想定外の対面
ドアがノックされ、俺は小走りで近づいた。
「どなたでしょうか?」
「ジャスパー。余だよ」
「あ、レ……。陛下」
俺は慌ててドアを開き、レイを招き入れる。
国王が姿を見せ、途端に空気が張りつめる。
レイがここに現れたということはファミル皇女の自殺未遂を知っているのだろうか。
レイは従者を伴っていなかった。
誰にも相談せず、自分の目で何かを確認したいようだ。
ファミル皇女の部屋には俺と侍医の他に、オッフェラン帝国の老臣・ライガン、そして侍女のエリゼ。全員が微かに頭を下げ、レイに対して直立不動となる。
ファミル皇女が眠っているとは言え、二人が対面するのはあの執務の間以来のこと。
レイがここでどういう発言をするのか、によって、この先の二国の関係が決まる可能性もある。
誰もがレイの口の動きに注視している。
「ファミル皇女の容体は?」
この言葉でレイが全てを知っていることがはっきりした。
誰から伝わったのかは分からないが。
カーテンの隙間から入る早朝の光にベッド上の皇女の白い顔がぼんやり浮かび上がっている。
いつの間にか夜は明けてしまった。
「発見が早く、大事には至りませんでした。脈はしっかりしておりますよ。間もなく目を覚まされるでしょう」
侍医が見立てを説明すると、レイは俺の肩を軽く叩いた。
「ジャスパー、よく見つけてくれたね。間一髪だった」
「いえ。ここにはいらっしゃいませんが、コールマンさんのお力が大きかったです」
レイは俺の言葉に深く頷く。そのコールマンから既に直接、事の次第を聞いているということか。
レイは心配そうにファミル皇女の白い顔を見下ろした。
二人が初めて御簾を通さず顔を見合わせるのは晩餐会の席での予定だった。
それが、こんな状況に変わってしまうとは、両国の誰も想像できなかったに違いない。
ファミル皇女の首に巻かれた包帯が痛々しい。
その包帯の下には白く柔らかい肌に縄の痕が赤黒く残っている。
「思ったほど血色も悪くないね」
レイは少し安心したように息を漏らす。「優しい顔立ちだ」
レイが言うとおりだ。
この穏やかに眠る皇女がレイに喧嘩を売るような物言いをして、すぐに自殺を図るような気性の不安定さを持っているとは、信じがたいところがある。
その時、ファミル皇女の瞼が微かに動いた。
少し目元に力みが見られたが、次第にそれも解け、また穏やかな寝息を立て始めた。
「陛下。次々と問題を起こしてしまい、申し訳ございません」
ライガンが直立で皺の深い額に汗を滲ませ、頭を下げる。
「いえ。彼女にここまでさせてしまったのは、余にも責任の一端があるのでしょう」
「滅相もございません。陛下の御心を煩わせてしまい、言葉もございません」
「こういうことは……」
レイは言いにくそうに一度言葉を切った。「自分で自分の体を傷つけるようなことは初めてですか?」
「はい。姫のことは御生誕のその時から存じ上げておりますが、今のお姿には驚きしかありません」
「普段はどのような方なのですか?」
「ハキハキとした気性の陽気な方で、よく喋り、よく笑われます。亡き皇后様からは、はしたないので笑う時は口元を手やハンカチで隠すようにと、しょっちゅうお小言をもらうような。ですが……」
「ん?」
「最近は、笑顔を見せられることが減ってきているように感じておりまして、そのことには少し心配をしておりましたが」
「どうされたのでしょう?」
「愚臣の勝手な推察ですが、内乱が長引き、国民が疲弊している現状を憂いておられるのかと」
「それは察するに余りあることです。国民が命懸けで武器を持って立ち上がるというのは、想像するだけでも悲しい。帝室の一員として、心痛は大きいでしょう」
レイの言葉には他人事ではないという重みがあった。「余との婚姻話が持ち上がったことも……負担だったのでしょうか?」
レイは切ない顔で訊ねた。
自分との婚姻がファミル皇女を瀬戸際まで追い詰めていたとしたらと考えれば、レイとしても辛いに違いない。
「いえ、そのようなことはないかと」
ライガンはきっぱりと否定した。
「何故分かるのです?」
「実は……、まことに勝手ながら、陛下とのご成婚につきましては、我が国では姫の御生誕の折に方針として決めていたことでございます。姫もそのことは御承知で、以前からこちらに使者を派遣すると、陛下がどのような御様子であったかと必ず使者を呼んでお訊ねになられます。二年前に同盟関係延長協議に訪問した我が国の使節団との晩餐会で陛下が皇太子殿下として御出席された時に、陛下があまりお話をされていなかったと使節団の一人が姫にお伝えしますと、『おじさん達と一緒にご飯を食べても楽しいはずがないでしょ。可哀そうに。私がご一緒すれば良かったわ』とおっしゃっていたのが印象に残っています」
「そうですか……」
レイの顔が赤らみ、視線があっちこっち落ち着かなくなる。
そして、それは眠っているファミル皇女も同じだった。
急に寝返りを打ち、レイに背を向け、布団の裾を引き上げ、顔を埋める。
どうやら、目が覚めたようだ。
「ファミル様!」
エリゼがファミル皇女の足元から呼びかける。「ファミル様!お目覚めですか?」
「……ないで」
「は?」
「恥ずかしいこと、言わないで」
「あ……」
ライガンはレイと目を見合わせ、また、ファミル皇女を見下ろした。「ああ。これは、迂闊でした」
「ご気分はいかがです?」
侍医が問いかけると、ファミル皇女は布団の中にさらに潜り込んだ。
そして、深く息を吐く音を漏らした。
「私は生きているのですね?」
がっかりしたような声だ。
「ファミル様……」
エリゼは申し訳なさそうに俺を見る。
「姫!こんなことは二度となさってはいけませんぞ。国で待つ皇帝陛下や国民のことをどうお考えなのですか。どうしても黄泉の国へ行かれたいのでしたら、まずは私にお命じください。先に行って、道中の安全を確保し、お待ちします」
ライガンは涙をこぼしながら、布団に向かって叫んだ。
「爺……」
「さあ、お命じください。私はもう十分に生きました。姫のご命令なら、喜んで先遣の任を果たしましょう」
ライガンは壁近くに設置された机の上にあったペーパーナイフを掴み、自らの首にあてがった。「さあ、姫。さあ」
その短いペーパーナイフを自ら突いても、死ねるかどうか怪しい。
しかし、必死さはヒシヒシと伝わってくる。
俺は静かにレイの前に立った。ライガンにレイを害する気はないだろうが、近くに武器を持った人間がいる以上、最悪の場合を想定しなくてはいけない。




