一度死んだ身
「……というのは、いかがでしょうか?」
リーズラーンの重臣がオッフェランとの戦争を企図していることと、それを阻止するためにモンシュ達が提案した計画を俺がファミル皇女とライガンに説明した。
俺は全然気乗りしていないのだが、最後は、ジャスパー様の言葉は誰よりも真剣に聞いてもらえるから、とエリゼに半泣きで懇願されて断れなかった。
タオルやバスローブなどの洗濯物の回収に使うワゴンの中に隠れてファミル皇女の部屋に入った。
これはコニールの策なのだが、これで本当にガリュー宰相の目を回避できるのだろうか。
ガリュー宰相に見つかれば、冗談ではなく命が危ないのだが。
「スタンをか……」
ライガンが言う「スタン」とはスタンリー帝のことなのだろう。
そういう呼び方をするのは、それだけライガンがスタンリー帝と親密な関係にあるということなのだろう。「今のスタンで、なぁ。んー」
顎に手を当てて考えるライガンの口から漏れてくる言葉は独り言のようだ。
今のスタン、とはどういう意味なのだろうか。
「大丈夫かしら」
ファミル皇女も思案顔でライガンを見つめる。「肝心なのはユリア様がどう思われるかよね」
「あの女狐ですか」
「爺」
ファミル皇女に咎められ、ライガンは唸りながら口をつぐんだ。
ユリアとは誰なのか。
ライガンはあまり良く思っていないようだが。
「もう、これしか手がないでしょうな。やるしかない。娘の一大事となれば、スタンもきっと……。ユリア妃も大っぴらには姫をぞんざいに扱うことはできないでしょう」
「私、本当に何ということをしてしまったのでしょう」
ガリュー宰相がファミル皇女の非礼を口実にオッフェラン侵攻を企図していることに、ファミル皇女は頭を抱えて嘆いた。
「姫。悲嘆にくれていても仕方ありません。ここはジャスパー殿のご提案をどう実行するかです」
「そうね……」
ファミル皇女は顔を起こし、人差し指を唇に当てて物思いにふけった。「まず、私が体調を悪化させる、と」
ファミル皇女とライガンが乗り気なのを見ると、余計に不安になってくる。
オッフェラン帝国の存亡にかかわる重大事が政治に疎い侍女たちの深い考えもなく口にした思い付きで簡単に解決できるとは思えないのだが。
どこかで破綻するのではないか。
「自分で申し上げておいて、何なんですが、そんなことができますか?この王宮の侍医は、もちろん我が国が誇る名医でございまして、仮病は通じないと思います」
「仮病じゃなければ良いのでしょう。爺の魔法で何とかならない?」
ファミル皇女に話を向けられて、ライガンは困った顔つきだ。
「姫。これはかなり難しいことですぞ。仮病でないということは、つまり、私の魔法で重傷を負うということです。姫をそんな危ない目に合わせるのは、私は反対です」
「爺。私は一度、死んだ身。どうなろうと構いません」
「姫……」
ライガンの目にうっすらと涙が浮かぶ。「それでは、できる限り軽く麻痺をかけることにしましょう」
「あまりに軽いと、すぐに回復してしまうわ」
「では、どれぐらいの期間、魔法の効果があればよろしいでしょうか?」
「そうねぇ……」
ファミル皇女が答えを求めるように俺を見る。
「オッフェラン帝国の皇帝陛下がこちらにいらっしゃるぐらいまで続くと良いと思いますが……」
そう口にして、それがどれぐらいの期間なのか考えもしていなかったことに気付く。「何日ぐらいでしょうか?」
「ここからオッフェランまでは馬車で頑張って三、四日。オッフェランからここまでも同じ。しかし、一週間も姫を麻痺状態にしておくのはあまりに危険」
一週間の麻痺状態。
確かにそれは危険極まりない。
学校の授業で習ったが、麻痺系の魔法は重いものだと元に戻らないこともあるらしい。
長くて丸二日。
それ以上は回復させたとしても、体の一部に麻痺が残る可能性が高い。
最悪の場合、内臓の働きに不調が起こり、死に至ることもある。
「やめましょう。そんな長期間の麻痺は、お命にかかわります」
俺は必死になって抵抗した。
これはファミル皇女が命を懸けるほどの策ではない。
「ジャスパー殿のおっしゃる通りだ」
ライガンは指を一本立てる。「やっても丸二日。四十八時間が限度です」
「それで十分なのでは?今から麻痺になって、侍医の先生を呼んでいただき、ファミルはしばらく安静が必要だと診断していただければよいのですから」
「さすが、姫。では、そう致しましょう」
え?
そんなに簡単に?
ファミル皇女とライガンが合意したところに、俺は「いやいや」と強引に割り込んだ。
「一旦はお望みの診断が出たとしても、三、四日後には侍医が移動許可を出してしまいますよ。そうなればガリュー宰相は即刻ファミル様を強制送還するでしょう」
「その前にもう一度、同じ麻痺魔法をかけるのよ」
「そんなことをして大丈夫なのですか?それに、二度目は誰がかけるのです」
俺の問いにライガンは表情を曇らせた。
「確かに。私はオッフェランに戻ってスタンを説得しなければならないし、短期間に二度も麻痺魔法をかけては、健康を回復できる保証もない」
「では、四日でお父様にこちらに来ていただくしかないわ。移動期間を短くする良い方法はないかしら……」
「ドラゴン……」
エリゼがボソッと呟く。
「そうよ。ドラゴンよ。リーズラーン王国の代名詞とも言えるドラゴンならオッフェランまで一日もかからないんじゃない?」
ファミル皇女は目を輝かせて俺を見る。
確かに、ドラゴンで空を飛べば、馬車の五倍ほど速く移動できる。
しかし……。
「ドラゴンはロイス四世陛下直属の近衛兵団竜騎隊でなければ操れません。ですが、その竜騎隊を、陛下やガリュー宰相に知られないように動かすのは不可能です。そして、ここから一番近い竜騎隊の基地まで、馬車で二日、寝ずに走っても丸一日はかかります」
「そこを何とかなりませんか?」
エリゼが潤んだ瞳で見つめてくるのは苦手だ。
何とかしてあげたいが、さすがにこればかりは……。
「エリゼ。やめましょう。これ以上、ジャスパー殿にご迷惑をかけるようなことはできない。私が浅はかだったわ。忘れて」
ファミル皇女は急に意気消沈して、手元に視線を落とした。「一か八か、重めの三日間麻痺状態になる魔法を受けます。安静期間も考慮すれば、一週間近く稼げるんじゃないかしら」
「姫……」
「爺。これしかないのです。何度も言いますが、この際、私の体はどうなっても構わないのです」
ライガンは豪快に鼻水をすすって頷いた。
「承知しました。では、動き出しましょう。魔法をかけますので、少し苦しい時間が続きますが、ご辛抱を。私はすぐにオッフェランへ向かいます」
ライガンは胸に手を当て、服の上から何かを握った。
そこには魔法石があるのだろう。
「少し……少しだけ、お待ちください」
俺の脳裏にある人のことが頭に思い浮かんでいた。
あの人なら、何とかしてくれるのではないか。ダメもとで、頼んでみる価値はある。「私に考えがあります。皆さん、小一時間ほど私に時間をください」




