リオン
グロロロロ。グゥイー。
まだ夜が支配している世界に無理やり朝の訪れを告げるようにドラゴンが暴力的な鳴き声を天に轟かせる。
ほんの少し白んできた東の空を背景に兵舎から三頭のドラゴンが姿を現した。
巨体を揺すってぶつかり合いながら跳ねるように歩く様は遠足を前にじゃれ合う子どもたちのようだ。
前を歩く隊士が踏みつぶされてしまわないか冷や冷やする。
「大きい……」
エリゼの呟きは、俺の心の裡を代弁していた。
それ以外に形容する言葉が見当たらない。
近づいてきたドラゴンの足は神殿の柱のような太さと気高さだった。
ボグスの前に整列し、居住まいを正すように動かした羽で巻き上がった風で俺の体が浮かびそうになるほど揺れる。
その顔を俺は王宮の三階のテラスを見上げるような感覚で仰いだ。
時を告げる鐘のように大きな瞳は意外と優しそうで穏やかに光っている。
この巨大なドラゴンによって国境を越え、オッフェラン帝国の皇帝に会い、その皇帝を説いてリーズラーン王国へ導く。
途方もない道のりだ。
しかし、それは誰でもない、俺に与えられた任務だ。
やってやろう。
「鞍をそれぞれ三つ付けてきましたよぉ」
ドラゴンを連れてきた隊士は若かった。
俺よりも年下かもしれない。
屈強な兵士という感じはなく、運動に汗を流す少年といった幼く爽やかな顔立ちだ。「それから、振り落とされないように安全帯を用意しました。それとぉ、儀礼飛行の時に使う白布のマスクも装着します。これが口輪となりますので、口での攻撃や火炎の噴出が不可能となり、敵意がないことをアピールできます」
口調が柔らかく、ふんわりとした空気を醸し出している。
殺伐とした訓練場、厳しい軍隊の中では異質に思えた。
三頭のドラゴンが代わる代わる首を伸ばして、その若い隊士の腕に嬉しそうに顔を擦り付ける。
彼は子犬を扱うように「よしよし」とドラゴンの顔を撫でまわす。
「リオン」
ボグスがその若いリオンと言う名の隊士に問いただす。「何故、三頭なんだ?昨日も言っただろう。二頭で良い」
「お言葉ですけど、竜騎隊の基本編成は三頭ですよ。ドラゴンも三頭編成に慣れています。二頭の方が異例ではありませんか。それに、帰路はオッフェランの方をお連れすると伺いましたよ。当然、二頭よりも三頭の方が多くの方を運べます。あ、そうだ。輸送用の折り畳みゴンドラも装備しましたよ」
リオンは何故分かってもらえないのかという感じで困ったように首を斜めに傾ける。
俺は冷や冷やした。
上官に口ごたえをする兵士など見たことがない。
上官の命令は絶対というのが軍隊の鉄則だと聞いたことがある。
そうでなければ、危険な戦場で統率がとれないからだ。
どうもこのリオンという隊士は緊張感がないような気がする。
大丈夫だろうか。
「いや。二頭で良い。ドラゴンは脅威だ。相手の警戒を深めることになる」
ボグスは体にまとわりつく虫を払うようにつっけんどんに答える。
「ですけどぉ、……」
ボグスとリオンのやり取りを見ていたコールマンが「リオン。二頭で良い。第一方面隊の負担は最小限に」と仕切る。
「分っかりました」
リオンはコールマンに敬礼した。そしてボグスに向き直る。「残りのドラゴンの餌は念のため二日分用意しました。一つずつ名前も記してありますので、その通りに与えてくださいね」
「ご苦労。了解した」
ボグスは隊士に敬礼し、こちらに向き直る。「こちらは準備、整いました」
「うむ」
コールマンは俺とエリゼに正対する。「こう見えて、リオンはこの第一方面隊だけでなく、竜騎隊全体でも一、二を争う優秀な乗り手だ。ドラゴンの操縦は全てリオンに委ねれば良い」
「こう見えて、は余計ですよ。コールマンさん」
リオンは頬を膨らませてコールマンを睨む。
炎凰コールマンに対しても、物怖じするところが全く見えない。
そして、リオンは俺とエリゼに顔を向ける。「ジャスパーさんに、エリゼさん。よろしくお願いしますね」
胸の前で両手を振って笑顔を浮かべるリオンに俺はどういうリアクションをすれば良いのか分からない。
「よ、よろしくお願いします」
「昨日はしっかり眠れましたかぁ?」
「まぁ、ぼちぼちと」
実際、よく分からないのだ。
困難極まりない任務を翌日に控え、竜騎隊の兵舎にいることも相まって、ベッドに横になっても心臓のドキドキがうるさくて仕方なかった。
それまでほぼ徹夜で動き回っていて疲れているのに、目だけが冴えてしまって何度も寝返りを打った。
それが、いつの間にか眠ってしまっていて、コールマンに叩き起こされるまで、自分でもどれぐらい眠れたのか分からない。
「私は緊張してしまって、全然……」
エリゼは少々青ざめた表情で苦笑いを浮かべる。
「仕方ないよね。それが普通だと思う。ジャスパーさんが大物すぎ」
そう言って笑うリオンはどうだったのだろう。
これぐらいの任務は日常茶飯事なのだろうか。「作戦の指揮はジャスパーさんにお任せします。何でも命令してくださいね」
こちらを安心させるためだろうか。
出立を前にしてもリオンに緊張感は全然ない。
「ジャスパー殿。時間はない。覚悟はできているか?」
コールマンの言葉に俺は力強く頷く。
「行ってきます」
俺は胸に手を当てた。その内ポケットには昨日コールマンから受け取ったレイからのカードを忍ばせている。




