この世で最も顔を合わせづらい人
「ジェイ?いないの?洗濯物、持って来たんだけど」
ドアの外からモンシュの声が聞こえる。
俺はベッドにまどろみながら、ドアがドンドンと強くノックされるのを聞いていた。
放っておこう。
侍女ならこの部屋の鍵を持っていて、勝手に入ることができる。
果たして、ガチャガチャと鍵を開く音がする。
俺は布団の中で寝心地の良い体勢を求めて、寝返りを打った。
疲れた。
もう、何もしたくない。
何も考えたくない。
昨晩から色々あり過ぎて、一睡もしていない。
もう、瞼が開かない。
しかし、眠りたくても、ファミル皇女の涙が脳裏に浮かぶ。
どうしたら良いのだろうか。
ファミル皇女に頼りにされている。
ガリュー宰相からは沈黙を強要された。
主君であり友人であるレイに黙っているのは辛い。
この状態で俺がすべき行動は何なのか。
「んー。困った」
「話してごらんって」
「え?」
驚いて目を開けると、モンシュの顔がそこにあった。
至近距離でこちらを見ている。「うわっ!何?」
俺は慌てて寝たままベッドの端へ移動して距離を取った。
「何じゃないわよ、失礼ね」
モンシュは涼しい顔だ。
「失礼ねって、そっちが勝手に……あれ?」
モンシュだけだと思っていたら、モンシュの背後の壁際に三人の侍女。
すなわち、コニール、ベリーニ、そして……。「エリゼさんまで」
俺は慌ててベッドの上で体を起こした。
「ジャスパー様。ファミル様の命をお救いいただきまして、ありがとうございました」
エリゼは「改めて、お礼申しあげます」と深く頭を下げる。
「あ。いえ……」
俺は顔の前で手を左右に振った。
そして、リーズラーンの侍女たちに顔を向ける。「みなさんは、どうされたんですか?」
コニールが少し作ったような笑いを浮かべる。
「エリゼさんの力になりたくて……」
その時、部屋のドアがノックされた。
「ジャスパー、いる?」
この声はレイだ。
今、この世で最も顔を合わせづらい人。
俺は反射的に布団をかぶってベッドに突っ伏した。
居留守でも仮病でも何でも良い。
とにかく今はレイとの会話は避けたい。
すると、ベッドのそばからタタタと足音が遠ざかって行くのが聞こえた。
そしてドアが開いた音がする。
「陛下。申し訳ありません」
モンシュの押し殺した声。
「あれ?どうしたの、モンシュ」
レイもモンシュに合わせて声を潜めている。
「実はジャスパー様がレモン水を所望されまして、お持ちしたのですが、既にベッドでお休みになっておられまして」
「寝てるの?そっか。昨日は徹夜だったんだな。じゃあ、また改めるよ」
「はい。私も洗濯物を棚に戻したら、すぐに失礼します」
「そう。じゃあ」
ドアがゆっくり閉まる音がした。
そして、部屋の中でいくつもの「ふー」という吐息。
少し体を起こし、薄目で確認すると、モンシュが「オッケー」と指で丸を作って得意げな笑顔で戻ってきた。
「さすが、モンシュ。嘘が上手だ」
「機転が利くと言って」
モンシュは腕を組んでじろりと俺を睨む。
「生きた心地がしなかったわ」
コニールとベリーニは壁にもたれながら、その場にへなへなと座り込む。
しかし、エリゼは気丈につかつかと歩いて来て、ベッドに座る俺を見下ろす。
「ジャスパー様。一体、何があったのでしょう。ファミル様は何とおっしゃっていたのでしょうか?」
ベッドに座ったままでは失礼なので、俺はエリゼをリビングにいざなった。
ソファで向かい合って座る。
「エリゼさんはファミル様から何も聞いていないんですか?」
「私は……。ファミル様の御様子がおかしくなったのは、国境沿いのとある町で嘆願に現れた国民の話を聞いてから、のような気がしています。彼らはファミル様の輿入れに反対しているようでした」
「反対の理由をご存じですか?」
「いえ。明確には……」
エリゼは表情を暗くする。「伺っても、私には子細には教えていただけませんでしたので」
リーズラーンの兵士の蛮行というニュースは侍女には重いという配慮だったのだろうか。
「ファミル様が教えなかったということは、エリゼさんには教えられない理由があったのかもしれません」
「私は子どもではありません!」
エリゼの顔は青ざめているが、意外にも口調は力強かった。「あの人たちが何をされたか、あの町で何が起きたのか、理解できています」
エリゼの強い眼差しは怒りを示しているように見える。
「何、何?何をされたの?」
モンシュが冷たいレモン水が入ったポットを持って興味津々に頬を光らせて俺の隣に座る。
「モンシュ。茶化さないの!」
俺とエリゼの間に割って入ろうとするモンシュをコニールがたしなめる。
「リーズラーンの兵士は、我が国へ援軍として入り……」
エリゼは太ももの上で拳を握りしめ、肩をわなわなと震わせる。
「エリゼさん?」
もしかしたら、エリゼは本当に本当のことを知っているかもしれない。
「我が国の民間人から金品を強奪し、娘を何人も……レイプしたんです」
「レ……」
さすがのモンシュも言葉を失った。




