付きの嘘をつこうとしたが、将校の大きな声で打ち消された。
「我らは脅迫とは感じても、友好とはとらん」
そういう見方になるのか。
俺は愕然と言葉を失った。
「ジャスパー様の言葉に噓偽りはございません。これはファミル様の親書でございます。ライガン将軍から陛下へのお手紙もお預かりしています。これらを経緯の説明とともに陛下にお渡ししたいのです。何卒お許しを」
エリゼは親書を頭上に掲げ、声が割れてしまうほどに叫んだ。
俺もエリゼに倣って親書を天に突き上げた。
もう、これしか手はない。
「私もリーズラーン王国ロイス四世の親書を持参しております。皇帝陛下にお目通しを賜りたく存じます」
親書が二通現れ、将校はさすがに扱いに迷ったのか、一旦退いた。
少し時間をおいて姿を見せると、二人の歩兵を伴って俺たちの前に馬を進めた。
指呼の間に来ても、将校は馬上にあって、尊大な感じで俺たちを見下ろす。
やがて、軽い身のこなしでひらりと馬を下りると、「親書は受け取ろう」と言って、背後の兵士に目配せをした。
その時、リオンのドラゴンが威嚇するように「フン」と鼻息を漏らした。
拍子に砂塵が巻き上がり、将校の馬が驚き怖がるように首を上下に振り、後ずさりする。
将校は賢明に手綱を絞り、なだめるように「ドウドウ」と馬首を撫でた。
同時に非難の目をこちらに向ける。
兵士が近づいて来て、エリゼはおどおどとした感じでファミル皇女とライガンの親書を預けた。
しかし、俺は直感的に一歩退いた。
親書は胸に仕舞う。
「こちらの親書は私の目の前で皇帝陛下にお読みいただきたいと考えております。そうするようにとロイス四世からきつく承っておりますので。ぜひ、お取次ぎを」
兵士は困惑の体で将校を振り返る。
将校は顔色を変えず、何の言葉も残さず、再び馬上の人となり、そのまま隊列に戻って行った。
「ジャスパーさん」
将校が隊列の向こうに見えなくなったころ、リオンが姿勢は変えず小声で話しかけてきた。
俺も顔はオッフェランの軍勢に向けたまま、微かに口を動かして会話を行った。
「何でしょう?」
「彼らの態度は友好的とは程遠い。我々竜騎隊としては不測の事態を想定せざるを得ません」
「不測の事態?」
「我らの自由がオッフェランの手に落ち、ドラゴン二頭を奪われる」
リオンが冗談を言っているのではないことは、敵陣の動きを常に窺う目を見れば分かる。
ドラゴン二頭。
少し操縦できるようになれば、それだけで二百や三百の兵士をたやすく駆逐することができる。
そんなリーズラーンの至宝をむざむざ渡すわけにはいかない。
クゥイー。グロロロロ。
「エリゼさん。この先、オッフェランはどういう返答になると思いますか?」
俺の問いにエリゼは顔を引きつらせた。
「正直、分かりません」
この言葉で俺は決断した。
「リオンさん。ドラゴンを連れて帰ってください。今すぐ」
「よろしいのですか?当初の目的は達成できなくなりますが」
「あの態度では、スタンリー帝がドラゴンに乗ることはないでしょう。そもそも私たちが甘かったのです。彼らからしてみたら、隣国が派遣してきた獰猛な獣に皇帝が乗せられてどこかへ連れて行かれるという選択肢を取れるはずがありません」
「では、まず後ろの一頭を帰らせます。その後、交渉が決裂した場合、残ったこのドラゴンでリーズラーンに帰りましょう」
地上でもリオンは頼もしい。
普段のなよっとした感じが一切なくなっている。
「分かりました。ですが、こちらのドラゴンもいつでも飛び立てる準備を。いざという時は私を置いて行ってください」
リオンは俺の目をじっと見つめると、もう一人の隊士に向かって「行け」と命令した。
指示を受けた隊士はドラゴンの姿勢を低くさせ、その背から垂れている縄梯子を使って跨った。
その時、例の将校が慌てたように自分の足で走って隊列から出てきた。
「陛下が親書を受け取られた。リーズラーンの皆様はこちらへどうぞ」
将校は腰を低くして俺たちを手招きする。「一旦お待ちいただく場所を用意いたしましたので、どうぞ、どうぞ」
急な態度の柔化に俺はエリゼ、リオンと顔を見わせる。
「逆に怖いですね」
リオンの言葉に、俺は激しく同意した。
「先ほどの方針通りで行きましょう」
俺が促すと、リオンは背後のドラゴンに乗っている隊士に向かって「出立」と命じた。
翼が大きく広がり、暴風をまき散らしてドラゴンは飛び上がった。
やがて砂塵が落ち着き、上空高くにドラゴンが舞い上がったとき、将校が俺たちの傍にやってきた。
「あのドラゴンはどちらへ?」
「リーズラーンに帰しました。少しでもオッフェランの方の脅威を減らすために」
とっさについた嘘だが、脅威と言われたのは事実。
将校はどこか悔しそうに押し黙った。
「さあ。どうぞ、こちらへ。エリゼも皆さんをお連れして」
将校に言われ、エリゼが将校に並んで俺たちをオッフェランの隊列の方へ招こうとする。
「私はお構いなく。使者ではありませんし、ドラゴンの世話をする必要がありますので」
リオンはドラゴンの首筋を撫でながら、申し出を断る。
「そうおっしゃらずに。ドラゴンには水と食糧を用意します。我が主君はぜひ、ドラゴンの騎手の方の話を伺いたいと申しておりますので」
リオンと将校はしばらく押し問答を続けていたが、「ドラゴンが暴れたら、この辺り一帯が大変なことになります。陛下の御安全もお約束できなくなります」という言葉で将校が折れたようだった。
結果、まずエリゼが呼ばれて、奥へ入って行った。
俺は隊列のすぐ傍の木陰で簡易な木の椅子に座って待つように言われた。
何百、何千ものオッフェランの兵士の中に、ポツンと取り残されている状況はこれまで経験したことのない心細さだ。
ここで人知れず襲われても、誰も助けてはくれない。
逃げることも不可能だろう。
そして、リーズラーンの人間は俺がどうなったか確認のしようがない。
ふと、思う。
どうして俺はこんなところにいるのだろう。
オッフェランのために来たのに、俺の生死はオッフェランの人間の手に委ねられてしまった。
そんな理不尽な。




